第三十一話 伝承
狼牙王国の西の砂漠地帯。
空の目を持つラドニール軍が敵の位置を正確に把握し、弓矢の遠距離攻撃でここまで有利に戦いを運んできた。
こうなっては、この砂漠を決戦の地に選んでしまった敵軍師ショーンは面目丸つぶれだろう。
つくづく竜人族が味方で良かった。
魔道器の懐中時計で、午後四時。
ついに、負け戦に嫌気がさして逃げ始める者が出た狼牙軍に対し、リリーシュが一斉攻撃を命じている。
「武器を捨てた者は攻撃するな!」
ちょっと心配だったが、リリーシュもそこは配慮してくれるようである。
「聞け! 狼牙兵よ! 敵はラドニールにあらず! 王位を簒奪し、無能な指揮をする逆賊ショーンなり! 我が名はブランカ、先王ロボウの娘!」
混乱の中、いつの間にか馬に乗ったブランカが、前に出て狼牙兵に呼びかけた。
俺の作戦には無かった行動だが、彼女もここがチャンスと踏んだのだろう。
「おお、あの白髪、王女殿下か!」
「生きておられたか!」
「王城で賊に殺されたのでは無かったのか!?」
「こうして生きていますわ! ワタクシはラドニールと同盟を結びました。ここで無為に死にたくない者はワタクシの下へ集いなさい!」
「よし、オレは王女殿下にお味方する!」
「オレもだ!」
武器を捨てていた狼牙兵が武器を拾って集まり始めたのでヒヤリとしたが、ブランカは「王城を取り戻しますわ!」と言って、俺たちとは別方向へ向かい始めた。
「ど、どうするの、ユーヤ!」
リリーシュも判断に迷ったようで、狼狽える。
「好きにさせておこう。ブランカはさっき、俺たちと同盟を結んだと言った。少なくとも今よりはマシな関係になるだろう」
「だといいけど」
狼牙兵も全員がブランカに従ったわけでは無く、半分以上はその場に残った。
敵の数が減って、これで有利になると俺は思ったのだが、士気の低い兵が去り、やる気のある兵だけ残ったせいか、敵が強くなってきた。
「くっ、まだいるの? 数が多すぎる!」
「リリーシュ、無理をするな。今まで通りに行こう」
「仕方ない、全軍、下がれ!」
リリーシュが命じたそのとき、聞き覚えのある声があたりに響き渡った。
「逃がすか! 回り込め! そこにいるのは敵の総大将、王女リリーシュだ! 奴の首を上げた者には金貨一万枚の褒美をくれてやるぞ!」
見ると神輿に担がれた敵の総大将、ショーンがいる。彼は鎧姿では無く、派手な絹服でクジャクの団扇まで持っていた。
「ショーン!」
リリーシュも反応しそちらに向かおうとしたので俺は叫んだ。
「ダメだ、リリーシュ! 今は下がれ! 敵の思う壺だぞ!」
わざわざショーンが最前線に出てきたのは、自らを囮にして敵を引きつける作戦だろう。
「くっ……分かったわ。全軍、下がれ!」
だが、逃げ切れない。
今までと違い、敵が猛然と攻撃してくる。
味方の兵が斬られ、次々と倒されていく。
敵の動きが急に良くなっているようだ。
金貨一万枚で奮起したのか? いや、そんな理由でここまでの体力回復はあり得ない。
俺はその理由に気がついた。
「くそっ、ここまでずっと精鋭部隊を後ろで待たせて温存していたのか!」
竜人兵の斥候の報告で、敵の中で一つだけ後方にいて岩のように動かない部隊がいた。
気にはなっていたのだが……。
「その通り! このときを待っていたぞ。軍師ユーヤ、今度こそ、罠にハマった貴様の負けだ!」
「くっ……」
ここまで俺たちは優勢に戦いを進めており、ショーンの罠にハマったつもりは全くないのだが、狼牙族が味方の損害を度外視すれば、確かに彼の言うとおりかもしれない。
戦は途中経過はどうあれ、最後に勝った者が笑うのだ。
そこを見落としていた俺は愕然とする。切り札の『空の目』は接敵した後はもはや関係なかったのだ。
いや、疲労して移動力が変わることを軽視していた。まだやれる、そう思ってしまっていた。
精鋭部隊をずっと後ろで残していたとは――。
「ユーヤは先に下がって! ここは私が引き受ける!」
リリーシュが前に出てしまうが、まずい、狼牙兵の将軍クラスが相手だと、剣姫であろうと勝てない。
「レム! しんがりゲームだ」
「おー! 待ってました!」
チャリオットから飛び降りたレムが落ちていた剣を拾って狼牙兵に人間の姿のままで突っ込んでいく。
ちょっと不安が残るが、彼女も危ないようならすぐ変身するだろう。
「ええい、子供一人に何を手間取っている!」
「し、しかし、ショーン様、あの力、普通の人族ではありませぬぞ!」
「ちっ! リリーシュだ! 奴を仕留めればこちらの勝ちぞ! 王女の首を取れ!」
「させるかー!」
レムが間に入って敵軍を引きつけてくれているが、大軍相手だとどうしても回り込まれてしまう。
「こっちだ! リリーシュ、手を貸せ」
空からエマが羽ばたいてやってくると、空中でホバリングしたまま言う。
「ええ? ここで逃げるなんて」
「そうではない。お前を囮に誘導するのだ」
「なるほど。じゃあ、お願いするけど、あなたの体力は大丈夫なの?」
「さすがに疲れたが、さっき休憩をいれたからもう少しは飛べるぞ。途中でルルと交代交代で行く」
「分かった」
リリーシュが愛馬から離れ、エマにぶら下がって移動し始める。
狼牙兵はそれを全軍で追いかけ始めた。
「よ、よし、逃げ切れるか?」
敵に包囲されて全滅という最悪の結果をなんとか免れそうなので、俺は期待した。
――しかし。
「あっ、あかんで! そっちはあかん!」
敵陣にいるタミーオが狼狽えた様子で叫ぶ。
どういうことだ?
俺が迷っていると、タミーオは背中に乗っていた狼牙兵を振り落としてこっちに駆けてきた。
内通をバラしてまでの行動だ、よほどのことに違いない。
「ユーヤはん! エマはんの方向を今すぐ変えたってや。あの先はカルデアの石碑がある場所、結界内や」
「あっ、そうか、あの渦巻きマークか!」
事前にこの周辺の地図を見たとき、ぽつんとマークがあるので俺も気になってロークに聞いたのだ。
「ローク、この渦巻きマークは何なんだ?」
「はい、これはカルデア王国に昔から伝わる結界だそうで、何人たりともそこに入ってはならないそうです」
「結界? 何か封印してあるのか?」
「いえ、何があるかまでは……誰も入ったことが無いので、分からないそうです」
「うーん、まあ、ずっと昔から立ち入り禁止になってるのなら、それなりの理由が何かあるんだろうな。カルデア王国と敵対してもまずい。近づかないでおこう」
「はい、それがよろしいかと」
そんな話になって、あれからすっかり忘れていた。
「伝令! あそこはダメだ。カルデアの結界がある。エマに方向を変えるように伝えてくれ」
俺もすぐに指示を出す。
「分かりました。すぐ報せて参ります!」
竜人兵の伝令がエマの後を追ってくれた。
「よし、こっちも、北に移動するぞ! 結界を避けて迂回する!」
リリーシュがいなくなったので、俺がこの場の全軍に指示を出した。
小隊長クラスには全員に地図も持たせてあるので、それで伝わるはずだ。
「笑止! カルデアの結界を恐れるか! 構わん、こちらは西に移動して回り込め!」
「しかし、ショーン様、何があるか分かりませぬぞ」
「何もありはせぬ! 私は古い迷信や言い伝えごときに惑わされぬ。だからこその改革者、時代の革命児よ!」
「分かりました。全軍、そのまま西から回り込め! 分隊は北からだ! 挟み撃ちにするぞ!」
逃げ切れるか?
結界の中を回り込まれると、敵の近道になるので厳しいものがある。
だが、このファンタジー世界、本当に何があるか分からないからな。
だから、何かあっても大丈夫な方法を採るべきだ。
ショーンは迷信と決めつけたが、伝統にはなにがしかの理由がある。
それが何かも分かっていないのに、目先の利益優先でぶっ壊してしまうのは予期せぬ問題を抱え込むことになる。
「急げ! 何をしている。敵はすぐ後ろに迫っているのだぞ!」
味方の隊長が叱咤しなければならないほど、移動のスピードがぐっと落ちた。
「だ、ダメです。砂丘の傾斜で、足が滑ります」
目の前に大きな砂丘があり、思うように進めない。
「仕方ない、いったん東へ迂回しよう」
疲労した今、この砂丘をなんとか頑張って乗り越えたとしても、後が続かない。
せっかくレムやエマが稼いでくれた敵との距離を縮めてしまうが、先の先まで考えるとこれが最善だろう。
「バカめ、そのまま西に真っ直ぐ逃げていれば、逃げ切れたものを! これがルールを自ら変えられる者と、変えられぬ者の違いよ!」
ショーンがせせら笑ったそのとき――
西から回り込んでいた狼牙兵達が急に立ち止まった。
「何をしている! 進め! 先に回り込んで敵を包囲するのだ!」
「し、しかし、な、何か……これは……」
「待て! 何かおかしいぞ!」
「す、砂だ! 砂が動いているぞッ!」
狼狽した声が上がり、狼牙兵が自分の足下を驚愕の目で見る。
最初はさらさらと……やがてズズズズと大きく周囲の砂が動き始めている。
「これはヤバイ! 全軍、結界からできるだけ離れろ!」
俺は凄く嫌な予感がして叫ぶ。