居場所
◆
隠し部屋への入り口が見つからない。時間も無いので壁ごと破壊し、そのまま押し入る。
部屋の中には敵兵が五人。床に投げ出された女が一人。皇帝だ。魔族はいない。すでに逃げ出した後だった。さすがは魔族、逃げ足が速い。
「ナオト! お前ナオトなのだな……貴様、契約者だったのか」
知っている顔だった。俺とセリアの上官だった例のトレーガー大佐だ。こいつも帝国の裏切り者だった訳だ。
俺は床に転がされている女を見た。皇帝だ。俺は顔をしかめる。殴られた跡がある。連れていかれるのに抵抗したのだろう。
くそっ。トレーガーは最初から皇帝目当てだったのだろう。大方、今までずっと暗い欲望を抱いていたに違いない。
兵士の一人が恐怖に声を震わしながら言った。
「あ、あ、悪魔め。そこを動くな。……動くなっ……動くなっ……」
声は小さくなり良く聞き取れなくなる。俺の事が怖いらしい。
俺は自分の身体を見た。力を使いすぎて身体の一部が悪魔化している。醜いかぎ爪に蹄のついた足。皮膚は黒く硬く硬化し始めている。怖がられても仕方が無い見た目だ。
俺は床の皇帝のそばに近寄る。兵士達はあわてて後ろに下がった。
「陛下。大丈夫ですか……私はナオト准将です。どうか怖がらないでください」
「怖がったりするものか……助けに来てくれたのだな」
「私が“契約者”だと知っても驚かないのですね……気がついていたのですか?」
「その辺は話すと長くなる……その前に、周りの裏切り者達を何とかしてもらえないだろうか」
「これは失礼……どう処置しますか?」
「お前に任せる」
俺は皇帝を立ち上がらせると、ゆっくり男達と向き合った。
レガード大佐は震えながら抜刀する。黒光りする綺麗な剣。魔剣のようだ。いい品に見える。
俺はため息をついた。素晴らしい剣なのに所有者がこいつでは、剣があまりにも可哀想だ。
「けがわらしい悪魔め。我が剣の錆にしてくれる」
「俺に剣を向けるとはいい度胸だ。あなたの事を少し見直しましたよ」そう言いながら、トレーガー大佐に掌を向けた。
次の瞬間、大佐の持つ魔剣は彼の手を離れ宙に浮く。そしてクルッと回転し切っ先を大佐に向けた。
「なんだとっ!」
「俺の契約相手“グラモリー”は、またの名を“剣の王”と言う。つまり全ての魔剣はグラモリーの僕って言う事です。聖剣を使うべきだった。あんたに味方する聖剣があったらの話だが」
宙に浮いた魔剣は矢のように空を飛び、将軍の腹に突き刺さった。
血が噴き出す。しかし、よく見れば噴き出た血の量はたいした事が無いのに気がついたはずだ。
「助けてくれ! 死ぬ! 死ぬ! 死んでしまう!」
大げさな。
「動かない方がいい。抜くのも駄目だ。刃は臓物に当たってないが、あまり動くと刃が臓器を食い破る。死にたくないんだろ?」
「何をしてるんだっ! 助けてくれ! 謝罪する! 今までの事は謝罪するっ!」
「喋るのも止めておけ。運が良ければ命は助かる」
大佐は腹に魔剣を突き刺したまま、すすり泣きを始めた。
部下達は、もう居ない。逃げ出したのだ。薄情な奴らだ。
……隣にいた皇帝がふらついた。可哀想に。見た目より酷く殴られている。
俺は手を貸そうとしたが、掌が悪魔の手……醜いかぎ爪なのに気がつく。だが皇帝は気にせず、かぎ爪に自分の掌を預けた。
「……自室までお送りします。間もなく“リークスの正義”部隊がやって来るはずです」
「トレーガーを殺さなかったのか?」
「裏切り者が他に潜伏してないか、吐かせた方が得でしょう。残せば帝国への脅威となります。ですが陛下」
「何だ?」
「陛下を殴ったのは、あの大佐ですか?」
「そうだ。顔に数発。腹に一発」
「……すみません。私は対応を間違えたようです。グラモリー!」
「待て。殺さなくていい。お前の対応で間違っていない……あいつとお前の因縁は知っている。汝が我慢したんだ。妾が殺害を命じてどうする? 少なくとも今は生かしておく」
俺は微かに笑った。
遅いか早いかだけで、もう大佐の運命は決まった。俺と少佐の復讐は完了している。
「陛下」
「シルヴィだ」
「……では、シルヴィ。いつから私が契約者だと気がついたのですか?」
「1年程前だ。ずっと探していた。ようやく見つけた」
「私をずっと探していた? それは私を処分する為ですか?」
俺達“契約者”は忌み嫌われる。それはしょうが無いことなのだ。契約者はいつか正気を失い完全に悪魔化する。その前に処分されなければならない。
だが皇帝は笑みを浮かべた。
「そうでは無い。近うよれ。お前には世話に成った。礼として帝国の秘密を教えよう」
皇帝は俺の耳に口を近づけた。思わず女としての皇帝を意識してしまう。自分の悪魔化し始めている耳も気になった。
「前の皇帝、つまり我が父は契約者であった」彼女は囁く。
びっくりした俺は彼女に向き直った。すぐ近くに美しい皇帝の顔がある。
「だから妾は契約者を探していたのだ。自分の夫として相応しい契約者を」
◆
俺は予想外の事実に黙り込んだ。
俺達は皇帝の自室に着いた。無言で扉を開け彼女を椅子に腰掛けさせる。
部屋は荒らされていた。
皇帝はそれを気にかける様子も無く話を続ける。
「五年前のあの戦いで、契約者が介入したのは分かっていた。だが、数万人もの帝国兵士が戦いに参加している。だれが契約者か特定するのに時間がかかった。調査はおおっぴらには出来ないからな。そして調べている者にも契約者の事は教えられなかった」
ようやく分かった。何故、リークスの正義の連隊長が俺の事を調べていたのかを。しかし……
「お前が契約者と知って人柄が知りたくなった。だから適当な理由をつけて呼び寄せた。式典に送ったのは失敗だったがな。帝都を襲われるとは思わなかった」
「どうして、契約者が生まれた事に気がついたのですか?」
「あの頃は、まだ父上がご存命だった。同類が動いておれば父上には分かる。もっとも父上の契約相手は、汝の悪魔に比べれば弱かった」
(契約相手はベルベストね。いい奴だけど戦闘向きの悪魔じゃないわ)グラモリーが囁く。
(お前……知っていたのか? 何故、教えなかった?)
(もちろん聞かれなかったからよ。忘れているようだけど、私は悪魔よ。都合の悪い事実を、ほいほい自分から教える訳が無いじゃないの)
都合が悪い?
皇帝が微笑む。
「そこで提案だ。我が夫に成って欲しい」
俺は状況の変化についていけず、言うべき言葉を見つけられなかった。
皇帝は帝国を救うために悪魔に自分の身を捧げようと言うのか?……そんな事は……絶対に駄目だ。
「勘違いするな。確かに帝国には契約者が必要だ。今度の戦いは大規模になる。契約者無しでは我が帝国は負けるだろう。しかし、その為に自分を犠牲にしようとしている訳では無いのだ。妾はお前が気に入った。もし、気に入らなければ他の女をあてがおうとしただろう」
俺は自分の醜いカギ爪を改めて見た。
「あなたの伴侶になる資格は自分にはありません」
皇帝は笑った。「“美しすぎる女は俺の好みじゃ無い”か?」
「……どこで、その言葉を?」
皇帝は質問には答えず、言う。
「その身体の変化は、一時的なものだ。お前が完全に悪魔と化すにはまだ時間がある。そして妾はその進行を遅らせる事が出来る」
「……少し時間をいただけますか」
「部下のセレアが気になるか? 止めておけ。妾の方が遙かにいい女だ」
一瞬“美しすぎる女は俺の好みじゃ無い”と口から出かけたが、慌てて引っ込める。もっとも言ったところで、からかわれるのがオチだろう。
「まあいい。だが早く決めてくれ。妾は待つことに慣れていないからな。そうだ……」
俺は一瞬、何が起こったか分からなかった。気がつくと皇帝が俺の腕の中に居た。
細い腕が俺の悪魔の身体を抱きしめる。
「礼を言うのを忘れていた。本当のことを言えば……妾は怖かったのだ。あのまま捉えられていたら、どうなっていたか分からない。お前――あなたが来てくれて本当によかった」彼女の威厳ある態度は消え失せ……何てことだ。その細身の身体は、まだわずかに震えていた。
突然、バタンと音がして部屋の扉が開く。
「陛下っ!! ご無事です……か」扉を開けたのは“リークスの正義”の連隊長ギリアン・レッグ大佐だ。
俺と抱き合っている皇帝を見ると、すぐにスーッと扉が閉まった。さすがエリート部隊の連隊長。都合が悪い事実は見なかったと言う事だろう。さすがだ。
と思ったら、また勢いよく扉が開いた。そしてズカズカ入って来たのは、俺の部下セリア・バイロン少佐だ。
「ナオトさん、私を置いて行ったと思ったら、こう言うことですかっ! あなたが“契約者”だろうが何だろうが私は気にしませんっ! 離れませんからねっ!」
皇帝が俺の胸から顔を出し、挑発するように言う。
「すまんなセリア。彼はもう私のモノだ」
そう言えば皇帝と少佐は、幼なじみだと聞いた事がある。三大国の貴族は、お互いに小さいときから交流があるのだ。
ギャアギャア言い出す彼女達を見ながら、俺は思う。
(いつまで人間で居られるかは分からない……でも、もう少し、もう少しだけ、俺はこの帝国に居てもいいのだろうか)
Fin