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良明が家に戻ると、探偵事務所の5名の従業員は全員パソコンに向かい仕事をしていた。数週間前に浮気や不倫に関する調査依頼が数件舞い込み、そろそろ報告書を作成しなければいけないところだ。
小説やドラマの探偵と言えば、殺人事件をズバリと解決したり、極悪な犯人と戦ったりするが、実際の探偵はそんなことはしない。調査依頼を受けて、それから調査を開始し、その結果から分かったことを報告書にまとめて依頼者に提出すれば仕事は終了だ。
章子が経営するこの事務所の依頼は、ほとんどが不倫調査であった。その次に多いのは、飼い犬や飼い猫が迷子になった時の捜索である。良明はたまにペットの捜索くらいは手伝っているが、それに関しては何の面白みも感じていなかった。ただ、依頼者に「ありがとう」を言われた時には、少なからずやりがいを感じることもあった。
しかし、良明は人を不幸にするだけの不倫調査に何のやりがいを感じるのかが分からなかった。良明は、不倫が原因で父と別れた章子に対して、そのやりがいについて聞いた時、「あんたには、まだ早い」と言われたことをよく覚えている。
そんな不倫調査依頼が多いこの事務所に、今日はいじめ自殺の調査依頼が入ったと言うのだ。良明は、担当をする服田のもとに打ち合わせに行った。
「誰が依頼者なんですか?」
「自殺した子の母親だ」と服田は煙草をふかしながら答えた。
「どのような依頼で?」
「自殺じゃないってさ」
「自殺じゃない?」
「ああ、自殺じゃないと思うから調べてくれって」
自分の子どもが死んだ直後に、その母親がわが子の自殺を受け入れられないのはよくあるケースだ。この母親の場合も、それで気が動転しているかもしれない。良明はその仮説を服田にぶつけてみた。
「いや、俺は自殺じゃないかもしれないと思った」
服田から返ってきた返答は意外なものであった。服田はよく冗談を言い、おちゃらけた性格ではあるが、元刑事としての勘は侮れないものがあると、良明は以前から考えていた。
「その自殺じゃないと思った根拠は?」
「分からん!」
服田のその返答を聞いて、良明は絶句した。良明は元刑事としての勘を最大限期待したにも関わらず、服田の返答は期待を裏切るものであった。
「分からないって、分からないじゃ話にならないじゃないですか」
「でかい声出すなよ、うるせーな」
服田は耳をふさぐポーズを見せると、小さくなった煙草を灰皿に押し付け立ち上がった。そして、パソコンを持ち良明の元へと戻ってくる。
「死んだ、山西徹也くん、死ぬ3日前に彼女ができてたらしい。今週の日曜日に初デートの約束をしていたらしい。昨日の晩まで、そのことについて楽しそうに話してたってさ」
「あるじゃないですか!自殺じゃないっていう可能性が出る根拠」
良明は服田の言葉を聴いて確信した。彼女ができたばかりで、デートを楽しみにしている高校生が自殺するわけがないと思った。
「お前、それだけで自殺するわけがないって思ってないだろうな?」
「はい?」
「親に本当のこと言ってて、親が本当のこと知ってるんだったら話は別なんだけど」
「親が本当のことを知らないっていう意味ですか?」
「それは分からない。ただな、徹也くんの部屋からは、遺書まで見つかっている。警察の鑑定によると、筆跡は徹也くんので一致。これは自殺と裏付ける動かぬ証拠だ」
「そうですか」と良明は落胆した。
「でもな、俺は内容までは把握してない。泣きながら話す親に対して、遺書の内容までは聞けなかった」
良明はそう言って、また1本煙草を取り出し、ライターで火をつけた。
「良明くん、俺の仕事は探偵だ。依頼者が自殺じゃないと言い張るんだったら、自殺じゃないという証拠を暴きに行くまでだ。それで、どんな結果であれ報告書にまとめる。それが仕事だ」
良明は服田の諭すような言葉を聴くと、顔を真っすぐあげて服田の顔を見た。服田は、「おお、多少はイケメンの顔になったね」と言った。
「服田さん、現場に行きましょう」
良明は、自殺じゃないという少ない可能性を信じようと心に決めた。