喪女の日常と習慣と就活4
大輔が言ってるのは、卒業後のあたしの就職先のことだ。
現在あたしは短大2年生。つまりは春がきたら卒業するわけである。
就活真っ只中なのです。
あたしが通ってるのは調理系の大学なんだけど、外国への就職率も高いんだよね。斡旋先はアメリカやらヨーロッパやらアジアやら様々。
その中で、あたしはフランスのブーランジェリーへの就職を希望してる。夏休みには一度行って、就職試験と現地見学してくる予定だ。
でも、大輔にはそれが気に入らないらしくて、知ってからは何度も何度も文句を言われてる。
そして毎度毎度、このセリフ。
「おれの専属シェフとして雇うから行っちゃだめ!」
…どこのお坊っちゃまですかアンタは…。
「お黙り、この小童が」
ごん、といい音がして、大輔の頭がワインボトルで叩かれた。ちょ、割れたらどうすんの。誰が掃除すんの。
「ったー! おばちゃんひっでぇ!」
「おばちゃん呼ぶな。美奈子先生とお呼び」
「お、おかえりなさい、美奈子センセイ…?」
その声の妙な迫力に、つい従ってしまった。一体いつ帰ってきたのさ、お母さん。今日はいつもより早かったね。
「やだ、アンタはいいのよ智子。この大輔に言ったんだから」
「おばちゃんひどくねぇ!?」
ボトルが当たった場所が痛かったのか、頭を押さえて大輔が喚く。キッチンまできたお母さんは、そんな大輔をじろりと睨みつけた。うひゃ、怖いよぅ。
「うるっさい。ヒトの娘飯炊き女扱いするようなヤツに優しくする義理はない」
「はぁ!? そんな扱いしてないし! おれ本気でモコちゃんのメシじゃないと生きていけないの!」
「なによ、愛の告白ならわたしがいないときになさい」
「それも違う!」
さらにきゃんきゃん騒ぐ大輔だったけど、お母さんに全てスルーされてしまった。あ、すっごい拗ねたままお風呂洗いに行っちゃった。あーあ、どうしよう。
あとのフォローについて考えていたら、横からくすくす笑われた。
「智子はほんっと大輔の母親みたいね。思春期で反抗期な息子なんてほっとけばいいのよ」
提げていた紙袋の中から食材を出しながら言われる。あ、駅のデパ地下の袋だ。おぉ、おっきなチーズ。
「お母さん、息子いたっけ?」
「いるわけないでしょ、アンタしか産んでないんだから。一般論ってやつよ」
調理台の端、あたしのすぐ隣で、お母さんが買ってきたばかりのチーズをスライスしていく。今日のおつまみか。
「そろそろ母親離れさせときなさいよ? それともアンタ、本気で一生飯炊き女するわけ?」
「そんなつもりじゃないけど…」
お母さんの顔を見ないまま、チーズを見る。削られた部分が少し白い。
それを見つめたまま、あたしの口からぽつりと声がもれていく。
「大輔がおいしいって言ってくれるのは嬉しい」
喪女だからって飯炊き女扱いとか悲しんだほうがいいのかもしれないけど。もちろん、褒められたからってナナメに受け取って「恋愛フラグキタコレ!」とか思ったりはしないけど。
それでも、その言葉にあたしの頬はどうしても緩んでしまう。
あたしには、大輔が「おいしい」って言ってくれるのが一番自信になるんだ。
だってあたしが料理を始めたのは、大輔に食べてもらうためだったんだから。
「あたしにとっては、ご飯を作るのも生活の一部なの。なくなったら、きっと腑抜ける」
料理をとったら、あたしに何が残るだろう?
普通、としか形容できない、地味で目立たない大学生のあたし。
この今の生活が、ほんとはいちばん幸せなんだ。
「ならフランスに行くのはやめるの?」
「やめない」
きっぱりと即答する。
だって、これはあたしの夢なんだから。
「ならお母さんは今まで通り応援するわよ。とりあえず大輔はほっといて勉強しなさいな」
「お母さん…」
「じゃ、お母さんは書斎でちょっと仕事片付けてくるから。ごはんができたら呼んで? あぁ、頼まれてた発酵バターも買ってきたわよ。あとコレはおまけ」
ぽん、と頭に当てられたのは、フランスの有名菓子店のチョコレート。あたしの大好物。一粒でもお高いから、たまにしか買わない…いや、買えない一品なのだ。
「頑張んなさい」
この言い方は、最近夜中まで起きてるのバレてるな。いや、そうか。ヘッドフォンしてても、ぶつぶつ呟いてれば聞こえちゃうか。
フランス語って、鼻に抜ける感じが難しいし恥ずかしいから聞かれたくなかったんだけど。
「ありがと」
うん、頑張らないと。もうあと二ヶ月後にはもう試験なんだから。
そうしてあたしは目の前のやるべきことーーーとりあえずはサバを揚げることに取り掛かったのだった。
頭の中で、どうやって大輔のフォローをしようかと考えながら。