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第43話 水汲み

「……イル坊……おーい、トレイル坊」


 懐かしくもあり、そうでもない声が耳に届き、トレイルは意識を徐々に戻していく。

 胸部から下は石のように冷たく、うまく操れる自信がなかったが、後頭部と両腕だけはしっかりと意識があった。とても暖かいからだ。

 日の光を警戒し、半分だけ開けたまぶたの向こう側に声の主とは別の誰かがいた。

 おぼれげ視界に納得ができず、指先を目元まで運ぼうとするが、動かなかった。誰かに握られた腕をトレイルは無意識ながらも握り返していたからだ。

 次第にもや掛かっていた視界が晴れていき、腕と、眼前にいる人物が誰だか理解できた。シシーだ。彼女がトレイルの腕を包み、そして気絶したトレイルの後頭部を自分の膝の上に乗せていたのだ。


「シシーか……」


「お前の耳には師匠の声が女に聞こえるのか?」


「その声は……ワーズ?」


 眼前にいるシシーがクスクスと微笑んでいる。

 声の主を探すために柔らかい膝の上で頭を左右に動かすと、奇妙な心地良さを感じる。


「どうやら寝ぼけてるみたいだな。そこの水で顔でも洗ったらどうだ?」


「……ああ」


 泉の端にいたベルから聞き覚えのあるフレーズを耳にすると、少しずつではあるが眠りにつくまでの記憶が蘇ってきた。


「そういえば、今までどこに行ってたんだワーズ?」


 シシーの膝から起き上がり白く輝いた泉の水で顔を洗い流すと、本気の拳によって殴られた眉間がとてつもなく痛むのにトレイルは気付いた。


「ん? なに、ちょっと師匠としてやるべきことを成し遂げていただけだ。それよりも、もう泉から上がっていいぞ。一日に十分も使っていれば充分だ」


「先に言ってくれよ……下半身が凍死しそうだ」


 大波を立てながら泉から這い出たトレイルだが、衣服の端にすら水が染み込んだ形跡はなかった。


「助かったよシシー。お前が居てくれなかったらあのまま溺死してたかもな」


 大した危機感も感じさせない口調で腕を差し伸べてくるトレイル。

 正座の体勢でトレイルの頭を膝に乗せていたシシーは、差し伸べれた腕を対等な立場で受け入れようと、足に力を込めたが、立ち上がることができなかった。

 トレイルを長時間膝の上に乗せていたせいか、足が痺れてしまったようだ。


「あ……足が」


「痺れたのか?」


 小さくはあるが力強く何度も頷いていると、トレイルは差し伸べていた腕を更に前に突き出し、シシーの腕を掴み、強引に立ち上がらせた。


「これでよし。だな」


 そのまま掴んだシシーの腕を自分の肩まで回すと、満足げに呟いた。


「マナの水汲みも完了したことだし、さっさと小屋に戻るか。」


「あ……ああ」


 実に曖昧な返事の仕方。顔を覗き込むと微かに感じていた疑問の種が瞬く間に開花した。


「ワーズ……お前まさか」


「ハハ……ハ」


 引き笑いを浮かべながらマナの泉まで距離を縮めていくベル。それだけの行動でトレイルだけでなく、シシーまでもが悟った。

 ベルはいまだにマナの水をすくっていない。


「お前は俺が寝てる間になにをしてたんだよ……」


「な……なにを言ってるんだ、師匠としての務めだよ務め」


 そそくさと服の内側から薄青色をした小瓶を取り出すと、さっとマナの泉の中央部まで足を運び、そこから湧き出る水を掬った。


「はい完了」


 最後の仕上げに小瓶の口にコルクを押し込むと、トレイルたちの方を振り向きもせずにここまで来た道を戻っていった。

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