第35話 黒い背中
そんな想いが駆け廻り、なにも考えたくも…なにも聞きたくもない時を見計らうようにベルは真実を告げた。
「『白水』。清い心で念じた水の魔法でトレイル坊の背中を流す。ただそれだけでトレイル坊は救われることとなったんだ。シシーちゃんはそれを告げられたかい?」
質問をされた。けれどシシーは答えなかった。 雨が振った夜の出来事を思い出していたからだ。
『ねえトレイル、水の魔法であんたの背中を洗えば、少しはマグマが収まらないかしら?』
あの提案を口にした瞬間、トレイルは目元をピクリと動かし、素っ気のない返事を返してきた。
『…遠慮しとく、雨にでも濡らしておけば治るだろう…』
あれから口喧嘩に発展してしまったが、それもすぐに収まった。
トレイルはなぜ、血相を変えてまでシシーの提案を断ったのであろう?白水とやらで背中を清めれば、すぐにでもマグマは消えたはずなのに…。
ベルに言われた通り、信用に足る仲間と思われていないためなのか?
そこまで考え、シシーは全てが怖くなった。
トレイルが見せてくれた純粋無垢な笑顔は偽り。トレイルが言った透明な言葉も偽り。トレイルが行った駄々っ子のような行動も…なにもかもが偽り。
力なく立ち上がるシシー。
「シシー?」
トレイルの掛け声を無視し、どこかを見るわけでもない濁った眼が扉の方を向かせると、椅子を蹴飛ばしながら駆けた。
ひたすら駆けた。扉にぶつかり、そして倒れこむようにオンボロ小屋から飛びだした。
「シシー!」
叫ぶと同時に床を這うような体勢から立ち上がり、しっかりとした足取りでシシーの出て行った扉へとトレイルは向かう。
「待て!トレイル」
椅子に座ったままのベルが怒声を上げ、トレイルを制止する。その表情のは怒りも心配すらも含まれていない。
「まだ質問に対する答えを聞いてない。なぜお前はシシーちゃんに白水を教えなかった?そして、なぜシシーちゃんはお前に黒火を浴びせた?」
振り返りもしないトレイルから答えが返ってきた。
「今はまだ…心が落ち着いてから話そうと思ったんだ。それと黒火は…本当に不運な偶然が重なっただけの単なる事故だよ!」
話している間に遅めていた歩みも、話し終わると急ぎ足で駆けていた。
そんな後ろ姿を眺めていたアルゴルンは、友の黒ずんでしまった背中に言い知れぬ不安感を感じながらも、動かなかった。
シシー、トレイルと、二人は続けざまに小屋を出て行ったが、アルゴルンだけは深く降ろした腰を上げなかった。
「アルゴルン君。君はここにいるのか?」
「ええ…トレイルだけで充分なので…」
「充分、ねえ…」
怒るわけでもなく、呆れるわけでもなく、ただボンヤリとした表情で呟くベル。その表情の奥でなにを考えているのか、アルゴルンには少しだけ理解できる気がした。
「本当のことを言うと、俺には自信がないんです。スィスィルを励ます自信が…彼女が去って行った時の瞳、あれを見てしまってから俺は…怖くなってしまった…」
無意識に触れていた剣の柄に震えが伝わり、ガシャガシャと音が鳴る。
「またあの瞳を見てしまったら…俺はスィスィルを斬ってしまうかもしれないんです。それぐらいスィスィルの瞳は恐ろしかった…」
柄を握っていた手から力を抜き、ガシャガシャとしたうるさい音は聞こえなくなったが、次は目元まで隠しているバンダナに腕が回った。
ベルもシシーの瞳を直視していた。アルゴルンのように横目ではなく、正面からイヤと言うほどに。
だが、べルが感じたのは恐怖ではなかった。
「良いことじゃないか。シシーちゃんがあんなにも取り乱したのはトレイルに信用されてなかったと思ったから、それは言い返せばトレイルはそれほどシシーちゃんから信頼されてるってことだろ?」
感動。そして嬉しみの念だった。
絶望に打ちひしがれながら逃げ去ったシシーや、それを怒気の籠った声色で全否定するトレイル。それらを見つめながらも愉快そうに頬笑みながら語るのだから、べルも相当変わった人物なのだろう…。
「さて、そろそろ用意しようか。アルゴルン君、少し手伝ってはくれないか?」
立ち上がり、大きな伸びを行うと、アルゴルンを呼びつつ手当たり次第に棚やらかごやらをあさくりだす。
「いや…悪いんだが俺は…」
「そっかそっか。アルゴルン君は『ボム・スリーナイン』の呪いを頂戴してるんだったな」
聞いたことがあるようで全くの初耳に、アルゴルンは首を傾げた。
「ボム・スリーナイン?」
「おっと、今は『ボム・チェンジ』で統一されてるんだったな。とにかく、その呪いじゃあ近くにはこれないか…それなら薪を取ってきてくれないか?外に出て右手に薪置き場がある」
棚やらかごやらからガラクタらしき物を掴み、適当に投げ捨て、また物を掴み、また適当に投げ捨てるベル。
「それならできるが…」
「頼んだぞ」
ただでさえ丸いフライパンに生じた、まんまるとした穴からアルゴルンを除くベル。
立ち上がったアルゴルンはそんなベルを出来る限り無視し、素早く薪の下へと向かった。




