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第29話 背中の烙印

五人の若者は小さな村から逃げるように北を目指していた。

 少し前から降りだした雨は一向に止もうとせず、むしろその激しさを増している。抱き抱えられた男を除き、四人は若者は前方がぼやけるほどの雨脚あまあしに体力を奪われていき、やがて奇妙なまでに雨脚が弱い場所を見つけ、腰を休めた。


「トレイル…あんた重すぎ…よ!」


 シシーは雨水を吸い、さらには気絶で全体重を預ける形になっていたトレイルの身体を地面に投げ下ろす。すると気絶していたトレイルは目を見開き、苦痛に満ちた顔でうなった。


「おはよう、トレイル君」


 シシーはおちょくるような口調で問いかけたが、トレイルはそれを相手する余裕などなく、身体を思い切りひねり、仰向けからうつ伏せに体制を変えた。


「…おお、シシーか?」


 トレイルは地面を向いていた首をできるかぎり上げたが、見えるのは誰かの両足が二つとすぐ近くにある茶色をした木の皮、ここの雨脚が弱いのは単純にここが木の下だからだ。

 起き上がろうと試みても、石のように重くなった身体は言うことを聞かない。


「お前、大丈夫かよその背中…」


「背中?」


 知らない声の疑問にトレイルは自分の背中に腕を回そうとしたが、誰かに止められた。

 彼の背中は『大丈夫』の一言で済まされる状態ではなかった。背の衣服は半分以上燃え尽き、まるでシシーの背中に生えたウェアウルフの毛を小馬鹿にしているかのような真っ赤に溶けた火傷跡が、トレイルの背中に出来ていた。

 数十分の逃走時間、常にむき出しの火傷跡は雨にさらされていたと言うのに、葉から雨粒が流れ落ちると、ポタリと背中に着地し、すぐに蒸発してしまった。


「…」


 腕は誰かに掴まれ、首は当然のように背中を見ることができないと言うのに誰も自分の身体の安否を説明してくれず、トレイルは叫ぶように誰かに聞いた。


「なあ!俺の背中がどうしたんだ!?誰か教えてくれ!」


 十秒ほどの後、先ほどとは別の、もう一つの聞いたことのない声が呟くように答えた。


「酷い…火傷の跡が出来ている。それだけだ…」


 そっけない返事の返し方。それでも声を出したギルバンの言い方はかなり気が利いていた。大雑把で詳しくもなんともない説明なら、トレイルは自分がどれほど重症なのか気が付かないだろう。


「火傷…それだけか?」


 何人かが頷いたが、トレイルにはそれが見えていなかった。


「なんだよ、火傷の一つや二つ、よくあることじゃないか」


 ギルバンの言い方がかなり効果的だったようで、トレイルはへらっとした笑いを見せると、背中のことなど考えずに杖を捜した。


「ちょっとした火傷のことよりも、今はこれからについて考えようぜ。まずは俺の知らないお二人さんについてとかな」


 杖は捜すまでもなくその右腕に掴んであることを確認すると、なんとかその杖を使い、うつ伏せになっている身体を無理やり起こし、胡坐あぐらくまで持っていくことができた。


「お…俺はベッツだ」


「ギルバンだ。わけあってシシーと共に逃げてきた」


 戸惑いの混ざった自己紹介が済むと、トレイルたちが雨宿りをしている木とはまた別の木に寄り掛かっていたアルゴルンが詳しい説明を始めだす。


「二人は丸太を囲んでいた村人からお前とスィスィルを守ってくれたんだ。まさか一緒に逃走するとは思ってもいなかったが…」


「俺もだ!」


 豪快(ごうかい)に挙手し、嬉しそうな顔をしているベッツにトレイルは呆れ、ついでにギルバンも呆れると、身を乗り出すように口をはさんだ。


「色々と思うことがあるかもしれないが、まさにクー君…いや、ベッツの言う通りなんだ。恥ずかしい話、あまり後先考えずにシシーを助け、思わず逃げてしまった。それしか説明のしようが…」


 地面を見つめながら苦笑していたギルバンに笑いを爆発させるトレイル。


「それだけで充分。要はシシーを助けてくれたんだろ?」


「まあ…」


「だったらお前や、こっちの奴も良い奴。それで完璧だよ。なあシシー?」


 背中の現状を忘れているのかのような笑いでシシーに問うが、小声の返事一つ帰ってこない。


「シシー?どうかしたか?」


「…どうかしたか?…じゃないでしょ…」


 トレイルは直観的に気付いた。シシーが怒っていることに…。

 蒼白とした顔色でありながら、小刻みに震えるシシーの身体から、悲しみとも怒りとも言える感情が漏れている。それでもシシーが怒っているとトレイルは確信した。


「あんたの背中はマグマみたいに燃えたぎってるのよ!?こっちは必死になってなんとかしようと考えてるのに!あんたはヘラヘラ笑って危機感の一つも持ってない…全部あたしのせいなのに…!」


 マグマみたい。と言う表現はかなり的確なものだった。背中の皮膚は炎よりも濃い紅蓮ぐれんに燃え、ボコボコと音を立てながら煮えたぎっている表面は、今もなお、トレイルの身体を溶かし続けていた。


「そんなに酷いのか、俺の背中は?」


「酷いなんてものじゃないわよ!」


 頭をぐるりと回すと、トレイルは空を睨んだ。


「ギルバン…そんな酷いなら先に言ってくれよ…」


 独り言のように虚しく叫ぶと、反論する暇も与えずに、もう一度シシーを見た。


「たしかに、軽症だと思っていた傷は重症だったようだな…だけどそれだけだ。今ここで死ぬわけじゃあない。雨にでも濡らしとけばマグマも固まるだろ…」


 最後に、子供のような無邪気な笑顔をみせるとこう言った。


「それによ、背中がマグマだなんて、お前とお揃いじゃねえか」


 あの時と同じだった。また、トレイルの口説き文句にすら思える言葉にシシーは反論するだけの心が砕かれていた。


「なにがお揃いよ…バカ…」


 精一杯の心でそれだけ口にすると、笑ってしまった。誰にも見られたくないような、気品の欠片もない笑いを…。


「いや~…見ての通り、背中のマグマのように熱いな…」


 不必要な気を遣い、ベッツとギルバンは、別の木で雨宿りをしているアルゴルンの近くまで行くとヒソヒソ話を始めていた。

 アルゴルンも遠ざかりながらも、二人の話に参加する始末…。


「前々からトレイルと共に旅をしていたんだが…あいつはどこか大胆なところがあるからな。いや…鈍感と言った方が正しいのか?それとも…世間知らずの方が的確か?」


「どちらにせよ良い意味で。なんだろ?」


「まあな」


 なんとも平和的な会話が繰り広げられていると、また一つ、男女のうるさい声がアルゴルンたちの耳に響いた。


「ダメだ!絶対にな!」


「なんでよ!?こっちの方が効率的に決まってるわよ!」


「効率の問題じゃないんだ。わかってくれ」


 必死のなってシシーを説得しているトレイルを見て、アルゴルンは水を差すべきではない。とも考えたが、結局、中立の立場で二人に話しかけた。


「なにか問題でも発生したのか?」


 すると、不機嫌そうな顔をしているシシーが勢いよく振り向き、アルゴルンを睨みつけた。


「そう!あたしが『水の魔法で背中を冷やしてあげる』って言ったのに、トレイルは『雨にでも濡らしとく』の一点張りなのよ!人の親切心をなんだと思ってるのよ…」


「だから、どうしたって無理な理由があるんだ」


 二人の意見に、アルゴルンは考えるまでもなく一つの指摘をした。


「一般的な意見なら、スィスィルの案に賛成だが…トレイルもなにか理由があると言っている。トレイル、なんで魔法の水だと駄目なんだ?」


「そうだよ、杖のお前の背中、結構とんでもないことになってるんだし、ここはシシーに甘えさせてもらえば…って、シシー魔法使えたのかよ!?」


 アルゴルンの意見に同意していたベッツは今さらな事実にすっ飛ぶように驚いたが、ギルバンが冷静に場違いであることを告げた。


「クー君…後でちゃんと話すから、今は黙ってくれ…」


 顔をしかめながらも小さく頷いたベッツ。

 トレイルはそんな二人を無視すると、こちらも顔をしかめたが、首は横に振った。


「それは言えない!こればかりは誰になんと言われようが口を開く気はない!」


 大口を開きながら宣言したせいか、背中のマグマが一瞬炎を吹いた。幸いにもトレイルの後ろには誰もいなかったが、小さな噴火のせいで今まで我慢していた激痛が身体中を駆け巡った。


「ッガ…!」


 胡坐あぐらをかいていた身体が前のめり倒れると、またうつ伏せの状態に戻ってしまった。トレイルは泥まみれになりながらも、水の染み込んだ地面を身体一杯に吸収した。


「トレイル!」


 皆の心配そうな声にもトレイルはただ「大丈夫…」とだけしか返事をしない。

 明らかに大丈夫ではないトレイルに、シシーは寄り添いながら呟いた。


「わかったわ…あんたの言うとおり魔法は使わない。だけど看病ぐらいはしてもいいでしょ?」


「ああ…そいつはありがたいな…頼むシシー…」


 うつ伏せのまま大の字に腕やら足やらを伸ばしきったトレイルは、解放感に満ちた表情を見せながらまぶたを閉じた。

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