黒炎
夜の草原は、森の方に浮かぶ満月の元では、意外に明るかった。
月光を反射する水面は、小川のせせらぎと相まって、やけに穏やかな印象だ。
「恩人様、警戒を怠ってはいけませんよ」
「わかってる」
しばらくすると、あの悲惨な戦いの跡が姿を現した。辺りには誰の姿も見えない。
俺は森の方を見やる。
「望み通り来てやったぞ! どこにいるんだ!」
まもなく、先の見えない森の中から、先ほど聞いた女性の声が聞こえてくる。
「他に誰も連れてきていないな?」
「ああ、二人だけだ」
「攻撃してこないんですね。今なら私たちを簡単に殺れるというのに」
「ふん、今すぐにでも殺してやりたいが、先に聞きたいことがある。 その前にまずは武器を置け」
言われた通りに、俺とガーネットは木の剣と盾をそれぞれ地面に置いた。
「ミカは無事なのか? 今どこにいるんだ?」
「今のところ、ある場所で少し寝てもらっているだけだ。一応人質だからな。 だが、お前たちが少しでもヘタな動きを見せれば、即座に殺す」
「それで、あなたは一体何の話のために、私たちをここへ?」
「それは、そこの悪魔が一番よくわかっているはずだ」
そこの悪魔……?
「……は? 悪魔って、俺のこと?」
「今更しらを切っても無駄だ。 私はお前がしてきたことを知っている」
「俺がしたことって…… 昼に魔法でお前を攻撃したことか? あれは、そっちが先にーー うっ!?」
突如、頬に鋭い痛みを感じた。
恐る恐る触ってみると、すぐさま指は生温かい赤で染まる。いつのまにか、浅くない切り傷ができていたのだ。
「恩人様!」
「次とぼけた事を言ってみろ。 今度こそ、その腐った頭を撃ち抜く」
おそらくあの銃だ。音も光もなかったが、弾丸が俺の頬をかすめたらしい。
改めて、自分の命が他人の手に委ねられているとわかり、背中に冷たいものを感じた。
「ふ、ふざけたことって……! 待ってくれ、本当に知らないんだ! 何の話をしてるんだ?」
「何の、だと? 私の仲間殺しておいてよくもそんなことを……!」
女性の声には確かな怒りがこもっていた。
「仲間を? ふざけてるのはそっちだろ! 俺は人殺しなんてしてないぞ!」
そもそも、俺は今日魔法を使えるようになったばかりだ。この半年間で、人に怪我を負わせたことすらない。
「嘘をつくな! あの忌々しい黒の炎、お前が仲間を殺した悪魔なのはわかっている! 昨夜もその魔法で私たちを襲ってきただろう!」
「昨夜って、伝令隊が襲われた……」
そうなると辻褄が合わなくなる。
伝令隊の生き残りは、昼に見たあの光を"悪魔"だと言っていた。そして、それは女性の攻撃だと思っていたのだ。伝令体を襲ったのは彼女ではないのだろうか。
「おそらく彼女は人違いをしているんだと思います。彼女の言い分が正しければ、伝令隊を壊滅させたのもその悪魔ではないかと」
ガーネットが耳元で小さくささやく。
「でも、あいつが悪魔じゃないとしたら、誰が……」
「わかりませんが、この近くにいるのかもしれません。 何にせよ、今は誤解を解くことが先決です」
「わかった」
俺は再び森の方へと視線を戻す。
「お前の仲間を殺したのが俺だって、ちゃんとした確証はあるのか? 俺の顔を見たとか?」
「いいや、あの時は趣味の悪い黒の鎧を着ていたからな。 だが、奴の使っていた魔法が、お前のものと酷似している」
「それだけか!? ていうか鎧なんて大層なもの、俺は持ってないぞ! いくらなんでも適当すぎないか?」
「あんな異様な魔法を使える奴は、この辺に早々いない。 それに、お前からは奴と同じ臭いがする」
「臭い……? そんなに鼻がいいのか?」
耳元で風を切る音が聞こえ、すぐ近くの地面に銃弾がめり込んだ。
「戯れ言に付き合っている暇はない。 質問は一つだ。 その答え次第で、助かる命の数が変わる」
「いや、待てって!」
「仲間の遺体をどこへやった」
「遺体? なんで…… ていうか、そんなことわかるわけーー」
ふいに、袖を引っ張られ、俺はガーネットの方を見る。
「恩人様、これはチャンスです。 遺体の位置とやらを、できるだけ相手の不利な場所に設定して、上手く彼女をおびき寄せれば……!」
どうやら誤解を解く方法はないらしい。
俺は小さく頷いた。
「どうした、言わない気か?」
「待て!教える! 教えるけど、場所の説明が難しいんだ。 あの小川の向こう側をさらに進んだところなんだけど、口頭で説明するにはちょっと複雑で」
森の反対側に広がるのは、いくつかの小さな丘が並ぶ、起伏に富んだ草原だ。木や岩などの障害物はほとんどない。つまり、女性がそこに行くためには、一旦森を出て姿を現さなくてはならない。
俺にしては機転の利いた返しじゃないか?
「私についてこいと? そんな子供騙しの罠に引っかかるとでも思っているのか?」
しかし、俺の魂胆は見え見えだった。
「信用してもらえないなら、遺体の場所はわからず終いですよ。 それとも、私たちが代わりに持ってきましょうか?」
ガーネットのフォローが入る。
「……進め。 何か妙な動きを見せたら、その場で殺す」
俺たちは小川の方へと向かって歩き出した。
二、三分経って、俺は後方に耳を凝らしていたが、何の音も聞こえてこない。
まだ、女性は森の中で様子を窺っているのだろうか。それとも、真後ろで俺に銃口を突きつけ、今にも引き金を引こうとしてるのだろうか。
「恩人様、この丘はかなり急ですから、気をつけてください」
「え?」
ガーネットは何を意図して言ったのか、すぐにはわからなかった。
だが、丘の頂上に差しかかって、下り坂が影になっていることで気づいた。
月の光は森の方から来ている。それが届かないということは、この坂は森から見えない位置にあるのでは。
「わかった」
ここが勝負どころということだ。
「今です!」というガーネットの合図で、俺たちは一斉に振り向く。目の前の丘に、女性の姿はない。
俺たちは急いで坂を登り、顔だけをほんの少し出してみる。だが、目に見える範囲で人影らしきものはなかった。
「まだ、森にいるのかな?」
「わかりません。 ですが、私たちが視界から外れれば、追いかけてきてもいいはずなのにーー」
突然、ガーネットはハッとしたように周りを見渡した。
「ガーネット?」
「やはり、罠だったか」
女性の声がどこからともなく聞こえた。
「いつの間に先回りを!」
振り返ったガーネットが叫ぶ。
森とは反対側、つまり、俺たちの進んでいた先にあの光が見えた。
「やばい! アイスブラスト!」
とっさに、俺は防壁代わりの巨大な氷を目の前に作った。
「シールドアップ!」
ガーネットの魔法で、巨大な氷が薄いオーラのようなものをまとう。名前からして、物質の強度を高めたのだろう。
直後、氷壁に強い衝撃が加わる。分厚いはずのそれには、徐々に亀裂が入っていき、最終的に粉々に崩れ去った。
しかし、効力を失ったのは銃弾も同じなようだ。
「ギリギリ相殺できたのか?」
「まだです、恩人様!」
また、あの光だ。
「アイスブラスト!」
「シールドアップ!」
さっきと同じ手法で攻撃を防ぐ。
当然結果も同じだ。氷壁は倒壊し、銃弾は届かない。
そして、三度目にする煌めく白銀の光。
「やばい…… このままじゃジリ貧だ」
だが、壁を築かなければ死んでしまう。
進む事も退く事もできない。俺たちがしているのは、迫り来る死を先延ばしにしているに他ならなかった。
「はあはあ…… MPが、もう……」
八、九回くらい耐えただろうか。苦しそうなガーネット声が聞こえた。
俺には、それがまるで死刑宣告のように響いた。
「そんな……! まだだ! まだ他に方法があるはずだ!」
「すみません、恩人様。 私の判断ミスのせいで……」
「ガーネット…… まだ諦めちゃだめだ。 ミカを救わなくちゃいけないんだ!」
そんな俺をあざ笑うかのように、壁が破壊される。
その先には、絶望の光が。
「嘘だ…… こんなところで! くそ! イビルフレイム!」
光が黒い炎に飲まれる。
俺はガーネットの手を取る。
「今だ! 走ろう!」
しかし。
伝令隊の男の言葉がよくわかった。黒炎から出てきたあれは、白い悪魔だ。
どうしようもなかった。
意味がないのはわかっていたが、俺はガーネットをかばうように抱き寄せ、目を閉じた。
「恩人様…… 私、役目を果たせませんでした……」
「ごめん、ガーネット…… ごめん、ミカ……」
せっかく友達ができたのに。転生して初めて、孤独を忘れられたというのに。こんな辛い思いを残して、また死ぬなんて。
もう、転生なんてごめんだ。
「恩人様! 恩人様!」
ガーネットが呼んでいる。
続いて頬に温もりを感じた。女神様が慈愛を与えんと、手を伸ばしているのだろうか。
それにしては少々力が強いような。
「恩・人・様!!!!」
一文字ごとに、両頬を同時に叩かれる。
俺は目を開けた。
「え……? ガーネット? なんで?」
「いいから見てください! あれ!」
有無を言わせず、顔をぐいっと回される。危うく、首の骨が逝くところだった。そもそも俺はなぜ生きている。
そんな俺の雑念は、目の前に広がる光景に、綺麗さっぱり消えていった。
「なんだ、あれ……」
見覚えのある黒。
イビルフレイム。それが俺の視界を、端から端まで埋め尽くしていた。
そして、そのすぐ近くに、禍々しい存在感を放つ騎士が一人。
「あれは……」
悪魔だ。あれこそが本物の。