プロローグ
県立忠武高校。この学校は公立でありながら県下1の進学校であり、男女共学の学校で、その歴史は明治にさかのぼる。嘘か真か知らないが、大元をたどれば江戸時代の寺子屋に行きつくというのが歴代校長の言い分である。
校訓は「質実剛健 忠國勤労」。間違いなくGHQの介入がありそうな学校名、校訓だが、師範学校としては当時は学力水準が低く、結構な田舎だった事が気付かれなかった原因だそうだ。さらに言えば学校名、校訓は西暦1940年、皇紀2600年の祝賀に、時局を鑑みて改訂されたそうだ。そんなミーハーな学校なのに戦後の占領期に当たり障りのないものに改訂しなかった事が謎である。
そんな学校の2年3組。このクラスには孤立している人物が2人いる。
1人は僕こと三浦奉文。暇な時はいつも読書をしており、オタクではあるものの、雑学はクラス1と言ってもいいだろう。成績も上の下あたりだ。孤立はしていても、クラスの知恵袋としてたまに重宝されている。だが人に関心を持てず、いつもは独特のオーラで自分だけの空間を作っている。
もう1人は黒島鶴雄。こいつは可哀想な人間だ。重度のオタクで、さらに性格は暗く、若干中二病を患っている。僕も学園カーストから外れてはいるが、こいつはそれだけでなく、いじめまで受けている。たぶん中二病を患ったのもいじめが原因であろう。
この2人を除けばクラスの雰囲気は明るい。だが実情をよく見れば、僕は1人栄光ある孤立で独特のオーラを発しており、黒島はクラスのストレスのはけ口にされている。担任の先生はこの状態を何とかしたいようだが、このいびつなカーストを解消するにはあまりにも若く、未熟過ぎた。
こんなクラスだからこそ、僕は人に関心を持てなくなり、読書に逃げ込んだのだろう。はっきり言って、僕はこのクラスが嫌いだ。それに、おそらく黒島がいなくなれば次のターゲットは僕だろう。
それでも秋に入るまでクラスは綱渡りの平穏を謳歌していた。いや、黒島がクラスの負の部分を全て背負っていたと言っていい。
そしてある日、帰りのホームルームが終わり、先生が所要で退室すると、僕は半ば逃げるように帰り支度を始めた。
異変が起きたのはその時だ。急に教室が眩い閃光に包まれた。クラスが急に騒がしくなる。僕も何が起こったか分からず、周囲を見渡すが、辺り一面白い光に包まれている。誰も何もできないうちに1分半ほどの時間が過ぎた後、僕の尻に衝撃が走った。それが尻もちをついた事だという事に気づくのに2~3分かかった。なぜなら辺り一面木々が生い茂る山の中だったからだ。
「な、なんだ!?」
「ここどこよ!?」
クラスが段々と騒然とし始める。僕も尻の痛みに手を当てながら立ち上がり、周囲を観察する。服装は先ほど帰り支度をしていた時と同様に学生服―学ランだ。ポケットを叩くと今読んでいる本の感触がして、少しばかり落ち着く。ついでに言えば、鞄に手をかけていたせいか、鞄もちゃんとある。今の本に飽きた時の予備の本も入っていたから、安堵のため息を漏らす。周りは学ランとセーラー服だけで、鞄を持っているのは僕1人のようだ。
改めて周囲を確認する。木々は紅葉の季節を迎えており、空は青く、適量な光が差し込んでいる。視線を地表に戻し、遠くに目線を向けるが、こちらは少しばかり離れたところに洞窟が見えるだけで、森のおかげで遠くが見えない。いったいどういう事なのか首をひねる。
だがこれも思案という名の現実逃避に過ぎない。空気が美味しい以外に何も感じる事がない。
「異世界だ……。これは異世界だ。異世界に来たんだ!!」
クラス全員がまだ衝撃冷めやらぬところで黒島が大声で喜びの声を上げる。その声にクラスの全員が奇異の目を向けたところで、洞窟とは反対方向でガサガサと大きな音がして、巨大な、奇妙な生物が目に入る。4本足で緑の体、体長12メートル、高さ5メートル。大きなしっぽに大きな爪、そして威圧感を与える背びれ。そして何より敵対の意思を露わにする2つの目。クラスの全員がこの化け物に戦慄する。
「ど、洞窟に逃げ込め!」
クラス委員長の牟田口が叫んで、真っ先に洞窟に向けて駆け出す。僕を含めたクラス全員も決死の思いで後に続く。背後からは強烈な殺気。全員が必死に走る。
そしてとうとう全員が洞窟に逃げ込む事に成功した。洞窟の高さは幸運にも3メートル。何とか寿命は延びたようだ。ただ、残念な事に、あの奇妙な生物が洞窟の前で悔しそうにこちらを殺気に満ちた目で睨んでくる。
クラス全員がひと時の安堵に休んでいる間、黒島は洞窟の奥に進んでいく。僕も疲れた体を励まして事態打開の解決策を探すために後に続く。
洞窟自体は広くなかった。すぐに奥にたどり着く。そこは半ば廃墟と化した祭壇のようだった。僕は無いよりマシ程度の武器として、柱に立てかけられた鉄の棒を手に取る。多少重く感じたが、すぐに慣れ、とりあえず周りを確認してから振ったり突いたりしてみる。
そうしていると女子が1人現れ、落ちていた木の棒を拾って、そこらの柱を叩いて棒が頑丈である事を確認する。
確かあの女子は小松涼子。僕と同じ中学の出身で、お互い同じ高校を目指している事を知って以来、少しばかり話をするようになった。高校に入ってからは同じクラスが2年続き、孤立主義者の僕にたまに話しかけてくる。友人とまではいかないまでも、クラスで唯一親しくしている。とはいえ、ほんとにたまに話す程度だが。ちなみに成績は僕よりも少しだけ上だ。
彼女の姿を見ていると、祭壇の奥からゴゴゴと音がした。振り向くと黒島が大きな箱を開けている。少し不用心ではないかと見てみると、黒島は箱の中から錆びついた鞘に入った剣を取り出した。黒島はそれをしばらく観察すると、おもむろに剣を鞘から引き抜く。よくも錆びついた鞘から剣が抜けるものだと思ったが、中の剣も錆びついていた。
「おお……、これぞ伝説の剣。僕の異世界の伝説はこれから始まるんだ……」
黒島が感嘆の声を上げる。だがそんな錆びついた剣に伝説を求めるのはいささか酷ではないか?
そんな事を思っていると、他のクラスの連中がやってきた。黒島の声がバッチリ聞こえていたらしい。
「おい、また黒島の中二病が始まったぞ」
「あんなのであの化け物を相手にするとか無理でしょ」
「伝説の勇者様よ~、あの化け物を退治してくれよ」
クラスの人間が黒島を嘲笑し始める。危機は去っていないのに、のん気なものだと僕はクラスメイトを見て呆れる。小松も冷めた目で見ている。そう言えば小松が黒島いじめているところ、見た事がないな。
嘲笑された黒島は、いつもならば涙目で黙るところだが、今はテンションが高いらしい。こいつも危機を理解していないようだ。
「そうだ。僕は選ばれし勇者だ。この剣で伝説を打ち立てるんだ!」
この言葉に嘲笑していた人間が噴き出す。
「あんなバカほっといて、とりあえず武器になりそうなもの探そうぜ」
この言葉に全員が何らかの棒やら投石用の石やらを集め始める。
30分ほどして全員が洞窟の入り口に戻る。化け物はまだ入り口に居座っている。正直、突破できる気がしない。僕は現実逃避に鞄を漁る。教科書にノート、辞書に雑学の本。辞書で殴れば普通の人間には痛そうだが、あの化け物相手では意味はなさそうだ。
10分ほどして、クラスの誰かがこんな事を言い始める。
「黒島よう、お前、『選ばれし勇者』なんだろ?あの化け物をやっつけてくれよ。俺達はその間に逃げるからよ」
「えっ、そんな……」
困惑する黒島をよそにクラス全体にこの囮案に賛同する雰囲気が形成される。
確かに理屈では正しいかもしれない。このまま洞窟に立て籠もって当てのない救助を期待して衰弱死するか、全員で突撃して玉砕するか、誰かを囮にするか。それくらいしか選択肢はない。それならば嫌われ者の黒島を生贄に差し出す事はさほど良心が痛まないのだろう。
そして5分ほど黒島に対して囮になれとの罵声がとび、とうとう黒島の心が折れた。
「……わかったよ……。僕が戦ってくる……」
クラスが歓声に包まれる。少なくともここから逃れられる糸口を見いだせたのだ。
だが、僕は気に入らない。囮役を押し付けて喜ぶ根性が気に入らない。
僕はスタスタと黒島の隣まで歩いた。
「僕も黒島とともに戦おう」
「「「「えっ!?」」」」
クラスの人間ばかりか黒島も驚く。
「諸君は今黒島を囮にした。では次に囮になるのは誰かね。そしてその次は?」
クラスの人間が一斉に顔を逸らす。
「わ、私も三浦君と戦う!」
その中で小松も僕の隣に立って宣言する。
「小松さん、いいの?死ぬ可能性が高いよ?」
「……うん」
どうやら小松も覚悟を決めたらしい。
「三浦君、小松さん、ありがとう、ありがとう!」
黒島は涙を流して感謝する。
「気にしないでくれ。きっと次に囮になるのは僕だからね。ちょっとした酔狂さ。さあ、行こうじゃないか。ひょっとしたら隙をついて逃げられるかもしれない」
僕はそう笑顔で言った。だが、後で聞いた話では、その時の僕の顔は引きつっていたらしい。ともかく、僕は鞄を置いて化け物に相対する。右には小松が、左には黒島が立つ。
「よし、行くぞ!続けー!」
僕は棒を槍に見立てて真一文字に突撃した。
化け物は当然の事ながら、強かった。最初の僕の突きで5メートルほど吹っ飛んだが、すぐに態勢を整えて噛みついてくる。それを僕が躱したところで小松と黒島が頭部を殴る。怒りの咆哮を上げた化け物はその爪で黒島に襲い掛かるが、辛うじて黒島は回避する。そこへ僕が横合いから化け物の背中に棒を叩きつける。けっこう痛かったらしく、化け物が短い悲鳴を上げる。
ちらりと洞窟の方を見ると、他のクラスの人間が洞窟から駆け出していた。とりあえず囮任務は成功だ。後はどうやって僕たちが生き延びるかだ。
化け物が僕に爪を振りかざす。僕はその爪を横合いから思いっきり棒で殴った。爪がバキバキと折れる。それを見た黒島も反対側の爪に剣を叩きつけ、へし折る。化け物が首を上げて絶叫する。そして小松が思いっきりその首を突き上げる。
化け物は体勢が悪かったのか、そのまま転ぶ。僕は露わになった化け物の腹を思いっきり叩きつける。黒島も目の前に落ちてきた化け物の脳天を叩きのめす。小松も首を何度も打つ。化け物は3人がかりで殴られ、暴れる事しかできない。
そしてとうとう内臓がやられたのか鋭い歯を持つ口から血を吐き出す。
1時間弱ほど3人がかりで殴り続けていると、とうとう化け物は動かなくなった。その後も30分ほど殴り続け、ようやく化け物が動かなくなった事に気づいた3人が攻撃を止める。
「……私達、助かったの?」
「分からん。ともかく動けなくなったようだが……」
小松はホッとした気分になってへたり込むが、僕はまだ警戒を解かない。
「……三浦君、この化け物の頭、思いっきり殴ってくれないかな?少なくとも僕よりも打撃力がありそうだし」
「わかった」
僕は化け物の頭の方へ、化け物の体を迂回して慎重に移動すると、己の得物である、鉄とは思えない強度の金属の棒を横に振りかぶった。そして気合を入れて化け物の脳天にフルスイング。グシャ、と音がして棒が脳天にめり込み、血を吹き出す。
「……さすがにこれは死んだよな?」
「……うん。これで生きていたら気持ち悪いよ。いや、今も気持ち悪いけど」
化け物は完全にグロ死体と化していた。3人とも吐かないどころか、少し気持ち悪い程度で済んでいる事が不思議なくらいだ。だがそれとは別に3人とも殴り疲れた。適当なところに座り込む。
しばらくして黒島が疲労が回復したのか、立ち上がる。
「ちょっと山を登って街を探すよ。この先どうするにせよ、情報収集は必要だからね。あと、三浦君、鞄持ってたよね。綺麗な奴だけでいいからへし折った爪、入れといてよ。お金になるかもしれないからさ」
そう言って黒島は山を登り始めた。
「……爪、集めとくね」
「ありがとう。じゃあ僕は鞄をとって来るよ」
男女2人で気まずい空気を打ち破るように小松が爪集めを申し出る。僕はその言葉に甘えて得物の棒を木に立てかけて洞窟に向かおうとして……
バキバキバキッ
「「えっ」」
棒を立てかけた木が棒の重量に耐えきれずに倒れた。
「……あの、その棒、持ってみていい?」
「ああ、うん」
2人してドン引きしながら小松が僕の棒を持ってみる。
「……この棒、私の力じゃビクともしないんだけど……」
「僕、そんなに力は無いはずなんだけど……」
「うん……、知ってる。その前に人間が持てる重さじゃないと思う」
「……とりあえず、鞄取ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
鞄に爪を入れたところで黒島が帰ってきた。
「洞窟の反対方向に街があったよ。たぶん今日中にたどり着くと思う」
「あ、ああ。ありがとう」
黒島は2人の様子に不信感を抱きながらも、聞く勇気はなかった。それだけのコミュニケーション力があればクラスで孤立していない。黒島は2人を先導するように歩き出したのだが……
ズルズルズル
妙な音に振り向き、驚愕する。僕が化け物のしっぽを担いで引きずっていたからだ。
「……」
「ああ、ええと、何だか僕、すごく怪力になっちゃったみたいで……」
絶句する黒島に、鞄と棒と化け物を担ぎながら僕は答える。
「……異世界確定だね。たぶんその化け物、高く売れるよ」
乾いた声で黒島は言う。
一行は夕方になって異世界最初の街、カテリキに到着するのだった。