中編1
5
翌朝やって来た天子さんに、この話をすると、それは、じゅごん和尚の領分だからというので、二人で転輪寺に向かった。
「そりゃあ、ぶらり火じゃのう」
「ぶらり火」
「思いを残して死んだ人の思いが、陰気に取り込まれ、炎をまとって現世に現れるのがぶらり火じゃ」
あ、やっぱり人魂だったんだ。
「危険なことはないんですか?」
「危険なぶらり火もある。強い恨みを残して死んだものがぶらり火になると、大火事を起こして相手に復讐する」
「危険じゃないですか!」
「じゃが、昨夜足川未成のところに出たぶらり火は、今聞いた話の限りでは、復讐をしようとしているわけではないようじゃな」
「ほかの場合はどうなんでしょう。ぼや騒ぎにはなってますが」
「ぼや騒ぎ?」
ぼくは、じゅごん和尚に、二件のぼや騒ぎについて、説明した。
「駒田成子に、新居達成に、足川未成じゃと? みんな佐々の一統じゃないか」
「佐々?」
「佐々耀蔵を知らんか? 乾物屋からは少し遠いのう。バス停の前の家じゃ」
この村にはバス停があり、最寄りの地方都市とのあいだを日に五往復する。村のなかには幼稚園はあるけど、小学校も中学校も高校もないから、学生にとってはバスは重要な通学の手段だ。片道一時間というと大変なように、ぼくは感じるけど、みんな当たり前のように思っているようだ。
「ようぞうさん、ていうんですか。佐々さんは知ってます」
「鳥居耀蔵の耀蔵という字を書くんじゃ」
鳥居耀蔵。
江戸時代の南か北か忘れたけど、町奉行をした人だ。すごく陰謀をめぐらす人で、厳しい取り締まりをしたから、〈妖怪〉なんて呼ばれてたらしい。ある漫画では、鳥居耀蔵は実は拳法の達人で極悪非道なことをして部下に裏切られて殺されちゃうけど、史実では、江戸を追放されて四国のほうに行って、すごく優しい人になって領民に慕われたんじゃなかったっけ。中島みゆきの小説でも、鳥居耀蔵のそのころを扱ってたと、むかしバイトしてたコンビニの店長が言ってた気がする。あ、中島みゆきは歌手か。作家の人は何て名前だっけ?
「駒田成子は、耀蔵の娘で成三の妹。新居達成は、同じく耀蔵の息子で成三の弟。足川未成は、耀蔵の妹じゃ」
「ええっ?」
鳥居、じゃなかった、佐々耀蔵という人には、妹が一人と、娘が一人と、息子が二人いるそうだ。
妹の未成さんは、足川家に嫁いで足川未成という名前になった。
長男は、成三さんといい、東京で働いているという。村を出るとき耀蔵さんとけんかをしたらしい。たぶん勘当されたような格好で出ていった。耀蔵さんに成三さんのことを聞いても、まったく返事をしないらしい。
次男は、こどものころ新居家に養子に行った。新居達成さんだ。新居家というのは、もともと佐々家の分家だったそうだ。
そして娘は駒田家に嫁いで、駒田成子となった。
でも、そうすると、三つの事件が全部同じ家の関係者に起きていることになる。
「あまり人の家の家庭の事情には首を突っ込まんことにしとるんじゃが、事が妖怪のこととなると、ほってもおけんのう」
「妖怪、なんですか?」
「さっきも言うたように、思いを残して死んだ者の思いが、陰気に取り込まれて生ずるのがぶらり火じゃ。陰気というのは、陰性の霊気のことで、妖気というてもええ。ぶらり火というのは、もとの魂そのものではのうて、無念の思いが陰気によって具現しておるものじゃ。今は害がないようにみえても、いつ危険なものに変ずるかわからん。ぶらり火というのは、結局妖怪じゃな」
「足川未成さんのところでぼくがみたのは、ぶらり火だとして、駒田さんと新居さんのは、どうなんでしょう。やっぱりぶらり火なんでしょうか」
「わからんのう。じゃが、そうかもしれん。耀蔵と話をする必要があるのう」
6
じゅごん和尚は、なぜかぼくを連れて佐々家を訪れた。
佐々耀蔵さんは、なんというか、すごい人だった。
役者さんだったら、鳥居耀蔵役が、まさにはまり役だと思う。
そのほかだと、任侠映画とかぴったりだ。
やせぎすで、筋張っていて、目つきがするどくて、ぎらぎらした殺気を全身から放っている。
声もむちゃくちゃドスが利いていて、〈おどれ、いてもうたる〉感満載の人だった。
息子と娘がぼや騒ぎにみまわれたと聞くと、興味を引かれたようで、静かに事情を聞いていたが、話が足川さんのことに及び、不審な火をぼくが目撃したと聞くと、ひどく不機嫌になり、うさんくさそうにぼくをみた。目線で人が殺せるって、こういうことを言うんだな、きっと。ペルセウスの気持ちがはじめてわかった。ぼくも鏡のような盾が欲しいよ!
すごく居心地が悪かった。こんなとこに連れてこないでほしかった。
じゅごん和尚さんは、耀蔵さんの不機嫌なようすには動じないで、淡々と話を進めた。
「それで聞きたいんじゃがのう。佐々の一統か親しい人で、心残りを抱えて死んだというような者はおらんか」
「和尚! あんた、うちの家にけちをつけに来たんか。心残りを抱えて死んだとは何なら! そげえな者が、うちにおるわけなかろうが! おかしなこと言うなら帰ってくれ!」
「あんたのところには、奇妙な火の玉は出とらんかの?」
「そげえなもんが出るわけがなかろうが! この科学の時代に、何ちゅうばからしいことを」
「成三は元気にしとるんか?」
耀蔵さんは、突然黙った。
「一番最近で、消息がわかっとるんは、いつのことかのう」
耀蔵さんは、じゅごん和尚さんから目をそらし、庭のほうをにらみつけて、黙りこくっている。不機嫌を絵に描いたらこんな感じかというような顔だ。
和尚さんも、じっと庭をみてた。なんだかむずかしい顔をしている。
やがて視線を耀蔵さんに戻した。
「耀蔵。成三は……」
「帰ってくれ」
庭をにらみつけたまま、小さい声で耀蔵さんが言った。
相変わらず怖い表情をしている。
でもその顔は、悲しみをこらえているようにもみえた。
7
朝食を食べ終わったころ、駐在の平井さんが来た。
ほんとによく来る。
そして、天子さんをみては、みっともないぐらいくずれた顔をする。
もしかして、このお巡りさん、天子さんに……。
いや、そんなことはないよね。
でも、もしかしたら。
「わらわはちと用事がある。午後にまた来る」
そう言い残して天子さんが出て行くと、平井さんは愕然とした顔をしていた。
「平井さん。お茶、冷めますよ」
「あ、ああ」
しばらく男二人で渋茶をすすっていたが、できるだけ何げないようすで、ぼくは訊いてみた。
「平井さん。天子さんをみる目が、とっても優しいですよね」
「あ、わかるかのう」
「そりゃあ、もう」
「いやあ、天子さんはなあ、うちの娘にそっくりでなあ」
「え、娘さんに?」
「ああ。今は岡山市の大きな商店街にある百貨店に勤めとってなあ。寮に入っとるけん、めったに会えん。天子さんと話をしとると、娘が帰ってきたような気になるんじゃ」
なるほど。
そういうわけだったのか。
心のなかでちょっと失礼な想像をしていたことは、永遠の秘密にしよう。
平井さんが帰ったあと、ひまになった。
お客さんも来ないし、配達もない。
ちょっと昼寝でもしようか。
そう思っていたら、来客があった。
秀さんだった。
何を買うでもなく、上がりかまちに腰を下ろし、当然のようにお茶が出るのを待って、じゅるじゅるすすりながらだべっていった。結局何も買わずに。
ちょっと引っかかる話があった。
「秀さんは、艶さん、照さんと仲がいいですよね」
「べつに仲がええわけじゃあねえけど、昔の話ができる人間がほかにおらんけえのう」
「三人は幼なじみなんですか?」
「照とは二つちがいじゃ。艶とは……はて。艶は、どうじゃったかのう。艶がこどものころを、わしゃ知らん。はじめから婆さんじゃったような気がする」
いや、そんなはずはないでしょうと心のなかで突っ込みつつ、もしかしたらそんなこともあるかもしれないと思った。
ここは、そんなことがあっても不思議じゃない村なんだ。
秀さんかあ。
お秀さんていう手裏剣使いの女の人が活躍する漫画があったなあ。あれ、何て漫画だったかなあ。
そのあと山口さんが来て、楽しく話をしていった。
山口さんと話をしてると、いやなことを全部忘れて、楽しい気持になる。
そのあと照さんが来た。
「昼飯はまだかのう」
「はい。これからです」
「これ、やるけん」
「あ、いつもありがとうございます」
それは川海老の佃煮だった。
照さんの作る川海老の佃煮は絶品だ。
なんでも、自分で川に行って海老を取ってきているそうだ。
天麩羅もおいしい。
でも、佃煮はもっとおいしい。
ふるさとの味って、こういうのをいうんだろうなあ。
8
翌日昼前に、意外な来客があった。
新居達成さんだ。
おどおどしたようすが何だかおかしい。
達成さんは、家に配達に行ったときに会ったことはあるけど、この店に来たことはない。
そんな達成さんが、しかもこの時期にぼくを訪ねてくるなんて、ぶらり火の関係の用事なんだろうな。
と思ったら、やっぱりそうだった。
じゅごん和尚は、佐々耀蔵さんを訪ねたあと、達成さんを訪ねていたんだ。
和尚の話を聞いて、達成さんは、やっぱり、と思ったそうだ。
「にいさんの声が聞こえた気がしたんです。だけど誰もいない。にいさんかい、って暗がりに向けて話しかけても返事がない。そんなことをやってたら、急にカーテンが燃えたんです」
つまり、達成さんには、ぶらり火はみえなかったんだ。
こういうのって、みえる人とみえない人があるものなんだろう。
ぼくはみえる側。未成さんもみえる側。そして達成さんはみえない側っていうことになる。
「持言和尚さんの話を聞いて、成子姉さんと、未成叔母さんに、話を聞きに行ったんです。そしたら」
ん?
今、〈じごん和尚〉って言わなかった? 〈じゅごん〉じゃなくて。
「じごん和尚ですか? じゅごんじゃなくて」
「え? 食いつくとこ、そこですか。ええっと、和尚さんのお名前は、〈持つ〉っていう字と〈言葉〉の〈こと〉で、持言和尚だと思いますけど」
「そうだったんですか! みんなが〈じゅごん和尚〉って発音するもんだから、〈じゅごん〉なんだと思ってました」
「まさか、はは。そんな海生哺乳類みたいな名前で檀那寺の和尚さんを呼びませんよ」
そーですよねー。
そうか。持言和尚か。覚えとこう。どういう意味なんだろう?
「すると、成子姉さんも、火の玉を、ぶらり火ですか? ぶらり火をみたっていうんです。それで三人で、昨日、父のところに行きました」
父っていうのは、耀蔵さんのことだよね。で、足川未成さんと駒田成子さんと新居達成さんがそろって、耀蔵さんの家に行ったと。
しばらく世間話をしてたら、耀蔵さんのほうからぶらり火の話を出したそうだ。お前たちのところにも、ぶらり火が出たのかって。
「お前たちも、っていうんですから、父のところにも出たっていうことでしょう。もうびっくりして、お互いに事情を話し合ったんです」
どうでもいいけど、達成さん、ぼくより十歳は年上だと思うんだけど、なんでこんなに丁寧な口調なの?
「私のところが最初じゃなかったんです。その三日ほど前に、父のところに兄は現れてたんです」
その夜、耀蔵さんは、庭に人の気配を感じたんだそうだ。それで思わず、〈成三か? 帰ってきたのか?〉と話しかけた。だけど返事はない。それでもやっぱり人の気配があるので、耀蔵さんは、何度も話しかけた。そのうちに急に、庭の柿の木の葉っぱが、少し燃えた。燃え上がるほどじゃない。ほんの少し焦げるぐらいにだ。そしてそれっきり、誰かがいる気配は消えちゃった。
「父は、兄に何かがあったんじゃないかと心配になって、それから毎日、いらいらしてたそうなんです」
ぼくは急に思い出した。そういえば和尚さんと二人で耀蔵さんを訪ねたとき、耀蔵さんは話の途中で庭のほうをにらみつけてた。あれは、庭の柿の木をみつめてたんじゃないんだろうか。
もしかして、和尚さんにも何かみえてたのかもしれない。
「あの柿の木は、以前はおいしい柿が生ってたんです。成三にいさんが採ってくれて、よく二人で食べました」
成子さんと未成さんと達成さんは、それぞれ仲が悪いわけじゃないけど、すごく仲がいいということもないらしい。
ところが成三さんは、成子さんとも未成さんとも達成さんとも、すごく仲がよかった。三人ともそれぞれたくさん思い出があるらしい。
だから、成三さんが音楽の仕事をしたいって言って、耀蔵さんに勘当され、一人で東京に出て行ったのを知って、三人はさんざんに耀蔵さんを責めたらしい。それからというもの、三人は耀蔵さんと疎遠になり、昨日家を訪ねたのは、本当に久しぶりだということだ。
「それで、にいさんは今どうしてるんだ、今どこにいるんだという話になって、父が一枚の葉書をみせてくれたんです」
その葉書を達成さんは、ぼくにみせてくれた。
差出人の住所をみて、ぼくは思わず、あっ、と声を上げた。
「これ、ぼくが東京で住んでた場所の、すぐ近くだ」
「やっぱりそうですか」
今朝、達成さんは、転輪寺に行って、じゅごん、じゃなくて持言和尚さんに会ったそうだ。そしてこの葉書をみせたら、これは鈴太が住んでおったという地名とよく似ている、と言われた。そこで、ぼくに会いに来たというわけだった。
「もう三年以上、音沙汰がないんだそうです。この場所に行ってみたいんですが、とても一人では……。鈴太さん。ご無理を承知でお願いします。一緒に東京に行ってくれませんか?」
その後切々と、達成さんは、成三さんを心配する心のうちを語ってくれた。
そりゃあ、大好きなお兄さんが音信不通となったら、心配だよね。
しかも、故郷で、一番親しかった人たちのところに、奇妙な出来事があった。ぶらり火と呼ばれる妖怪が出たとしか思えない出来事だ。そして、ぶらり火というのは、この世に強い思いを残した人の、その思いから生ずるんだという。
お兄さんに何かあったんじゃないかと、思えてしかたない。
その気持ちは、ほんとによくわかる。
どうせぼくは、時間の自由が利く生活をしてる。店をほってはおけないけれど、天子さんに留守をお願いできるなら、三日や四日、達成さんに同行することは何でもない。
「天子さん。申しわけないんだけど、三日か四日、留守にしていい?」
「よいとも。必要なだけ留守にするがよいぞ」




