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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
最終話 天逆毎(あまのざこ)
89/90

前編

1


 空は晴れわたっている。

 台風の影も形もない。

 体はひどく重かったけど、心は軽い。

 笑い顔で社殿の表側に歩いていった。

 そして、目に入った惨憺たる光景に、胸をぐさりとつらぬかれた。

 ひどい状態だ。

 復旧には長い時間がかかるだろう。

 そもそも復旧できるかどうか。

「というより、復旧しようとはせぬかもしれぬな」

「天子さんがもらったプレゼント、わかったよ」

「先ほどの光の話かの? わらわは何を授かったのじゃ?」

「読心能力」

「それは前からじゃ。おぬし限定のな」

「あ、やっぱり」

「独身はさびしいわよ」

「台風は去った。きさまも去れ」

「たぶん、あたしのおうち、大変なことになってるわ」

「ほんとですね。大変だ」

「心配してくれるの? うれしいわあ」

「というか、和尚さん。ぼくも和尚さんも、今晩寝るとこないですよね」

「まずは社殿のなかをみてみるか」


2


「うわあ。これはひどい」

「屋根が吹き飛んで、雨が降り込んだものねえ」

 布団も何もかも、雨にぬれてぐしゃぐしゃだ。

 もちろん、ひでり神さまを寝かせていた布団はもぬけの殻だ。

 羽振家のお社も、童女妖怪が入っていたお社も、落ちてきた木材に一緒に押しつぶされて、粉々になっている。

 おじいちゃんとお父さんとお母さんの霊璽は無事だ。ぼくは三つの霊璽をリュックに入れて背負った。このまま、この残骸だらけの場所に放置しておけない。

 このとき、ぼくの心は、完全にゆるんでいた。

 だから、童女妖怪が言葉を発したとき、その意味が全然わからなかった。

「来るです」

「え?」

「この気配は、今までさんざん探知してきた気配なのです」

 気配?

 いままでさんざん探知してきた?

 今ここに現れる?

「まさか」

 ぼくの顔から血の気がひいた。

天逆毎(あまのざこ)なのです」

「そんな、そんなばかな! 結界のなかには入ってこられないはずだ」

「鈴太よ」

「はい?」

「結界は、もうないぞ」

「えええええっ?」

「法師どのの言う通りじゃ。そもそもこの里の結界は、あのかたの修行成就を守るもの。もう役目を終えたのじゃから、消えてあたりまえではないか」

「ちょっ。和尚さんも天子さんも、何をそんなに落ち着いてんの? ラスボスの登場だよ?」

「ははは。どれい、間抜けなあやかしの顔を拝ませてもらうか」

「それがよい」

 和尚さんと天子さんは、悠然と社殿の外に出た。

 ぼくもあわてて追いかけた。

「あそこじゃ」

「うむ。用水路じゃな」

 二人がみているほうに視線を送ると、用水路から水が立ちのぼっている。

 先ほどまで村の中央部の田んぼや道は水没してた。それが、ひでり神さまの功徳か何か知らないけど、今はそれなりに水が引いている。とはいっても、土砂が田や道をおおってるから、逆に災害の爪痕が生々しい。

 右側のほうに用水路がある。用水路の、ちょうど水虎と会ったあたりで、水柱が噴き上がっていて、それが段々こちらに近づいてくる。

「ふうむ。水の勢いで土を削って、そこに流れ込む水を利用して移動しておるのじゃな。なるほど」

「器用なものじゃな、法師どの」

 どうしてこの二人は、こんなに落ち着いていられるんだろう。

 水柱はだんだん近づいてくる。

 ぼくの心臓は、どきどきがとまらない。

(あ、そうか)

 考えてみれば、二人にとって、千二百年に及ぶ使命が今まさに達成されたところなんだ。極端にいえば、これで死んでもいい、ぐらいに感じていてもふしぎじゃない。もし今天逆毎に殺されても、成し遂げたことが覆されることは、もうないんだ。

 なるほど。

 そりゃ、余裕綽々でいられるわけだ。

 天逆毎のほうは、逆だ。

 和尚さんと天子さんをなぶり殺しにしても、もうひでり神さまに復讐することはできない。そして天逆毎自身は寿命がない。無念のなかで滅びるしかないんだ。

 そう考えてみると、妙に愉快な気分になってきた。

 ざまあみろ、という気分だ。

 そうしているあいだにも、水柱は近づいてくる。

 遠くにいたときは、樹木の幹のあいだの空間から水柱がみえたけど、近づいてくると葉っぱにじゃまされて視界がよくない。でも、噴き上がる水柱が近づくようすは、はっきりわかる。

「あれは、何なのう」

 山口さんが、のんびりした声で訊いてきた。

「天逆毎という妖怪だよ。この村を攻撃していた妖怪たちのボスなんだ」

「それじゃあ、手ごわいのね」

「とっても手ごわいと思う」

 山口さんも、あまり不安を感じてないみたいだ。たぶん、和尚さんと天子さんが落ち着き払っているからだろう。

 山口さんは、何があっても守らなくちゃいけない。

「あちしはお守りに戻るです」

 そう言い残して童女妖怪が消えた。

 ついに水柱が境内地の真ん前に来た。入り口の部分から、水柱がよくみえる。

 水柱のなかに、何かがいる。

 そう思っていると、水柱がしゅうしゅう音を立てて収まってゆき。

 天逆毎が現れた。


3


 男とも女ともとれる顔だ。性別があるのかどうか知らないけど。

 やたらときらびやかな衣装をまとっていて、頭にはごてごてした冠のようなものを貼り付けている。

 表情は、憤怒そのものだ。

 赤黒くそまっていて、何かしら病的な印象を受ける。

 大きく裂けた口からは、牙が何本も突き出している。

 身長は三メートルを少し超えてるだろうか。

 大変な巨体なんだけど、方相氏、風伯、雨師、巨大女神とみてきたあとでは、あんまり威圧感を感じない。

 衣装の下にどんな体躯があるかはわからない。だけどごつごつ盛り上がっているから、普通の人間のような体じゃないことは想像がつく。


 おおん。

 おおん。


 地の底から響くような声だ。人間の声じゃない。


 口惜しや。

 口惜しや。


 ちょっと聞くと、けもののうなり声のようにも聞こえるけど、よく聞けば言葉の意味はわかる。


 わが復讐はならなんだ。

 きさまらのせいで。

 法師狸。

 化け狐。

 きさまらは八つ裂きにしてやらねばすまぬ。

 きさまらだけではない。

 この里の人草すべて、わが道連れに地獄に落としてくれる。


「やってみろ」

 和尚さんの落ち着き払った低い声が、ものすごくかっこいい。


 おおん。

 おおん。


 天逆毎が石段に一歩踏み出した。

 水がない場所にも、無理すれば少しぐらいなら出て来られるみたいだ。

 あっというまに石段を登りきって、境内地に入ってきた。

 同じ高さの場所に立つと、やっぱり大きい。

 ぷうんと、いやな匂いがただよってきた。

 腐臭だ。

 天逆毎の皮膚は、じゅくじゅくと腐っている。

 寿命が迫っているうえに、無理に無理を重ねたから、こんなことになってしまったんだろう。けれどそれだけに、仕返しをしようとする執念は強い。


 ぎぎ。

 ぎぎ。


 海老か蟹が発するようなきしみ声だ。

 そういえば、もとは小海老なんだったか。

 天逆毎は、一歩一歩ぼくたちに近づいてくる。

 どきどきしてきた。

 天子さんが左手を伸ばして、そっとぼくの右手をにぎった。

 ぼくも強くにぎり返した。

 互いの距離が十メートルを切ったとき、和尚さんが三歩前に進み出た。

 天逆毎は、まっすぐ和尚さんに向かっている。

 あと三メートル。

 天逆毎が両の手を高く振り上げた。

 それを振り下ろすかと思ったら、そうじゃなかった。

 背中から何かが飛び出して、両手の上側から和尚さんに襲いかかった。

 がきんっ、と音がして、それが空中で食い止められた。

 天子さんが右手を伸ばしている。

 空中に薄緑色の透明な壁が出現している。

 結界だ。

 そして、天逆毎が繰り出してきたのは、巨大な蟹の鋏のようなものだった。


 ぎぎ。

 ぎぎ。


 天子さんが結界を解いた。

「破邪金剛力!」

 呪文を唱えてお札の力を行使し、和尚さんが身を躍らせて天逆毎に飛びついた。

 天逆毎は、今度は脇腹の後ろから、何本も何本もの鋭く長い爪を出現させた。

 十本以上の爪が、体の両側から和尚さんに襲いかかる。

 今度も天子さんが結界で防ぐだろうと、ぼくは思った。

 そうはならなかった。

 十本以上の長い爪は、和尚さんの体に深々と突き刺さった。

 それにかまいもせず、和尚さんは天逆毎に組み付き、がっしりとその体を押さえ込んだ。

「今じゃ! 皆、境内地を出よ!」

 天子さんは、そう叫ぶと、驚きにそまるぼくの手を引いて走り出した。

 山口さんが、そのあとに続く。

「え? え? え?」

 たちまちぼくたちは、境内地の入り口近くに到達した。

 そのとき、何かが聞こえた気がして、ぼくは立ち止まり、振り返った。

 天逆毎の尻のあたりから飛び出した太い尻尾が、まさにぼくの顔に突き刺さろうとしていた。

 まるでスローモーションのように、突起のある、丸くふくらんだぎざぎざの尻尾が、ぼくに迫ってくるのがみえた。

 かわせない。

 ぼくは死ぬ。

 と思ったとき、雷光のようなものが空を走り、尻尾の先に着弾した。

 火花が散り、尻尾が跳ね飛ばされる。

 それでも尻尾は空中で軌道を修正し、再びぼくに迫ってくる。

 天子さんが腕を振り下ろした。

 二条の赤い光線が、天逆毎の尻尾と交差する。

 たちまち尻尾は斬り落とされて宙を舞った。

 天子さんの爪の攻撃だ。

 もう今日は使えないはずだったけど、これもひでり神さまの祝福なんだろう。

「急げ! 次の攻撃が来る前に」

「う、うん」

 ぼくと天子さんと山口さんは、石段を駆けおりた。

 ぐしゃぐしゃにぬれた道を左に進む。

 右側は天逆毎のために、とても通れない状態になっている。

 境内地の周囲をおおう樹木の幹のあいだから、天逆毎がみえる。

 和尚さんががっちり押さえ込んでいて、身動きもできないようだ。

次回最終回

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