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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第18話 雨師(うし)
88/90

後編

5


 地揺れは激しくなってゆく。

 ぼくは立っているのもやっとだ。

 がらがらがらっと、何かが崩れるような音がする。

 驚いて音がするほうをみると、信じがたいことが起きていた。

 階段だ。

 階段が骨ヶ原から現れ、天に向かって伸びてゆく。

 そして雲を突き破り、さらに上方に伸び上がった。

 その階段をのぼってゆく者がいる。

 一人ではない。

 十人でもない。

 千人、万人、何十万人の人がのぼってゆく。

 男がいる。

 女がいる。

 おとながいて、こどもがいて、老人がいる。

 裕福そうな着物を着た人がいる。

 貧しそうな人もいる。

 その人たちがみな、天に向かって階段をのぼってゆく。

 手にはそれぞれ何かをにぎっている。

 老人も、若者も、母親に抱かれた生まれたばかりの赤ん坊も。

 小さな石をにぎっている。

 白い石をにぎっている。

 積み石だ。

 積み石は、天界へのパスポートだったんだ。

 誰もうなだれてはいない。

 顔を上げ、天に視線を送っている。

 天をみながら決然としてのぼってゆく。

 あの人たちはみな、天に着いたら言うべき言葉があるんだ。

 すべての人が上りきると、階段は霧のなかに消えた。

 ひとたび、あかりは消え果てた。

 どれほどの時間が過ぎたろう。

 黒く立ち込めた雲の一角に、ぽつり、とあかりが差した。

 雲に空いた穴はみるみる大きくなり、強い一条の光が天から地上に届き、骨ヶ原を照らし出した。

 あまりのまぶしさに、何もみえない。

 あれは何だ?

 天からひらひらと舞いながら降りてくる、あれは何だ。

 それは輝く翼を持った鳥だ。

 何百羽という鳥たちだ。

 その鳥たちは骨ヶ原に舞い降りた。

 気がつけば、骨ヶ原の大地は緑の草で覆われている。豊かな草原となっている。

 その緑の草原に、天から降りた鳥たちは吸い込まれてゆく。

 たった一羽の鳥が、ぼくのところに飛んできた。

 そしてぼくの服の襟首をくわえると、ばさばさと翼をはためかせて舞い上がった。

 あっというまにぼくは宙に釣り上げられる。

 しばしの空中遊泳のあと、地守神社の裏に到着して降ろされた。

 事態の推移についてゆけずに呆然としながら、ぼくは樹恩の森をみつめていた。

 暗闇に沈んだ樹恩の森の真ん中が、ぼうっと光った。

 何かが。

 何かが立ちのぼってくる。

 三山の裾野に広がる樹恩の森から、光り輝く何かが立ちのぼってくる。

 上に、上に。

 とどまることなく何かが立ちのぼってくる。

 球体だ。

 その球体は、姿を現すほどに巨大になる。

 森の中心部を埋め尽くすその広さは、直径十キロにも達しているだろうか。

 いや、球体じゃない。

 これは。

 これは。

 みまもるうちにも、その何かは上昇する。

 その頂上は、あっというまに、ぼくと同じ高さに達し、さらにとどまることなくのぼり続ける。

 なんという巨大さだろう。

 なんという神々しさだろう。

 これは。

 これは。

 この形は。

 頭だ。

 これは、頭だ。

 想像を絶するほどに巨大な頭部だ。

 女?

 そうだ。これは女性だ。

 女神だ。

 あり得ないほど大きな女神が、今、広大な森全体を埋め尽くして立ち現れたんだ。

 美しい顔だ。

 その顔にみおぼえがある。

 どこかでみたことがある。

(ひでり神さま?)

 そうだ。

 この女神の顔は、ひでり神さまに似ている。

 わかいころのひでり神さま。

 いや、まだひでり神となる前の姿は、こんな姿だったんじゃないだろうか。

 そうにちがいない。

 これは、ひでり神さまなんだ。

 ぐんぐんと、その巨大な体躯は森から現れ、天に向かって浮かんでゆく。

 胸が現れ、腰が現れる。

 あや絹、とでもいうんだろうか。

 ふわふわとした、虹色に輝く着物をまとっている。

 はじめはぼんやりと光ってよくみえなかったお姿が、段々鮮明になる。

 髪は結い上げられ、きらびやかな髪飾りがきらきらと輝いている。

 ひらひらと風にゆれる長い帯のようなものが何本も、首の後ろを回って体の両側に垂れ下がり、組み合わされた腕の下を通って足元でゆらめいている。

 ひでり神さまは、閉じていた目を開き、右下をみおろした。

 そこには雨師がいる。

 美しい袖に包まれたその山より大きな右手が、差し伸べられた。

 ひでり神さまは、ひょいと雨師の頭をつまみ、そのまま雨師をつかんで空に上ってゆく。

 やがて足が現れ、ついにその全身が森から浮かび上がった。

 その足が何百メートルか地上を離れたとき、そのあとを追うように、何かが森から飛び出した。

 虎だ。

 巨大な虎が空を舞い、ひでり神さまの周りをぐるぐるうれしそうに回りながら、一緒に天にのぼってゆく。

 あれはきっと水虎だ。

 何かの加護で水虎がよみがえって、ひでり神さまとともに天に迎えられるんだ。

 やがて、ひでり神さまと水虎が雲を突き破って姿を消すと、その突き破られた部分から雲は消えてゆき、気がつけば、三山と樹恩の森は、朝の光に照らされていた。

「見事な祝詞(のっと)であった」

 天子さんだ。

 いつのまにか、ぼくのすぐ横に天子さんがいた。

「〈はふりの者〉の初代も祝詞の名手であったが、おぬしもそれに劣らぬのう」

「のっと、って何?」

「神々や神霊や御霊へ()る祈願の文じゃ」

「和尚さん!」

「それにしても、ずいぶん神々を脅しつけておったのう。はっはっはっ」

 そう笑う和尚さんの顔は、元気そのものだ。

「お、和尚さん! 右手が」

「おお? これにはわしも驚いた。あのおかたが昇天なさるとき、体が光に包まれてなあ。気がついたら右手があったんじゃ」

 和尚さんの右手が、もとの通りに、そこにあった。

「あちしも光に包まれたです」

「おさかべ! どこに行ってたんだ?」

「風伯が神社の屋根を吹き飛ばしたとき、あちしのお社も壊れてしまったです」

「えっ?」

「お社があるうちならお守りにも移れるけど、いきなり宿り場所を破壊されては、消滅するほかないです」

「そんな」

「頑張って踏みとどまってたですけど、雨師の霊気に耐えきれず、消えてしまいそうになったです」

「だ、だいじょうぶなのか」

「ああ、これで終わりか、最後に油揚げを腹いっぱい食べたかったなあと思っていると、体が光に包まれて、お前の首のお守りに移れたです」

「えっ」

「ということで、早く次のお社を準備するです。それと、油揚げを腹いっぱい、あちしにお供えするがいいです」

「へえ、童女妖怪さんって、こんな姿でこんな声をしてるのねえ」

「山口さん!」

「あたしも光に包まれて目がさめたのよ。どうも、前はみえなかったものがみえるようになったみたいね」

 どういうことだろう。

 光に包まれて?

「わらわも光に包まれた。何か変化があったかどうか、よくわからぬが、体調はすこぶるよい。おぬしには、それじゃな」

「それ?」

「ほれ、足元をみるがよい」

 そこには鈴があった。

「〈和びの鈴〉!」

 ぼくは、大事に大事に、それを拾い上げた。

 こんなプレゼントを残していってくれるなんて、ひでり神さまもずいぶん義理堅い。


6


「それにしても、あんなに長いあいだ、よく雨師の攻撃に耐えられたね」

「長いあいだじゃと?」

「ぼくが社殿の後ろ側に走り込んでから、ひでり神さまが天に昇るまで、ものすごく時間がかかったでしょ」

「いや? わらわはすぐに追いかけたが、おぬしの姿はなく、祝詞を奏上する声が聞こえた。祝詞が終わるなり光の柱が立ちのぼり、ひでり神さまが天に帰られた」

「ええええっ? そんなはずはないんだけどな」

「ふむ? まあ、何があったかは、あとでゆっくり聞くとしようかの」

「それにしても、あの石が最後の一個だったんだね」

「いや、それはちがうかもしれん」

「えっ?」

「法師どのは、どう思われる?」

「うむ。たぶん、とうの昔に、石の数は足りておったんじゃないかのう」

「じゃあ、どうしてひでり神さまは、天に帰れなかったの?」

「石を積み終えたということを、天に報告しなかったからではないか、とわしは思う」

「報告?」

「わらわもそう思う。なんともうかつなことじゃった」

「もしかすると、〈はふりの者〉には最初から、その役割が与えられておったのかもしれん」

「えっ? ちゃんと報告することになってたのに、その役割が伝えられてなかったの?」

「法師どの。こうは考えられぬか。格別に役割などと決めておらずとも、〈はふりの者〉なれば、必ず石を積み終えたことを天に奏上し、許しを請願するはずじゃと、誰もが思うておったのじゃ」

「なるほど。それはあるじゃろうな。はっは。もしかすると神々は、まだ贖罪の成就を奏上してくれんのか、まだ許しを請願してくれんのかと、やきもきしながら待っておられたかもしれんのう」

「神は地上をみそなわし、人の訴願を受けてみ働きを現したまう。そんな当然のことを、わらわも法師どのも忘れておったのじゃ」

「寿命の短い人の子が、〈はふり〉などというお役目を授かったのも、考えてみればそのためであったのじゃなあ」

「じゃ、じゃあ、おじいちゃんが生きてるときに、〈石は積み終えました〉って報告して、〈ひでり神さまを許してあげてください〉ってお願いすれば、満願成就してたってこと?」

「いや、気の毒じゃが幣蔵(へいぞう)には無理なことじゃ」

「ぼくにできたんだよ?」

「おぬしは特別な声の持ち主なのじゃ。それこそ初代に匹敵するほどのな。少し自覚せよ」

「そうかなあ」

「はっはっはっ。鈴太よ」

「はい」

「お前が生まれてくれたこと。この里に帰ってきてくれたこと。そのこと自体に大きな意味があったのじゃ。幣蔵もお前の両親も、喜んでおろうよ」

「はい」

「それにしても、天狐よ」

「うむ」

「終わったのう」

「うむ。終わった」

 二人は並んで三山と樹恩の森をみつめている。

 千二百年に及んで取り組み続けてきたことが、無事に成就したんだ。感慨無量なんてものじゃないはずだ。その気持ちは、この二人以外、誰にもわからない。

「長かったのう」

「そうでもなかったぞ、法師どの」

「おお? そうか? もう一回やってもよいか?」

「それはごめんじゃ」

「はっはっはっはっはっ」

「ふふふふふ」

 まぶしい朝の光が、ぼくたちを包んでいた。

「第18話 雨師うし」完/次回「最終話 天逆毎あまのざこ

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