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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第18話 雨師(うし)
87/90

中編

2


 ぼくは階段を降りた。

 どこまでも、どこまでも、降りていった。

 いつのまにか、雨はやんでいる。

 でももう、そんなことはどうでもよかった。

 歩いても、歩いても、階段は終わらなかった。

 骨ヶ原は、みえているのに少しも近づかなかった。

 それでもぼくは歩き続けた。

 もう何百段、歩いたろう。

 みんなは、もう殺されてしまったんだろうか。

 そんな思いが心に去来する。

 それでもぼくは、歩くしかなかった。

 鉛のように重い足を引きずって、ぼくは歩き続けた。

(歩かなきゃ)

(歩かなきゃ)

 自分の体が自分のものではないようだ。

 あらゆる感覚が失われている。

(歩かなきゃ)

(歩かなきゃ)

 けだるかった。

 しんどかった。

 今すぐ倒れて眠ってしまいたかった。

(だめだ)

(だめだ)

(眠っちゃだめだ)

 なんでぼくは歩いているんだろう。

 こんなに苦しい思いをして歩いても、もうどうにもならないのに。

(止まったら)

(それでおしまいだ)

 そうだ。

 ぼくが止まったら、それでおしまいだ。

 何もかもが終わる。

 すべての希望がなくなる。

(だから)

(歩き続けるんだ)

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ぼくは階段を踏みしめ続けた。

 そしてやっと、ぼくは骨ヶ原に降り立った。


3


 そこは真っ白な空間だった。

 地面は真っ白な砂利でおおいつくされている。

 その真っ白な砂利を敷き詰めた広大な広場のあちこちに、小さな石が積み上げられている。

 何十万個だったか忘れた。

 ひでり神さまは、自分が殺した人々の数だけ、罪石を積まなくちゃならない。

 その数は、何十万個という数だったはずだ。

 突然。

 ぼくは気づいた。

 石じゃない。

 白い砂利なんかじゃない。

 骨だ。

 粉々に砕け散った骨だ。

 その上をぼくは歩いているんだ。

 ぞおっとした。

 なんというおぞましさだろう。

 そして、衝撃を受けた。

 ひでり神さまは。

 この上を歩いたんだ。

 自分が殺した無数の人々の骨の上を。

 千二百年間歩き続けたんだ。

 なんというむごい拷問だろう。

 なんという厳しい勤めだろう。

 あまりにひどすぎる。

 こんなことがあっていいんだろうか。

 こんなことが許されるのか。

 いや、そうじゃない。

 そうじゃないんだ。

 そのむごさこそが。

 ひでり神さまが抱える苦しみに引き合うんだ。

 そのひどい勤めこそが、贖罪にあたいするんだ。

 だけど、もういいんじゃないだろうか。

 ぐるりとぼくは、骨ヶ原をみわたした。

 ぼくの身長ほどの小さな山が無数に続いている。

 小さな小さな石を積み上げた山だ。

 贖罪の山だ。

 視界の果てまで山は続き、その向こう側は立ちこめる霧でみえない。

 新しい涙が頬を伝う。

 これを一人でやってきたんだ。

 これほどのものを、一人で黙々と積み続けたんだ。

 ぼくは一番手近な山をみた。

 そのてっぺんに、ちょうど石一個が置ける場所がある。

 右手に握った罪石をみた。

「どうか、この一個が、最後の一個でありますように」

 ぼくは山の上に石を載せた。

 そして手を放して三歩下がった。

 何が起きるだろう。

 何が起きてくれるだろう。

 そう思いながら、じっと待った。

 だけど、どれほど待っても、何も起きなかった。


4


 ぼくは天を仰いだ。

 そして小さくつぶやいた。

「神様」

「ぼくの言葉を聞いていただけませんか」

「あなたの名前は知りません」

「だから何と呼びかければいいのかわかりません」

「それでもぼくの言葉を聞いていただけませんか」

 言ってどうなるものでもない。

 そんなことはわかっている。

 でも、言わずにはおれなかった。

「もうじゅうぶんじゃないですか」

「これをみてください」

「骨ヶ原を埋め尽くす、この積み石の山をみてください」

「数えきることもできない、積み石の山々のすべてをみてください」

 なみだがあふれて、空がみえない。

 どうせ曇った空をみても、何がみえるわけではない。

 それでもぼくは、天を振り仰ぎながら、言葉を続けた。

「ひでり神さまのせいで、多くの人が死んだといいます」

「何十万人もの人が死んだといいます」

「それはそうなんでしょう」

「死んだ人たちは、ひでり神さまを恨んだかもしれません」

「死んだ人たちの妻や、夫や、こどもや、孫や」

「親や、友人や、そのほかたくさんの人も」

「ひでり神さまを恨んだかもしれません」

 声が段々大きくなってゆく。

 それとともに、感情もたかぶってゆく。

「その人たちには理由があります」

「ひでり神さまを恨むだけの理由があります」

 ふしぎなことだけれど、誰かがぼくの言葉を聞いているような気がする。

 こんな誰も知らない場所でつぶやく、ぼくの言葉を、誰かが聞いているような気がする。

「でも、感謝する人もいるんじゃないんですか」

「そもそも」

「そこにいるだけで多くの人を殺してしまうほどの力を」

「ひでり神さまは何のために望んだか」

「そのことをご存じでしょう」

 ぼくは意識して、はっきりと言葉をつむいだ。

 誰が聞いていようといまいと関係ない。

 天地にぼくの言葉を刻むんだ。

「暴虐に苦しむ人々のため」

「その人々を救わんと立ち上がった勇気ある若者を助けるため」

「ひでり神さまは力を望んだんです」

 たとえどんな悲惨で無残な結末しか訪れないとしても。

 この言葉を天地に焼き付けるんだ。

「その力によって、よこしまな者は打ち破られ」

「世界に正義と平和がもたらされ」

「人が笑い合って暮らせる時代が訪れたんじゃないんですか」

 声の高まりを抑えられない。

 沸き立つ心を抑えられない。

「そのことを!」

「そのことをほめてはくださらないんですか!」

「よくやったとねぎらってはくださらないんですか!」

 だめだ。

 だめだ。

 こんな言葉では足りない。

 まったく足りていない。

 では、どう言えばいいんだろう。

 どんな言葉をつむげばいいんだろう。

「そのあとに生まれ暮らす人々は」

「ひでり神さまのことを知らないでしょう」

「自分の幸せは」

「ひでり神さまの献身の上に成り立っているのだと」

「知ることはないでしょう」

「だから感謝もしなかったはずです」

「感謝の祈りをささげることもなかったはずです」

「しかし営々と続く人の営みをみまもるあなたがたこそ」

「ひでり神さまの功績を知っておられるはずです」

「そうではないのですか」

「それでも神々は恨みの言葉には耳を傾け」

「言葉にされることのなかった感謝には耳を傾けてくださらないんですか!」

 高まった気持ちははき出されてしまい。

 ぼくの胸はしぼんでゆく。

 でもまだ終わりじゃない。

「欲のためではなかったんです」

「自分の利益のためではなかったんです」

「苦しむ人々を救うため」

「愛する若者を助けるため」

「ひでり神さまは力を望んだんです」

「身に余る力を得ようとしたことが罪でしょうか」

「愛のために戦ったことが罪でしょうか」

「どんな力を望むことなら許され」

「どんな力を望むことは許されないのか」

「ぼくにはわかりません」

「でも人を愛し」

「愛した人を助けようとすることが」

「罪になるわけがありません」

「もしもそうなら」

「この世に愛など必要ありません」

「愛に意味などないからです」

「そうではありませんか」

「ひでり神さまは一切のみかえりを求めませんでした」

「みずからは何も得ようとしなかったんです」

「だから決して欲ではなかったんです」

 まだだ。

 まだ言わなくちゃいけないことがある。

 ぼくは言葉を探した。

「ただいるだけでひでりをもたらす存在になってしまい」

「一番悲しんだのはひでり神さま自身です」

「だから追放を命じられたとき従容として従いました」

「愛する者をそれ以上苦しめないために」

「すべての苦しみをたった一人で背負ったんです」

「思い出の多い土地を飛び去ったひでり神さまが」

「富士山を噴火させてしまったのは」

「確かに罪にちがいありません」

「そのために多くの人々が」

「命を失ってしまったんですから」

「家族を財産を失ってしまったんですから」

「だからひでり神さまは」

「弘法大師さまのお言葉にしたがい」

「この地で積み石を積み続けたんです」

 再び激情が、ぼくの胸にわきあがった。

「これをみてください!」

「この積み石の山がどこまでも連なる光景をみてください!」

「たった一人で千二百年ものあいだ」

「これほどの贖罪を続けるほど」

「ひでり神さまは深く反省したんです」

「死んでしまった人たちに謝り続けたんです」

 段々と、ぼくの声は小さくなる。

 細くなる。

 無念さに。

 失望に。

 ぼくの声は小さくなる。

「その贖罪は」

「反省は」

「謝罪は」

「死んでしまった人たちには届かなかったんでしょうか」

「死んでしまった人たちは」

「千二百年にわたりひでり神さまがみずからを苦しめ続けるのをみて」

「許す」

「と言ってはくださらないんでしょうか」

 もうほとんど言うべきことは言った。

 でもあと少しだけ。

 言わなきゃならないことがある。

「そしてこれは、ささいなことではありますが」

「ひでり神さまに助けられたあやかしの子孫は」

「弘法大師さまに直訴して」

「ひでり神さまの救済を懇願しました」

「その心とひでり神さまの境遇をあわれんで」

「弘法大師はこの場所を調え」

「贖罪の道を示しました」

「その道をひでり神さまが」

「たゆむことなく怠ることなく歩み続けたことは」

「お聞きくださった通りですが」

「ひでり神様に助けられたあやかしの子孫である小さなあやかしは」

「格別の寿命を与えられ」

「ひでり神さまの修行成就を」

「千二百年にわたってみまもり続けました」

「その心根をあわれとは思ってくださいませんか」

「人に尽くすその行いをけなげとは思ってくださいませんか」

「ほかにも法師が一人」

「ひでり神さまを守って戦い続けてきました」

「おそれながらわたくしの一族も」

「千二百年にわたって代々贖罪をお助けしてきました」

「それはひでり神さまのご功績をお慕いし」

「そのご境遇をお気の毒と思ってのことです」

「そうした思いや行いに」

「わずかでも価値があると思ってくださるなら」

「足りない石の代わりとして受け取ってくださいませんか」

 言った。

 言うべきことは、すべて言った。

 ぼくは深々と頭を下げて、長い長い訴願を結んだ。

「ひでり神さまのために死んでしまったかたがたに申し上げます」

「どうかひでり神さまをお許しください」

「許すと天に告げてください」

「そして天の神々に申し上げます」

「死んでしまった人たちの」

「許しの言葉をお聞きになったら」

「後悔とつぐないが意味を持つのだとおぼしめされるなら」

「ひでり神さまが天に帰ることを」

「どうかお許しください」

 言葉を終え、それが大地にしみこむほどの時間がすぎた。

 ぼくは頭を上げた。

 ぐらっ、と大地が揺れた。


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