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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第18話 雨師(うし)
86/90

前編

1


「鈴太よ。今のは? おぬしから飛び出した今のあれは何じゃ?」

「天子さん。小青(しゃおちん)だよ!」

「しゃおちん?」

水虎(すいこ)だよ、水虎がついにやったんだ!」

「水虎? まさか、家の神棚の横に祀ってあった、水虎の形見か?」

「そうだよ。水虎はむかし、風伯(ふうはく)には吹き散らされて悔しい思いをしたっていうじゃないか。ついにかたきを取ったんだよ」

「おお」

「長壁」

「はい、法師さま」

「風伯は、消えたのか?」

「はい。消えましたです。妖気の残滓がありますが、大した量ではありませんです」

「残滓が? ふむ」

「法師どの、まこと風伯は消滅したのであろうか?」

「いや、消滅したわけではなかろうな」

「というと?」

「風伯は風じゃ。実体があるようで、ない。ないようで、ある。形のある攻撃では、完全に滅することはできんじゃろうなあ」

「風伯はどうなったのじゃ?」

「あの強力な虎の手で押しつぶされたのじゃ。四散してしもうたのじゃろう」

「ということは、どうなる?」

「いったん完全に形を失ってしもうたわけじゃ。実体を取り戻すには、何日も、あるいは何年もかかろうよ」

「では、倒したと同じことじゃ」

「そうじゃ。そうでなくても、天逆毎に、もう一度風伯を顕現させるような余力があろうはずもない。わしらは勝ったのじゃ」

 勝った。

 そう言われてみて、よろこびがにじみ出てきた。

「鈴太。何を泣いておる」

「あらあ。そこは気づかないであげるのが、女のやさしさよお」

「ははは。ついに終わったのう。雨師(うし)は消え去り、風伯は散り散りとなって消し飛んだ。天逆毎(あまのざこ)は結界のなかには入って来ることができん。わしらは勝ったのじゃ」

「勝った。勝ったんですね。ぼくたちは、守りきったんですね」

「鈴太よ、ようやった」

「ありがとう、天子さん」

「これ、妖婦。何をしようとしておる」

「あら、とめないでえ。祝福のキスよ」

「させるか」

「ははは。鈴太よ、あのかたのごようすをみてきてくれんか」

 和尚さんが自分で行けばいいのにと一瞬思ったけど、やっぱり近づきにくいんだろうなと思い直した。

「はい。……あれ?」

「あらん」

「うん? また雨が降ってきたのう」

「法師どの。しかたあるまい。台風じゃ」

「そうか。台風であったなあ」

「台風がそのままあやかしという、とてつもない神霊であったが、台風そのものは、自然に生じたものなのであろうの」

「それはそうじゃ。天狐よ、いかに神霊とはいえ、無から有を生み出すのはおおごとじゃ。じゃから、太平洋から小さな台風を大きくふくらませて持ってきたのじゃ」

「この雨、何かいやな匂いがするわあ」

「匂い、じゃと? そういえば」

「この雨、邪気のかたまりなのです……でも、それよりも」

「ちみっこ。どうした?」

「何かが」

「うん?」

「この上空で、何かが起きてるです」

 ぼくは雲に覆われた暗い空をみあげた。

 渦巻く台風の雲以外、何もみえない。

「何もないぞ?」

「段々、気配が強くなってるです」

 降る雨に打たれながら、手をかざして空をみあげる。

 やはり雲と雨しかみあたらない。

「ちびっこ。気のせいじゃ……」


 はははははは。


 笑い声が響く。

 遠い遠い空の果てから、笑い声が響く。

 鼓膜の奥がびりびりするような、とてつもない笑い声だ。

「法師どの! これは?」

「何が起こっておる? まさか?」

「来ます! 上空約二百メートルに、何かが出現しますです!」


 はははははは。


 またも笑い声が響く。

「これは、この気配は! 雨師なのです!」

「なにっ」

「まさかっ」

「消えたんじゃなかったのか?」

 虚空にもやもやとしたものが現れ、次第に色濃くなってゆく。

 だが。

 だが、この大きさは。

「何? なんなのよう、この大きなものは」

 そして、ぼおん、と空間が地響きを起こし、雨師が姿を現した。

 距離は先ほどの風伯より、ずっと離れている。

 そうであるのに、目に映る雨師の姿は、風伯よりも、はるかに大きい。

 身の丈百メートルを超える巨大な神霊。

 それが雨師だった。

 伸び上がった長い頭の頂上付近には髪がない。

 体には仙人の着るようなさらさらの長衣をまとっている。

 白い雲に乗っており、ぐねぐね曲がった長い木の杖を右手に持っている

 白い口ひげと顎髭が上品だ。

 長い口髭は、まっすぐに垂れ下がり、腰のあたりまで届いている。

 やせた老人のような風貌で、表情はやさしい。やわらかな笑みさえ浮かべている。

 だが、この老人こそが、最強の神霊なのだ。

 いったん消えたから、もう現れないんじゃないかと、いつのまにか思い込んでいた。いや、そう期待していた。

 だけど現実は、そんなに甘くなかった。

 同時には出せないから、風伯を出すために、一度雨師を引っ込めた。

 だけど雨師は消滅したわけじゃなかった。ただ引っ込んでいただけだったんだ。

 だから風伯が消えた今、雨師は姿を現した。

 ぼくは、仲間たちをみわたした。

 片腕を失った和尚さん。

 法術攻撃をしようにも、あの高さじゃ届かないだろう。

 立つのもやっとの天子さん。

 爪の攻撃は使ってしまったから、もう何の攻撃能力も残っていない。そして切り札の障壁も、さっき風伯に破られた。もう強い障壁を張ることはできないだろう。張っても、この巨大神霊に太刀打ちできるとは思えない。

 びしゃんと大きな音がしたので振り向くと、和尚さんがぬれた大地に座り込んでいた。

 その目には、もう力がない。

 やっぱり右腕を失ったことは、大きな痛手だったんだ。だけど無理やりに平気な顔をして、みんなを励まし指揮を執ってきた。でも、その頑張りも、もう限界なんだ。

 天子さんの顔にも、もう燃え立つような気迫はない。悲しげで苦しげだ。

 童女妖怪は、とあたりをみたけど、童女妖怪がいない。

 いったいどこに消えたんだろう。

 雨が降り始めた。

 少しずつ勢いが強くなってゆく。

 雨師は静かに笑っている。

 その目線が屋根のない社殿に向いた。

 ひでり神さまをみてる。

 雨師にとっても、ひでり神さまは仇敵だ。

 その仇敵の上に、蕭々と雨を降らしている。

(この雨)

(この雨はおかしいぞ)

(体が)

(体がだるい)

 物音がしたので振り返ると、山口さんが倒れていた。

 この雨のせいだろうか。

 この雨には、命の力を奪うような、あるいは生き物を毒するような性質があるんだろうか。

 くらっとした。

 この雨の効果は、ぼくをもむしばんでいるようだ。

 雨師が笑っている。

 にこにこと笑っている。

 すうっと巨大な右手を差し伸べた。

 ひらひらと、長いたもとが揺れている。

 にぎった杖から、まばゆい光のようなものが生じた。

 水流だ!

 まるでさっきの水の竜のような。

 その水流は、転輪寺が吹き飛ばされた跡に着弾し、被害を受けていた転輪寺の跡を、さらに吹き飛ばした。

 なんという威力だろう。

 そしてこの巨神は、同じ攻撃を何度できるんだろう。

 もてあそんでいるんだ。

 いつでもお前たちを殺せるのだとみせつけて。

 次第に弱ってゆき、絶望してゆくぼくたちをみおろして。

 愉悦をかみしめているんだ。

 毒の雨は、ますます強くなる。

 もう、立っているのもやっとだ。

 建物のなかに駆け込もうにも、もう屋根もない。

 どこにも行く場所はない。

 何もできることはない。

 これで終わりなんだ。

 そう思ったとき、ぼくの心に怒りが湧いた。

(ふざけるなよ)

(これで終わりだって?)

(天子さんの)

(和尚さんの)

(羽振一族の)

(千二百年に及ぶ奉仕は)

(献身は)

(すべてむだだったっていうのか?)

(来る日も来る日も積み石を積み続けたひでり神さまの贖罪は)

(すべてなかったことにされるのか?)

(そんなこと)

(そんなこと)

(絶対に許さない!)

 東の空に、ちらりと光が差した。

 降る雨を通して、山の向こうのあかりがみえる。

 夜明けだ。

 日が昇ろうとしているんだ。

 ぽわっと光がともった。

 社殿の前の石の八足(はっそく)に光がともったのだ。

 そしてそこに、一個の白い石が生まれた。

 やわらかな光をまとっている。

(積み石だ)

(贖罪の石だ)

 一歩を踏み出そうとして、愕然とした。

 体が動かない。

 金縛りとかじゃなくて、動くだけの力がない。

 動こうとすると、関節がぎしぎしきしむ。

 それでも、ぼくは最後の力を振り絞って、八足に歩み寄った。

 そして積み石を右手でつかみとった。

 歩く。

 歩く。

 社殿の回りを歩いて、社殿の横に出る。

 そしてさらに歩く。

 あの角を曲がれば、社殿の裏側に出る。

 社殿の後ろには階段がある。

 その階段は、骨ヶ原(こつがはら)につづく唯一の道だ。

 ひでり神さまにしかみえない階段だ。

 だけど、今のぼくなら。

 真眼持ちのぼくが意識を集中するなら。

 きっと階段がみえるはずだ。

 そう信じて最後の角を曲がった。

 あった。

 階段があった。

 ぼくは泣いた。

 そこに一しずくの希望が残されていたことを知って泣いた。


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