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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第17話 風伯(ふうはく)
84/90

中編2

5


 天空には黒雲が渦を巻いている。

 まだ夜は明けていないはずなのに、山の向こう側がぼんやり光っていて、変わり果てた村のようすが目に飛び込んできた。

 水だ。

 あたり一面の水だ。

 地守神社の正面には広々と田んぼが続いている。

 その田んぼが完全に水没している。

 家々は、水のなかから突き出ている。家によっては床上まで漬かっているかもしれない。

 なんということだろう。

 まるで村がそのまま海になったかのようだ。

 ひどく暗いので、被害のようすをはっきりみさだめることはできない。

 だが尋常でない災害が今村を直撃しているのはまちがいない。

 水はごうごうと逆巻いている。

 異常な量の水が、村をひたしている。

 神社の前の道路は、まるで川だ。逆巻く川だ。

 川のようになった道路にあふれかえった濁流は、境内地の両脇に、だくだくと流れ落ちてゆく。

 今までの洪水のときも、こんな光景が現出していたんだろうか。

「堤が切れたのじゃな。まさか、こんな短時間にこれほどの雨がふるとはのう」

 天子さんだ。

 その横顔は厳しい。

「こ、こんなことって。こんな山の上の村が、こんなに浸水するなんて。こんなこと、あり得るの?」

 山口さんだ。ふかふかのダウンのジャンパーを着ている。鮮やかな赤色のジャンパーなのに、後ろから差してくる懐中電灯のあかりに照らされると、なぜかどす黒くみえる。

「天子さん」

「どうした、鈴太」

「村にあかりがみえない。どの家も真っ暗だ」

「うむ。停電したのであろうな」

「あれ? 何か聞こえない?」

 ごうごう、ごうごうという、不気味な音が聞こえる。

 少しずつ音は大きくなる。

「何の音じゃろうなあ」

 和尚さんにわからないものが、ぼくにわかるはずがない。いったい何が起きようとしているんだろう。

 ごうごう、ごうごうという音は、ますます大きくなってくる。

「何が、何が起ころうとしているんだ?」

 ぼくが思わず声を上げた、その次の瞬間。

 どどーんと、地を破るような音がした。

 一匹の竜が天逆川の上流から飛び出して、転輪寺のある高台に襲いかかる。

 そして水がはじけて高台の上部を砕き飛ばした。

「水じゃ! 濁流が空を飛んだのじゃ!」

 和尚さんに言われて気がついた。竜のようにみえたのは、水だったのだ。濁流が川を飛び出し、そのまま一本の巨大な水柱となって宙を飛び、転輪寺を直撃したのだ。あそこに和尚さんがいたら、命はなかったろう。

 それにしても、これが、雨師と風伯の攻撃なのだろうか。なんというすさまじい攻撃だろう。今までの妖怪にも驚いたが、これはけたがちがう。まさに自然災害そのものだ。

 こんな攻撃を、ぼくたちは耐えきることができるんだろうか。


6


 少し落ち着いてくると、暗いなかだけど、辺りの光景が段々はっきりみえてきた。

 よくみると、この境内地に降っている雨は、村やその向こうの山々に降っている雨より、明らかに勢いが弱い。ここが雨や風を和らげる結界を持っているという事実を、まざまざと実感した。

 ごうごう、ごうごうという音が、またも響いてきた。

 音は段々大きくなる。

 そしてどごーんという破裂音とともに、二匹目の竜が川から飛び出した。今度の竜は、ぼくたちに横腹をみせて、左のほうに飛んで行く。長く続く巨大な水流は、本当に竜そのものだ。そして二匹目の竜は、有漢地区の南の端のほうに着弾して、山や家を吹き飛ばした。

 ひでり神さまの家が直撃されたんだ。

 そしてその近くには、山口さんの家もある。

「あたし、ここに来たおかげで、命が助かったのね」

 呆然とした声で、ぼそりと山口さんが言った。

「山口の家は直撃されてはおらんようじゃ。しかし、土砂はかぶったであろうな」

「和尚さん」

「どうした、鈴太」

「こんな攻撃を、いくらでも繰り返せるとしたら、村は壊滅してしまいます」

「落ち着け」

「でも」

「わしも驚いた。しかし、雨師と風伯の力は想像を絶するものであるにせよ、天逆毎(あまのざこ)の妖気は有限じゃ。これほどの攻撃を、何度も繰り返せるとは思えん。おそらく、あと一回が限度じゃろう」

「あと一回?」

「長壁!」

「はいです」

「〈探妖〉を頼む」

「はいなのです」

「範囲は雲の上に届くほどの広範囲となるが、できるか?」

「相手が強力な妖気の持ち主ならできますです」

「対象は、雨師と風伯じゃ。極めつけに強大な妖気の持ち主じゃぞ」

「できます」

「和尚さん!」

「鈴太、どうした」

「今どうしてそんなむだを?」

「何がむだなのじゃ」

「だって、雨師や風伯の位置がわかったからって、何にもならないじゃないですか」

「位置が知りたいのではない」

「え?」

「おるかおらんかが知りたいのじゃ」

「えええっ?」

 だって敵の総大将である天逆毎が、雨師と風伯を呼び寄せて雨と風で攻撃すると言ったんだ。本人がそう言ったんだ。

「長壁、頼む」

「はいです」

 童女妖怪は、どこからともなく御幣を取り出し、さささっと左右に振った。気のせいか、今日は元気がいいような気がする。

「わかりました!」

 はやっ。

「うむ。どうじゃった」

「ちょうどこの地点の真上、上空一万五千メートル地点に雨師がいます!」

 一瞬、数字を聞きまちがえたのかと思った。

 だけど、そうじゃないんだろうな。

 この童女妖怪は、とんでもない能力を持っているんだ。

「うむ。台風の上じゃな。風伯はどうじゃ」

「いません」

「えっ?」

 ぼくは思わず声を上げた。

「風伯がいない?」

「いないのです」

「探知範囲外にいるんじゃないか?」

「むっ。失礼です。今、日本本土上空には、風伯はいないのです」

 日本本土上空とは、ずいぶん大きく出たものだ。

 しかし、風伯がいない?

 いったいどういうことだ?

「ふん。そんなことではないかと思うたわ」

「法師どの。説明してもらえるかの」

「風伯がいるにしては、風が弱すぎる。これは普通の台風の風じゃ。それも大した勢力のない台風のな」

「そういわれればそうじゃな」

「そもそも、天逆毎の持つ妖気で、雨師と風伯を同時に呼び出せるという話がおかしい。きゃつが一度に呼び出せるのは、雨師か風伯、どちらか片方だけなのじゃ」

 そんなことがあるんだろうか。

 でも、考えてみれば、二柱の神霊を同時に使役する、などとはひと言も言っていない。そして、現に雨師しか出現していない。

「あれ? しかし、この台風は異常な速度を出してたし、驚異的な勢力も持ってたはずじゃあ」

「そこは、雨師と風伯を、うまく使い分けておるのじゃろう。とにかく、雨師が顕現しておるあいだは、風の心配は無用じゃ。むっ」

 ごうごう、ごうごうという音が、またも響いてきた。

 段々強くなる。

 ますます強くなる。

 破裂音とともに、三匹目の竜が出現した。

 そしてその食いつく先は……

「鈴太さんのおうちが!」

 この位置からでは、はっきりとはわからないが、空中に伸び上がった巨大な水流が着弾したのは、確かにわが家のあるあたりだった。

 〈四宝堂〉は壊滅したろう。筆も墨も、おじいちゃんが書きため、収集した書の数々も。

 だけど〈はふりの者〉が伝えてきたお社は無事だ。今、この神社に持ってきている。おじいちゃんと父さんと母さんの霊璽も無事だ。そのことがうれしかった。

「さてさて。四発目を打つだけの力が残っておるかどうかじゃて。天狐よ」

「法師どの。何か」

「あの水の竜が、この神社に襲いかかったとして、この神社の結界は、それを防いでくれるじゃろうか」

「防がんであろう」

「そうじゃな。では、お前の結界で防げるか?」

「この場所で、一度なら防げると思う」

「よしよし。やはりここに避難して正解であったな」

「天子さん。この神社だと、結界が強くなるの?」

「うむ。一つには、わらわが独力で結界を張るのでなく、この神社の結界を補完する形で結界を張ればよい。一つには、境内をおおう樹木には、わらわが長い時間をかけて霊気を込めてきておる。それがわらわを助けてくれる。そして何より」

 天子さんは、顔をぼくのほうに向けて、にっこり笑った。

「おぬしがそばにいてくれるからのう」

「えへん。えへん」

「風邪か、山口? 寝袋に戻るがよい」

「神社の外では神霊との戦いが、神社のなかでは女同士の戦いが繰り広げられているのです」

「あっ」

「どうしたのじゃ、鈴太?」

「油揚げがない」

「ええええええっ?」

「持ってくるの忘れた」

「負けた。戦ってなかったけど、あちしは敗北したです」

 童女妖怪が、がくっと床に突っ伏した。

「油揚げがどうしたの?」

「童女妖怪は、油揚げが好物なんです」

「あらあ、そうだったの」

 そのとき、またもや、ごうごうという音が響いてきた。

 音は段々強くなる。強くなるが……

「この音、さっきよりは弱いわねえ」

 今までの三回に比べ、格段に音が小さい。

 そして四匹目の竜が天逆川から飛び出した。

 まっすぐこちらに向かっている。

 そして天子さんが張った結界に衝突した。

 どどどどどど、とすさまじい轟音が響き続ける。

 最初は思わず目を閉じてしまったが、たたき付けられ続ける水の暴力を、ぼくは自分の目で確かめた。

 その音が止まった。つまり水の竜の攻撃が終わった。

 天子さんは前方に突き出していた両手を下げた。

「ふう。恐るべき圧力であった。もしも転輪寺を襲ったような大きな竜が最初にここを襲っておったら、押さえ切れなんだやもしれぬ」

「ふむ。戦いの流れは、こちらに傾いておるのう」

 そうだ。和尚さんの言う通り、これは戦いだ。防衛戦という戦いだ。

 こちらからの攻撃手段はないけれど、防ぎ続ければ敵は滅ぶ。

 戦いには迷いや疑いや不安が最も悪い。

 和尚さんが、わざわざ〈探妖〉をさせたのも、たぶんそのためだ。

 相手の手の内を読み取って解説してくれるのも、たぶんそのためだ。

 敵の状態を正しく知り、敵の攻撃を正しく予測することで、こちらの精神的な負担はぐっと軽くなる。味方の心を強くするのも戦いなんだ。


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