中編1
3
「鈴太よ。どういうわけで、あの女狐を連れてきたのじゃ」
「狐だと同族になっちゃうよ」
「揚げ足を取るでない。なぜあれを連れてきたのじゃ」
「連れてきたというより、勝手についてきたんだよ。文句があるなら本人に言って」
天子さんは、それ以上ぐだぐだ言わず、荷物を段ボール箱から取り出し始めた。
ぽつぽつと雨が降りだしている。暗くなってしまう前に荷物を整理して使いやすい状態にしておかなくてはならない。
祭壇も整理した。鏡や唐櫃は八足から降ろして段ボールに入れた。榊の花活けなど割れやすいものは新聞紙で包んで段ボールに入れた。食品はビニールに包んでわかりやすい場所に置いた。簡易調理器具や食器もひとまとめにした。懐中電灯は、一つを残してガムテープで固定してつけっぱなしにした。乾電池の数はじゅうぶんに足りている。布団は敷きっぱなしでいい。山口さんは、寝袋を持参している。
和尚さんは、ぼくと山口さんが到着する前に、神社に来ていた。
オーバーコートのようなものを羽織っていて、右腕がないことは、ちょっとみただけではわからない。山口さんは、右腕がないことに気づいたけど、特に事情を聞き出そうともしなかった。和尚さんは、作業は手伝わず、部屋の隅でじっと瞑想している。
山口さんは、意外な手際のよさを発揮して、荷物の整理を手伝ってくれた。正直、大いに助かった。
「よし、と。こんなところね。それにしても、艶さん。全然目を覚まさないけど、お医者さんにはみせたの?」
「山口さん」
「はあい。なあに、鈴太さあん」
「艶さんは、人間じゃないんです」
「おい、鈴太」
「天子さん。いいんだ。艶さんは、食事もしなくていいし、排泄もしません。今はある事情で力を失って眠ってます。いずれ目を覚ましてくれると思うけれど、それがいつのことになるのかはわからないんです」
「わかったわ。二つだけ教えて」
「二つ? うん。答えられることなら」
「あなたは人間ね?」
「うん。ぼくは人間です」
「これから、何が起きるの?」
「……今こちらに近づきつつある台風は、雨師と風伯という敵が操っているんです。つまり敵の攻撃です。その攻撃をしのぎきれば、こちらの勝ちです」
「わかった。もうよけいなことを訊いて手間をとらせたりしない。あたしにできることがあったら、何でも言ってちょうだい」
「ありがとうございます。特に今のところ指示はないです。できることを何でもしてください」
そのとき、ラジオが台風情報を告げた。
「さらに勢力を拡大しつつある台風二十二号は、急激に速度を上げており、夜明け前には、岡山県全体が暴風域に入る見込みです。通常、台風が速度を上げるときには小型化するものであり、気象庁によれば、今回の台風の動向は説明がつかないとのことです」
4
その後台風はますます速度を上げた。
雨も強くなってきた。もう外は真っ暗だ。
風がびゅうびゅう吹き寄せる。風に吹かれて木々が上げる音がやかましい。
この神社の境内の周りには、びっしりと樹木が植えられている。だから横から吹いてくる風はさえぎってくれるんだけど、上から吹き下ろしてくる風は社殿を直撃する。密閉した造りとはいえないから、隙間から風が吹き込んでくる。石油ストーブを持ち込んでいなかったら、かなり寒い思いをしなくちゃいけなかったろう。
夕食は、パンと、カップ麺と、ドーナツだった。電気の湯沸かし器が使えないのは残念だけど、カセットコンロのボンベはたっぷりある。石油ストーブの上にも水の入ったヤカンを置いてある。
「カップ麺が宙に浮いて、中身が段々減ってるのは、どういうわけなの?」
「あ、そこに一人妖怪がいるんです」
「ちょっとサイズの小さな妖怪よね?」
「童女サイズですね。十二単を着たかわいらしい女の子の妖怪ですよ」
「あちしのかわいらしさに、ようやく気がついたですか」
「そういう言い方をしとけば、怖がらせずにすむだろう」
「仲がいいのね」
「いえ、全然」
和尚さんは、カップ焼きそばと、コーンビーフの缶詰だ。これなら床に置いて食べられる。フォークを使って、左手で食べている。
「さて、コーヒーをいれようかしらね。あ、紅茶がいい人がいたら言ってね」
「わらわは紅茶じゃ」
「りょうかーい。あ、女の子妖怪さんは、コーヒー? 紅茶?」
「油揚げがいいって言ってます」
「まあ、ひどい。鈴太さあん。小さな女の子をいじめちゃだめよ。和尚さんは、コーヒーにしますか? 紅茶ですか?」
「コーヒーをもらおう」
温かいコーヒーは、心も温めてくれる。
強くなる雨の音、がたぴしと建物が風を受ける音、木々が風に吹き付けられる音、ストーブの上でヤカンがしゅうしゅうと湯気を立てる音を聞きながら、ふしぎにゆったりした時間が、社殿のなかを流れていった。奇妙なもので、音というのはずっと聞いていると慣れてくる。激しい風音も、もうあまり気にならなくなってきた。
「ますます速度を上げておるようじゃな」
「夜中過ぎには、ここらも暴風域だね」
「鈴太よ、横になって休め。山口もじゃ」
「え? まだ眠くないです」
「それは気が張っておるからじゃ。今起きておってもすることはない。べつに眠らなくてよいから横になれ。体力をたくわえるのじゃ」
「はい」
「じゃ、あたしも遠慮なく、休ませていただきますわね」
「これ、寝袋を鈴太の横に移動するでない」
「山小屋では身を寄せ合って温め合うものなのよ」
「どこが山小屋じゃ」
真夜中になるころ、羽振村は暴風雨圏に入ったみたいだ。
外をみても、まっくらななかに、ざあざあと雨ばかりが降ってくるので、何がなんだかよくわからない。
ただ、風は少し静まっているように思った。
山口さんは、ひでり神さまにつきっきりで、汗をふいたり、手をさすったりしている。
ざあざあと、雨は降り続けた。
雨の音を子守歌に、うつらうつらとしていた。
どれほどそうしていたろうか。
遠くでどごおおん、という音が響き、少し遅れてびりびりと建物が震えた。
「む」
和尚さんが立ち上がった。そして社殿正面の扉に歩いてゆき、扉を開けた。
とたんに強い風が吹き込んでくる。
「きゃああ」
山口さんが悲鳴を上げた。
ぼくも起き上がって扉のほうに歩く。
そこには異様な光景が広がっていた。




