前編
1
和尚さんは、自分の荷物は自分でまとめて直接神社に行くというので、ぼくは天子さんと一緒に転輪寺を出た。
予報では明日の昼にも台風が来るはずだけど、そんなことが信じられないくらい、からっと晴れて、空は青い。とても深い秋の空だ。
「天子さん。ぼくたちは神社に避難するんだね」
「うむ」
「村の人たちには声をかけなくていいんだろうか」
「声をかける、とは?」
「むかし洪水が起きたときには、村人はみんな地守神社に避難したそうじゃないか」
「時代がちがう」
「それはどういう意味?」
「もともと天逆川は、この里の手前で大きく曲がっておって、大水が出たときには決壊しやすいようになっておった」
「うん。それは知ってる」
「さらに二本の支流がこの村に流れ込んでおった。それは、ふだんは里人の暮らしになくてはならぬものであったのじゃ」
「うん」
「じゃが、今は水道がある。ゆえに支流は必要なくなり、代わりに一本の用水路だけが残された」
「うん」
「大きな土木工事が、比較的容易にできるようになり、川の流れは修正され、高い護岸が築かれた」
「そうなんだね」
「じゃから、昔のような洪水は、まず起こらぬ」
「そうか、安心なんだね」
「まあ、絶対に堤が切れぬとはいえぬが、よほどのことがないかぎり、だいじょうぶじゃ。そして今度の嵐はそう何日も続くものではないから、さほどに川の水量は増えぬであろう」
「そういえばそうだね」
「それに人々の家も暮らしぶりも、昔とはちがう。堅固な建築となり、二階建ての建物も多い。電気もないような不自由な木造の古い神社に避難せよと言うても、誰も来ないであろうなあ」
「そうか。そうだね」
「じゃが、先ほど法師どのが言ったように、あのかたの家と、転輪寺と、おぬしの家は、狙われるかもしれぬ」
「うん。どうやって狙うんだろう」
「それはわからぬ。結界があるから、法術による攻撃は届かぬはずじゃ。しかし風や水は結界を素通りするからのう」
「そこも訊いておけばよかったね。ごめん」
「いや。おぬしは見事に敵の正体と現状を暴き出した。あれ以上を望むのは無理というものじゃ」
「でも、攻撃方法を詳しく訊いておかなかったのは、失敗だった」
「無理をして、敵に魂降ろしじゃと気づかれておったら、取り返しのつかぬことになったかもしれぬ。上出来じゃろう」
「ううーん。雨と風か。待てよ、あのとき天逆毎は、〈いまいましいものは何もかも、雨で押し流し、風で吹き飛ばしてくれる〉って言ってたよなあ……。天子さん」
「うん?」
「神社には結界があって、強すぎる雨や風は通さないんだよね?」
「そうじゃ。じゃから大災害のときの避難所ともなったのじゃ」
「ならやっぱり、村の人たちを避難させたほうがいいんじゃない?」
「というても、村人全員が立ち入れるほどの広さはないし、社殿に入れる者となると、さらにわずかじゃ。食事などの問題もある。家に閉じこもっておったほうが快適であろうなあ」
「……そうか。そうだね。雨師と風伯が襲いかかってくるとは言えないしね」
「言っても信じないであろうな」
「天子さんは、自宅に荷物を取りに帰らなくていいの?」
「うむ。二日や三日なら、何も問題はない。少々の着替えなどは羽振家に置いてあるしの」
「そうか。それにしても、ひでり神さまをどうやって移動しよう」
「ふむ。その答えが向こうから来たぞ」
何のことだろうと思うと、家の前に車が止まっているのがみえた。
大きな乗用車だ。アメ車っていう感じだな。
この車にはみおぼえがある。
写真だ。
佐々成三さんの遺品のアルバムでみた。
写真のなかでは、この車の前で、少年時代の成三さんが、父親の耀蔵さんと笑い顔で写っていた。
耀蔵さんが訪ねてきてくれたんだ。
2
「おい、大師堂。艶ばあさんを引き取ったってえじゃねえか」
「うん、まあ、一時的にですけど」
「あのばばあは独り身だもんなあ。えれえ。おめえはえれえよ」
「いや、あの。そういうわけでもないんですけど」
「なんでも、艶ばあさん、寝たきりになっちまったんだってえ?」
「そんな話、どこから?」
「いやまあ、村内の噂でよう」
「秀さんですね」
「う、ま、まあな」
「それで、何かご用でしたか?」
「それよ。寝たきりのばばあ抱えてよう、困ってんじゃねえかと思ってよ。何しろ明日来る台風は、記録破りの大型台風みてえだぜ」
「ここに着くころには、さらに大型になってるでしょうね」
「お? そんなこと、わかんのかい?」
「ただの勘です」
「さすが大師堂だな。なんか俺にできることがあったら手伝わせてくれ」
耀蔵さんて、ほんとに義理堅い人だ。
「助かります。実は、地守神社に避難するつもりなんです」
「はあ? だっておめえ、あんな吹きっさらしだぜ? 電気も通ってねえ。煮炊きする道具だってねえ。雨風だって、どのくれえ防げるもんやら」
「耀蔵さん」
「おう」
「あなたを男と見込んで頼みがあります」
「お、おう! 引き受けた!」
「とにかく神社に行かなきゃならないんです。何にも言わずに、移動を手伝ってください」
「ぃよっしゃ! 俺に任せとけ!」
それからあわただしく荷物を積み込んだ。
まず一度神社に行って、布団や衣類、タオル類、それに水や缶詰と懐中電灯などを降ろした。水はポリタンクで運んだし、ミネラルウォーターも十本あった。
次にひでり神さまを乗せて移動した。天子さんは、ひでり神さまに付き添ってもらうため、神社に残した。
そして最後に、食品や、もろもろの物を詰め込んで運ぶ。
荷物を詰めているとき、神棚が目に入った。
ちょっと迷ったけど、わが家のお社も、童女妖怪のお社も、地守神社に持っていくことにした。おじいちゃんと、お父さんと、お母さんの霊璽も箱に詰めた。その前に置いてあった水虎の毛玉二つは、ジャンパーの左右のポケットに押し込んだ。手を入れると、ほかほかとして温かい。
せっせと荷造りしていると、訪問者があった。
「あらあ? どこに行くのかしらあ」
「山口さん、どうしたんですか、こんな日に」
「こんな日って、どんな日?」
「嵐が来ます」
「知ってるわ」
「……こんなやりとりも、何かの映画にありましたね」
「ふふ、話が通じてうれしいわ。やっぱり私たち、ベストカップルね。こんな日だから来たのよ。カップル麺を買い占めにね」
「カップ麺ですか。好きなだけ持っていってください。お代は一個一律百円にしておきます」
「どこに行くの?」
「地守神社です」
「あたしも行くわ」
「……へ?」
「あたしも行く、って言ってるの」
「な、何のために?」
「一つ。鈴太さんが嵐に備えて地守神社に避難するということは、地守神社には、何か特別な守護があるのよ」
「……」
「二つ。艶さんも連れていくんでしょう」
「ええ」
「女手があれば、何かと便利よ」
「……」
「三つ。吊り橋効果って、知ってる?」
「やっぱり来なくていいです」
「ひどいわ、鈴太さん。自分だけ安全な場所に避難して、あたしには死ねというの?」
「いや、山口さんの住んでる場所、高台じゃないですか。家も新築で立派な造りだし。この村で一番安全な場所の一つじゃないですか」
「ならどうして、艶さんの家に避難しないの?」
「う」
「あそこも高台で、小さいけれど家の造りは、すごくしっかりしてる。電気もガスも水道も完備してる。ソーラーシステムまであるから、停電にも対応できるわ」
「よくご存じですね」
「とにかく女の勘よ」
「え?」
「今回は鈴太さんと一緒にいるべきだって」
わけがわからない。だけど押し問答してる時間がもったいない。
何より、この人は、ぼくたちが妖怪を相手にしてることを知ってる。つまり、あんまり遠慮が必要ない。村に家族や親族もいないから、話が漏れる心配も少ない。というか、この危機が乗り切れれば、人の噂とか何とかいうようなものは、もうどうでもいい。
「耀蔵さん」
「おう」
「まことに勝手を言いますが、一度山口さんの家に寄ってもらえますか?」
「おう。いいけどよう。この女、おめえの何なんだい?」
「店のお客さんです」
「恋人よ」
「おいおい、山口さんよう。大師堂とは、うちの姪っ子が付き合ってるんでえ」
「付き合ってません」
「まとわりつかれてるだけよ」
「なにおう!」
「けんかはあとにしてください!」
「お、おう」
「ごめんなさいね、鈴太さあん」
「後部座席に詰めるだけの荷物しか運べません。山口さん、いいですね」
「上等よ。何とかするわ」
結局、車は、わが家から運び出す荷物で一杯になってしまい。山口さんの家には別途往復してもらうことになった。山口さんが着いたときには、空は薄暗くなっていた。




