中編3
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「昨日、お見合いばばあが来たのよ」
「山口さんのお父さんの妹さんの旦那さんのお母さんですね」
「よく覚えてたわね。そのばばあよ」
「まさか、あんな目に遭わされたほうがこちらに来るとは、驚きです」
「あたしも驚いたわよ。でも、玄関先で、あの強情もんがいきなり頭を下げたのには、もっと驚いたけどね」
「えっ? 頭を下げたんですか?」
「そうよ。悪かったって。そんなこと絶対に言わない人だと思ってた」
「何があったんでしょう」
「見合いというか、見合いをさせられそうになった相手の男性がね」
「えっ?」
「うちの父に手紙を出したんだって」
「それは、また」
「申し訳ないことをしたという、おわびの手紙をね」
「……それを山口さんにではなく、お父さんに出した、というところがいいですね」
「あたしもそれには感心したわ。とにかく父はその手紙で事情を知って、母さんに雷を落としたらしいわ」
「え? あ。ということは、見合い話をお父さんは知らなかったんですね?」
「そうなの。いえ、それは、こっちに帰ってくるときのやり取りで、そうじゃないかとは思ってたんだけどね」
「はあ」
「母は、結婚以来はじめて父に怒鳴られたらしく、見合いばばあの家に乗り込んで、直談判したの。話がちがうじゃないかって」
「話がちがう?」
「そうなの。見合いばばあは、あたしが若い身空で未亡人のままなのはよくないから、見合いをしてみる気になるように説得する、と母には言っていたらしいの」
「あちゃあ」
「それがいきなりの見合いでしょう。こんなことをして娘がかたくなになったらどうしてくれるんだと、母は見合いばばあを責め立てたらしいわ」
「それはまた」
「でも、そんなことで動じるばばあじゃないからね。ところが、見合いばばあのご主人が、これを知って怒り出したの」
「うわ、そこに話がいくんですか」
「謝ってこい、さもなければ離縁するとまで言ったらしいわ」
「なんか、とんでもなくおおごとになってきてませんか?」
「ばばあも気性が激しいからね。すぐに岡山市内に宿を予約して、熊本から車でここまで来たってわけ」
「えっ? 山口さんに謝るためですか?」
「いいえ」
「話がよくわかりません」
「ご主人に責め立てられて、かっとなって家ば飛び出してきたばってん、はらわたは煮えくり返っとるとよ」
「えっ?」
「あら、ごめんなさい。とにかく、謝るつもりなんか毛頭なかったの。むしろあたしに謝らせるつもりでやって来たらしいわ。ところが、この村に来てみて、ばばあの気持ちは、ころっと変わったの」
「えっ?」
「カーナビに従って村には入ったけれど、示されている道は、大型乗用車じゃ通れない。この村は自分を馬鹿にしてるのかと癇癪を破裂させていたとき、一人の青年が通りかかる」
「通りかかりましたね」
「外面を繕って、この上にあがる道はないのかと訊いてみた」
「訊きましたね」
「でも、その時点では、道があるとは思ってなかったの」
「え?」
「道までが自分を拒否したという確認が取りたかったのね」
「え?」
「そしてその腹立ちを持って熊本に帰るつもりだった」
「よくわかりませんが、なんかすごい気性ですね」
「そうよ。とんでもないばばあだわ」
「と言う山口さんの口調が楽しげなのは、なぜなんでしょう」
「味方にすれば、とんでもなく心強いばばあだからよ」
「はあ?」
「とにかくばばあは、通りがかった青年に、上にあがる道はないかと訊いた」
「訊きました」
「すると青年は、道はある、と答えた」
「ちょっとちがうような気がする」
「そしてみずから先導して、ばばあを正しい道に導いた」
「何かがちがう」
「青年は、思いもよらない場所を通らせ、この道を行けば目的地に着ける、と教えた」
「うーん。微妙にちがうような気がする」
「そのとき、ばばあは気がついた。この場所は、とても美しい場所だと」
「ああ。たまたま絶好のロケーションだったんです」
「今までは、風景なんか目に入らなかった。だけど、そのとき目に飛び込んできた光景は、なんともいえず、懐かしく、慕わしいものだった」
「ちょっと脚色が入ってませんか?」
「青年は、山と森と川について、くそばばあに教えた。くそばばあは、この村が素晴らしい場所なんだと気づいた」
「気に入ってはいたみたいですけどね」
「そのときばばあは、真理を知ったのよ」
「真理?」
「道はない、と自分は思っていた。だけどそれは自分が思い込んでいただけで、本当は道はあったのよ。道は開かれていたの」
「それ、何かの映画じゃなかったですか?」
「そしてこの村こそ、傷心の美女が心を癒して立ち直るにふさわしい場所だと知ったのよ」
「すごい思い込みですね」
「ばばあは思い込みの強いおごじょなの」
「それはおごじょ全般の特性では?」
「とにかく、あたしの顔をみたとたん、ばばあは頭を下げて謝ったの。そんなことをする自分自身に驚きながらね」
「で、和解したんですか?」
「意気投合したの」
「はあ?」
「この村の素晴らしさに。そしてそのことを教えてくれた青年の素晴らしさにね」
「ちょっと待ったあ!」
「ばばあは残念がっていたわ。あの青年が、もう少し年上ならって」
「あ、そうですか。それはよかった」
「だから、実は青年が二十五歳で独身だと聞いて、びっくりして、そして喜んだわ」
「は?」
「それなら、あたしとほとんど年がちがわないわけだし」
「誰が二十五ですって? ぼくは十八歳ですよ?」
「山男に街で会うと、何歳か老けてみえるっていうでしょ。山であった素敵な青年は、実はもう少し年がいっているものなの」
「それ、ちがいます。事実をねじ曲げています」
「いいのよ、事実は、この際。あのばばあが納得してくれれば、それでいいの」
「問題を後回しにしてるだけですよ、それ。しかも事実がばれたら、どう収めるんですか」
「年齢のことなんか問題にならないくらい、その青年が素晴らしければいいのよ」
「へ?」
「実際、ばばあは、大変な財産を持つ家の若き当主なのに、ふるさとを愛し、人の役に立つ仕事に汗水たらす青年に、感激していたわ」
「もともと、すごい貧乏人なんですが」
「しかも、三山どころか、村の三分の二ほどを所有し、そのほかにも多額の財産を持っている青年なんですもの」
「なんでそんなこと知ってるんですか」
「とあるおばあさんの情報網よ」
「秀さんですね」
「さあ、どうかしらね」
「そしてそれを山口さんが、萬野銀子さんに吹き込んだと」
「あら、もう名前を知ってるのね。とにかく、その青年が、あたしの傷心をなぐさめてくれているのよ」
「慰めた覚えはないんですが」
「あたしがなぐさめられてると感じてるのは事実なの」
「それで、どうなったんです?」
「くそばばあは、あたしがこの村で暮らすのがあたしのために一番いいんだって納得して、帰っていったわ。そのことを、熊本でもみんなに説明してくれると思うわよ」
「それはよかった……のかな? ぼくについての誤解はどうなるんですか」
「誤解って?」
「ぼくが二十五歳で大金持ちで、そして山口さんの傷心を慰めていて、そして……」
「そして?」
「まさかと思うけど、山口さんの再婚相手の候補になってるってことです」
「それは誤解なのかしら」
「もうそのへんにいたせ」
「あら、いたのね、天子さん」
「最初からここにおったではないか」
「忘れてたわ」
「鈴太よ」
「な、何でしょうか」
「このおなごが妖婦であることを、しかと知ったかえ?」
「ちょ。妖婦って何よ」
「嘘八百を並べ立て、自分の都合のよいように人を惑わし、操る。妖婦でなくて何じゃ」
「妖艶で知的な美女よ」
「聞いてあきれるわ」
こんなぶっとんだ会話があった。
それでもふしぎと、天子さんは山口さんを、出入り禁止にはしなかった。
山口さんは、毎日やってきては、ぼくの心をかき乱した。
あとで考えれば、それもよい気晴らしになっていたのかもしれない。
ともあれ、運命の日は近づいていた。




