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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第15話 方相氏(ほうそうし)
68/90

中編2

3


 昨日のことは、案外いい気晴らしになったようだ。

 朝起きてみて、自分の体から気負いがすっかり抜けているような気がした。

 そのぶん、疲れがたまっているのを感じもした。

 張り詰めたままではもたない。

 少しだらけた心持ちで、しばらく過ごそうと思う。

 仕事をしているとき以外は、少しぼうっとするようになった。

 そうしながら、書道のほうも、ぼちぼち続けた。

 「東西南北」の次は「春夏秋冬」で、その次は「花鳥風月」に進んだ。

 「花」も「鳥」もむずかしい。結局今のところ、まともに書けるようにはなっていない。

 「風」も簡単ではないけれど、少しだけコツがつかめた。

 「月」は、わりといい字が書けることが多い。ただし、一回一回、字の表情がまるでちがう。特に最後の横棒二本の入れ方は、全然安定しない。安定しないんだけど、不安定ながら面白みがあるように、自分では思う。一本目を書いたときに、必然的に二本目の位置は決まる。それが感じられる程度の感性は持ち合わせていたようだ。

 その次は「雨香雲淡」に取り組んだが、これはなぜかすぐに卒業になった。といっても仮免のようなものだけど。

 そして、「竹深荷浄」を練習している。「竹」という字は面白い。

 「深」はむずかしすぎて、全然手に負えない。けれど字を書くのは楽しい。

 筆先の入れ方ひとつで、筆画の表情はまったくちがうものになる。まっすぐに引いた線でも、力の込め方によって千差万別の姿になる。これはボールペンや鉛筆では味わえない世界だ。


4


 山口さんとの関係は、奇妙な展開をみせた。

 いや、展開というのはちがうだろうか。

 混乱かな。というか、わけわからん。

 発端は、ある日の配達の帰りだ。

 角を曲がったところに、突然大きな乗用車が止まっていて驚いた。

 行き過ぎようとすると、助手席の女性が窓を開けて話しかけてくる。

「すいません」

 呼びかけられて、自転車を止めた。

「何でしょう」

 その女性は、ドアを開けて車から降りてきた。

 高そうな和服を着た、恰幅のいい年配の女性だ。

 恰幅がいいというのは失礼かな。

 べつに太ってるわけじゃない。

 だけど、何といえばいいんだろう。

 威風堂々とした美人さんだ。

 女丈夫とでもいうんだろうか。そんな言葉があるのかどうか知らないけど。

 とにかく、颯爽としててかっこいい人だ。

 車はすごく大きくて立派だ。上品な白い色をしている。

 車の鼻先のエンブレムが目に入った。

(ベンツだ)

(それにしても大きなベンツだなあ)

 運転席に座っている人は、いかにも運転手さんという感じだ。

「この場所には、どう行ったらよかですか?」

 差し出された紙切れには、山口さんの住所が書かれていた。

 それでわかった。

 今、車が止まっている場所を右に曲がると、有漢(うかん)地区に上がる。

 ただし、この道は細くて、歩くか、せいぜい自転車で通るのが精いっぱいだ。

 もう少し森に沿って進むと、車が入れる道がある。だけど、これだけ大きな車では、とてもその道は通れない。というか、曲がれない。

「こん上さん、どげんして上がるじゃろか」

「え?」

「ああ、失礼。この場所には、車じゃあ行けんですかね? カーナビじゃ出てこんようで」

「行けますよ。ちょっと言葉では説明しにくいので、ぼくについてきてください」

 自転車にまたがり、東のほうに走った。後ろから大きな車がついてくる。

 乾物屋の横を通り過ぎて少し行ったところで、草がまばらに生えた空き地を突っ切った。その向こう側に西に向かう大きな道がある。

 車は空き地のまん中で止まった。

 助手席から女性が降りてくる。

「なんちゅう雄大な景色やろか」

 ぼくも女性と同じ方向をみた。

 そこには雄大な三山(みやま)がそびえたち、秋の風を受けて悠然としたたたずまいをみせている。

「正面の山が蓬莱山(ほうらいさん)、右が白澤山(はくたくさん)、左が麒麟山(きりんざん)といい、三つあわせて三山と呼ばれています」

「みやま。うん。よか名ばい」

「三山に抱かれているのが樹恩(じゅおん)の森。この季節だと、絶品のキノコが採れるらしいですよ」

「じゅおんいうたら、どげん字ば書くとやろ」

「樹木の恩恵、と書きます」

「ああ、樹恩たいね。うんうん。ナバんごたる、いじいうまかばい」

「この村は、東北の方角を三山に守られ、南西には天逆川(あまのさかがわ)の豊かさがそそぎ込み、風光明媚な山里であるとともに、地相もすぐれています」

「そぎゃんね」

「空気は澄み切っており、星の美しさは例えることもできません」

「ほう。みてみたかね」

「古くには、ここは〈星見の里〉と呼ばれていたようで、陰陽道の聖地でもあったと聞いています」

「星見の里! まあ、なんちゅうロマンチックな名前じゃろか」

「白澤山の春の桜の美しさは格別です。はらはらと風に舞う花びらに包まれると、せつなくて、せつなくて、どうしていいかわからなくなります」

「あっちの山ばいね。ふうん。そらそうと、こん場所は私有地ごたるなあ」

「え?」

「あ、失礼。ここは私有地じゃなかですかね。通行してよかとですか?」

「そんなこといっても、この村には、そもそも私有地でない道なんか、ほとんどありませんよ。村役場の前から天逆川を通って町に続く道が村道ですが、あとは全部私有地です」

「ほんなごつね。なら、三山さんも私有地じゃろか」

「はい」

「へえ。どげん分限者がお持ちじゃろか」

「いちおう、羽振家の所有です」

「はぶり? 道理で羽振りがよかね。わっはっはっはっはっ」

「ははは」

「ところで、私は萬野銀子(まんのぎんこ)いいますけど、あんたさん、お名前は何といわれるじゃろか」

「羽振鈴太といいます」

「いうことは、三山を持っとるちゅう家のかたですか」

「まあ、いちおうそういうことです」

「ばってん、そげん分限者のお家さんなら、働かんでもよかでしょうに」

「うーん。実のところ財産は財団や弁護士さんが管理していて、ぼくは細かいことは知らないんです。それに、祖父が春先に亡くなって、ぼくはこの村に帰ってきたんですが、祖父がやっていた乾物屋を継ぎたかったんです」

「ほう。そぎゃんですか。乾物屋は楽しかですか」

「はい。必要とされる品物を必要とする人に売り、届ける。すごく楽しい仕事ですよ」

「じんな、前はどこにいなさったとですか」

「じんな? 東京です。練馬区に住んでました」

「ほう。東京から、ふるさとに」

 女性は再び視線を三山に送り、しばらくみとれていた。

「ほんなごつ、よか山、よか里、よか人たい。ほんな、よか」

「こん坂、じゃなくてこの坂を上っていって、上りきった右側にあるのがお訪ねの家です。家の手前に車を止める場所があります」

「そらまあ、たいぎゃご親切じゃ。だんだんなあ」

「お気をつけて」

 運転手さんも、車から降りておじぎをしてくれた。

 ぼくは内心どきどきしながら、熊本ナンバーの白いベンツを見送った。

(萬野、と名乗ったよな)

(山口さんの旧姓とはちがう)

(だからお母さんじゃない)

(誰だろう)

(わざわざ車でここまで訪ねてくるなんて)

(まさかと思うけど、もしかしたら)

 そのもしかしたらだった。


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