後編
9
「取りあえず、桃を手に入れなければならぬのう」
「あ、そういえばそうだね」
「一人に一個いるのじゃろうかなあ。それとも一個の桃で、全員を清められるのか。それはあのおかたに聞かなんだか?」
「あ、聞いてない」
「一人に一個とすると、谷本家の六人と、松本家の四人とで、十個いることになる」
「いや、谷本家の人の分は六個いるだろうけど、松本家の人の分はいらないんじゃないかな」
「うん? なぜじゃ?」
「だって、松本家の人の息は、黒くにごってなかったからね」
「何のことかわからぬ」
「え? さっき谷本家を訪ねたとき、お父さんも息子さんも、お母さんも娘さんも、口から黒い息をはいていたよね? あれは、邪魅の毒の息を吸わされた人だからなんじゃないの?」
「黒い息など、わらわにはみえなんだ」
「えっ?」
「長壁、そなたはどうじゃ」
「あちしにもみえなかったです」
「ええっ? あんなにはっきりみえたのに?」
「ふむう。まあよい。いずれにしても桃がいる」
「それと、天子さん」
「うん? 何じゃ」
「ほかの被害者はいないんだろうか」
「ほかの?」
「昨日の夕方から、邪魅は谷本家にいたらしいけど、その前にもどこかにいた可能性が、まったくないとはいえない」
「……そういえばそうじゃな」
「たぶん、誰かに会っていたとしても、毒の息を吸わせるには至っていないと思うんだけど、でもわからない」
「確かにそうじゃ」
「谷本家には六人しかいなかったけど、誰かが訪ねて来ていて毒の息を吸わされているかもしれない」
「ううむ。考えすぎであろう」
「そうだとは思うんだ。だけど確認したほうがいい。もし、取りこぼしがあったら、その人は死ぬまで毒の息を抱え込んでしまうよ」
「確認するといっても、どうやって確認できる」
「夜中を過ぎれば、また〈探妖〉が使えるんだよね」
「あ」
「おさかべは、実際に毒の息を吸った人をみた。それと同じものを体に取り込んだ人を探索すればいいんだ」
「……なるほど。その通りじゃ。長壁、できるか?」
「はいっ。できますです」
「よし。ならば帰ろう」
「先に転輪寺に寄って報告しなくていいかな」
「和尚は檀家の法事に出ておるはずじゃ。行くとしても夜になってからじゃな」
10
ぼくたちが家に帰るのとほとんど同時に、一台の乗用車が乾物屋にやって来た。
「あら、ちょうどよかったみたいね」
未成さんだった。
「次女の夫が笠岡農協に勤めててね、清水白桃を送ってくれたのよ。だからお裾分けに来たの」
「えっ?」
「ふふ。鈴太さんにはお世話になってるしね。これからも長い付き合いになりそうだし」
「妙なプレッシャーをかけるのはやめてください。白桃って、桃ですよね?」
「もちろん。桃のなかの桃よ。最高においしいんだから」
「いえ、おいしくなくても桃ならいいんです」
「なんか引っかかる言い方ね」
「今、とっても切実に桃が欲しかったんです。ありがとうございます!」
「あら、まあ。そう言われると、持ってきたかいがあるわ。本当は、もう白桃の旬は過ぎてるんだけど、最近、遅く完熟する白桃ができてきたらしいの」
「へえ。そうなんですか」
「もっとも今じゃ、真冬に熟する桃だってあるしね」
「ええっ? 真冬に桃ですか」
「そうそう。便利な時代ね。じゃあ、二箱置いていくわね」
こうして、三十個の桃を、ぼくたちは手に入れたのだった。
11
夕方に、一度ぼくは転輪寺に行ったけど、和尚さんはまだ帰っていなかった。
そして、午前零時を過ぎたとき、童女妖怪は〈探妖〉を使った。
「毒の息を帯びてるのは、六人だけなのです。一か所にかたまってます。昼間行った、あの家なのです」
「よし。では、行こうかの」
「ええっ? 真夜中だよ?」
「うむ。それはわかっておる。しかし、眠らせた者たちが、いつ目覚めるかわからぬ。それに、本当に桃で毒の息が抜けるかどうか、早く確かめる必要がある。松本家のほうも、いつまでも放ってはおけぬ」
「確かにそうだね。じゃあ、行こうか」
「長壁」
「はいっ。お守りに入りますです」
「頼む」
12
谷本家に上がり込んだぼくたちは、堂々と電気をつけ、奥の座敷に移動した。
ここに六人を寝かせておいたんだけど、みんなそのまま寝ていた。
ぼくは桃を一個取り出して紙包みを取り、ご主人の鼻先に突き付けてみた。
するとしばらくして、黒いもやもやした塊が鼻から噴き出して、体の外に飛び出した。
ふよふよと部屋のなかを浮遊していた黒い雲のようなものは、すっと壁に溶け込んで消えた。それは松本家のある方角だった。
同じ桃を、今度は奥さんの鼻先に近づけた。
やはりしばらくすると黒い雲が噴き出してきて、松本家の方角に消えた。
「鈴太よ。どうなのじゃ」
小さな声で天子さんが訊いてくる。
「え? みてたでしょ。大成功だよ」
「確かに、この二人からは、毒の息の気配が消えたです」
「なに?」
反応のおかしな天子さんは取りあえず放置しておいて、ぼくは残り四人の毒の息を追い出した。
「終わったのかえ?」
「うん。終わった。もうここの六人はだいじょうぶだ」
結局、桃は一個でよかったみたいだ。
「その通りなのです」
「ふうむ。では、わらわは松本家に行き、邪魅を始末してくる。表の田んぼの横の道で会おう」
「わかった」
月はほとんど満月に近い。とても美しく大きな月だ。そして星々は美しく輝いている。満天のほしのもと、ぼくは天子さんが仕事を終えて出てくるのを待った。
「待たせたのう」
「あ、お帰り」
天子さんは、〈隠形〉で身を隠し、松本家に忍び込んで、結界を解いて邪魅を滅ぼしたわけだ。たぶん、あの爪で切り裂いたんだろう。そしてすぐに〈隠形〉をかけ直し、家を出て、ここまで来たわけだ。
「すべては終わった。明日、一緒に法師どののもとに参り、報告をしておこう」
「うん」
「わらわはここから帰る。おぬしもここから帰れ」
残念ながら、月夜のデートとはいかないみたいだ。でも、天子さんも疲れてるんだろうから、しかたない。
ぼくは天子さんのそばに近づいて、顔を寄せた。
天子さんは、顔を上げて目を閉じた。
二人はそっと唇を合わせた。
月と星だけが、二人の姿をみている。
もしかしたら、お守りに入った童女妖怪もみているかもしれない。
13
翌日、ぼくと天子さんは、童女妖怪の入ったお守りを持って、転輪寺に行った。
邪魅を倒した報告をすると、和尚さんは大いに喜んでくれた。
そのあと、天子さんは、意外な質問をした。
「鈴太よ。長壁の着物の柄がみえるかの」
「え? もちろんみえるよ」
「どんな柄をしておる?」
「どんなって、何かの花だよ。花びらが三枚あって、おしべだかめしべだかが三本突き出てる」
「そうか。やはりの」
「これは驚いた。毒の息がみえたというので、奇妙なことじゃとは思うだが、まさかのう」
天子さんと和尚さんが、何についてかわからないけど、納得し合っている。
いったい何について話してるんだろう。
「鈴太よ」
「うん」
「そなたは真眼持ちじゃ」
「しんがん?」
「真実の眼と書く」
「真実の、眼?」
「そうじゃ」
「それはいったい、どういうものなの」
「おぬしは、あやかしをみることができる」
「うん」
「それ自体、すでに特殊な能力なのじゃ」
「うん。でも未成さんや未完さんもみることができるよね」
「そうじゃ。あやかしをみることのできる目を持つものは、珍しくはあるが、それなりにおる」
「うん」
「ただし、おぬしの目には、それ以上のものがみえる」
「それ以上のもの?」
「骨女と最初に遭うたときのことを覚えておろう」
「骨女?」
「あのとき、おぬしは言うた。〈あんな骨なんかにたぶらかされて〉と」
「ああ、あれ。最初にみたときには、可憐な女の人にしかみえなかったんだ。だけど逃げだした後ろ姿をみると、骸骨だったからね。骸骨が、ぴょーん、ぴょーんと跳んで逃げていった。あれには驚いた」
「わらわには、逃げる姿もおなごにしかみえなんだ」
「えっ?」
「骨女の擬態は、ふつうみやぶれるものではない。たとえあわてて逃げ去る最中であってもじゃ」
「ええっ?」
「じゃが、おぬしにはみえた。骨女の正体が」
「みえたよ? 誰にでもみえたんじゃないの?」
「鈴太よ」
「うん?」
「わらわにも、長壁の姿はみえる」
「そりゃそうでしょ」
「きちんとした着物を着ておることもわかる」
「着てるね」
「じゃが、その着物の柄となると、ぼんやりと、花であることぐらいしかわからぬ」
「ええっ?」
「法師どのは、どうか」
「わしにも、花柄であることぐらいしかわからんなあ。おしべかめしべが付いていると言われれば、なるほどそうかとも思うが、何本かなどというようなことは、とてもではないがみることができん」
「そうであろう。つまり、鈴太の目は特別なのじゃ」
「ちょっとどういうことかわからない」
「あやかしなどというものは、実体があるようでないものじゃ。その実体のないあやかしの、着物の柄まではっきりみえるとなれば、これは特別な目といわねばなるまい」
「いやいや。天子さんも、和尚さんも、ぼくにははっきりみえるよ。村の人たちだってはっきりみえてるはずだ」
「法師どのやわらわは、もともと実体を持っておる。わらわはもとは狐で、天狐となったとき人の姿を選んだ。じゃから、姿形からすれば人と変わらぬ。法師どのももとは狸。法術で姿を変えておるが、ここまでこの姿がなじんでくると、これがもう正体であるといってもよい。しかし、長壁はそうではない」
「え? おさかべも、もとは狐なんじゃ……」
「狐のままで体を保って六百年以上も永らえることなど、できようはずもない。法師どのもわらわも、かのおかたの法術により長寿を与えられておればこそ、今の体を保っておられる。今の長壁は、実体のない神霊なのじゃ。その実体のない長壁を、まるで実体があるかのようにみえる目をおぬしは持っておる」
「変態ですね」
「ちびは黙ってろ。天子さん、それは、いいことなの?」
「無論じゃ。これから、あやかしに出遭うたときは、心を落ち着けて相手の正体をみきわめよ。おぬしはそれをみきわめられる力を持っておるのじゃ。真眼の力は、われらの心強い味方となる」
「そうか。役に立つのか。それなら、よかった」
「そんなにしげしげと、あちしを凝視してたですね」
「おこちゃまは黙ってろ。もしかして、うちの一族には、真眼を持った人がけっこういたのかなあ」
「いや。おぬしのほかには、初代だけじゃな」
「初代が」
「見鬼とか視鬼とかいう言い方がある。中国から伝わってきた言い方じゃな。多少の霊感があって幽霊がみえるというようなことではなく、この世とこの世ならざる場所のはざまに出没する、本来はみえないものの姿をはっきりと捉えることのできる力をいう。あるいはその力を持った者を指す。持つ者のまれな才でなあ」
「へえ」
「古来より、呪術を極めた法師たちは、清明な心と真眼を合わせ持っておったと聞く。おぬしは、〈和びの鈴〉を澄み切った音で鳴らせるほどに清明な心を持ち、神霊を鮮明にみとおせる真眼の持ち主じゃ。初代に匹敵する陰陽師の才かもしれぬ」
「現代社会じゃあ、ちょっと役立ちそうもない才能だけどね」
「いっそ、京都に参るか」
「え?」
「いや、何でもない」
「天狐よ、鈴太よ」
「おう、法師どの」
「とにかく今は、残り一つの溜石に心を向けて、油断せぬことじゃ」
「うむ、まさに」
「はい。それにしても、今度の邪魅は、いやに簡単に倒せましたね」
「いや。もしもあのおかたがおられなんだら、倒すには倒しても、あとに禍根が残ったじゃろうな」
「わらわもそう思う。それに、あれは人間相手に限っていえば、まことに恐ろしい敵じゃ。しかも一晩にして一家を争い合わせておった。おそらく溜石の妖気を吸って力をつけたのであろう」
「あ。そういえば、ひでり神さまに報告に行かないといけないね」
「このあと行こう」
「うん」
このときぼくは、よくはわからないながらも、何か偉大な才能があると認められたような気になって、少し舞い上がっていたかもしれない。
油断する気はなかったけれど、溜石があと一つだと思って、やはり心のどこかで安心していた。
邪魅があまりに簡単に倒せたので、最後の一つも、そう難敵だとは思っていなかったように思う。
油断していなかったら、別の対処ができたのかどうかはわからない。
とにかく、そのあとぼくらを待っていたのは、想像を絶する敵だった。
そのとき、ぼくたちは、溜石の本当の恐ろしさを知ったんだ。
「第14話 邪魅」完/次回「第15話 方相氏」




