中編2
7
谷本家。
ここが、朝、童女妖怪が、邪魅がいると言った場所だ。
「さて、どうしよう」
「なかに入ってみるしかあるまい。インターホンを押してみよ」
「うん」
「いや、待て」
「え?」
「聞こえぬか、この声が」
家のなかから大声で怒鳴り合うような音が聞こえてくる。
そしてその音は、玄関のほうに近づいてくる。
「ただごとではないのう。ドアを開けよ」
「うん」
ぼくがドアを開けた。
するとそこに何かが飛んできた。
「うわっ」
飛んできた何かは、若い男の人だった。
年配の人が玄関口に立っている。すごい怒りの形相だ。
この若い男の人は、年配の人に突き飛ばされたようだ。
「亮介! この親不孝者! 今日という今日は勘弁ならん!」
「こっちのセリフだ、おやじ! えらそうにしやがって。うざいんだよ! どっちが強いか思い知らせてやるぜっ」
そう言いながら、若い男の人は、年配の男の人につかみかかっていった。
拳で殴りつけ、足で蹴飛ばす。
年配の男の人も負けてはいない。手に持った棒のようなもので、若い男の人を打ち据えている。
「これはいかん」
天子さんは、玄関口に上がり込むと、若い男の人の背中に手でふれた。
とたんに若い男のひとは、へなへなとへたり込んで、その場に倒れた。
「お前たちは何だ! 何をしに来た!」
年配の男の人が、ぼくたちをにらみつけて問いただした。
天子さんは、それには答えず、年配の男の人にすっと近寄って胸に手を当てた。
すると年配の男の人も、床に倒れた。
「こ、殺したの?」
「霊気を当てただけじゃ。時がたてば目覚める。奥のほうもうるさいのう」
天子さんは、つかつかと奥に進んでゆく。
どうでもいいけど、靴は脱いだほうがいいんじゃないだろうか。
台所でお母さんと娘と思われる二人が大げんかをしていた。部屋のなかはむちゃくちゃだ。
天子さんは、この二人も眠らせてしまった。
「こんな技が使えるんなら、骨女のときも、宗田哲生さんや浩一さんを眠らせちゃえばよかったのに」
「眠らせたあと、どうなる」
「え?」
「結局、同じことであろう」
「ああ、まあ、そうだね」
「この場合は、とにかく眠らさねば、お互いがお互いを傷つけてしもうたであろう」
「確かに」
「しかし、この家には妖気を感じぬ。長壁、どうか」
「今眠らせた四人のほかに、奥の部屋に二人、よごれた気を持つ人が寝てますです。でもこの家には、邪魅らしき気配はありませんです。隣の家なのです」
「なに」
「隣の家に、邪魅らしき気配がしますです」
8
松本家。
ここに邪魅がいるらしい。
谷本家とは、田んぼ一つを隔てたお隣さんだ。
「なるほど。おるようじゃな。ここまで来れば、わらわにもわかる」
この家には、インターホンはないようだ。古めかしいつくりの家だ。
天子さんに言われて、ぼくは声をかけた。
「こんにちはー」
返事がない。
でも、奥のほうに人がいる気配がする。
「こんにちはー!」
腹に力を入れて、大きな声を出した。
少しして返事があった。
「はあーい」
玄関に出てきたのは、四十歳ぐらいの女の人だ。
「あれ、天子さん。それに、大師堂さんまで」
この女の人は、ぼくを知っている。
だけど、ぼくは、この女の人を知らない。
誰だ?
「ヨウコさん、久しぶりじゃ。ご主人のコウキチさんや、お子さんのカネヨシくん、ミドリさんは、お元気かの」
説明調のセリフ、ありがとうございます。
ほんとにぼくの心を読んでない?
「はいはい。みんな元気にしておりますよ」
「そうか。実は今日は、この家のお客さんに用事があっての」
「えっ? お客さん? というと、チェリーさんですか?」
「チェリー? いや、名前は知らぬが、みたことがないほどの好人物じゃ。それこそ、会った瞬間誰もが気に入るような人じゃ」
「じゃ、チェリーさんにまちがいないです。まあ、どうしてチェリーさんがわが家にいることをご存じなの?」
「いつチェリー殿は、この家に来たな?」
「今朝です。昨日夕方から谷本さんのお宅に来ておられたんですけど、用事があって私が谷本さんの家に行ったときお会いして、次はわが家に来てくださいとお願いしたんです。そうしたら今朝がたお越しくださって、今も居間でお話を聞かせてくださっているんです。もうそれは素晴らしいお話ばかりで」
「会わせてもらえるかの」
「ええ、ええ。それは、もう。チェリーさんも、この村でいろんなかたにお会いしたいと言っておられましたから、きっと喜ばれますよ。さあ、おあがりください」
天子さんとぼくと童女妖怪は家に上がった。もちろん、ヨウコさんの目に映っているのは、天子さんとぼくだけだ。童女妖怪がみえるのは、霊感とでもいうべき特別な感覚を持った人だけなんだ。
ヨウコさんに案内され、ぼくたちは家の奥の部屋に進んだ。
「神籬天子さんと、大師堂さんがおみえですよ」
そして、その部屋に入るなり、そいつの姿をみた。
醜悪そのものの姿だ。
人間と同じぐらいの大きさだが、人間ではない。
全身が毛で覆われているところからすれば、ある種の猿ににていなくもない。
オランウータンのようなやつ、といえば近いだろうか。
ただし、オランウータンのようなふさふさした毛並みじゃあない。
ごわごわとしてきたならしい毛だ。
そして、顔ときたら。
妙に人間に似たところが気持ち悪い。
分厚い唇。
はれぼったいまぶた。
薄笑いを浮かべたような目。
そして顔中を覆っている、かさぶたのような不気味な毛。
あらかじめ覚悟をしているのでなければ、思わず悲鳴を上げてしまいそうなご面相だ。
こいつが邪魅なのか。
「けけけっ。また餌食がやってきたかい。そっちから出向いてくれるなんて、ご苦労さまさまだぜ」
声も実に不愉快な響きだ。神経にさわる。
「おお、チェリーさんが喜んでおられる。天子さん、よく来てくださった」
人のよさそうな笑顔を浮かべて、年配の男性が言った。この人が、コウキチさんなんだろう。
そして、怪物の両隣に座っているのが、カネヨシくんと、ミドリさんなんだろう。
「けけけっ。この家のやつらは、虫ずが走るぐらい仲良しこよしだ。だけどみてろよ。一日もしないあいだに、ののしりあい、殺し合うようになるぜ」
「ああ、素晴らしいことですね」
「本当に、チェリーさんのお言葉には含蓄があるわ」
ひどいことを言われているのに、カネヨシくんとミドリさんは、うっとりと怪物のほうをみている。すっかり思考が汚染されているんだろう。
「ということは、まだ仲良し家族であるのじゃな」
天子さんの言葉を聞いて、怪物は、ぎょっとした顔をして天子さんの顔をみつめた。
「おめえ、俺様の魅力が通じねえみてえだな」
浮かんでいた薄笑いは消え去って、憎々しげな顔つきになった。
「そこのちびもだ。おめえら、人間じゃねえな?」
「みてすぐにわからないとは、情けないことじゃのう」
「俺様の縄張りに、何をしに来やがった」
「何をしに来たと思うのじゃ、邪魅よ」
「げっ」
怪物は突然立ち上がって、ぼくの横をすり抜けて廊下に走り出た。
だがそこで何かにぶつかってひっくり返った。
よくみると、空中に薄い緑色の透明な壁がある。
障壁だ。
天子さんが障壁を張って、邪魅を閉じ込めたんだ。
邪魅はすぐに起き上がって逃げようとしたが、どの方向を向いても、三歩以上は進めない。障壁に閉じ込められているのだから、その外には出られないのだ。
「くそっ。出せ! 出せっ! 俺様をここから出せ!」
「おお、なんと素晴らしい声だろう」
「あなた、チェリーさんの叫び声を聞いていると、こちらも元気づけられますね」
「こんなことしやがって、ただで済むと思うなよ!」
「なんて独創的なシャウトだ。チェリーさんは一流のアーティストだね」
「コンサートをなさったら、武道館も満員にできますね」
「お前ら! そいつを倒せ! その女をやっつけるんだ! そして俺様にかけられた術を解かせろ!」
邪魅は盛んに悪態をついて、松本家の人たちに、天子さんを攻撃させようとする。ところが松本家の人たちは、ただうっとりとして邪魅を賛美している。
松本家の人たちの、あまりに奇妙な反応に、ぼくはとまどいしか感じない。
「鈴太よ。どうやら、邪魅には人を思い通りに操る能力があるわけではないようじゃの」
「う、うん。これも一種の洗脳能力なんだろうけどね」
「ならば、いったんこの家を出るぞ」
「うん」




