前編
1
「わっはっはっはっはっ。そうか、そうか。水虎と鵺と輪入道をなあ」
「笑い事ではないぞ、法師どの」
「天弧がまんまと、輪入道の〈射すくめ〉に引っかかったとな! ははははは」
「笑い事ではないと申しておる」
「いやいや、すまんすまん。えらい苦労をかけてしもうたなあ。くっくっくっ」
豪快に笑う和尚さんと、仏頂面の天子さん。
そんな天子さんもかわいいと思ってしまうぼく。
久々の三人の歓談だ。
鉄鼠を倒したのが、たしか八月十一日だった。
その後和尚さんは休眠状態となり、八月三十日にはたたき起こされてジャイアント骨女を撃破するものの、再び眠りに入った。
そして今日九月十四日、和尚さんは突然目覚めた。
みたところは元気そのものといっていい。ふつう一か月以上も寝たら、すぐには体調が戻らないものだけど、この人にはそんなことは当てはまらないみたいだ。
「しかし、そうすると、妖気の詰まった溜石は、あと二個というわけか」
「そういうことじゃ、法師どの」
「あと二匹あやかしを始末すれば、終わり、とも言わぬが、大きな山を越えるわけじゃな」
「そうじゃ。こうしておるうちにも、満願成就の日が来るかもしれぬ」
「うむうむ。天狐は、ほんとによくやってくれた。鈴太もな」
「法師どのは休みすぎじゃ」
「はっはっはっ。まあ、そう言うな。前は十年に一度ほどしかあやかしは出なんだし、激しい戦闘になるのは何十年に一度じゃった。それがここのところ、立て続けじゃからなあ。鉄鼠は手ごわかったわい」
「無理もないこととは思っておる。しかし、ここまできて、ひでり神さまを害されるようなことがあっては、悔やんでも悔やみきれぬ。どうか最後の力を振り絞っていただきたい」
「うむ」
和尚さんは力強くうなずいた。
千二百年にもおよぶ戦いの日々。それがどんなものであるのか、ぼくには想像もつかない。けれど無理に想像してみれば、いくつかのことに思い当たった。
一つは、精神的肉体的な疲労は極限に達しているだろうということだ。
これについては、今天子さんが励ましているように、無理にでも気力を奮い起こしてもらう以外にない。
もう一つは、体に染みついてしまったリズムは変えられないということだ。
今年に入ってからの妖怪の出現頻度には、そうとわかっていても体がついていかないんだろう。これには対処のしようがない。この点については天子さんも同じで、新しい状況に思考が追いつかない。
そこにぼくの役割がある。
ぼくは今年の春からの状況しか知らない。そのぼくの目で危険をみわけて、和尚さんや天子さんに適切なアドバイスをすること、それがぼくの役割だ。
前向きに考えれば、水虎戦、鵺戦、輪入道戦を和尚さんがスキップしたため、和尚さんの体調は、それだけ整っているはずだ。エースを温存しておいて、残りメンバーでこの三つの戦いをしのぎきったようなものだ。
だから、これから出現する最後の二つの妖怪に、万全とまではいえなくても充分に休養を取ったエースを当てることができる。
ただし、そのあと、何が起きるかは、ぼくにもわからない。
わからないけど、何かが起きる。
それまでと全然ちがう何かが。
それまでに、ひでり神さまが石を積み終えてしまえばいいんだけど、そういかなかった場合に備えておく必要がある。
それにしても、天逆毎の手の内を知りたい。
溜石を使って結界のなかに妖怪を生み出し続けるつもりだったということはわかった。その妖怪というのは、もともと強力な妖怪である場合もあるし、そうでない場合もある。そうでない場合は、強化された状態で出現する。そんなものが暴れ回ったら、結界のなかには混乱が起きる。そして妖怪を倒したとしても妖気はたまっていき、たまった妖気によって結界が壊れてしまう。
つまり、結界のなかに混乱をもたらし、結界を破壊する。それが天逆毎の狙いだということはまちがいない。
そのあとがわからない。
ひでり神さまを抹殺するというようなことは、相当強力な妖怪でも不可能らしい。しかし、天逆毎の目的がひでり神さまの抹殺である以上、必ず何かの手段が用意されているはずだ。
その何かとは、何か。
それがわかればいいんだけれど。
2
九月十五日になった。
今日も、溜石には変化がない。
妖気が詰まった溜石は、あと松浦地区と土生地区にある二つだけだ。
最後の二体。
どんな妖怪が現れるんだろうか。
今日はやたら来客が多い。食事当番はぼくだったけど、昼食はそうめんで済ませた。
山口さんは、毎日やってくる。配達を頼むことはなくて、胡椒だとかワサビだとか、ちょっとした物を買っては持って帰る。最近の山口さんのお気に入りの話題は、ぼくの東京での生活ぶりだ。少しずつ、ぼくの過去について質問しては、知識を蓄えている。そんな知識が何かの役にたつことはないだろうけど。
習字のほうは、〈東西南北〉という四字になった。四つ字を書くと、一度書けるようになったはずの〈東〉という字がうまく書けない。
「よく手本をみて書いてあるのう。じゃが、みえておる部分と、みえておらん部分がある」
「みえていない部分?」
「〈東〉という字は、最後に左に払い、右に払って完成する。この左払いを〈掠〉と呼び、右払いを〈磔〉と呼ぶ」
「〈りゃく〉と〈たく〉?」
「こういう字を書く」
天子さんが、〈掠〉と〈磔〉を書いてみせてくれた。
「まあ、呼び方などはどうでもよいがの。おぬしの左払いは、払おうとする気持が強すぎる」
「お手本のように、すぱっと切れ味のいい線で書きたかったんだ」
「それはこの左払いの一部分しかみておらぬ。今、左払いのみを書いてみせるゆえ、よくみておれ」
「……ほんとだ」
「わかったかえ」
「はねる前に、すうっとまっすぐ筆を引いてる」
「そうじゃ。そこに注意して、自分で書いた字と手本をみくらべてみよ」
「全然ちがう」
「であろう」
「なるほどなあ」
「今までは、思い込みでみておったから、そこがみえなんだのじゃ。今度は〈東〉という字の全体を書いてみせるゆえ、そのなかで左払いをどう書くかを、よくみるのじゃ」
「……あ」
「どうであった」
「そんなふうに、ぐりぐり筆を紙にこすりつけてから左に払うんだ」
「ふふ。力をためておるのじゃ。少し大げさにやってみせたが、さらっと書くときにも、この心持ちをわすれてはならぬ」
「うん」
「さて、筆の先を〈峰〉と呼ぶ。今、左側の掠を書くとき、峰は筆画のどこを通っておった?」
「え」
「上側か、中側か、下側か」
「……わからない」
「つまり、みておるつもりでも、きちんとはみえておらんのじゃ」
「うん」
「これから、手本をみるときにも、筆先がどこを通っておるか、気をつけてみることじゃ」
「うん」
いろいろと教わり、自分でも工夫して書いていくうちに、手本の字に最初は気づかなかった美しさがあるのがわかってきた。
そのうち、足がしびれてきたので一服した。天子さんがお茶を淹れてくれた。
「そういえば天子さん」
「ん?」
「うちはもともと神主だったんでしょ?」
「神主というのとはちがうが、神社の守であり、神官の役目もしておったの」
「どういうわけで乾物屋にジョブチェンジしたの?」
「ああ、それか。それはな」
天子さんの説明によると、〈はふりの者〉の初代は弘法大師さまの手配りにより、地方豪族の娘と結婚し、この地に一家を構えた。
形の上では、豪族の支配地のなかにあるわけだけど、積神社、つまり地守神社を中心とした聖域として、税は免除された。
それだけでなく、生活に困らないよう、また集落として成り立つように、農人や工人がつけられた。
里には豪族から定期的に献納物が届けられた。その中心になったのが塩をはじめとする乾物だ。この土地では生産できない貴重な品々が下賜された。
そうした乾物は〈はふりの者〉に届くわけだけれど、〈はふりの者〉は、それを里に住む人々に分け与えた。
やがて豪族は力を失い、支配者は変わっていったけれども、〈はふりの者〉は、里を守り維持できるだけの経済力と影響力を持つようになっていた。
時代が変わっても、〈はふりの者〉が乾物を得て、それを人々に分け与えるという形は長いあいだ維持された。そのことに多大な費用がかかる時代もあったが、それができるだけの財的基盤は揺るがなかった。
近世となり幕藩体制が成立するなかで、村は拡大し、寺社領は縮小され、村人全体の生活について〈はふりの者〉が責任を負うこともなくなった。だが、村人たちは、古くからの習わしを守りたいと考え、流通統制の対象とならないわずかばかりの乾物を、年に三度、羽振家当主から授けられる習慣が成立していった。
明治に入り、村には商店を営む者もでき、人口移動もあり、乾物授与の習慣はいったん失われた。ところが、明治二十六年に大洪水が起き、村は壊滅的な被害を受けた。そのとき羽振家は食料を買い集めて村人に配った。やがて村は復旧を始めるが、当時の流通事情のもとでは、家財を失った村人が、必要な乾物を各家で購入することが困難だった。そこで羽振家では、定期的に大量の乾物を取り寄せ、それを安価に販売するようになり、村は復興を遂げてゆく。
これが羽振家が乾物屋を営むようになった経緯だということだった。
天子さんは、夕食のあと、すぐに帰ろうとはしなかった。ちょっと落ち着いた夕方のひとときを天子さんと一緒に過ごすのは、とても幸せな時間だ。童女妖怪も、夕食のあと寝転がって漫画をみながら、ちらちらとこちらをみていたりする。何を期待してるのか知らないが。
雨が降ってきた。
その雨のなかを天子さんは帰って行った。




