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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第13話 輪入道(わにゅうどう)
61/90

後編

12


「ちょっと待て、鈴太」

「あ、〈隠形〉を解いたね。ずっと〈隠形〉のままでついて来てって言ったのに」

「つい勢いで出てきたが、やつは〈射すくめ〉と〈幻覚〉を使うのじゃ。わらわでさえ、やつの〈射すくめ〉に抵抗できなんだ。そのうえ、鈴太がそばにきて力を与えてくれるまでは動けぬままであった。まして鈴太では……」

「対処法は、和尚さんが集めてくれた情報のなかにあった」

「なんと」

「意志の強い人間には効かないんでしょう?」

「う。それはまあ、そういうこともあったかもしれぬが」

「ましてぼくは、敵が〈射すくめ〉と〈幻覚〉を使ってくることを知っている。そしてそれに打ち勝つ決心と覚悟をもって相対するんだ。〈射すくめ〉も〈幻覚〉も、絶対に効かない」

「わらわも、やつの力は知っておったのじゃ。そしてやつを待ち構えておったのじゃ。それでも抵抗することはできなんだ」

「天子さんは、〈輪入道〉の能力は自分には効かないと思い込んでいたじゃないか。その心の油断に付け込まれたんだよ」

「う。それを言われると」

「わかったら〈隠形〉で姿を消して、黙ってついて来て」

「……わかった」

「ぼくが声をかけるまで、消えたままでいてね」

「…………」

 さて、〈輪入道〉はどこにいるだろう。

 たぶん、久本家のすぐ近くだ。きっとやつはあの家を狙う。だとしたら、わざわざよそを歩き回るはずがない。そんなことをすれば、むだに発見される危険を増やすだけだ。

「あそこの角にいるです」

 案の定だった。

 というか、久本家の生け垣の角を曲がった所にいた。

 いくらなんでも近すぎる場所だ。

「そこにいるです」

 スタンドを立てて自転車を止め、前籠に入れておいた荷物を手に取り、童女妖怪が指し示した場所に歩み寄った。

 なるほど、草が不自然に曲がって押しつぶされている。

「おい」

 自分でもびっくりするような低くて怖い声だ。

「おい、〈輪入道〉」

 小さく息を飲むような音が聞こえたような気がしたけど、気のせいかもしれない。

「そうだ、お前だよ。お前がそこにいることはわかってるんだ」

 じっとにらみつけると、おぼろげながら輪入道の姿がうっすらみえる気がした。

 怒りが込み上げてきた。

「どんな顔をしてるんだろうなあ」

 天子さんを、あんな目に遭わせやがって。

「さぞ驚き、あわてているんだろうなあ」

 こいつめ。

「醜い顔をゆがめて、不安におののいているんだろうなあ」

 ただじゃ許さん。

「お前なんか、ごみくずだ」

 いたぶってやる。

「何の力もなく、臆病で、きたならしく、ちっぽけで、ただ殺されるのを待っているだけの、みじめな妖怪だ」

 徹底的に、いたぶってやる。

「ぼくをみろ」

 恐怖を味わわせてやる。

「この手に何がにぎられている。そうだ手斧(ておの)だ。まき割り用の手斧だ」

 忘れがたい恐怖を刻みつけてやる。

「お前を殺す武器だ」


 ギギッ。


 しわがれた甲高い鳴き声が聞こえたかと思うと、そいつは姿を現した。

 小さくて醜い怪物だ。

 その顔には恐怖と憎しみが貼りついている。

 目が合った。

 怪物の姿がふくれ上がってゆく。

 巨大に。

 巨大に。

 たちまち、みあげるほどの大きさになった。

 五メートルはあるだろう。

 か細かった手足は大木のように太くたくましく変化した。

(しまった)

(これは溜石の妖気を吸い取ることで得た能力だ)

(こんな切り札があったとは)

 その手には巨大な棍棒が握られている。

 怪物はその棍棒を振り上げ、容赦なく振り下ろした。

「危ない!」

 天子さんが飛び込んできて、ぼくを突き飛ばす。

 そして天子さんの脳天は、あっけなく砕かれてしまった。

 ぼくは衝撃のあまり、叫び声を上げることもできず、口をなかば開けたまま、よろよろと後ずさった。

 そのとき、自転車が目についた。その後ろの荷台に童女妖怪が乗っていない。

 そうか。これは。

「天子さん!」

 ぼくは大声で叫んだ。

 脳漿を飛び散らせて倒れていた天子さんが、映画のフィルムを巻き戻すかのように立ち上がり、何事もなかったという顔で訊いてくる。

「やっとわらわの出番かえ」

 その服には一滴の血もついていない。

 そして自転車の荷台には童女妖怪が乗っている。

 〈輪入道〉はといえば、醜い顔を恐怖でゆがめたまま、最初の位置から一歩も動いていない。

「わらわを覚えておいでかえ?」

 天子さんが凄絶な笑顔をみせる。

「むだじゃ。きさまの妖術は、もはやわらわには効かぬと知れ」

 〈輪入道〉は、いきなり左側を向いて飛び出そうとした。

 その体を五本の赤い(やいば)が貫く。天子さんの右手から繰り出された攻撃だ。

 妖怪の体は崩れて消えた。

「何かあったかね−」

 久本の奥さんの声がする。

 この場の騒ぎが、というかぼくの叫び声が聞こえたんだろう。

「あ、何でもないですー。ちょっとつまずいちゃって−」

「そうかねー。大事ないんならよかったー」

 ぼくたちは、家に帰るべく歩き始めた。

 歩きながら反省した。

 弱い相手をいたぶったことを反省していた。

 天子さんの仕返しという大義名分に酔っ払ってたぶんだけ、たちが悪い。

 あのとき、ぼくはおびえる〈輪入道〉をみて、快感を覚えていた。

 こいつの頭をたたき割ってやる、と本気で考えていた。

 それは、悪い妖怪と、どこがちがう?

 あいつも同じだった。

 あの〈輪入道〉も、やりきれないほど悲しい目をしていた。

 たぶんあいつは、この世を憎んでいた。

 自分をこんなにも弱く小さくみじめな存在として生み出した世を憎んでいた。

 だから母子家庭を襲うのも、幼いこどもを殺して食らうのも、あいつにとっては復讐だったにちがいない。

 ぼくはあの瞬間、あのおぞましく、きたならしい化け物と同じだった。

 相手をいたぶり、とどめを刺すことに、復讐の快感を感じる、みにくい化け物だった。

 自分の心のなかに、あんな怪物が棲んでいるとは、今日まで気づかなかった。だけどこれからは、そのことを忘れちゃいけない。

「鈴太よ。先ほど、わらわを呼ぶまえ、わずかな時間であったが、振る舞いがおかしかった。あれは、〈幻覚〉にかかっておったのではないか」

「うん。心にあった憎しみが、〈幻覚〉を呼び込んでしまったようだね」

「ほう?」

 それから少しのあいだ、二人は無言で歩いた。

 しばらくして、天子さんが歩みを早め、ぼくの横に並んだ。

「それにしても、おぬし。実に容赦のない攻め口であったのう」

「いや、それはもう忘れて」

「じゃが、その容赦のなさも、敵に付け込まれたという憎しみとやらも、わらわの受けた仕打ちに対する怒りなのじゃな。わらわは、〈輪入道〉を責め立てるおぬしをみて」

 ぼくは思わず自転車を止め、天子さんのほうをみた。天子さんも立ち止まって、自転車越しにぼくをみた。

「うれしかった」

 どちらからともなく顔を寄せ合い、ぼくたちは唇だけでキスをした。

「うわっ。せっぷんなのです。生せっぷんなのです!」

 あ、こいつ、まだいたんだ。


13


 帰り道をとぼとぼと歩きながら、ぼくは考え事をしていた。

 前に天子さんは意外に攻撃的だと思ったことがあったけど、あれはまちがいだった。日常の場面では、いささか攻撃的な態度をみせることもあるけど、天子さんは本質的には守りの人だ。いざという場面になると、守りに入ろうとする。容赦ない攻撃をするには、向いていない人だ。

 たぶん和尚さんは、逆だ。普段は飄々としてるけれど、いざ戦いとなれば、職業的といっていい冷静さで、有効な攻撃方法や手順を考え、淡々と実行するだろう。そこに迷いもためらいもない。殲滅が必要となり、その手段があれば殲滅もするだろう。あの人は、本質的に戦士気質な人だと思う。

 ぼくはどうなんだろう。

 能力的にいえば、防御にも攻撃にも向いていない。そもそも戦場に立てる人間じゃあない。けれど、天子さんの能力を発揮させるには、ぼくがそばにいる必要がある。

 あと二つ、溜石はある。あと二度は戦いが続くということだ。

 そのあとはどうなるだろう。

 ぼくは、じっと待てばいいと天子さんに言った。だけどそれでしのげるとは、ぼく自身が思っていない。

 たぶん。

 いや、きっと。

 きっと、そのあと決戦がある。

 中途半端な覚悟では臨むことのできない激烈な決戦がある。

 ぼくはほとんどそのことを確信している。

 帰り着いて一服して、〈東〉の字を書いた。

 今までの苦心が嘘のように、すっと奇麗に書けた。

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