中編2
6
「二番目、三番目の悲劇?」
「当時は、結界の外にも二つ集落があった。その一つは白澤山のほうにあった。里の農民からはさげすまれた人々が住んでおったが、その人々の持つ皮なめしのわざは、里にとってなくてはならぬものであった」
「あ、そういう集落があったんだね」
「うむ。その集落のはずれに住んでおった、ギザとシノという母と娘が死んだのじゃ」
「かじさんと、もとさんと、同じように?」
「うむ。娘のシノは、体の一部が食われており、母親のギザは竹箸で喉を突いて死んでおった」
「うわあ」
「集落の長は、日が暮れるのを待って転輪寺にやって来た。人別帳からギザの名を除かねばならぬし、非業の死を遂げた親子ではあるが、なんとか弔いは出してやりたいと考えたのじゃな」
「あ、そういう人たちも、宗門人別帳には名前が書いてあったんだ」
「もちろんじゃ。人別帳に載っておらんのは、無宿者だけじゃ」
「和尚さんには、そういう相談ができたんだね」
「うむ。もともと転輪寺は集落の者らの菩提寺でもある。それに、墓守もしてくれておったし、伝染病で死んだ者の火葬や埋葬、あるいは動物の死骸の処理などもしてくれていて、転輪寺とのつながりは深かったのじゃ」
「なるほど」
「法師どのは、おかじと、おとよが死んだときには、所用で里の外におった。しかし、集落の長が尋ねたときには帰っておった。長の話を聞いた法師どのは、それは輪入道のしわざじゃと看破し、長に対し、集落に母と幼いこどもの二人暮らしをしている者は、ほかにいないかと答えた。長は、いない、と答えた」
「母とこどもの二人暮らし?」
「うむ。すると法師どのは転輪寺を飛び出し、安美地区のはずれに住んでおった、お松の家に行った」
「その、松さんという人も、小さい子がいたの?」
「いた。与吉という男の子じゃった」
「そ、それで、その親子はどうなったの?」
「法師どのが家に着くと、小さなあやかしが飛び出して来て、〈射すくめ〉の術を使うてきた。法師どのには効かなんだが、ついてきておった集落の長は身動きできぬようになった」
「〈いすくめ〉?」
「にらみつけて体の自由を奪う術じゃ」
「うん」
「法師どのは、逆にその小さなあやかしに〈金縛り〉の術をかけて、家に飛び込んだ」
「お松は、焦点の合わぬ目をして、ぼうっと座り込んでおり、その後ろには、腕を包丁で切り落とされた与吉の死体が転がっておった。その腕は、かじりかけであったそうな」
「まにあわなかったんだ」
そのあと和尚さんは、〈金縛り〉にしておいた妖怪を縛り上げ、近所の女性に頼んで松さんの介抱をさせた。
それから、白澤山の集落の長に頼んで、与吉の亡きがらを火葬にした。当時でも村では土葬が一般的だったけど、伝染病で死んだり奇怪な死に方をした人などは火葬にしたんだそうだ。
火葬は、野焼き、といって、薪を積み上げた上に亡きがらを載せ、おとなの場合なら三日三晩焼くんだそうだ。これは、結界の外の集落に住む人たちの仕事となっていて、当時は白澤山にも麒麟山にも、野焼きの場所が作ってあった。
和尚さんは、縛り上げた妖怪を寺に連れて帰り、尋問した。
ひどく大言壮語をする妖怪だったそうだ。自分は蓬莱山のぬしであり、すぐに解放しないと、村ごと滅ぼしてしまうとか、三千三百三十の眷属が自分の身柄を奪い返しにくるぞなどと、甲高い声でまくしたてたらしい。
聞くべきことを訊き出してしまうと、和尚さんはその妖怪を始末した。そして、日本の各地にいる和尚さんの子孫や眷属から情報を集め、その妖怪の正体を詳しく調べた。
与吉の死骸は、たった一晩で焼き終えた。その遺骨を壷に納めて、松さんにみせた。
そして、松さんから、その夜何があったかを聞いた。
それは奇怪な話だった。
7
松さんは、その夜、ささやかな晩ご飯を食べてから、土間で藁縄をなっていた。
そのそばでは、与吉が、藁の切れ端で遊んでいた。
窓から差し込む月と星の光を頼りに、藁仕事を続ける松。
夫と死に別れ、財産もなく、名主の好意でこの家に住まわせてもらっているが、与吉がいるだけで幸せだった。
「おおい。おおい」
最初は気のせいかと思った。
「おおい。おおい」
だが、こんな村の外れの小さな家に、しかもこんな夜遅くに、誰かが尋ねてきたようだ。
「はあい」
松さんは、つっかい棒をはずして玄関の戸を引いた。
そこには驚くべき光景があった。
火を噴く巨大な車輪である。
村の水車よりも大きい。しかも輪の形は、荷車の車輪のような形をしている。家の屋根にも届こうかという巨大な車輪が、家の玄関の前に支えるものもないのに、ずどんと立っていたのである。
その巨大な車輪の真ん中に、顔がついている。畳四畳分はあろうかという、赤黒い顔だ。
頭頂部は禿げていて、両耳の上にもじゃもじゃと毛が生えている。
口の周りを取り巻いて、何重かに、まるでイソギンチャクのような毛が生えている。
顔全体がごつごつしている。目の上の部分は岩棚のように張り出しているし、頬骨は石畳のようだ。唇はぬめぬめとした桃色で、はき出す息は生臭い。
人の頭がすっぽりと入りそうな鼻の穴からは、轟々と音を立てて台風のような風が出ては入り、出ては入っている。
だが何よりも印象的なのは、目だ。
くわっとみひらかれた目は、一度みてしまえばそこから目を離すことができない異様な迫力に満ちている。松の葉のように鋭く太い眉毛が、目の恐ろしさを引き立てている。
「おろかものめ!」
割れ鐘のような声で、その怪物は松さんを怒鳴りつけた。
「わしをみたのか!」
松さんは、うなずくことも忘れ、恐怖のあまり、身動きすることもできない。
だが、そのとき、松さんは、恐ろしいことに気づいた。
禿頭の巨大な口のなかに、歯がみえる。石臼を乱暴に並べ立てたような歯だ。
その歯の端に、何かがある。白くて赤い何かが。
足だ。
それは小さな足だ。
人間の足だ。
足の部分が切り取られ、血まみれになって、怪物の口にくわえられているのだ。
「わしをみてどうする! わしをみるより、自分の大切な者をみよ!」
そう言われても、松さんは、小さな足から目を離すことができない。
「わからんのか! おろかものめ! お前のせいで与吉は死んだぞ!」
身も凍るようなその言葉を浴びて、松さんは振り返った。
与吉が倒れて死んでいた。
右足がなかった。
松さんは気を失った。意識が途絶えるその瞬間、高笑いをする声が聞こえたような気がした。
やがて目を覚ましたとき、家の外の巨大な車輪は消え去っており、死んだ与吉だけがそこにいた。
8
「ひどい話だ。だけどおかしな点がいくつもあるね」
「ほう。何がおかしい」
「だって、家の外にいた輪入道がこどもの足をくわえていて、振り返ってみるとそれが与吉の足だったっていうのは、どう考えてもおかしいよ」
「なぜじゃな」
「そんな大きなものが、こっそり家のなかに入り込むなんてできないし、第一、松さんがつっかい棒を外して戸を開けるまで、家に入れたはずがない」
「うむ」
「開けた瞬間に飛び込んで与吉の足を食いちぎったとしても、輪入道は家のなかにいるはずで、玄関にいる松さんをやり過ごしてもう一度外に出たというのは、いくら何でも無理がある」
「そうじゃな」
「というか、屋根より大きい輪入道が、家のなかにいた与吉の足を食いちぎれるわけがない」
「まさに、そうじゃ」
「そんな大きなものが、しかも炎を噴き出しているようなものがやって来ているのに、呼びかけられるまで気づかないというのも、やっぱりおかしいよ。窓だって開いてたんでしょう?」
「わらわもそう思う」
「あ、そのとき、天子さんはどうしてたの?」
「最初に犠牲となったおかじの家はのう、松浦地区のはずれにあった。そしてそのころ、〈はふり〉の者の家も松浦地区にあったのじゃ。その家はのちに洪水で流されてしもうたがの。わらわは、〈はふり〉の者が襲われるかもしれぬと思い、家にこもっておった」
「そうなんだ」
「あとで思えば、あのとき、つまり、おかじとおとよが死んだのを知り、あやかしの気配を感じたとき、すぐに村中を探しておれば、二番目の悲劇と三番目の悲劇は防げたかもしれぬ。法師どのはわらわを責めなんだがのう」
「……和尚さんには、日本各地に子孫や眷属がいるんだね?」
「うむ。法師どのは四国の生まれであったが、その子孫は四国で栄え、のちには各地で活躍した。屋島の太三郎狸や伊予の刑部狸は直系の子孫じゃし、佐渡の団三郎狸も親戚筋にあたる」
「へえーっ。昔はいっぱい一族がいたんだね」
「いや? 今も日本中におるぞ」
「ええええっ? そうなのっ?」
「はは。まあ、そのことはよい。とにかく、日本中に一族や眷属がおるのじゃ。そのなかには連絡がつかぬようになっていった者たちもおるが、できるかぎり輪入道についての見聞を報告させた。それに、輪入道を尋問した内容を加え、法師どのは、その正体や特質をおよそみきわめたのじゃ」
「正体は、結局何だったの」
「イタチじゃな」
「え? イタチなんて、どこにでもいるでしょう? 練馬区にもいたよ」
「百年以上を生きたイタチじゃ。めったにおらん。しかも人間の血を吸ったことのあるイタチでなければならぬ」
「うえっ」
「身体の大きさは三尺程度、つまり九十センチぐらいじゃな。持っておる力は、〈射すくめ〉と〈幻覚〉の二つのみじゃ。いずれも人間にだけ効果があり、神霊やほかのあやかしには効果がない。しかも意志の強い人間や、呪術の心得のある人間には効かぬ」
「え? 屋根ほどの大きさがあるんじゃないの?」
「それは〈幻覚〉によってそう思わせておるだけじゃ」
「そうなんだ」
「輪入道は、夜にしか現れぬ。昼にみかけた事例はない。しかも、母と幼い子の家しか襲わぬ。それは無理もないことで、おとなの男と戦えば負ける程度の力しかないのじゃ」
「え」
「実のところ、おとなの女でも、鎌か鉈でも持てば、簡単に輪入道を殺せる」
「そんなに弱い妖怪なんだ」
「うむ。痩せ細って、しわくちゃで、みすぼらしく、いやらしい姿形をしておるそうじゃ。実力ではおとなの女にも勝てぬ。じゃから心を責める。しかも、女親と幼い子のみがおって、少しほかの家から離れておるような家しか狙わぬ」
「今まで聞いたなかで一番弱い妖怪みたいだね」
「わらわの知る限りもっとも弱いあやかしじゃな」
「そんなやつが人を襲うんだ」
「輪入道は、まず家の外から声をかける」
「うん」
「出て行った母親は、貧相なあやかしをみつける」
「うん」
「あやかしをみつけて目を合わせれば、〈射すくめ〉の術にかかってしまう」
「うん」
「そのあと輪入道は、じっくりと〈幻覚〉の術を使う。そして、玄関を開けたら巨大な輪入道に遭い、振り返ればわが子が死んで足がもぎ取られているのを目撃した、という記憶を植え付ける」
「うわ」
「呆然とする母親を尻目に、輪入道は子を食らう。食いにくい時には包丁で手足を切り落とすこともある」
「そういう妖怪なんだ」
「うむ。世の伝えに、輪入道とか、片輪車とか、あるいは朧車などという妖怪があるが、正体はみな同じじゃ。みせる幻覚だけがちがうのじゃ」
「ごめん、天子さん。ゆっくり話を聞いてるうちに、ずいぶん時間がたっちゃった。早く行かないとまずいんじゃないの?」
「いや。急ぐことはない。いずれにしても輪入道は、夜にしか現れん」
「そんな話だったね」
「昼食が済んだらでかける。まず、転輪寺に行って法師どのを起こす。法師どのが起きぬようなら、法師どの抜きで久本家に向かう」
「久本家?」
「有漢地区の久本庄介の家じゃ。庄介は名古屋で自動車会社に勤務しておって不在。家には若い妻と幼いこどもがおる」
「あ、そうなんだね」
「若い女親と幼い子だけが暮らしており、しかも隣の家から離れておるというような家族は、里のなかには今あそこしかあるまい」
来る家がわかっていて、しかも夜にならないと来ないとわかっているんだから、迎え撃つのはむずかしくない。
午前中は、それなりにお客さんが多かった。
未完さんから電話があった。用事ができたので今日は来られないそうだ。
天子さんは、昼ご飯も作ってくれて、晩ご飯まで作ってくれた。
ぼくは童女妖怪に、夕方に輪入道を退治しに行くから、そのときはお守りに入れと言っておいた。
午後三時ごろ、天子さんは家を出た。
そのあと、ここに戻ってくるかと思ってたけど、戻って来なかった。
和尚さんが起きて二人で輪入道を退治しに行ったんだろうか。
万一天子さん一人きりだとしても、負けるような相手じゃないと思うけど、ぼくや童女妖怪がいたほうがいいはずだ。
そして翌朝、つまり九月十日の朝となった。
天子さんは、やって来なかった。




