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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第13話 輪入道(わにゅうどう)
58/90

中編1(地図あり)

4


 早く目が覚めたので、そのまま起きて神社の掃除に向かう。

 秋に入りかけているのだろう。三山の景色がわずかに色づいているようだ。

 十数段ばかりの石段を登ったところで、人影に気づいた。

 ひでり神さまだ。

「おはようございます」

「お早いのう」

 あいさつを交わし、そのまますれちがう。

 ゆっくりと掃除を済ませて家に帰る。

 今日は、ぼくが炊事当番だ。

 朝食は和食と決まっている。

 以前一度大陸風(コンチネンタル)な朝食にしたら、天子さんに不評だった。まだ童女妖怪がやって来る前の話だ。

 朝食の準備ができたところで、玄関周りの掃除をする。

 今日は午後雨が降るという予報だ。

 天子さんが来て、食事をする。

「油揚げがないのです」

「味噌汁に入ってるだろ」

「味噌汁にしか入ってないのです」

「そういつもいつも油揚げオンパレードというわけにはいかないよ」

「最低三品に油揚げを入れてほしいのです」

「自分で作れ」

「身長が少し足りないのです」

「カセットコンロを床に置いてやる」

「あちしには火属性がないのです」

「火属性? それがないと料理ができないのか?」

「あちしは料理を作る側ではなくて、食べる側なのです」

「お前、ほんと、探知系以外能力ないな」

「天は二物を与えずなのです」

 童女妖怪とのアンニュイなやり取りが続く。今日も平和だ。

「さて、仲のよいのはけっこうじゃが、そろそろ〈探妖〉を頼む」

「はいなのです」

 紙切れがついた木の棒を振り回して、〈探妖〉が始まった。

 紙が風にたなびくしゃらしゃらという音も、今日は少し優しげに響く。

「出ました。残りの溜石は三個で変わらず。天逆毎(あまのざこ)はこの辺りですね」

 探知範囲ぎりぎりの下流だ。移動しながら何をしてるんだろう。気にはなるが確かめに行こうとは思わない。

 それにしても、今日まで、天逆毎以外の妖怪が結界の外で探知されたということはない。川のなかには広く妖気が満ちているみたいだけど、それだけだ。ということは、最初心配していたように、天逆毎の仲間なり手下なりがいるということもないようだ。

 食後のお茶が済むと童女妖怪は巣に帰った。

「さて、書斎に行くかの」

「うん」

 書斎の文机の上に、昨日苦心惨憺して書いた〈東〉の字が載っている。

 その横には天子さんが書いてくれたお手本が載っている。

 ぼくは、どきどきしながら天子さんの感想を待った。

「ほう。よう形をみたのう」

 そう言われてうれしかった。お手本の字の形をなぞるように、できるだけ同じ形で筆を運んだのだから。

「これは、一文字書くのにずいぶん時間がかかったであろうな」

「うん。すごいかかった」

「よしよし。このように、手本の字の形を注意深く観察することは、上達の第一歩じゃ。ようがんばった」

「うん」

 うんと答えてはみたものの、いくらお手本をみても、どう筆を動かしたらこんな形になるのかさっぱりわからなかった部分が何か所かある。もちろん天子さんは、そんなことはお見通しだろう。

「では次に進もう。もう一度手本をみせるから、よくみておけ」

 天子さんは、硯の上に墨液を落とし、筆をゆっくりと遊ばせて充分にほぐしてから、おもむろに字を書いた。

「あ」

 ぼくは思わず声を上げた。

 第一画の横線は、イメージした通りに書いたんだけど、第二画の筆の置き方が、想像していたのとまるでちがう。そうか、ああいう角度で筆を入れ、ぐっと力を込めると、ああいう形になるのか。そうか、長い縦画は、ほんのわずかにS字型に曲げると自然な線になるんだ。そして、下側で止める瞬間、左側にぐっと押しつけるようにしてから、すっと抜けばいいんだ。

 そのあとも、ああやっぱりと思う筆運びもあったし、ここはこうするのか、と思った箇所もある。

 ゆっくり書く部分もあれば、ぐっと力を込める箇所もあり、すっと勢いよく書く線もある。

「みたか?」

「うん。みた」

「よしよし。緩急強弱の呼吸が大事じゃ。では、今わらわが一文字を書くのと同じほどの時間で一文字を書くようにして練習してみよ」

「え? そんなに速くは書けないよ」

「打っ立てや払いの形が取れぬときは、ゆっくりその部分だけを練習してみてもよい。しかし、文字全体に時間をかけすぎると、筆の毛が生きた動きをせぬし、何より体が字を覚えぬ」

「体が字を覚えない?」

「そうじゃ。それと、字を書いておる最中には手本をみるな。手本をみすぎると、練習のための練習になってしまうぞ」

「よくわからないよ」

「一回だけよい字がかけてもしかたがあるまい。普段書く字がうまくなるための練習なのじゃからな。それには練習じゃ。練習を積まずに上達なぞあり得ぬ」

「天子さんの神通力も同じなの?」

「うん? うむ。もちろん同じじゃ」

「そういう能力を与えられてるからできるんじゃないの?」

「もちろん神通力を持っていないものには、神通力のわざは使えぬ。しかしわざを使えるからといって、使いこなせるとはかぎらぬ。わらわが〈鵺〉を切り刻んだわざも、修練を積み、実戦を積んだからこそじゃ。下手に振り下ろせば、伸ばした爪は折れてしまう。剣術と同じように、磨き抜いたわざがなければ、強い敵とは戦えぬ」

「そうなんだ」

「ま、続けてみることじゃ」

 午前中に五人ほどお客さんが来たけど、天子さんが応対してくれた。

 足のしびれと戦いながら、ぼくは字の練習に没頭した。

「こんちはー」

 未完さんが来た。そういえば、そろそろ昼ご飯を作らないといけない。ぼくは筆を洗って筆掛けに掛けて、台所に行った。すると未完さんがやって来た。

「こんにちは」

「おう。今日は鈴太が食事当番だろ?」

「うん」

「へへ。何か手伝おうか」

「ありがとう。それじゃあ、まず……」

 手伝ってもらったけど、正直邪魔だった。じゃがいもの皮もまともに剥けないし、人参を切っても大きさがまちまちだ。盛り付けも雑だ。

「鈴太って、ほんとに料理がうめえんだなあ」

「何を言うておる。今まで何度も鈴太の料理を食べておるではないか」

「いや、料理をしてるのをみたのは今日がはじめてだからさ。あたしじゃ手伝いにもならなかったな」

「ははは。まあ練習すれば上達しよう」

「そうかなあ。鈴太もそう思うか?」

「うん。何事も練習すれば上達するよね」

「そうか! よし。頑張るよ」

「油揚げがないです」

「いや、お前、食べたじゃないか。油揚げをオーブンで焼いたやつ」

「もうないです」

「何枚食べる気だ」

 食事が済むと未完さんは帰り、天子さんは和尚さんのようすをみに行った。

 ぼくは店番をして、三軒ほど配達に行った。

 夕方、天子さんが帰ってきた。

 夕食はクリームシチューにした。油揚げが案外マッチしていた。

 食後に一時間ほど〈東〉の字を練習した。

 昨日あれほど書けずに悩んだのが嘘のように、すらすら書けた。特に二画目の打っ立てと六画目の打っ立て、六画目のはねは、こつがつかめたというか。方向性がみえたというか、イメージがわいてきた。

 何度も何度も書いているうちに、五画目の横線が、手本と同じように書けた。同じように書けたといっても、完成度はまるでちがうんだけど、線として同質というか、書き方が同じだ。そしてこの線を出すには、ある程度のスピードというか、思いきりのよさがいる。

「よしよし」

 それをみとどけてから、天子さんは帰った。

 もう遅いから泊まっていったらどうかと勧めたが、笑いながら断られた。

 どこに帰るんだろう。麒麟山のほうだとは聞いたけど、それ以上のことは知らない。もしかして、墓地の近くなんだろうか。

 風呂に入っているとき、ふと思った。

 まさか、お堂か何かをすみかとしてるんじゃないだろうか。童女妖怪と同じように。

 そう思ったあとに、そんなわけはないと気がついた。

 いつだったかの花見のとき、天子さんはお煮染めなんかを作ってきてくれた。あれはお社のなかじゃ作れない。

 そうしてみると、やっぱりちゃんとした家に住んでいて、調理道具なんかもあるんだ。

 いったい、どんな家に住んでいるんだろう。

 知りたい気持ちもあったけど、そこまで踏み込んじゃいけないという気持もあった。

 いつか教えてくれるだろう、と思いながら眠りについた。


5


「あ! 妖気の抜けた溜石が十個に増えてますです! ここです。そして妖怪が出てます。輪入道(わにゅうどう)ですね。溜石のすぐ近くにいます。天逆毎は、探知範囲にはいませんです」

 そう言いながら童女妖怪は、有漢地区西側の溜石を指さした。

「輪入道か」

「天子さん、強敵なの?」

「いや、まったく手ごわくはない」

「あれ? じゃあ、どうしてそんなにいやな顔をしてるの?」

「いやらしいあやかしなのじゃ」

「いやらしい?」

「五百年と少し前になるか、この里に輪入道が出たことがある」

「あ、戦ったことがあるんだ」

「わらわは、輪入道がどういうあやかしであるか聞き知ってはおったが、力や習性について、詳しくは知らなんだ」

「うん」

「里に、おかじという女がおってのう」

「かじさんだね」

寡婦(かふ)であった」

「かふ?」

「夫を亡くした女のことじゃ。法師どのならば、後家(ごけ)と言うであろうな」

「ああ、山口さんのことも、そう言ってたね」

「おかじには娘があった。おとよ、という。三歳になったばかりの、かわいい娘であった」

「母子家庭だったんだね」

「うむ。貧しくはあったが、周りの者も気を遣って雇われ仕事が切れることはなかった」

「幸せに暮らしてたんだね」

「その幸せが、ある夜壊れた」

「何があったの?」

「おかじは首をくくって死んでいた」

「えっ」

「おとよも死んでいた。その死に方が異状であった」

「ど、どんなふうに」

「包丁でずたずたに切断されておったのじゃ」

「うえっ」

「しかも、手足やはらわたを食い荒らした痕があった」

「それは、また、なんという」

「村の者たちは、おかじが亭主を亡くした寂しさに狂って娘を殺して死に、その死体を山犬が食い荒らしたのだと噂した」

「状況からしたら、そんなふうにみえたんだね」

「だが家を訪れたわらわは、かすかに妖気が残っておるように感じた。また、獣を飼っているわけでもないのに、少しばかり獣臭さを感じた」

「輪入道のしわざだったんだね」

「すぐにそうとは気づかなんだ。気づいておれば、二番目、三番目の悲劇は防げたやもしれぬ」






挿絵(By みてみん)

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