表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第13話 輪入道(わにゅうどう)
57/90

前編

1


「当分のあいだ、山口さんの家への配達はお断りします」

「うむ。それでよい」

 ちょっとひどい話だと思う。うちは乾物屋だ。客商売だ。

 それが特定の客への配達を拒否するって、どいういうこと?

 とはいえ、今の天子さんは、理屈ご無用モードだ。

「未完さんをミカンとは呼びません」

「うむ。それでよい」

「でも、あの」

「何か不満でもあるのかえ?」

「い、いいえっ。不満なんて、めっそうもない」

「当然じゃ」

「でも、ニックネームで呼んでいいと本人が言ったのに、ニックネームで呼ばないとなると、未完さんが傷つくんじゃないかと」

「それじゃ」

「どれでございましょう」

「その優柔不断さがいかんのじゃ」

「これは優柔不断なのかなあ」

「そこにあやつらが付け込む隙がある。逆にいえば、おぬしのほうにもその気があるのではないかと、あやつらに思わせてしまう」

 もはや、山口さんも未完さんも、〈あやつら〉扱いされてる。

「それはかえって残酷じゃ」

「そうかなあ」

「……わらわの言うことに不服があるのかえ?」

「ございません」

「そもそも、未完の家族が未完のことをミカンなどと呼ぶのを聞いたことがない」

「あ、そうなんだ」

「たぶん、ミカンという呼び方には、特別な意味がある」

「考えすぎじゃあ?……いえ、何でもございません」

 天子さんの厳しい視線に射すくめられながら、ぼくはうれしかった。

 だって天子さんは、あまりにおとなすぎた。

 何でも知っていて、何が起きても泰然としていて、ぼくとはちがいすぎた。

 でも今の天子さんは感情が高ぶるまま、ぼくに理不尽な要求を突きつけてる。

 これって、嫉妬だよね。

 あの天子さんが嫉妬してくれてる。

 そのことが、なんともうれしい。

「何をにやにやしておるのじゃ」

「ひいっ。い、いえ! 何でもございませんです」

 ツンがきつい。

 だけど、ツンがきついということは、そのあとのデレもそれだけ甘いにちがいない。

〈怒ってばかりで、ごめんね、鈴太さん〉

〈いいんだよ、天子〉

〈あなたがいろんな女の子にもてるからいけないのよ〉

〈そうだね。ごめんね。みんなぼくが悪いのさ〉

〈やさしいのね〉

〈ぽくにはみんな、わかっているさ〉

〈ほかの()をみちゃ、いや〉

〈君以外の女性なんて、ぼくの瞳には映っていないさ。ほら、みてごらん〉

〈鈴太さん〉

〈天子〉

「だから何をにやにやしているのじゃ! 気色の悪い」

「……すいません」


2


 翌日は、天子さんが食事当番だった。

 神社のお掃除から帰ってくると支度ができていた。

 今日の朝食は、なんだか豪華だ。

 これはデレなのかな?

 油揚げを使ったおかずが二品もあって、童女妖怪は有頂天だ。

 溜石に変化はなかった。

 昼前後に、少し雨が降った。

 これから昼食というとき、未完さんがやって来た。

「悪い、悪い。遅くなっちまってよ」

 いや、べつに待ってはいなかったんだけどね。

「今日の昼ご飯は何だい? おっ。オムライスか。あたし、これ大好きなんだ」

「天子さん。未完さんの分もお願い」

「うむ。用意してある」

「おい、鈴太。あたしのことは、ミカンって呼べよ」

「いや、それは遠慮しとくよ」

「なんでだよ」

「未完さんっていう呼び方が好きなんだ」

「え?」

「〈ひでひろ〉って、いい名前だよね」

「そ、そうか?」

「それに〈さん〉を付けた〈ひでひろさん〉。ほんとに美しくて格調の高い呼び名だと思う」

「い、いや、そんな。美しいだなんて」

「こんなに柔らかくって、気高くって、それでいて温かみのある呼び名は、そうあるもんじゃないよね」

 未完さんは、真っ赤な顔をしてうつむいている。

「うほん。うほん」

 天子さんがオムライスを盛り付けながら、わざとらしいせきをする。

 なんだよ。しかたないでしょ?

 〈ミカン〉て呼ばなくていいことを納得してもらわなくちゃならないんだから。

「うめえなあ、このオムライス」

「大切りの油揚げが入ってるのがチャームポイントなのです。油揚げのみじん切りを浮かべたオニオンスープもデリシャスなのです」

「未完さん。ところで、大学、授業中でしょ? 帰らなくていいの?」

「え? いや、うちは春学期と秋学期の二期制でよ。九月二十日まで休みなんだ。履修ガイダンスがあるから十一日には行かないといけないけどよ」

「そうなんだ」 

 昼食を食べて、未完さんは帰った。

「おぬし、あれはわざとか? わざとなのか」

 天子さんがぐいぐい迫ってくる。

「え? 何のこと?」

「何のこと、ではない。ミカンと呼ばぬのは、親しさに一線を画すためじゃというのに、口説いてどうする」

「口説いてなんかないよ。ミカンと呼ばないことをこころよく納得してもらうための理屈を考えたんだよ」

「その説明のしかたが問題なのじゃ! まったくもう。虫も殺さぬ顔をしおって、天性の女たらしとは」

「え? それはぬれぎぬだよ。ぼくは天子さん一筋なんだから」

「そんなことをさらっと言えるところが、ますます女たらしじゃ」

「何だかお取り込み中みたいねえ」

「うわっ、山口さん!」

「鈴太さあん」

「はい?」

「そろそろ、美保って呼んでくれてもいいんじゃないかしら」

「それは許さん」

「あら、どうして天子さんが答えるのかしら?」

「許さんのがわらわだからじゃ」

「おお、こわ。鈴太さあん。小豆島のお醤油。全部実家にあげちゃったのよ。あとで一本配達してもらえるかしら」

「は、……いや、それが、その」

「どうしたの? 今日は忙しいなら、明日でもいいわ」

「それがですね。つまり、その……」

 マリアさま、じゃなく天子さんがみてる。白い目だ。ああ、もうなんか快感に思えてきたよ。早く言えって催促してる。

「諸般の事情により、山口さん宅への配達は、当分のあいだお断りさせていただきます」

 言った。

 言ってしまった。

 考えたら、これはひどい。

 山口さんが激怒してもしかたない。

「へえ? ……ふうーーーん」

 だけど山口さんは、怒るどころか、楽しそうな顔になり、ぼくと天子さんを交互にみた。

「ライバル認定してもらえたのかしら?」

 すごくいい笑顔で笑った。

「それに、お二人さんにも進展があったみたいね」

 進展?

 進展て、何のことだろう。

 ていうか、みてわかるものなの?

「ふふふ。おもしろくなってきたわね」

 いや、こっちは面白くありません。生死の境です。

「じゃ、お醤油を売ってもらえるかしら。持って帰るから」

「は、はい」

 お金を受け取ってお釣りを渡し、一升瓶のお醤油を布巾で拭いて緩衝材で包むと、一升瓶サイズの手提げ袋に入れて渡した。

 山口さんは、ウインクを一つ残して、すたすたと帰っていった。

 配達、必要ないじゃん。

「ハーレム状態に戻ったのう。うれしいかえ?」

 ハーレムって、こんなに疲れるものなの?

 もっと、きゃっきゃうふふな感じじゃないの?


3


 ネットで注文した半紙と筆と墨液が届いた。

 千枚二千二百円の漢字用半紙だ。

「ふむ。機械漉きじゃが、まあちゃんとした紙じゃな。これならよい」

 天子さんから合格判定が出た。

「さて、まずは楷書からじゃ。漢字の〈一〉を書いてみよ」

「うん」

 ぼくは筆に墨をつけ、〈一〉の字を書いた。

「よしよし。次は、わらわが書くのをよくみて、まねをしてみよ」

 天子さんが、半紙に〈一〉の字を書いた。

 かっこいい。

 それに文字に表情がある。

 ただ横に棒を引っ張っただけの、これ以上ない単純な字なんだけど、はじまりの部分、真ん中の部分、終わりの部分に、それぞれドラマがある。

 ぼくは目を閉じて、天子さんの動作を思い出し、その通りに筆を動かした。

「おおっ。うまいではないか」

「そ、そうかな」

「うむ。最初のうちは、あまり字の形や細かいことは気にせずに、字を書く雰囲気をつかむことじゃ」

「雰囲気?」

「あるときには、すっと書き、あるときには、ぐっと力を込め、あるときには、ふっと力を抜く」

「ふんふん」

「わらわが見本をみせるゆえ、形ではなく、心をまねるのじゃ」

「心をまねる?」

「そうじゃ。書かれた字ではなく、書く者の呼吸をつかめ」

「うん」

 もう一度、天子さんの動作を思い出しながら、〈一〉の字を書いた。

 最初は、ぐっと半紙をつかむように筆の穂先で紙を捉え、ぐっと力を入れて右に引き、最後はぴたりと止めてから、左上に切り返すように、筆を離す。

「うむ。よいよい。中央の部分を書くとき、もう少し筆勢があるとよいの」

「ひっせい?」

「筆の勢いじゃ」

 筆勢を強めてもう一度書いた。

「よしよし。さらにいえば、こういう楷書の筆運びはのう、筆で紙を切るような心持ちになるとよい」

「筆で紙を切る」

 面白い表現だ。そういうつもりでもう一度書いた。

「おおっ。よいではないか」

 自分でもそう思う。

 うまい字ではない。だけど、すごく生き生きしてる。字が自己主張してる。

 そうか。これが、字を書くってことなんだ。

 五回ほど〈一〉の字を書くと、次に進んだ。

「次は、〈二〉の字じゃ」

 天子さんが見本を書く。

「横画のことを(ろく)という。この上側のように下に反る勒を(ぎょう)といい、下側のように上に反る勒を(ふく)という」

「うん。書いてみる」

 そのあとレッスンは〈三〉へと進んだ。

 ぼくは楽しくてしかたない。

(なんか、最初にこの店の商品の説明を受けたときみたいだな)

(二人っきりで、マンツーマンで、いろいろ教えてもらって)

 このままの時間が、ずっと続けばいい。

 続くうちには、いろいろとアクシデントもあるはず。

〈どうした鈴太。そこは筆をこう持つのじゃ〉

 天子さんが、筆を持つぼくの手に手を添えて、動きを教えてくれる。

 そのうち、背中に当たる、柔らかい感触。

 驚いて振り向くと、ぼくの鼻をかすめる髪の毛。

 天子さんは、ちょっと驚いてからほほ笑む。

〈どうかしたのか?〉

〈天子さん。書道のほかにも教えてほしいことがあるんだ〉

 からみ合う視線と視線。

〈みなまで言うな。わかっておる〉

〈天子さん!〉

〈鈴太……〉

「よし。次はこの字じゃ」

「うん……え?」

 いきなり難しい字になった。

 〈東〉だ。

 いや、ふつうに考えれば難しくもなんともない字なんだけど、〈一〉〈二〉〈三〉ときたあとに〈東〉とくると、すごく高度な感じがする。

 手本を書き終えた天子さんは、筆を洗って筆掛けに吊した。

「わらわは帰る。あとはそのお手本と対話しながら自分で練習せよ」

 そう言い残して帰ってしまった。

 屋根に登ったらはしごをはずされた気分だ。

 気がつくと、足がひどくしびれてた。

 ちょっと涙目になりながら足のしびれを取る。

 筆を洗ってよく拭き、天子さんの筆の隣に掛けた。

 しばらくぼおっとした。

 それから、硯に墨液を落とし、一度洗った筆に墨をつけ、お手本とにらめっこしながら、〈東〉の字に挑戦した。

 書いても書いてもうまくいかなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ