後編
15
翌朝は、寝過ごして神社掃除をさぼってしまった。
どうも近頃、何かと神社の掃除を休みがちだ。反省しないといけない。
未完さんから電話がかかってきた。
お母さんから連絡があったらしい。しかも、一日空いたことなんか気づいてもいないような、いつも通りの連絡だったという。そのお礼だけを言うと、ろくにこちらにしゃべらせずに通話を切った。通話の終わりに、続きはあとでな、と言っていたから、またあとで電話がかかってくるだろう。
朝食前にやって来た天子さんは、小麦粉の降りかかった姿なんて思い出させもしない、すっきりした顔だった。どうでもいいけど、朝食に現れた童女妖怪も、小麦粉のことはなかったといわんばかりの顔だった。
ぼくの頭には少し小麦粉が残っている。あのあと風呂に入る元気なんてなかった。朝食のとき、二人がちらちらとぼくの頭のほうをみてるのがわかったけど、言葉にしては何も言わなかった。
童女妖怪は、しきりにあくびをしていた。
妖怪にも寝不足とかあるんだろうか。あるんだろうな。
食後はすぐにお社に帰っていった。
あ、〈探妖〉をしていない。
まあ、いいか。
昼ご飯のときにさせればいい。
こんな日に限って客が多い。秀さんも来て、雄氏地区の謎の眠り病が解決した話をしてくれた。
どうでもいいけど、このことを消防局や県庁や県警本部に報告したら、また一段と村長さんの評価は下がるだろうな。気の毒な人だ。
昼ご飯を食べに童女妖怪が出てきたとき、〈探妖〉をさせた。溜石に変化はなかった。
午後、ぼんやりと店先に座っていたら、その人がやって来た。
「鈴太さあん」
ぼくは顔を上げた。目に飛び込んできたその姿に、眠気が吹っ飛んだ。
「や、や、や、や」
「こんにちわあ」
山口さんは、投げキッスを放って寄越した。ご丁寧に片目をつぶって。
「や、山口さん」
「あらあん。再会がそんなに感動的だった?」
「ど、どうしてこの村に?」
「ひどいわあ。私はここの住人よ。この村に土地と家を持ってるし、住民票もまだここにあるのよ」
「か、帰ったんじゃなかったんですか、熊本に」
「帰ったわよ。帰った翌日、何があったと思う」
「さ、さあ?」
「お見合い。だまし討ちのね」
「ええっ?」
いくらなんでも、それはないんじゃないかと思う。
だけどそれも、ご両親の思いというものなんだろうか。
「さすがにあたしもキレちゃってね。おほほ」
「いや、おほほって」
「コーヒーをぶっかけちゃったのよ」
「えっ? 相手の人にですか?」
「仲人に」
「えええええっ?」
そりゃ、いくらなんでもひどいんじゃないだろうか。
仲人さんに何の罪があるというのか。
「あたしを仲人成功百組目の記念にしたかったらしいのよね、あのおばさん」
「おばさん?」
「父の妹の娘の旦那のお母さんでね。ご主人は父の取引先の銀行の頭取なの」
なんかよくわからんが、あんまり怒らせてはいけない人なんじゃないだろうか。
「そのおばさんがホテルでランチをごちそうしてくれるからと呼び出され、行ってみればどうみてもお見合い。相手の殿方の素晴らしい経歴を滔々とまくし立て始めたわけよ」
「あの。一つ教えてください」
「あら、何かしら。いいわよ、鈴太さんには、何でも教えてあ・げ・る」
「ウインクはいりませんから。その仲人のおばさんというかた、もしかして和服でした?」
「あら、よくわかったわね」
だめだ、こりゃ。
晴れの百組目のカップルの仲人だ。気合い入れた服を着てたんじゃないだろうか。
いったい何百万円の服だったんだろう。
当分熊本には帰れないな。確信犯かな?
それにしても、和服で盛装してる銀行頭取夫人に、ためらいもなくコーヒーぶっかけるとは、なんと恐るべき胆力。
「人がやっと、愛する夫との思い出の家に決別する決心をして傷つき弱っているそのときに、見合いですって。しかも嘘をついて呼び出して」
山口さんの顔つきが、段々とけわしくなっていく。
「前々から、あのばばあ、あたしを早いとこ再婚させなきゃいかんちゅうて、せっついてやがったのよね。自分の仲人趣味のために」
怒りが燃え上がり、まるで般若のような顔になった。
「せからしか!」
思わず背筋を伸ばしてしまった。
山口さんは、怒りを爆発させて気が晴れたのか、やさしげな顔つきに戻った。
「うふん。またいろいろ相談に乗ってね」
「は、はい」
「あ・と・で、ゆっくりと・ね」
そう言ってウインクすると、山口さんは、ばいばいと手を振りながら帰っていった。
ぼくは、ふうっと息をはいて、何げなく振り返った。
鬼の顔をした天子さんが立っていた。
「ひいっ」
「今、おぬし、何と答えた?」
「は、はいっ?」
「いろいろ相談に乗ってね、と言われ、何と答えおった?」
「え? ええっと……」
「はい、と答えておったのう」
「そ、そうでございましたかね?」
冷たい。
天子さんの視線が冷たい。
また雪女にジョブチェンジしたみたいだ。いや、雪女どころの冷たさじゃないな。雪女に上級職ってあったっけ? ええっと、雪女の進化形は……
「鈴太ぁ!」
突然呼ばれて、ぼくは振り向いた。
玄関から何かが飛び込んできた。ぼくの胸に。
あ、いい香り。
「ありがとうな!」
「あっ。未完さん」
「あんた、悪い妖怪をやっつけて、母さんを救ってくれたんだろ?」
「い、いや。ぼくがというより、あれは天子さんがね」
「あたし、何か悪い予感がしてたんだ。だから、あんたから電話があったとき、やっぱりって思ったんだ」
「そ、そうなのか」
「今度の妖怪は、何てやつだったんだ?」
「鵺っていうんだ」
「鵺だってえ! とんでもない大物妖怪じゃねえか!」
「あ、そうなんだ。知ってるんだ」
「京都に住んでて鵺を知らねえやつはモグリだよ。そうか、そんなすげえやつが母さんに取り憑いてたのか。それをあんたが助けてくれたんだな」
「いや、だからね。鵺をやっつけたのは、ぼくじゃなくてね……」
「あんたなら、きっと助けてくれると信じてたよ。だけど昨日の夜は心配で眠れなかった。今朝母さんからラインが来たときは、もううれしくてうれしくて、泣いちまったよ」
「よかったね」
「みんな、あんたのおかげだ」
「いや。そんなキラキラした目でみないでほしいな」
「あんたのためだったら、あたし……」
「ところで、未成さんは元気だった?」
「えっ? いや、まだ顔みてねえよ。まずはあんたに会いたかったんだ」
「そりゃだめだ。すぐにお母さんのところに行きなさい」
「でもよう」
「行きなさい」
「わかったよう……優しいんだな」
立ち去り際に、未完さんは顔だけ振り向いた。
「あ、あたしの名前は未完だけど」
「うん?」
「ごく親しいやつは、ミカンて呼ぶんだ」
「へえ、そうなんだ」
「あんたも、ミカンて呼んでいいぜ」
「え?」
言いたいことだけ言うと、未完さんは振り返ってぼくに接近し、ほっぺたにキスをした。そして脱兎のごとく走り去った。
状況に理解がついていかず、ぼうっとして、みおくっていると、後ろから声がした。
「未完と、ごく親しい関係になれて、よかったのう」
背中ではブリザードの気配がしている。
ぼくの頭のなかでは、鵺の鳴き声が響き続けていた。
ヒヨォォォォォォォ〜〜〜〜〜
「第12話 鵺」完/次回「第13話 輪入道」




