中編2
8
昨日にもまして晴天だ。
天子さんの顔色もいい。
顔色はいい。
いいのだが、なぜか布団から起き上がろうとしない。
「すまぬのう、鈴太。今日はわらわが当番の日じゃが、これでは炊事などできそうもない」
ちらちらとぼくのほうをみあげるようにうかがう。
「代わってくれるのであろうな?」
「も、もちろんだよ」
なんなんだ、この展開は。
「わらわは、おかゆを希望するのじゃ」
「うん。わかった」
ぼくはおかゆを作った。胃の調子が悪いときなんか時々作ってたので、手順はよくわかっている。というか、おかゆなんて、きちんと手順を守って作れば、失敗するような料理じゃない。
副食には、漬物をほんの少しずつ四種類と、あんを作るのに使ったカツオにだし醤油を垂らしたものだ。あと、あんを加えれば六種類のおかずということになる。
「このとろりとしたものは何じゃ?」
「え? おかゆのあんだよ」
「あん?」
「だしに醤油を垂らして葛でとろみをつけたんだ」
「ほう?」
「こうやって、レンゲですくっておかゆにかけてね」
あんのかかったおかゆをレンゲですくう。
「ふうっ。ふうっ。はい、どうぞ」
天子さんがかわいらしく口を開ける。その口にそっとレンゲを運ぶ。
「つつ。あふっ、あふっ。おお! これはうまい。こんなおかゆがあったのか」
おかゆにもかすかに塩味はつけてるけど、このあんを載せれば、ただの病人食じゃなくて、高級健康朝食になる。
そもそもこの村は、お米と水がおいしい。この二つがおいしいということは、ほんとに幸せなことなんだ。
「これ、鈴太。次を待っておるのじゃ」
「あ、ごめん」
ぼくは、もう一度あんのかかったおかゆを、ふうふう吹いて冷ましてから、天子さんの口に運んだ。
天子さんは、なんともうれしげに、あつあつのおかゆを味わう。
そんなことを、何度か続けた。
気がつけば、童女妖怪が、うらやましそうにぼくたちをのぞき込んでいる。
「おいしそうなのです」
ぼくが視線を向けると、つぶらな瞳をくりくりと輝かせて、口を大きく開いた。
「あーん」
梅干しを放り込んでやった。
9
おかゆを食べ終わると、天子さんは何事もなかったかのように、すくっと立ち上がった。
「よし。出るぞ」
「いや、ちょっと待って。今まで寝てたじゃないか」
「もう起きた」
「自分でご飯も食べられなかったのに」
「甘えてみたかっただけじゃ」
それは、堂々と宣言するようなことじゃないからね。
ぼくの内心の突っ込みを置き去りにして、天子さんは手早く着替えて童女妖怪に言った。
「長壁、〈探妖〉を頼む」
「はいです!」
例によって紙つきの棒きれをわしゃわしゃと振り回し、〈探妖〉が行われた。
「溜石には変化なし! 鵺の位置はここです!」
地図をのぞき込んだ。
なんと、昨日とまったく同じ位置だ。つまり天子さんが倒れていた場所だ。
「ほう。なめてくれたものじゃ」
どことなくすごみのある声で、天子さんが言った。
ぼくと天子さんは、歩いて雄氏地区に向かった。童女妖怪はお守りに入っている。
「ここだ」
「うむ。長壁よ、出てまいれ」
「呼ばれて登場! じゃじゃーん」
「わらわには鵺の気配が感じられぬ。長壁、どうじゃ?」
童女妖怪は、目を閉じてしばらく辺りの気配をうかがった。
「うーん。あちきにも探知できないです。この近くにはいないか、それとも」
「なんだ、ちびっこ。それとも、の次は?」
「〈隠形〉を使ってるかですね」
「……やはり〈隠形〉持ちかのう」
「天子さん。その〈隠形〉というのを使ってると、天子さんやおかさべでも気配がわからないの?」
「わらわの探知力では、無理じゃな。長壁なら、〈隠形〉を使うた相手でも、近距離なら探知できるのではないか?」
「はいです。天狐さまが〈隠形〉を使ってるときでも、十メートルやそこらなら探知できますです」
「それはよい。では、辺りを調べてみよう。鈴太」
「うん」
「長壁をおぶってやれ」
「ええーっ」
「ええーっ」
「おぬしら、ほんとに仲がよいのう。とにかくその姿ではこの木立のなかは歩けぬ。鈴太がおぶうしかあるまい」
確かに童女妖怪の身長で、しかも十二単を着たままでは、とてもここの探索はできない。しかたないのでおぶってやった。
「そら行け〜」
背中の童女妖怪が右腕をぐるぐる回している。
ふらついたふりをして、木にぶつけてやろうか。
そう広い森というわけでもなく、隅から隅まで歩き回っても、二十分ほどしかかからなかった。しかし、みつからない。
「おらんのう」
「いないね」
「いないです」
そのとき、ラインが来た。
童女妖怪を一度降ろして発信者をみると、未完さんからだった。
「あれ? こんな時間に珍しいな」
通信文を読んで、ぼくは眉をひそめた。
「どうしたのじゃ?」
「いや、未完さんからなんだけどね。未成さんから朝の連絡がなかったんで、ラインを入れたり電話をかけたりしたんだけど、全然反応がないんだって」
「ほう。それで、ようすをみてほしいというのかの」
「そういうわけでもないんだけどね。〈どうしちゃったんだろう〉って書いてる」
それにしても、あの足川未成さん、毎朝京都の娘に連絡してたんだ。まあ、母娘なんて、そういうものかもしれない。
「ふむ。森の次は宅地を探さねばならぬ。まず足川家辺りから探ってみるか」
「うん」
再び童女妖怪を背負い、ぼくは足川家のほうに向かった。
雄氏地区のうち、西側から中央にかけては、わりと起伏が少なく、宅地が密集している。ここに村役場などもある。
東側から南側にかけては、起伏も多く、家と家の距離も離れている。各家には庭とか畑とかがあるし、家と家のあいだには小さな木立があることも多い。
足川さんの家は、雄氏地区の東側にある。
村役場にもバス停にも近いけど、ちょっと坂を登らないと着けない、森の入口のような場所にある。
ぼくたちは、森の側から足川さんの家の前に出た。
玄関のインターホンを鳴らしたけど、反応がない。
四度鳴らしたあと、声を上げた。
「足川さーーん」
もう一度声をかけた。
「足川さーーーーーーん」
反応がない。
ドアノブに手をかけると、開いた。
玄関のなかに入って、家のなかにもう一度声をかけた。
「足川さーーん」
ぼくは思いきってスニーカーを脱いで上がり込み、ちょっと恐る恐る奧に進んだ。
突き当たりの右側の部屋から明かりが漏れている。
「こんにちは」
声をかけてから引き戸を開け、なかに入った。
食堂とキッチンが一つながりになった部屋だ。
流し台の前に人が倒れている。
近寄ってみると、未成さんだった。
「足川さん。足川さん。どうしたんですか!」
声をかけた。肩を揺さぶってもみた。だけど反応がない。
体温はあるし、息もしているから、死んではいない。でも、こんな所で倒れていること自体異状だ。
「どうしたんだろう、いったい」
呆然としていると、天子さんがやって来た。
「二階の寝室をみたが、主人が寝ておる。起こしても起きぬ。同じ状態じゃな」
「えっ」
「とにかくそのままにはしておけぬ。鈴太、未成を抱え上げ、二階に運ぶのじゃ」
「う、うん」
二階に上がると、ご主人が寝ている布団の横に、女物の布団が敷いてあった。
「ここに寝かせるのじゃ」
天子さんの指示に従って、未成さんを寝かせた。
「さて、これは何かの病気なのじゃろうか。それとも……」
「妖怪の匂いがするのです」
「うおっ。いつもながら、突然だな」
「呪いか何かですね、これは」
「えっ」
「なに? まさか、鵺のしわざか?」
「そうかどうかはわからないです。とにかく、気味の悪い妖気がまとわりついてます。呪いの一種です」
「ふむ……このままここにおっても、わらわたちにできることはない。鈴太よ、住宅地を調べるぞ」
「う、うん」
未成さん夫妻をこのままにしていいのか気になったけど、呪いだというなら医者を呼んでもしかたがないし、そもそもこの村に医者はいない。とにかく天子さんと一緒に足川家を出た。
それからしばらく童女妖怪を背負って宅地を調べたけれど、鵺はみつからなかった。ぼくたちは、帰宅して昼食を取った。天子さんが料理をしているあいだに、未完さんには、お母さんは自宅で寝てた、とだけ返信をしておいた。
「鈴太よ」
「うん」
「鵺は夜に現れることの多いあやかしじゃ」
「うん」
「夜になったら、もう一度雄氏地区に出かけるぞ」
「わかった」
「わらわは法師どののようすをみにいってくる。おぬしは、体を休めておけ」
「うん」
10
天子さんが出ていったあと、ぼくはネットで鵺のことを調べた。
まず、姿について、いろいろな説があることがわかった。
猿の頭、狸の胴体、虎の手足に、蛇の尾を持つという資料もある。
虎の胴体と狐の尾を持つという資料もある。
猫の頭に鶏の胴体という資料もあるらしい。
別の説では、虎と蛇と猿と犬と猪を合わせた姿だともいう。
とにかく、いろいろな獣が合成された奇怪な妖怪だ。キメラだな。大昔にマッドサイエンティストな錬金術師がいたんだろうか。
もともと鵺という名の鳥がいて、その声に似た声で「ヒヨー、ヒヨー」と鳴くから〈鵺〉と呼ばれるようになったようだ。というより、〈鵺の声で鳴く怪物〉と呼ばれていたのが、時代をへるうちに〈鵺〉と呼ばれるようになった。
平安時代末期、天皇の御所で毎夜不気味な鳴き声が響いた。天皇は病気になってしまい、どんな薬や祈祷も効果がない。そこで、弓の名人である源頼政が命じられて怪物退治をすることになった。頼政は、大江山の鬼退治や土蜘蛛退治で有名な源頼光の子孫だ。
頼政が御所を覆う黒雲に矢を射ると、鵺が悲鳴を上げて落ちてきた。ということは、鵺は御所の屋根にいたのかな? たちまち鵺は退治され、天皇の体調も回復した。
鵺の死骸は鴨川に流され芦屋のほうに漂着して葬られたともいう。
淀川下流の寺に埋葬されたという伝えもあり、京都の清水寺に埋められたという伝えもある。
変わった伝説として、鵺の死霊が馬に変じ、頼政に飼われたというのもある。
浜名湖の西に鵺の死骸が落ちたという伝説もあるようだ。その伝説では、鵺の羽根が落ちた場所が〈羽平〉と呼ばれるようになったというから、鵺には羽根があったという説もあったことになる。
驚いたことに、鵺の正体は頼政の母親だったという伝説もあるそうだ。源氏が再び勢いを取り戻し息子が栄達することを竜神に祈願したところ、鵺の体になったので、京都に飛んでいって天皇を呪詛した。そして息子の頼政に倒され、手柄を立てさせたというのだ。
鵺にゆかりの史跡も京阪神各地にある。
ひどく捉えどころのない妖怪だ。
いろいろな情報をたどってネットの海を泳いでいるなかに、こんな記述をみつけた。
〈鵺は丑の刻に鳴けり。その声奇怪の極みなり。一夜聞けば五体凍り、二夜聞けば魂魄凍り、三夜聞きたるとき永らえる者なし〉
どきり、とした。
〈一夜聞けば五体凍り〉とある。
未成さんの症状は、まさにこれじゃないだろうか。
そして、〈三夜聞きたるとき永らえる者なし〉とある。
まずい。
このままでは、まずい。
未成さんが死んでしまう。
ぼくはやきもきしながら天子さんの帰りを待った。
そうしているうちに、お客さんが五人ほど来た。
そのうち二人が、何か雄氏地区で事件が起こったらしいという噂を教えてくれた。大事件のようだという。未成さん夫妻のことかと思ったが、よく考えると、客観的には夫婦が寝坊してるだけのことなんだから、大事件というのは違和感がある。
いったい何が大事件なのかは、そのあとやって来た秀さんによって判明した。
この人、いったいどうやって情報収集してるんだろう。
発端は、急ぎの仕事を抱えた村役場の職員が、昼近くになっても出勤しなかったことだった。そもそも無断欠勤や無断遅刻をするような人ではない。電話をかけたけれど出てこない。村長さんは不審に思った。職員の家は雄氏地区にあり、役場から遠くないので、自宅を訪ねた。
そして、居間で倒れている職員を発見した。
この村のことを知らない人なら、玄関には鍵が掛かっていたろうから、窓でも割って家に入ったんだろうかと想像するだろう。
しかし、それはちがう。
都会の人間には考えられないことだけど、この村の人たちは、あまり玄関に鍵を掛けるという習慣がないらしい。夜寝るときはもちろん、ちょっとした外出などでも、鍵を掛けないで平気で出かける。そういう風習というか、文化なのだ。
村長さんは、鍼灸師の玉置先生を呼んだ。玉置先生が駆け付けたけれど、病気なのかどうかわからない。
村には薬屋はあるけれど医者はいない。薬屋も薬剤師がいない薬屋だ。急病人が出たら町から救急車を呼ぶ。しかしさすがに、この段階では救急車を呼ぶ判断まではできなかった。
そうこうしているうちに、玉置先生に呼び出しがかかった。雄氏地区に住んでいる兄弟の一家が全員寝たまま起きないので、往診に来てほしいという電話だった。村長さんは、玉置先生と一緒に、その家に行った。なにしろ二軒隣だ。あまりに早く着いたので、呼び出した人もびっくりしたらしい。
同じ症状だった。家族四人全員が布団に入って眠っていて、大声で呼びかけても揺さぶっても起きない。小学生のこどもも学校にも行かず寝たままだ。
このとき、村長さんはいい判断をした。隣の家を訪問したのだ。その家でも、一家全員が眠りこけていた。
村長さんは、平井巡査に連絡を取り、また役場職員を動員して、隣近所の調査を行った。すると、雄氏地区東側の六軒で、家族全員が眠り込んでいるのが確認された。
ただちに村長さんは、救急車の出動を要請した。それはよかったんだけれど、要請のしかたがまずかった。
「伝染病が発生した」
と訴えたらしい。先方でもこの要請への対応に困った。なにしろ二十人を越える人間を一度に救急搬送してほしいというのだ。それに対して村長さんは、眠り病ではないかとか、このまま放っておくと全員死んでしまうとか、思いつくままに恐ろしさを誇張して、救急車の派遣をせがんだらしい。
ところが症状といえば、ただ眠っているだけのことであって、苦しんでいるわけでも、体温の異常な上昇や発汗があるわけでもなく、顔や体が変色したりしているわけでもない。
結局、救急車は派遣されなかった。状況の推移をみまもり、また、睡眠薬その他服用がなかったか、その地域の人が前日に一緒のものを飲食したような形跡はないかなどを調査するようにというのが、先方の指示だ。
村長さんは大いに怒って、県警本部や岡山県庁にも電話をしたらしいが、対応はひどく冷淡なものだったという。
「村長が怒って電話をたたきつけたんが、三十分前のこっちゃ」
いや、ほんと。そのホットな情報の収集方法を、ぜひ知りたいです。
もしかして秀さんは、忍者の子孫なんじゃないだろうか。
それにしても、六軒か。そしてその場所を聞いてみると、足川さんの家の近くに集中している。この一帯の人たちが、鵺の鳴き声を聞いたんだ。
ぼくは恐ろしいことに気づいた。
鵺が昨日と今日、同じ場所にいた理由を思いついたのだ。
それは、三日続けて声を聞かせるためじゃないのか。
鵺の鳴き声を三夜続けて聞いた人は、死ぬ。
移動して鳴いたのでは、同じ人に続けて鳴き声を聞かすことができない。
だから鵺は、三夜続けて鳴くまでは、別の場所に行かないんじゃないだろうか。
日中はどこかに行っているんだろう。そして夜になるとあの場所に戻って来るんだ。
どうしても今夜のうちに、鵺を退治しなければならない。もしも失敗すれば、六軒の家の人たちが、みんな死んでしまう。




