後編
14
なかなか寝入ることができなかった。
やはり興奮していたし、心のなかは、すごく混乱していた。
山口さんは、どうして急にあんなことをしたんだろう。
今まで、ぼくに気のあるようなふりもしていたけれど、あれはお遊びのようなものだと思ってた。
だって、山口さんは、今でも亡くなったご主人を強く愛しているのだから。
喪失感のあまり妖怪になりかけたほど、愛しているのだから。
そんな山口さんが、ぼくに体を与えようとしたのは、いったいなぜなんだろう。
寂しかったから?
つらさを埋めるため?
ぼくにはおとなの女の人の心理はわからない。ぼくがもうちょっとおとなだったら、あのまま山口さんを抱いていたんだろうか。
途中でやめてしまって、彼女を傷つけてしまったろうか。
わからない。
何もかもわからなかった。
妙なことを考えついた。
骨女のことだ。
骨しかないけど、もとは女だったんだろう。
骨女は幻覚をみせてまで、男に愛されたい。
それは男の精を吸うためだ。男の精を吸わないと、骨女は生きてゆけない。
生きてる女も、同じかもしれない。
愛するだけじゃ、だめなんだ。
愛されないと、だめなんだ。
男から愛をもらわないと、せつなくて、せつなくて、生きてゆけないんだ。
すべての女の人がそうであるわけじゃないし、そういう女の人も、いつもいつもそうであるわけじゃない。
だけど、時々、どうしようもなく愛されたくてしかたがなくなることがあるんじゃないだろうか。
それとも。
それとも、もしかしたら。
もしかしたら、物の怪になってしまったことを思い出したからかもしれない。完全に物の怪になってしまう寸前だったことを知ってしまったからかもしれない。
だから、まだ自分は人間だと確かめたかったんじゃないだろうか。人間を愛し、人間から愛される存在だと、体で納得したかったんじゃないだろうか。自分は人間だというしるしを、体に刻んでほしかったんじゃないだろうか。
そうだとしたら、ぼくは助けを求めて差し伸べられた山口さんの手を、無情にはねのけてしまったことになる。
わからない。
わからない。
そんなことをもんもんと考えているうちに、いつのまにか午前一時を過ぎていた。
寝苦しいなと思っていたら、すうっといい風が入ってきた。
何とも気持がいい。重苦しさが吹きはらわれた。
あれ?
家に帰ってから、この部屋の窓を開けたかな?
いや、まあ、開いているんだから開けたんだろう。
ぼくは、布団を深くかぶり、目を閉じて呼吸を落ち着けた。
うつらうつらと浅く寝入っていた。
音がする。
遠くから音が近づいてくる。
枯れた木を何十本も打ち合わせるような音だ。
がちゃがちゃ、かつんかつん、こんこん、ぽきぽき。
音は段々近づいてくる。
ぼくは布団をはね上げて飛び起きた。
Tシャツを着てジーンズをはくと、居間に走り込んで電気をつけ、お社の前で呼びかけた。
「おさかべ、起きろ!」
少し時間を置いて、ぼーんと童女妖怪が現れた。
「今、油揚げになった夢をみてたですよ」
「目を覚ませ。何かが近づいてくる」
「えっ」
童女妖怪は突然北西の方向に顔を向けた。
「来るです、こちらから。その数二十体。あやかしなのです!」
二十体。
その数を聞いて、ぼくは近づいてくるものの正体がおぼろげながらにわかる気がした。
最初の晩は五体。二日目の晩は十体。そして昨日の晩は十五体の妖怪が出現した。結界の外に出た骨女が、麒麟山の墓地に行って出現させた妖怪だ。たぶん、死体か何かを操っているんだ。
書斎に移動して、棚を開き、書きためておいた〈禁反魂呪〉のお札の束を持って玄関に急いだ。
「おさかべ! 外だ。外で迎え撃つ!」
「はいです」
家を飛び出して右に走った。この位置まで来れば、麒麟山の方角に続く道がみとおせる。
みえた。
「うわっ。何だ、あれは?」
それは骸骨だった。二十体の骸骨だ。
二十体の骸骨が、何か巨大な生白い荷物を抱えてやって来る。
おどけたような動きだ。まるで遊んでいるような歩き方だ。それが逆に恐ろしい。
「スケルトンか。聖水があれば効いたのかな?」
二十体のスケルトンは、わがやから五十メートルほどの距離にある草原で停止した。そして手に持った荷物を、ぽーん、ぽーんと草原の中央に投げ込んだ。そのなかに、巨大なしゃれこうべがあるのに気がついた。
あれは、骸骨だ。巨大な骸骨だ。ただし、ばらばらの骸骨の部分品だ。とてつもない巨人の骸骨をばらばらにしたものを、二十体のスケルトンは手分けして持ってきたのだ。
何のために?
草原の真ん中には、巨大な骨が積み上がった。
するとスケルトンたちは、その周りで輪を作って踊り始めた。
「盆踊り?」
佐渡おけさの動きに少し似ているような感じがする。愛嬌のある、おどけた踊りだ。だがそれを真夜中の草原で、スケルトンが踊るとなると、奇怪そのものの光景だ
「あの大きな骨、とてつもない妖気です」
「大きな骨の正体はわからないか?」
「うーん。あれは妖怪ではないです」
「え? そんなはずはない」
「この距離であちしがみてるのですから、確実です」
大きな骨は、大きな妖気を持っているという。それをこのスケルトンたちが結界のなかに運び込んできた。つまり……。
「そうか! あれは骨女なんだ。骨女の部品なんだ!」
「えっ? そんなはずは……そうだとしても、どうしてあんなに大きいですか?」
「人間の精気を吸ったからだろうな。たぶん、浩一さんだけじゃなく、哲生さんも、ほかの十人も吸われてる。もっと大勢かもしれない」
そのとき、がらがらと骨がぶつかりあう音がして、何かが組み立てられた。
「足だ。巨大な骸骨の足だ。そうか、あの踊りには、巨大な骸骨を組み立てる呪力があるんだ」
「ええっ」
もう一つの巨大な足が組み上がった。
「おさかべ、ほうけてる場合じゃない!」
「は、はいです」
「火車のときと同じように、この札を飛ばせるか?」
「で、できますです」
足の上が、腰に向かって組み立てられていく。
「じゃあ、踊っているあの骸骨たちの額に、このお札を一枚ずつ飛ばせ!」
「はいです!」
どこからともなく紙切れつきの棒を取り出すと、うんうんうなりながら、左右に振り回した。
すでに巨大な骨の腰が完成している。
「えいっ」
ひときわ大きく棒きれを振ると、一枚のお札がひらひらと飛んで、一体のスケルトンの額に貼りついた。とたんにそのスケルトンは停止した。
「よし、次々に行け!」
「はいですっ」
ぐいと棒きれを振り回すと、十枚以上のお札がひらひらと宙に舞った。そのお札を一枚ずつスケルトンに飛ばしていく。
もう巨大骸骨は胸まで組み上がっている。
まずい、まずい。
こんなものが動き出したら、どうにもならない。戦いようなんてない。
童女妖怪は必死でお札を飛ばしている。もう十二体のスケルトンを停止させた。
巨大骸骨の肩が組み上がった。
スケルトンは次々に停止してゆく。
あと二体!
間に合いそうだ。
巨大骸骨の右腕が組み上がったところで、すべてのスケルトンが停止した。
「ふう〜〜〜っ」
ぼくは地面にへたり込んだ。
その膝のうえに童女妖怪が座り込んだ。
「ま、間に合ったです」
「よくやったぞ」
「えへへ」
そのときである。
ぎしぎし。
みしみし。
不気味な音がし始めた。
「な、なんだ?」
ばきっ、ばきっ。
太い枯れ木が折れるような音がして。
巨大骸骨が動きだした!
腰をかがめて右手が地面をあさっている。
何かを拾い上げて左肩につけた。
「こ、こいつ、自分で自分を組み立ててるんだ!」
「あっ!」
「どうした?」
「骨女です! この巨大な骸骨は骨女です!」
みるみる左手が完成した。
そして巨大骸骨は、両手で頭蓋骨を持ち上げた。
「おさかべぇ! 巨大骸骨の額に、お札を貼り付けろ!」
「は、はいですぅ!」
ぐるぐると棒きれを振り回し、えいやっと掛け声をかけて、お札を飛ばした。
巨大骸骨は、まさにその瞬間完成した。
その完成した頭部に向かって、まっすぐにお札は飛んでゆき。
胸の辺りで失速してひらひら舞い落ちた。
「と、届きません!」
もう一回やってみろと言いかけて、ぼくはみた。
巨大骸骨の虚ろな眼窩に妖しい火がともるのを。
「う、うわっ」
なぜか巨大骸骨は、ぼくに向かって、どしん、どしんと歩いてきた。ものすごい歩幅だ。
そして右拳を振り上げて、まっすぐ打ち下ろしてきた。
「うひゃああああっ」
悲鳴を上げながら、ぼくは転がって逃げた。
どかん!
とすさまじい音がした。
みれば巨大骸骨の右拳が、深々と地面にめり込んでいる。
あんな攻撃を受けたら、一撃で死んでしまう。
そして巨大骸骨は、もう一度右拳を振り上げた。
尻もちをついたままのぼくは、どこにも逃げられない。
巨大骸骨が、かたかたと音を立てて笑った。そして右拳がさらに高く振り上げられる。
ぼくの前に何かが躍り出た。
童女妖怪だ。童女妖怪がぼくの前に立ちはだかって、両手を必死に広げている。
「だめだ!」
巨大な右拳がまさに振り下ろされようとしたとき、大声が響き渡った。
「破邪招来轟火爆炎!」
怪物の頭蓋骨が爆発した。
頭部を失った巨大骸骨は、それからしばらくのあいだ、右拳を振り上げた姿勢を保っていたが、びしびし、ぴきぴきと、ひびが走るような音がして、骨と骨とは結合の力を失い、やかましい音を立てながら崩れ去った。
左のほうをみると、南部さんの竹垣の角に呪禁和尚さんがいる。
「やれやれ、まにおうたか」
それだけ言うと、和尚さんも地面にへたり込んだ。その後ろから、天子さんが現れ、こちらに歩いてきた。
「おぬしが起きて結界を出るとは思いもせなんだ」
「結界?」
「あれが近づいてくるのがわかったゆえ、わらわは家を結界で包んで、法師どのを呼びに行ったのじゃ」
「あ、そうだったんだ」
その結界は、外からの攻撃を通さないかわり、内からなら外に通れる種類のものだったんだろう。
つまり、家でじっとしてれば、ぼくは安全だったんだ。
「守っててくれたんだね」
「当然じゃ。わらわの住まいが麒麟山にあるとは、村の者たちは知らぬゆえ、鈴太の家が狙われたのじゃな。それに骨女めは、鈴太自身も狙っておったようじゃ」
「そうか。午前中に浩一さんが鎌を投げつけてきたとき、何かにはじかれて助かったような気がしたんだけど、あのときも天子さんが結界を張ってくれたんだね」
「うむ。わらわはずっと鈴太のそばについておったゆえな。もっともあの鎌は、結界で防がずとも当たらなんだじゃろうがの」
「ありがとう、天子さん」
「よいよい。それより、立て。夏とはいえ、夜中は冷える。人の身にはこたえよう」
「うん」
ぼくは立ち上がった。
「すごい騒ぎだったけど、ご近所さんたちは起きてこないね」
「あの骸骨どもの妖気を浴びると、ふつうの人間は眠ってしまうようじゃな」
「あ、そうなんだ」
「骨はすぐに消えてなくなるであろう。おぬしは家に帰って休め。わらわは法師どのを送ってくる」
「そうさせてもらうよ。もうくたくただ」
童女妖怪の姿はない。あいつも疲れてお社に帰ったんだろう。
「じゃあ、お休みなさい」
「うむ。お休み」
天子さんに背を向けて、ぼくは家のほうに歩き出した。
歩きながら、考え事をしていた。
さっきの天子さんの言葉が、妙に気にかかる。
そしてもう一度、天子さんの言葉を思い出して、ぼくは衝撃につらぬかれて立ち止まった。
〈わらわはずっと鈴太のそばについておったゆえな〉
午前中も、ずっとそばにいてくれた。隠形で姿を消して。
真夜中にも、ずっとそばにいてくれた。
(ということは……)
体は固まったように動かない。
首だけで振り返る。
ぎりぎりと音を立てて骨がきしむ。
血の気が引くというのは、こういう状態をいうんだろう。
振り向いたぼくをみて、天子さんは静かに笑いを浮かべた。
菩薩のようなほほえみだった。
「第11話 骨女」完/次回2018年1月1日「第12話 鵺」




