中編4
12
次の日、名無しの妖怪は十五体に増えていた。
「長壁よ」
「はいです」
「名無しの妖怪の妖気の質はどうじゃ」
「はい?」
「骨女と似ておらぬか」
「似て……たように思うのです」
「そうか」
「天子さん。名無しの妖怪の正体がわかったの?」
「わからんが、墓場じゃからのう。やはり死体であろうかのう。それにしても、骨女が眷属を作るなど聞いたこともない。やはり溜石の妖気から生まれたあやかしは、普通では考えられぬような力を持つようじゃの」
朝食が済んで早々に、天子さんは消えた。
ところが、長壁が消えない。
「おい、おさかべ」
「何ですか」
「お社に帰れ」
「もう少し出てるです」
「もうすぐあいつらが来る」
「……」
「お前、危ないから、お社に帰れ」
「……もう少し出てるです」
「危ないだろ。お前、実体化してるときは、簡単に怪我するじゃないか」
「あいつらには、あちしはみえないです」
「みえるやつが混じってるかもしれないだろ」
「……」
「第一、お前がいても、何の足しにもならないだろ」
すごく恨めしい目で、童女妖怪がぼくをみあげている。
だけど今は、お前の出番じゃないんだよ。
「この次、妖怪相手のときには、お前を頼りにするから、今日は引っ込んでろ」
「……へなちょこ。危なくなったら、すぐ逃げるですよ」
「わかったよ」
「約束するのです」
「約束するよ」
「なら、お社からみまもってるのです」
そう言って、童女妖怪は消えた。
「ばか。気をつかいやがって」
ぼくはちゃぶ台の前に座って、残ったお茶を飲み干した。
震えている。
手が、震えている。
昨日も一昨日も、心の準備をする時間なんかなかったから、逆に怖くなかった。
今日は、来るだろうとわかって待ち構えている。
そのことが、こんなにも怖い。
ぼくはまだ十八歳だ。ちゃんとしたおとなじゃない。
年配の人に怒鳴られるだけでも怖い。まして相手は武器を持っていて、何かあればそれを振り回してくるだろう。そのことが、こんなにも怖い。
足音が聞こえる。今日も大勢だ。
「こりゃあ、大師堂! 出て来え」
ぼくは大きく息を吸い込んで、両手の手のひらで頬をたたいた。
玄関口に出てみると、哲生さんと浩一さんと、その後ろに十人の男の人がいる。
みんな目つきがおかしい。怒りと憎しみを、強く感じる。
それぞれクワやスコップやツルハシを持っている。
いつもと同じように、先頭にいるのは浩一さんだ。浩一さんは、鎌を持っている。
浩一さんの人相は異常だ。
痩せてるというような段階じゃなく、しゃれこうべの上に皮を張り付けたような容貌になっている。
目だけが丸く大きく見開かれていて、血走ってぎらぎらして、狂気を感じさせる。
唇は薄紫色に腫れ上がって、口の端からはよだれが垂れている。
まっすぐ歩けないで、少し傾いて、かくかくと前に進む。まるで操り人形のような動きだ。
ぼくはもう一度大きく息を吸い込んだ。こんなやつらを相手にするには、腹に力が必要だ。
「魔女を出せ!」
枯れてしわがれた声だ。空気がかすかす喉を通る音が混じっている。ハスキーを通り越して非人間的な声だ。
「魔女って、誰のことですか」
「神籬天子じゃ!」
「天子さんが、どうして魔女なんですか」
「村を呪ったじゃろうが!」
「呪ってなんかいません」
「この村は祟られとる。魔女のしわざじゃ!」
「どうして天子さんのしわざだとわかるんですか」
「あの女に決まっとる!」
「天子さんのしわざだという証拠をみせてください」
そう言うと、哲生さんや後ろの人までが騒ぎ出した。
「うるせえ!」
「ごちゃごちゃ言わんと、神籬を出せ!」
「殺しちゃる。殺しちゃるぞ」
「おめえ、あげえな女をかばうんか!」
「こいつも同じ穴のむじなじゃ」
「こげえなやつ相手にしても、らちがあかん」
「入れ、入れ。どっかに隠れとるぞ」
「どけや、こら!」
大勢のおとなに寄ってたかって怒鳴りつけられるというのは、はじめての経験だけど、こんなに体力と気力を消耗するものなんだ。
だけど今日は、ぼくも負けてはいない。いつまでも負けてちゃいけないんだ。
「こ、ここは通しません」
「なんじゃとお!」
「ふざけんなよ、こらあ」
「昨日もこうやって大勢で押し寄せて、家中を荒らし回ったじゃないですか」
「それがどうしたんなら!」
「悪人をかくまうんか!」
「おめえも怪我してえんじゃな」
「昨日もみつからなかったでしょう!」
突然ぼくが大声を出したら、男たちが一瞬ひるんだ。
「だけど天子さんはみつからなかったじゃないですか! 今日もみつからなかったら、どう責任を取るつもりですか! 証拠もみせず、天子さんを悪者だと決めつけて、人の家を荒して。あんたたちは暴徒だ!」
「なんじゃと!」
浩一さんが、右手の鎌を大きく振りかぶった。
ぼくは恐怖のあまり、大きく後ろに跳び下がって、尻もちをついた。
浩一さんが右手を振り下ろし、鎌を投げつける。何の容赦もない全力の投擲だ。
ぼくは思わず目を閉じた。まぶたを閉じるその瞬間、何かが何かにぶつかる音がして、緑色の火花がみえた気がした。
鎌はぼくに当たらなかった。鎌がぶつかった衝撃もないし、痛みもない。後ろのほうで物音がしたような気がしたので振り返った。土間から座敷への上がり口に、鎌が突き刺さっている。
そのときだ。
「おどりゃあぁぁーーーー!」
誰かの声が聞こえた。
「てめえら、何さらしとるんじゃあ!」
このドスの利いたヤクザ声は。
佐々耀蔵さんだ!
左から飛び込んできた耀蔵さんは、玄関口に立っていた浩一さんの顔を殴りつけた。浩一さんは吹っ飛んだ。
誰かが玄関口から走り込んできた。
新居達成さんだ。
達成さんは、へたり込んでいるぼくの前で身をかがめた。
「羽振さん。だいじょうぶですか」
「あ、ああ。だいじょうぶです」
玄関先では、もう一人の声が響いている。
「お前ら、全員、そこを動くな」
平井巡査の声だ。
達成さんが、ぼくを助け起こしてくれる。
玄関口に歩いて行った。
玄関の前には、耀蔵さんが立ちはだかっている。
「耀蔵さん、どうしてここに?」
「おお、大師堂、だいじょうぶか?」
「ええ。おかげさまで」
「謙ちゃんが自転車飛ばしてるからよう、わけを訊いたらおめえが襲われてるっていうじゃねえか。すぐに達成を呼び出して、達成の車で駆け付けたって寸法よ」
謙ちゃんというのは平井巡査のことだろう。たしか、平井謙吉という名前だったはずだ。
玄関の外にでてみると、平井巡査が宗田哲生さんと十人の男たちと対峙していた。
浩一さんは、完全にノックアウトされたみたいで、玄関の脇に倒れている。そりゃ、あの骨太のこぶしで思いきり顔を殴られたらたまらないだろうと思う。
それにしても、哲生さんと十人の男たちのようすが変だ。
さっきまでは、怒りに満ちた表情で、体中から殺気を放っていたのに、今はぼうっとしてうつろな顔をしている。
ぼくは倒れて気絶している浩一さんをみた。
骨女が本当に操れるのは浩一さんだけなんじゃないだろうか。その浩一さんを通して、哲生さんや十人の男たちを操っていた。中継である浩一さんが気絶したので、操りの糸が切れてしまったんだ。そういうことなんじゃないだろうか。
「わしゃあ、わしゃあ、いったい何を……」
「何をも糞もあるか。その手に持ったクワで、何をする気だったんじゃ」
平井巡査の口調はきつい。
「哲生さん」
「お、大師堂」
「さっき浩一さんが、ぼくに鎌を投げつけたのは覚えてますか?」
「ええっ? 何をばかな……。あああああっ」
衝撃を受けたような顔をしている。記憶がないわけじゃないようだ。
「息子は、わしらは、いったい何を。なんちゅうことを……」
平井巡査が一歩前に出た。
「おめえら、凶器準備集合罪の現行犯じゃぞ。それだけじゃねえ。殺人未遂じゃ!」
「さ、殺人未遂」
哲生さんが呆然とつぶやいて、手に持っているクワを取り落とした。
後ろの十人も、手に持ったスコップやツルハシを地面に落とした。
「平井さん、ありがとうございました。助かりました」
「天子ちゃんは? 天子ちゃんに怪我はなかった?」
「天子さんは今日は朝だけ来て、すぐに帰りましたよ」
「ああ、そうなの。それならよかった」
いや、よくはありません。ぼくの心配もしてください。
「どうしてここで騒ぎが起こってるとわかったんですか」
「向かいの南部さんから通報があったんよ」
南部さんの家は一番のご近所だ。ここら辺りの家は、庭が広かったり、家の横に畑があったり木立があったりして、家同士が密集していない。南部さんの家の母屋は敷地の後ろのほうにあるけど、ここの家の入口ぐらいならよくみえるだろう。
「ツルハシや鎌を持った十人ぐらいの男が、大師堂に押し寄せてきたというて。いや、何かあったら知らせるように頼んどったんじゃ」
なるほど、平井巡査の配慮のおかげだったのか。
「平井さん。ありがとうございました」
「うんうん。天子ちゃんによろしく伝えてな。それで、こいつら、どうしてほしい?」
「悪い夢でもみたんでしょう。今は正気に戻ったみたいですし。それより、浩一さんの顔色が悪いのが気になります。とにかく今は、浩一さんを連れて帰ってもらうのがいいんじゃないでしょうか」
平井巡査は哲生さんに向き直った。
「宗田。とにかく今は、浩一を連れて帰れ。落ち着いたら、お前、派出所に来て事情を説明せえ」
「あ、ああ。わかった。えらい騒がせてすまん」
「謝るなら大師堂に謝れ」
「た、大師堂さん。すまんじゃった」
ぼくは黙ってうなずいた。
哲生さんと十人の男は、浩一さんを連れて帰っていった。
ぼくは、平井巡査にお礼を言った。
「平井さん、ありがとうございました」
「また何かあったら連絡してな」
「はい。耀蔵さん。達成さん。本当にありがとうございました」
「少しでも恩返しできたんならよかった」
「いいってことよ、身内のことじゃねえか」
いや。あなたとぼくは身内じゃありませんから。
ふと南部さんの家をみると、窓から奥さんがこちらをみている。
ぼくは深々とおじぎをした。