中編2
6
「ごめん。ほんとにごめん。無理言ってついていったのに、天子さんの邪魔をするなんて。ほんとにごめん」
「もうよい。わらわも、骨女に触れられてはならぬとしか言っておらなんだ。今回の骨女があのような能力を持っておるとは誰にも予想できぬ」
「ごめん。ほんとにごめん。あんな骨なんかにたぶらかされて」
「あんな骨? まあよい。それよりそろそろ食事の支度をしてくれぬか」
「ああ、はい」
「罰として、油揚げ大盛りにするのです!」
「どういう罰だよ」
食事が終わると、童女妖怪はお社に引き上げた。
「骨女のほうは、もう心配することもないが、宗田のせがれが心配といえば心配じゃな」
「え?」
「問題は、骨女が現れたのが今朝のことなのか、昨日のことなのかじゃが」
「今朝突然現れたにしては、宗田家になじんでたね」
「そこじゃ。おそらく昨日のうちから入り込んでおったのであろうなあ」
「そうだとすると、何が問題なの」
「骨女は、一度情を交わした男からは、離れていても精気を吸うことができる」
「え」
「昨日のうちから入り込んでおったなら、宗田のせがれは、もう骨女のとりこになっておるやもしれぬな」
「精気を吸われると、どうなるの?」
「一日や二日は、何ということもない。十日も続けば、痩せ細って死ぬじゃろうな」
「ええっ」
「やむを得ん」
「いや、それはちょっと」
「とはいえ、敵地に飛び込んで戦うこともできぬ」
「あ、それ、不思議に思ってたんだ。どうして結界の外に追いかけなかったの?」
天子さんは、少し困ったような目つきで、じっとぼくの顔をみた。
「法師どのやわらわが結界の外に出るのは、天逆毎の思う壺かもしれぬ。そう言うたのは、鈴太、おぬしではないか」
「あ」
そうだった。こちらは敵の正体を知ったばかりだけど、相手は百何十年ものあいだ、この里を狙っているんだから、こちらの強みも弱みもよく知っていると考えるべきだ。そうぼくが言ったんだった。そう言って、和尚さんや天子さんが、天逆毎に対して反撃に出るという案に反対したんだった。
「わらわなりに、そのことについて、いろいろ考えてみた。おぬしの考えには正しいと思われる部分もあるし、正しくないかもしれない部分もある」
「何が正しくて、何がまちがっているんだろう」
「正しいとかまちがっているとか断言できるほど、わらわは賢くない。ただ、ふに落ちることと、承服できぬことがある」
「ふに落ちることって何?」
「敵が長年にわたって準備をしておるということじゃ。じゃから、相手はこちらのことをよく知っており、それなりの対抗策を考えておるということじゃ。そして法師どのとわらわを目障りだと思っておるということじゃな。ああ、それから、天界の神であるひでり神さまを、ただの天逆毎が抹殺などできるわけがないのであり、相手にはこちらの知らぬ秘密があるということじゃな」
「じゃあ、承服できないことというのは?」
「おぬしは、鶴枝とおぬしが結界の外に出たのは、敵にとって千載一遇の機会であったというた。じゃがそれは信じられぬ」
「え?」
「そもそも、この千二百年のあいだに、〈はふり〉の者が里の外に出入りすることなど、いくらでもあった。まさか付け狙っている敵がいるなどとは、ごく最近まで思いもしなかったのじゃからな」
それはそうだろうと思う。完全に引きこもっていなければならない理由はなかったんだから。
「わらわも何度も結界の外に出た。今年に入ってからも遠出したことがある。むろん隠形をかけてのことじゃがの」
「そうなんだ」
「その折にも、べつに付け狙われているような感じはなかった」
「気づいてないだけかもしれないよ」
「そうでなくても、わらわの住まいは麒麟山のふもとにある。毎日そこに帰っておるのじゃ。つまり、毎日結界の外に出ておる。もちろん結界を出るときには隠形をかける」
「うん」
「そもそも、いかに敵に力があっても、結界を出入りする者をいちいち調べることなど、できるわけがない。相手が大きな妖気を持っておれば、近づけばそれとわかるじゃろうが、離れておっては無理じゃと思う。しかもそれを昼夜の別なく何十年も続けるなど、絶対に不可能じゃ」
「うーん。そうなのかなあ」
「その点について、いろいろ考えたが、やはり無理じゃ」
「でも、お母さんは、やつに操られた」
「それは確かにそうじゃ。じゃがおそらく、ずっとみはられておって、鶴枝が結界の外に出たのでただちに敵の手に落ちたというようなことではなく、もっと別の成り行きがあったのではないかと思う」
「うーん」
「まあ、その点については、こちらには判断材料が少なすぎるから、いずれにしても確かなことはいえぬ」
「うん。まあ、それはそうだね」
「少し別の話をしようかの」
「うん?」
「ここ百数十年のあいだ、わらわが知っておるだけでも、この里の者で行方知れずになった者は何人かおる」
「うん」
「そのなかに、殿村の祖父がおる」
「えっ」
「有能で責任感の強い男であった。里の外で役目を果たしておったのじゃが、妻と子に連絡もなく、姿を消した」
「そ、それは」
「その後、いつまでたってもゆくえがわからぬ。よしんば事故で死んだにせよ、死体も発見されぬというようなことは考えにくいのじゃがな」
殿村さんのおじいさんなら、この里の秘密も知っていたはずだ。
「天逆毎の手に落ちておったとすれば、あの失踪の謎が解ける」
「なるほど。……でも、そうだとすると」
「ん?」
「いや。ぼくもいろいろ考えていて、いくつか解けない謎にぶつかったんだ」
「ほう」
「その最大のものは、天逆毎は、いったいいつ、ここにひでり神さまがいると知ったのか、ということなんだ」
「なに?」
「天逆毎は、ひでり神さまに復讐したがっている。つまり、もともとひでり神さまと、何らかの関係があるんだ」
「もちろんそうであろう」
「天逆毎は、ひでり神さまに復讐したい。そして天逆毎は、天逆川に棲んでいる。つまり、この村をうかがえる場所に棲んでいる。そのことに何の不思議もないように思える」
「当然であろう。あのかたに害をなすのが目的となれば、別の場所におるほうがおかしい。水のなかにしか棲めぬあやかしなのじゃからの」
「うん。でも、天逆毎の寿命って、せいぜい二百年かそこらなんでしょ?」
「うむ。詳しくは知らぬが、まあその程度のものであろう」
「天子さん」
「うむ、何じゃ」
「ひでり神さまがここにいることは、日本中の妖怪にとって常識なのかな?」
「なにをばかな。そのようなことを知っておるものなど、この里の外にはおらぬ」
「そうだよね。なら、天逆毎は、どうしてそのことを知ってるの?」
「それは、殿村の祖父を……いや、そんなはずはないか」
「殿村さんのおじいさんをさらって、この村の秘密を知ったとすると、なぜこの村に目をつけたのかがわからない。でもこの村に目をつけていたんでないとすると、殿村さんのおじいさんを拉致できた理由がわからない」
「む、む」
「何百年も探し回って、ここに疑わしい村があると気がついたというなら、まだわかるんだ。でも、天逆毎にはそこまでの寿命がない。そして天逆毎の攻撃は百数十年前に始まっている。殿村さんのおじいさんが行方不明になったのもその時期だという。これはいったいどういうことなんだろう」
「わからぬ。どういうことなのじゃ」
「ぼくにもわからない。だけどこの謎が解けたら天逆毎の正体もわかるんじゃないかと思うんだ」
「なる……ほど」
「まあ、今すぐには結論の出ないことだからね。それはそうと、骨女を追って結界の外に出なかったのは、どうしてなの?」
「うむ。わらわが結界の外に出たからといって、天逆毎にはただちにそれを知ることはできぬ、とわらわは考えておる」
「うん」
「じゃが、結界の外であやかしと戦えば、話は別じゃ」
「あ」
「神通力を使えば、わらわはここにおると、天逆毎に教えておるようなものじゃ」
「そうか」
「鈴太が言う通り、天逆毎は、法師どのとわらわを排除したいと考えておるはずじゃ」
「うん」
「麒麟山には小さな川や池がいくつもある。どこでどう天逆川とつながっていないともかぎらぬ。地下を通ってつながっている場合もあろう。また、かりに水の近くに行かなんだとしても、仲間や眷属がいないともかぎらぬ。おぬしが言うように、敵には準備の時間がいやというほどあったのじゃ」
「確かにそうだ。結界の外は危険だ」
「そうであろう」
「そうか。それじゃあ、宗田浩一さんは、死んじゃうんだ」
「いや。手はある」
「どんな手があるの?」
「怨霊を退けるお札が残っておる」
「そりゃいいや! じゃ、すぐに届けてくる」
「待て待て。息子があやかしに取り憑かれておるというような話を、すぐには信じまい」
「あ、そうか」
「それに、必ず宗田のせがれが骨女のとりこになっておるともかぎらぬ。とりこになっておれば痩せ細っていくから、親が異状に気づいて困り果てたとき、お札を持っていってやるのがよかろう」
「なるほど。ちょっと気の毒だけど、それしかないよね」
「まあ急ぐことはない。骨女の本体は結界の外に出てしもうて、もうなかには入ってこれんのじゃからの」
「そういえば、天子さん、骨女が出たと聞いて、ずいぶん渋い顔をしてたね。それと、宗田の家の近くに出たと聞いて、なんか妙な反応だった」
「ああ。それにはいきさつがあるのじゃ」
7
もう三百年近く前になるかのう。
安美地区に武左右衞門という男がおってのう。この村の百姓代を務めておった。今の宗田哲生や浩一の先祖にあたる。
武左右衞門の家は、もとをたどれば武士の家柄で、四国のどこやらで家老をしておったというのじゃがの。この村に流れ着いてきたときには、ろくに財産もなかったが、綿の栽培でもうけて家財をたくわえ、百姓代にまでなった。百姓代というのは、名主や組頭と並んで三役と呼ばれた村役人じゃ。
この村がもともと〈はふり〉の者の里じゃなどということは知りもせず、知っても気にせぬ男であった。そのころ、〈はふり〉の当主は、地守神社の神官ということになっておった。武左右衞門は、村の三役であることを鼻にかけ、何かと偉そうにしておった。
武左右衞門の一人息子を新兵衛という。
この新兵衛が、嫁を取ることになった。年貢米上納のときに、よその村で知り合うた娘じゃ。
なかなか派手な婚礼が行われたようじゃが、なぜか〈はふり〉の当主も法師どのも呼ばれなんだ。
嫁そのものの評判はよかった。美人で気立てもよく、働き者だという。
ところが、婚礼から十日たっても、送一札も寺請証文も、法師どののもとに届かぬ。
ああ、おぬしには何のことかわからぬかの。当時は、別の村から嫁が来るときには、その村の檀那寺と村役人が作った書類が、嫁入り先の村役人と檀那寺に届けられたのじゃ。〈当村の誰それが貴村の誰それに嫁ぐについて、こちらの人別帳から抜くので、そちらの人別帳に加えてほしい〉という書類と、〈誰それは代々わが宗旨の信徒にまちがいない〉という書類じゃな。そのころは、寺が戸籍の管理に関わっておったのじゃ。旦那寺の住職である法師どのは、それを受け取って確認の書類を移転元に出さねばならんのじゃ。
不審に思うた法師どのは、名主に問い合わせた。すると名主のほうでは、送一札は届いておるという。ところが、その書類を探してもみつからぬ。これはおかしなことじゃと、法師どのは直接その嫁に会いにいった。そこで嫁が骨女という妖怪じゃとわかったのじゃ。
ところが、嫁の正体がわかる前に、少々厄介なことになっておった。
なんと、村の男五人が、その嫁のもとにこっそり通うておったのじゃ。嫁入りしたばかりの若い娘が、五人もの男を引き込んで浮気というのは、ただごとでない。
もちろん、そのことは露見せずにはすまぬ。新兵衛は、狂ったようになって嫁を責め立てた。すると嫁が言うには、思いが遂げられなければ死ぬほかないと迫られて、仕方なしに体を許したのだという。そう言われてみれば、嫁の美しさと色気はただごとでない。気の迷う男が出たのも美貌ゆえのことかと、新兵衛は、嫁の不義を許すことにした。ただし、父親の武左右衞門の怒りはそれではとけず、不義を働いた五人の男たちを呼び出して、棒でさんざんに打ち据えさせたという。五人のうち三人は嫁も子もおったのじゃから、少し異様な出来事であったがのう。
そういう外聞の悪い出来事も我慢して、嫁を家に置くことを、父も息子も決めたわけじゃ。そうしたところ、その嫁があやかしであり、美しく若い女どころか、醜い骨の化け物だとわかったのじゃ。
ただし、法師どのが嫁の正体を看破して倒したときには、すでに新兵衛と五人の男たちを救うには遅かった。新兵衛と五人の男たちは骨と皮ばかりにやせ衰え、まもなく死んでしもうたのじゃ。
この村の結界は、法師どのとわらわが死なず老いず、不思議のわざを使うことを、あやしませぬ働きがある。あやかしが退治されれば、そのあやかしがなした奇態を忘れ、都合よく得心するのじゃ。
ところがこのときは、そうはならなんだ。息子と嫁をなくした武左右衞門は、気がふれたようになって法師どのを責め立てたのじゃ。何の罪もない嫁を法師どのが殺して、そのために息子も死んでしもうたとな。あのときは、安美地区の家の者が総出で転輪寺に押し寄せるような騒ぎとなった。あわや火をかけられる寸前までいったのじゃ。
ほどなく、武左右衞門が変死して、騒ぎも収まった。のちのちまで法師どのと安美地区の者らとのあいだにはしこりが残った。わらわがあとで調べてわかったのじゃが、あのとき転輪寺を焼き払おうとした者たちは、新兵衛の嫁に、つまり骨女に背を擦られたり肩を揉んでもらったりしておった者ばかりじゃった。かねて骨女は、触れた男に〈魅惑〉をかけると聞いておったが、その通りだったわけじゃな。
ところで武左右衞門の死は衰弱死じゃった。その死にざまは、息子のそれとまるで同じであった。なんと武左右衞門は、息子の嫁に手を出しておったのじゃな。それがこのときまで死ななんだのは、恨みを晴らさんとする骨女の執念だったのじゃろうなあ。
その後、分家が息子を養子に出して、武左右衞門の跡を継がせた。その子孫が宗田哲生であり浩一というわけじゃ。




