前編(地図あり)
1
「さて、では長壁よ、〈探妖〉を頼む」
「はいです」
いつものように童女妖怪が、紙切れのついた棒を振り回して、うんうんうなり声を上げ、〈探妖〉を行った。
「出ました。妖気の抜けた溜石は七つに増えてますです。でも結界のなかには新しい妖怪は出現してないのです。天逆毎は探知範囲内にみあたらないです」
「うむ。ご苦労であった」
七つ目の溜石から抜けた妖気は、昨日、火車になった。その火車を昨日のうちに倒したんだから、新しい妖怪はいなくて当然だ。
「あ、天子さん」
「なにかの」
「昨日、火車を倒したとき、妖気が出たんだよね」
「うむ。妖気が凝り固まって妖怪になり、その妖怪を倒せば、再び妖気が生まれる。ただしもとの妖気よりは、よほど減っておる。そのようにして、この里に危険なほどの妖気がたまらぬようにしてきたのじゃ」
「昨日出た妖気は、そのままなのかな」
「放置した。吸えば吸えぬこともなかったが、転輪寺の境内地は聖域ゆえ、妖気を放置してもすぐに異状は起こらんと思うての」
「そうなんだ」
食後のお茶をまったり楽しんでいると、電話がかかってきた。
「もしもし」
「あ、ひで……艶さんですね」
「そうじゃ。すまないが、時間のあるとき、お越し願えんかな」
「はい、もちろんです」
すぐに駆けつけてもよかった。
でも、それではかえって気を遣わせるだろう。
「午後の配達のときに寄りますね」
「よろしゅうお頼み申します」
(あ、そういえば、ひでり神さまが童女妖怪をみたいといっていたっけ)
童女妖怪は、お社に帰りもせず、寝転がって漫画を読んでいる。
「おさかべ」
「うぬ。へなちょこがあちしを名前で呼んだです。何をたくらんでるですか」
「午後に自転車で配達に行くんだけどな」
「それがどうしたです」
「一緒に行くか?」
「……え?」
「お守りに入って、ぼくがそのお守りを身につけてれば、ずっと姿を現したまま、自転車に乗ってられるだろう?」
童女妖怪が、ぽかんと口を開いたまま固まっている。
「ほう。それはよい。長壁は依り代のそばを離れられぬから、この村にいるといっても、この村のことはほとんど知らぬであろう。村内観光というのも悪くない。ここは美しい村じゃ」
童女妖怪は、まだぽかんとしている。
そんなに驚くようなことか?
「あ、あ、あちしを……」
「お、再起動したか?」
「あちしを、どこに捨てる気なのです?」
「ちがうよ!」
だが、それはいいヒントだな。
用事が終わったら、お社ごと、いつか捨ててやろう。
樹恩の森がいいかな。誰も入らない森だから、二度と出てこられないだろう。
2
昼ご飯の前に、童女妖怪はお社に帰った。そして昼ご飯のときに再び現れた。
「ほう。衣装を変えたか」
「はいです」
え?
凝視したが、いつもと同じ十二単だ。
衣装替えなんてしたようにはみえない。
みえないんだけど、天子さんは衣装を変えたかと訊き、童女妖怪は、はいと答えた。ということは衣装替えをしてるんだろう。
もしかしたら、まったく同じ衣装を着替えてるんだろうか。
(それって、何か意味があるのか?)
昼ご飯は冷麺だった。具には刻んだ油揚げが交じっている。
食事中も、童女妖怪は、何やら浮かれたようすだった。
「さて、行こうか」
「よきにはからえ」
澄ました顔をして童女妖怪が言う。
店にあった自転車は、むかし風のがっちりした自転車で、荷台も大きい。
その荷台に籠が据え付けてある。いつもこの籠に商品を入れて配達するんだ。
今日はその籠に座布団を敷いて、童女妖怪を乗せた。
「じゃあ、行ってくるね」
「うむ。わらわは法師どのの具合をみにまいる。夜は帰ってこぬでな」
「わかった」
「出発しんこー」
童女妖怪が右手を振り上げてぐるぐる回している。
ぼくは自転車を走らせて東に向かった。
村の東の端っこで自転車を止めた。
「ここは庚申口というんだ。ほら樹恩の森への入口があるだろう。ここを降りていくと、左に下って樹恩の森に進む道と、右に登って白澤山に進む道に分かれるんだ」
「ほええ」
ここは村の絶景ポイントの一つだ。
村のどこからでも三山、つまり左の麒麟山と中央の蓬莱山と右の白澤山を眺めることはできる。でも、みえるのは三つの山の上のほうだけだ。
ここに来ると三山それぞれの裾野から山が立ち上がってゆく景色を一度にみることができる。しかもこの角度からみると、泰然とした蓬莱山と、すらりとした麒麟山と、複雑な稜線をみせる白澤山という、それぞれの持ち味がとてもはっきり対比されていて、美しい。眼下には樹恩の森が広がっている。
夏の森っていうのは、エネルギッシュな感じがする。みているこちらも元気をもらうような気がする。
三山のなかでは、蓬莱山が、一番緑が濃い。樹恩の森は、もう目の前にみえていて、少し歩けば森のなかに入ってしまう。そしてゆっくり中心部に向かって下ってゆく。森の一番深い場所でも、木のてっぺんは、庚申口よりずっと低い。ところが森の深い所では、驚くほど高い木々が生え連なっている。たった一度しか入っていないけれど、幽玄とでもいうんだろうか、実に雰囲気のある森だ。
「三山というのは、霊的に結びつけられているのです」
「え、そうなの」
「そうだとは思ってたですが、ここからみて、はっきりわかったです。三つの山が霊的に関連づけられ、結界を形成してるです」
「ああ、そういえばそうだった」
「結界は、村を守るとともに、あの辺りを」
童女妖怪は、地守神社の真下を指さした。
「覆い隠すように調整されてるです」
「へえー」
そこには〈骨ヶ原〉がある。ひでり神さまが、石を積み続ける場所で、ひでり神さま以外の者が入れないようになっている。
「もともと山には霊気が集まりやすいです。ゆったり広がる高地のなかの突出した三つの山に集まる霊気を、結界の維持だけに使ってるです。しかも」
童女妖怪は後ろを振り返った。
この位置からだと、ちょっとみえにくいが、羽振村の南西方向、つまり蓬莱山の反対側にも山地が広がっている。その山地に降る雨がすべて天逆川に流れ込む。
「裏鬼門、すなわち未申の方角は広々開けて、邪気の逃げ場になっており、その向こうにはこれまた山。この里は理想的な霊的構造になっているのです」
「そんだけ霊気に守護されてても、百年に一度ぐらいは大洪水が起こったみたいだけどな」
「えっ? これだけ霊的に安定してる地形で、大洪水なんか起きるわけがないのです」
「でも起こった。この千年に八度もね。いずれも村に破壊的な被害を与えたというし、そのあとの疫病にも村は苦しんだ」
「疫病?」
童女妖怪は、何かを考え込んでいる。
「もしかしたら……」
「え?」
「……いや、何でもないです。さあ、そろそろ次の場所に行くですよ」
「お、おう」
次の場所も何も、今日はただ一つの場所にしか行かないけどね。ここは、ひでり神さまの家に行く東よりのコースだ。真ん中のコースのほうが若干距離は短いけど、今日はあえてこのコースを選んだ。
ぼくは童女妖怪を自転車に乗せ、うんこらしょとペダルを踏んだ。
ここからは少し坂を登らないといけない。
そして坂を登り切ると。
みえた。
山口さんのうちだ。
ここしばらく、すれちがいが多いのか、顔をみてない。
どうしてるかなと思って、こちらのコースを選んだんだ。
あれ?
家の前に大きな乗用車が。
高そうな車だ。
熊本ナンバー。
そういえば、山口さんは熊本生まれだと聞いたことがある。
実家から来た人なんだろうか。
大学は東京だったので標準語をしゃべるようになったけど、興奮すると熊本弁が出ると言ってた。
熊本弁ばりばりの山口さんというのも、ちょっと想像つかない。
「おい、おさかべ」
「何ですか?」
「これからお得意さんの家に寄るから、ちょっとお守りに入っててくれるか」
「いいですよ」
「呼んだらすぐに出てこいよ」
「もちろんなのです」
3
「ほほほほ。呼び出して、あいすまん」
「いえ。いつでもお呼びください。あ、それはそうと、今日は、おさかべを連れてきてるんです」
「そのようじゃなあ」
「今、呼び出しますね」
「よいとも」
「おい、おさかべ!」
「呼ばれて登場、あっ!!」
湧き出てきた童女妖怪は、一瞬ふんぞり返って顕現したが、直後に超高速土下座をしてみせた。しかも平伏した姿勢のままで、素早くかさこそかさこそと後退し、部屋の隅まで下がってみせた。器用なやつ。
「こいつがおさかべです。おい、おさかべ、ごあいさつは?」
「こここここここ、これこ」
「これこ?」
「こ、これは畏れ多くも天界の神様、〈ばつ〉さまであらせられられますですか」
「ほほほ。そのように恐れずともよい」
「きょきょきょ、恐縮にござりますです!」
「そなたが長壁姫か。一度会うてみたかったのじゃ」
「恐れ多いことでごじゃます!」
かんでる。かんでるよ。
「そうかしこまられると、話もできぬ」
「はははははは、はいっ」
「顔をみせてはくれぬか」
そのまま童女妖怪はしばらく平伏していたが、やがておずおずと顔を上げた。
「もそっと」
そのことばに促されて、童女妖怪は完全に顔をあげた。
「おお。まことに可憐な姫よ」
「きょ、きょ、きょ」
「そなた、〈天告〉と〈探妖〉が使えると聞いた」
「ははははは、はひぃ」
「優しい心根を持っておるのじゃなあ」
「……はひ?」
「つらい道をたどってきたのであろうなあ」
童女妖怪は頭を下げた。
「鈴太どの」
「はい」
「〈天告〉というのは特殊な能力じゃ」
「はい。とても強力な力だと聞いています。知りうることに限度がないと」
「そうじゃ。探知の系統のなかで最も強力な神通力じゃ。天界の神ならぬ者がこれを身につけるには、その者の一切をささげねばならぬ」
「一切を……ささげる?」
「そうじゃ。自分の身を守る術も、敵を倒す術も身につけることを諦め、ただ困っておる者、弱き者に奉仕するためだけに、自分の全部をささげた者だけが、〈天告〉という力を得ることができる」
「困っている者、弱き者に奉仕する、ためだけに」
「それほどの代償を払って得る力なのに、自分のことはみえず、自分自身のつごうで問いを立てることもできぬ。誰かの頼みを受けてしか、〈天告〉は発動せんのじゃ」
「誰かのためにしか使えない能力……」
「〈天告〉は、誰かの願いに応じて発動し、その誰かが知りたいと望んだ真実を告げる。じゃが、真実がその誰かにとって喜ばしいものとは限らぬ。となればその誰かは、真実を告げた者を恨み呪う」
「あ……」
「それでも誰かの役に立つことを願いながら〈天告〉を続けるしかない。〈天告〉を持つとはそういうことなのじゃ」
童女妖怪は頭を下げたままだ。
「鈴太どの」
「はい」
「長壁どのは、六百年以上生きておるとのこと」
「はい。そう聞いています」
「それはもはや、あやかしの寿命ではない。神霊や精霊に近かろう。それだけの長命が得られたということは、長壁どののしてきたことを天が喜んだということじゃ」
顔を伏せたままの長壁の肩が震えている。
「長壁どの」
呼びかける声は、限りなく優しい。
「よくなされたなあ」
泣いている。
小さな小さな声で、童女妖怪が泣いている。
「それを言っておきたかったのじゃ」
ぽたぽたと、童女妖怪の顔の辺りからしずくが落ちた。
「これからも、鈴太どののこと、この里のこと、よろしくお頼みしましたよ」
童女妖怪は、平伏したままで涙をこぼしながら、何度もうなずいた。
ぼくはかけるべき言葉も思いつかず、ただ黙ってそのようすをみていた。
「そうじゃ、鈴太どの」
「は、はい」
「来ていただいたのは、これを渡すためじゃ」
ひでり神さまが渡してくれた小さな紙袋をみると、なかに二つの白い毛玉が入っていた。
「これは、水虎の……」
「これはどうも、あなたのそばに置いておくほうがよい気がするのじゃ」
「いいんですか」
笑顔を浮かべて、ひでり神さまはうなずいた。
ぼくは紙袋から二つの毛玉を取り出すと、じっとみつめた。
「それ、ちょと貸すです」
いつのまにか童女妖怪が復活している。
「返せよ」
童女妖怪が受け取ると、小さな毛玉がやたら大きく感じる。
それをぱふぱふと、顔全体に押しつけている。
「やさしい感じがするのです」
「よだれをつけるなよ」
「よだれなんかこぼしてないです!」
「あ、油揚げ!」
「ど、どこ。どこにですか?」
「ほら、よだれが」
「ええっ?」
「ほほほほほほほほ。あなたたちは、本当に面白いのう。仲がようてけっこうじゃ」
「ええーっ」
「ええーっ」
「ほほほほほほほ。ほほほほほほほ」
しばらく談笑したあと、ひでり神さまの家を出た。
また童女妖怪を連れてくることを約束させられて。
「さあ、次の場所に行くのです!」
「帰るよ」
「ええーーーっ?」
「帰るんだよ」
「ええーーーーっ?」
「帰るんだってば」
「ええーーーーーっ?」
じっと目をみる。
うるうるしてる。
冗談めかしてるけど、ほんとに悲しそうな目だ。
ちくしょう。しょうがない。
「帰り道に二、三か所寄ってってやるよ」
「やった! やったのです。やはり正義は勝つのです!」
結局、村内の見晴らしのいい場所を五か所も回ったので、帰り着いたときには完全に夜だった。
三か所目で、童女妖怪は石につまずいて転んだ。
鼻をすりむいて、血がにじんでいた。
精霊に近い妖怪だということだけど、実体化してるときは、怪我もするようだ。




