後編
7
翌日となり、平井巡査がお札を持ってゆき、千さんのご遺体が転輪寺に運ばれ、そして天子さんとぼくは、転輪寺に来た。
読経は夜の七時からだった。
会葬者は、天子さん、ぼく、童女妖怪の三人だけだ。
つまり村の人は、誰も来なかった。土生地区の組頭は、まだ日が高い時間にあいさつに来たそうだけど。
「皆、怖いのじゃ」
「え? 火車が怖いの?」
「そうじゃ」
「そんなに強い妖怪じゃないんでしょ?」
「あのなあ、鈴太。そんなふうに強い弱いであやかしの恐ろしさを語れるのは、おぬしだからじゃ。普通の人間は、あやかしであるというだけで怖いものなのじゃ」
なんてことだ。ぼくはもう普通の人間じゃないらしい。
「それにのう。火車に目をつけられると、自分が死んだとき、火車に乗り移られて火車になってしまう、と皆は信じておる」
「あ」
「あんなあさましい姿になるのは誰でもいやなものじゃ。千は、火車が来る、火車が来ると叫びながら死んでいったのじゃからのう。そのときから火車に取り憑かれておったと皆は思うておる。ゆえに今夜は誰も来ぬ。明日、埋葬のときには土生地区の者が集まるじゃろう」
「夜食は油揚げがいいのです」
「さっき食べたじゃないか、揚げ饅頭を」
「むきーっ。揚げは揚げでも、揚げちがいなのです!」
「お前は揚げ饅頭をばかにするのか」
「い、いや。そういうわけではないです」
「謝れ。東京や湯布院や静岡や天童をはじめ、全国の揚げ饅頭に謝れ」
「ご、ごめんなのです」
「これこれ、意味不明ないじめをするでない」
なぜか今夜は童女妖怪が一緒だ。
昼ご飯を食べているとき、お通夜の話になり、火車が出るかもしれないと聞くと、自分からついて行くと言い出したのだ。
幸いに、村の人は誰もいないので、思いっきり童女妖怪をからかうことができる。
「あれ? 曇ってきた?」
今日も暑い夜なので、本堂の障子は開け放しだ。
つい今しがたまで、星がさざめいて、砂金をまぶしたような光が空を埋め尽くしていた。それが急に陰ってきたのだ。
「風が。風の流れが変わった?」
吹いていたさわやかな風が、急に、生暖かくなった。山間の奇麗な空気を吸っていた鼻が、奇妙な生臭さを感じている。風はさらに重みを増して、肌にねばねばまとわりついてくる。
じゃん、じゃん、じゃん。
遠くの空で、音がした。
楽器の音のように聞こえる。小型のシンバルのような音だ。
じゃん、じゃん、じゃん。
じゃん、じゃん、じゃん。
音が少し近づいてきた。
「法師どの。これは」
「ふむう。妙鉢の音のようじゃなあ。ずいぶん鳴りのいい妙鉢じゃが」
「妙鉢?」
「もとは中国で儀式に鳴らした楽器じゃ。日本では仏具として使われ、邪気はらいにも使う。この寺にもあるぞ」
じゃん、じゃん、じゃん。
じゃん、じゃん、じゃん。
今度はずいぶんはっきり聞こえた。
風が熱を帯びてきたような気がする。
「出た! 火車ですです!」
「なにっ」
「どこじゃ」
「あちらの方角に!」
童女妖怪が指さした瞬間、それを合図としたかのように、天の一角が燃えた。
「むっ」
「これは」
よくみれば、燃えているのは天ではない。
いつのまにか空を雲が覆っていて、その雲に炎が反射して、めらめらと燃えるような光を放っているのだ。
空の下で燃えているその何かは、木々の隙間からもみえる。
ぐらん、ぐらん、がらん。
ぐらん、ぐらん、がらん。
巨大な樽を無理やりに転がすようないやな音が続けざまに鳴り響く。
鳴り響くごとに近づいてくる。
今はもう、木立のすぐ向こうに迫っている。
ぎしぇええええェエエエエェェェェッッッッ!
断末魔の叫びのような奇怪な声が鳴り響き、それは木立を飛び越えて、寺の境内に姿を現し、どしんがしゃんと降り立った。
でかい。
誰だ、やせこけた死体のような姿だと言ったのは。
これは、そんなものではない。
身の丈は三メートルをはるかに超えている。
ぎょろりとした巨大な目。
黄色の虹彩のなかの黒い瞳孔は、猫のように縦に裂けている。
人間なら口にあたる部分には、猛禽類のようなくちばしがある。
顔だちの全体が、どこかでみたような気がする。
そうだ。
舞楽の蘭陵王の面に似ているんだ。
上半身は裸だ。だが、やせこけてはいない。筋肉と筋が浮き出ている。虎でも殴り殺せそうな暴力の香りを感じさせる肉体だ。
頭頂には髪がないが、頭の横と後ろからは、茶色の髪が流れ出て、腰にまで届いている。
腰には獣の皮を巻き付けている。
太ももとすねは人間に似ていなくもない。
だが、足は獣のそれであり、指から突き出した爪は、深く地面に突き刺さっている。
何より異様なのは、それが曳いているものだ。
それは両手に真っ赤に焼けた鉄の取っ手をつかんでいる。その取っ手は体の左右で後ろに折れ曲がり、紅蓮の炎に包まれた台車のようなものにつながっている。
台車の炎は、おどろおどろしく燃えさかっている。台車には巨大な車輪がついているが、その車輪もまた燃えている。
その炎に照らされて、境内と本堂は一気に明るくなった。
ぼくは凍り付いたように、その恐ろしい怪物を、恐怖のまなざしてみつめるほかなかった。
ぎしぇえええエエエエェェェェェッッッッッ!
天を振り仰いで怪物が叫び声を上げた。
血をはくような、全身全霊を込めた叫びだ。
ぼくは、金縛りにあったようになってしまい、指一本も動かすことができない。
ただ呆然として、怪物の真っ赤な口のなかに生えた無数の鋭い牙と、尖った毒々しい舌をながめていた。
叫び終えた怪物は、ぎょろりと本堂のなかをにらみつけた。
その目線が、五頭千さんの棺を捉えると、怪物の瞳はあやしく輝いた。
怪物は、右手を鉄の取っ手から放して前方に伸ばし、ぐい、と一歩前に出た。
ばちばちと、緑色の火花が散って、怪物の右手がはじき飛ばされた。
よこをみれば、天子さんが両手をかざしている。
バリアーだ。
その横では和尚さんが立ち上がり、ごつい珠のついた数珠を右手に構え、左手は手刀の形に伸ばして額に当て、何やら呪文をつぶやいている。
怪物が、今度は両手でつかみかかった。
その十本の指からは長い爪が伸びている。人間などひと掻きで胴を真っ二つにできそうな爪が十本である。その圧力はただごとでない。
しかし、激しい火花が散って、怪物は押し返される。
そのとき、和尚さんが、かっと目をみひらいて数珠の珠を一つ握りしめ、怪物めがけて投げつけた。
「喝!」
投げつけられた珠は、狙いあやまたず、怪物の額に命中し、轟音を立てて破裂した。
「ぎゃうっ!」
衝撃を受けて怪物はのけぞった。
和尚さんは、立て続けに数珠の珠を投擲した。
「喝!」
「喝!」
「喝!」
「喝!」
「喝!」
「喝!」
それはすべて怪物の体に当たって、はじけ、怪物にダメージを与えた。
そのダメージは、ただ爆発の衝撃によるものだけではない。怪物の髪が、白く凍りついている。和尚さんの放つ数珠は、凍結爆弾なのだろう。たぶんこの怪物は炎の属性を持っている。だから凍り付かせる攻撃はダメージが大きいんだ。
爆発した箇所が、白く引きつっている。怪物は苦しそうだ。
被弾した左目は、うまく開かない。
だが、和尚さんの攻撃に一瞬の隙ができたとき、怪物は思いもよらない行動に出た。
くるり、と回転して、燃えさかる炎の台車の陰に隠れたのだ。
「む」
和尚さんは、再び数珠から珠を何個かもぎ取ると、立て続けに三個投擲した。
「喝!」
「喝!」
「喝!」
だが飛来した珠は台車の炎に吸い込まれてしまった。
「うぬ」
和尚さんは憎々しげに怪物をにらみつけながらも、数珠から珠をもぎ取り続けている。
怪物は炎の奧で、にたりと笑った。
そして奇妙なしぐさをした。
手のひらを上にして右手を突き出すと、くいっ、とその右手の指を内側に折り曲げたのである。
もう一度伸ばして、もう一度指を折り曲げた。
いったい何をしているのか。
がたん、と大きな音がしたので、ぼくは振り返った。
開いている。
棺の蓋が開いている。
まるではじけ飛んだように棺から離れて、蓋が床に落ちている。
そして、棺のなかの死体が起き上がった。
それは不思議な光景だった。
まるで何かに引っ張られるように、体を伸ばしたままで、ひょこっと死体が起き上がったのである。
「ぐうう」
ぼくの喉から、思わず妙なうなり声が出た。
そのぼくの目の前で、死体の顔が変容してゆく。
ぎりぎりと音を立てながら、死体の顔が変わってゆく。
目は大きく丸く、瞳孔は縦に裂け。
口は尖って嘴となり。
顔全体に金属的な皺が走り。
千さんの死体は怪物そっくりの姿になった。
そして両手を振り上げた。
その両手に爪は鋭く伸びている。
目線の向かう先には天子さんがいる。
「天子さん! 危ない」
いまだに身動きできないぼくは、精いっぱいの声を出して天子さんに警告した。
だけど天子さんは動けない。
動けば境内の怪物が飛び込んでくるかもしれない。だから動けない。
「だめだ、だめだ!」
何もできずに、ただ声を上げるぼくの足元で、童女妖怪が何かを振り回した。
あれだ。
毎朝〈探妖〉を行うときに使う、ひらひらした紙のついた棒きれだ。
その棒きれを童女妖怪が振り回すと、床に落ちていた何かの紙切れが、ふわりと宙に浮いた。
千さんの死体が前に動きはじめた。最初はゆっくり、そして段々速く。
あと二歩で天子さんに届くというとき、童女妖怪がひときわ強く棒きれを振った。
ばさばさっと、紙が空気を切る音がした。
すると、空中でためらうようにふわふわ浮いていた紙切れがひらりと飛んで、千さんの額に貼り付いた。
お札だ。
ぼくが書いた偽物のお札だ。
そのとたん、千さんは動きをとめた。天子さんに爪を振り下ろす、まさにその直前の態勢で。
天子さんはといえば、そんな背後での動きに気づかないかのように、一心に障壁を維持している。
「南無破邪禁錮呪!」
和尚さんの野太い呪文が響きわたった。
みれば、和尚さんの手から、何かがするすると伸びてゆく。
紐だ。
数珠の紐だ。
すべての珠を取り外した数珠の紐が、するすると伸びてゆく。
そして、怪物を守る台車の炎に突入し。
そのまま焼け落ちることもなく炎を突破し、怪物にからみついた。
「クエェェェェェェッ!」
思わぬ事態に、怪物は悲鳴を上げる。
だが呪文のかかった紐は容赦なく、ぐるぐると怪物を縛り上げてゆく。
和尚さんは、左手を懐に突っ込むと、何かのお札を取り出して、それを右腕に当てた。
「破邪招来金剛力!」
ぐぐぐっ、と右腕の筋肉が盛り上がる。
「ふんぬっ」
和尚さんが紐を引っ張る。
怪物も、おとなしく引っ張られはしない。
その巨体と筋力とを駆使し、体全体で紐を後ろに引こうとする。
しかし和尚さんはびくともしない。顔を真っ赤にそめて、小さなまなこを根限りにみひらきながら、容赦なくぐいぐいと紐を引き絞る。
たまらず怪物がつんのめる。
和尚さんは、さらに紐を引く。
ぐえっと小さな悲鳴を上げて、怪物はみずからが曳いていた炎のなかに落ち込んだ。
「グエエエエエェェェェェェッッッ!」
どうもあの炎は、怪物自身をも焼いてしまう性質があるようだ。
たぶん何物も焼き尽くさずにはおかない、特別な炎なのだ。
「グエッ。グエッ。グエッ」
必死で顔を持ち上げて逃げだそうとするけれど、和尚さんは毫も揺るがず紐を引きしめている。その姿は、東大寺の仁王像のようだ。
「グェェ」
小さな悲鳴を上げて怪物が崩れ落ちた。
すかさず和尚さんは本堂を飛び出して境内に降り、炎の台車を迂回して怪物に近寄る。
そして、手に持っていた三個の数珠の珠を、続けざまに、倒れた怪物の頭部辺りに撃ち込んだ。
「喝!」
「喝!」
「喝!」
こちらからは、炎が邪魔になってよくみえないけど、それで怪物の息の根が止まったようだ。
すると台車の炎が収まってゆき、やがて空気に溶けるように、台車そのものが消えてなくなった。
和尚さんは倒れた怪物をみおろしている。倒れていても、その巨大で奇怪なすがたには異様な威圧感がある。その怪物も、地に吸い込まれるように消えた。
「ふうぅーーーーっ」
大きな息をついて、和尚さんが地にへたり込んだ。
天子さんも、一つ大きく息をはいて、手を降ろした。淡い緑色のバリアーも消えた。
何かが倒れるような音がした。
千さんの死体が倒れている。お札も額から剥がれ落ちている。
戦闘は終わったのだ。
8
「すまん、鈴太。酒を持って来てくれ」
精も根も尽き果てたようすの和尚さんが、小さな声で頼んできた。
「はい」
ぼくは台所に走って、一升瓶とどんぶりを抱えて戻った。
和尚さんにどんぶりを渡し、お酒をそそぐ。
とくとくといい音がする。この音は好きだ。お酒の匂いがぷうんと漂う。
お酒がそそがれるようすを、和尚さんは優しい目でみている。
どんぶりは、左手だけで、底から持っている。
どんぶりに半分ほどお酒をそそいで、ぼくは一升瓶を引いた。
和尚さんは、ゆっくりと、どんぶりを口に運び、飲み始めた。
こくこく、こくこく。
お酒が喉を通ってゆくのがわかる。
そのままどんぶりは段々傾いていく。
指を大きく開いた和尚さんの毛深い左手が、段々はっきりみえてくる。手が大きいので、どんぶりが湯飲みにみえてしまう。
ついにどんぶりは顔の上に達した。
しずくの余韻を味わったあと、どんぶりは豪快に口から引きはがされた。
「ぷふあぁぁ」
満足しきった顔で、和尚さんが酒臭い息をはいた。
「さてと」
後ろから声がした。天子さんだ。
ぼくが振り向くと、天子さんは、ぼくのほうをみて言った。
「後始末をせねばならんのう」
「あとしまつって?」
「遺骸をそのままにはしておけまい」
千さんの死体のことだ。確かに、このままというわけにはいかない。
ぼくは和尚さんのほうをみた。そんなぼくの心の声を読み取ったのか。天子さんはこう言った。
「法師どのは今、力尽きておる。そっとしておけ」
ぼくは天子さんのほうに振り返った。
「まさか、か弱いおなごに、遺骸を担がせる気ではあるまいの」
童女妖怪はどこかと探した。
いない。
ぼくが首にかけてるお守りに帰ったんだろう。そういえば、お守りが何となく少し重い。
結局、ぼくは一人で死体を棺に戻した。
9
天子さんが晩ご飯を作ってくれた。
ご飯を目の前にすると、ぼくは自分が腹ぺこなのに気づいた。
童女妖怪もちゃっかり出現して、もりもりご飯を食べている。まあ今日は活躍したから許してやろう。
和尚さんは、おかずをつまみながら、ちびちびお酒を飲んでいる。さっきの迫力が嘘のように、力が抜けていて、心なしか体つきも一回り小さくみえる。
「長壁よ」
天子さんが童女妖怪に話しかけた。
「ふぁいでふ」
口のなかのものを食べてから返事しろよ。
「あれは、何であった?」
「火車でしたです」
「まちがいないか?」
「まちがいなく火車と判定されました」
「そうか」
ぼくは天子さんに訊いた。
「話に聞いてた火車と、ずいぶんちがってたけど」
「そこじゃ。わらわも火車は何度もみたが、あんな姿はしておらなんだ。法師どの。あれはいったい何であったのじゃ」
「さあなあ。わしにもわからん。しかし、思い出したことがある」
「ほう」
「火車、というのはもともと、地獄の獄卒が引く火の車のことを指すという伝えがあるのじゃ」
「なに? では先ほどのあれは、地獄から来たものであったのか?」
「いや、まさか。それならとてもわしらの手にはおえんじゃろう」
「では、先ほどのあれは、いったい何なのじゃ?」
「さっきのあれは、火車が溜石の霊気を帯びた姿だったんじゃろうなあ」
「えっ」
ぼくは思わず声を上げた。
「なんじゃ、鈴太。気づいておらなんだのか」
「気づく、って何を?」
「五頭の家は、土生地区の溜石の、すぐそばにある」
「あっ」
ぼくは地図を取り出して、五頭の家を探した。
あった。
本当だ。土生地区に二つある溜石のうち、南側の溜石は、五頭家のすぐそばにある。
「あ、そうか。それで五頭さんの家でお弔いが出たとき、和尚さんも天子さんも、火車が出ると考えたんだね」
「その可能性は高いと思うた。しかし、大地郎の通夜にも葬列にも火車は出てこなんだから、目ちがいかと思うたがの」
「そうか。和尚さんも、戦闘準備万端だったんだね」
「いや、あれほどのものが出てくるとは思うてもおらなんだからのう。思わず取っておきの数珠を使うてしもうたわい」
「法師どの」
「うん?」
「火車のもともとの本体が、地獄の獄卒が引く火の車であるとして、それがなぜ死体食らいのあさましいあやかしに変じたのじゃ」
和尚さんは、漬物を口に放り込んで、一口お酒を飲んだ。
「さあのう。そんなことは知らんし、伝わっておらん。しかし思うに、地獄の獄卒は、我慢がならなんだのではないかのう」
「がまん。何へのがまんじゃ?」
「悪人は死ねば地獄に落ちて、裁きを受ける」
「うむ」
「じゃが死ぬまでは、地獄の獄卒といえど、手出しはできぬ」
「それは当然じゃ」
「この世には、山ほど悪人がいて、善人を苦しめている」
「む」
「その悪人は、地獄に落ちるそのときまで、悪事を重ね、この世に小さな地獄を生み出し続ける」
「確かに」
「それが地獄の獄卒には、我慢できなんだのではないかのう」
「というても、地獄の者が現世の者を、どうにもすることはできぬ。それが摂理じゃ」
「そうじゃ。どうすることもできぬ。そのどうすることもできぬもどかしさが、怒りの炎を現世に飛ばした。それがわしらの知る火車なのではあるまいか」
「ほう? しかし、それなら、なぜ火車は死体を盗み、食らう?」
「現世に仮の姿を現したとしても、できることは限られておるのじゃろうなあ。しかし、魂を失ってしまった死体を食らうことぐらいはできる」
「食らってどうする?」
「恐ろしさを教える」
「なに?」
「悪事をする者どもに、恐ろしさを教える。悪人でも死んだら安楽が得られると思ったら大まちがいじゃと、死んだ者を裁き罰する者があるぞと、火車は教えておるのではあるまいか」
しばらく沈黙が空間を支配した。
やがてぽつりと、天子さんが言った。
「あまり効き目はないみたいじゃがの」
「第10話 火車」完/次回「第11話 骨女」