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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第10話 火車(かしゃ)
43/90

中編

4

 翌日、翌々日と、変わったことは起きなかった。

 天逆毎は、日によって位置が何キロもちがった。けど、いずれにしても、この村の近くをうろうろしている。

 警察の山狩りも続いていた。

 次の日、つまり八月の二十日は日曜日だった。月曜日から通学が再開される。大規模な山狩りは終了だということだった。

 村長は、引き続き山狩りをしてほしいと県に申し入れたが、何しろ足跡一つみつかっていないので、これ以上大がかりな動員は無理らしい。ただ、県警の捜査員が二、三人、引き続き山の調査を断続的に続けるということで、うちにあいさつに来た。

 うだるような暑さだった。

 そういえば、山の上の村だからなのか、七月はそうひどく暑いという感じはしなかったけど、この日の暑さはきつかった。

 昼ご飯が終わって、ぼうっとしていると、突然店先に、誰かが立った。

 モンペをはいたおばあさんだ。そのおばあさんが、いきなり叫びだした。

火車(かしゃ)が来るぞー! 火車じゃ。火車が来る。やって来るぞーー!」

 この小さな体のどこからこんな大きな声が出るんだろう。

 鬼気迫る顔つきだ。

 唖然としてみていると、おばあさんは、たったったっと小走りで走り去った。

「火車が来るぞー! 火車が来るぞー!」

 あ、隣でもやってるみたいだ。

「あれは、五頭(ごとう)(せん)じゃ」

「ごとう?」

「土生地区の五頭じゃ。五つの頭と書く。三人兄弟で一つの家に住んでおる。長女が今の五頭千。千は、百千万の千。その弟で長男の五頭大地郎(だいじろう)。大きな地の郎と書く。その弟で五頭海路(かいろ)。海の路地と書く」

「三人兄弟? ほかに家族は?」

「千はもともと独身じゃな。大地郎と海路は、それぞれ連れ合いに先立たれて独り身じゃ」

「ふうん。で、〈かしゃ〉って何?」

「火の車と書く。あやかしじゃ」

「妖怪っ? あのおばあさんは、妖怪が出るって予言してたの?」

「誰かが死んだのじゃろうなあ。おそらくは……」

 死者が出ていた。それがわかったのは、さらに翌日だ。

 千さんの弟の五頭大地郎さんは、一年ぐらい前から近くの町の病院に入院してた。あまりぐあいはよくなかったらしいが、その大地郎さんが、とうとう亡くなられたんだ。和尚さんのところから帰ってきた天子さんが、そう教えてくれた。

 そんな話をしていると、一人の細い老人が店先に立った。

「おい。火車よけをくれ」

「はい?」

「ああ、鈴太。こちらじゃ」

 天子さんが取り出したのは、お札と飾り物だった。

 その飾り物にはみおぼえがある。

 おじいちゃんの棺にも、同じ物が入っていた。

〈ああ。それは、死人を掘り起こして盗む妖怪が出たとき、死体を動かせなくする飾り物じゃな〉

 天子さんが、この飾り物のことを、そんなふうに説明してくれたのを思い出した。

「いくらかのう」

「飾り物は八百五十円じゃ。お札は売り物ではないので、代はいらぬ」

「そうかあ。へじゃあ、これで。ありがとうな」

「うむ」

 少しよろけながら、その老人は帰っていった。

「あの人が、五頭海路さん?」

「そうじゃ」

「あのお札は何?」

「〈禁反魂呪(きんはんごんしゅ)〉と書いてあったであろう。死者の魂というのは、死後しばらくのあいだあの世とこの世の端境におる。その落ち着かぬ魂を引き寄せてよからぬ術をかけぬよう封ずるまじないじゃな」

「今のお札、一枚しかなかったよね?」

「うむ」

「どこに注文して仕入れたらいいの?」

「どこからも仕入れられぬ。あれは〈はふり〉の者にしか作れぬ」

「あ。そうなんだ」

「それはそうと、今夜が五頭大地郎の通夜じゃ。転輪寺に行くぞ」

「え? ぼくも?」

「そうじゃ。あやかしが出るかもしれぬゆえのう」


5


 喪服なんか持っていないけど、普段着でいいと天子さんが言うので、ほんとに普段着で転輪寺に行った。

 五頭海路さんが喪主だ。

 千さんはいなかった。なんでも、昨日あちこちで火車が出るとふれて回ったあげく、倒れて頭を打って入院したらしい。

 ほかには家族も親戚もない。

 夜の七時になると近所の人が集まってきて、読経があった。

 それが済むと、みんな帰ってしまった。

 なんと、海路さんも帰ってしまった。

 死者だけを残して、これでお通夜といえるんだろうかと思ったが、これもこの地方の風習なんだろうか。

「まあ家族もないし、海路も年寄りじゃからのう。それに皆、火車が怖いのじゃ」

「みんな火車を知ってるんですね?」

「火車は、よく出るからのう」

「よく出るんですか?」

「この百年で二回出たかのう。この里は、もともと妖怪が出やすいんじゃが、火車は特によく出る」

「そ、そうなんですね。火車って、どんな妖怪なんですか?」

「やせこけた老人の姿をしておって、死者の体を盗んでゆくのじゃ」

「ええっ」

「地方によっては、火車に盗まれた死体は火車になり、その魂は永遠に成仏できん、などと信じられておるが、実際には死体が火車になったりはせん」

「じゃあ、なんで死体を盗むんですか」

「食うためじゃ」

「げ」

「通夜のときがよく狙われる。その次に、葬送の行列が危ない。まれには、埋めた死体を掘り起こすこともある」

「手ごわい妖怪なんですか?」

「いや」

「あれ?」

「特別な力は何も持っておらん。ただ、跳躍力だけはあって、死体を抱えたまま、軽々とこの寺の屋根に飛び上がったことがある。あれはたまげた」

 あ、死体を取られたことがあるんですね。

「しかし、それ以外はこれといって何の能力もない。ちょっと力が強い人間程度の筋力があるだけじゃ。ただし狂気に取り憑かれておって、何の遠慮もないから、普通の人間が相手をすると危険じゃ。あと、接近戦になるとかみついてこようとするので、ちょっと気をつけたほうがええなあ」

「あの、ぼく、どうしてここに呼ばれたんでしょうか」

「ん? 呼ばれたというのは、天狐にか?」

「ええ」

「さてのう? 〈はふり〉の者として、火車くらい知っておけということじゃろうかのう。まあ、本人に訊いてみるがよかろう」

「はあ」

 天子さんは、台所でお茶わんの片付けをしている。

 それにしても、昼の暑さがうそのような心地よさだ。

 転輪寺は、ほんのちょっとだけ小高い場所にある。

 なんでも、もともとはもっと低い場所だったらしい。洪水のたびに流されて、ほんの少し高く土を盛り上げて再建する、その繰り返しで、とうとうこの高さになったんだそうだ。

 境内は木々に覆われていて、村のようすはみえない。

 その代わり、開け放した障子からは奇麗な夜空がみえる。

 じっとみていると、宇宙にこの寺だけしかないような不思議な感覚に包まれてゆく。

 ほんとに奇麗な星空だ。

 古いお寺の本堂からそれを眺めているということがまた、幻想的な気分にさせてくれる。

 だけど振り返れば、後ろには棺桶があって、死体が入っているんだ。ちょっとホラーだ。

 あ、天子さんが帰ってきた。

「天子さん。ぼくはどうしてここにいるんだろう」

「さあのう」

 さあのうって、何それ。

「わらわと一晩過ごすのはいやか?」

 そんなふうに訊かれたら、いやだとは言えないじゃないか。

「ふふ。梅昆布茶を入れてきた」

「うん。ありがとう」

「天狐よ。わしの茶は?」

 あ、いたんですね、和尚さん。

 結局その夜、火車は出なかった。

 ぼくは夜明け少し前に、別の部屋で寝させてもらった。

 翌日は朝の間に葬儀があった。けっこう大勢が会葬した。

 知らない人が多かった。土生地区の人が多かったんだと思う。

 土生地区の組頭が場を仕切って葬列が組まれ、麒麟山に死体を埋葬した。

 その一角は、西区域の住人の亡きがらを埋葬してよいと、百年以上前から羽振家の当主が許可を与えているらしい。

 火車は出なかった。


6


「五頭千さんが亡くなったんですか?」

 その驚くべき知らせを持ってきてくれたのは、平井巡査だった。

「いやあ、そうなんじゃ」

 平井巡査は、巡回の途中、五頭海路さんの家に寄った。

 海路さんは、兄が死んだ衝撃と葬儀の疲れで寝込んでいた。

 そのときちょうど、町の病院から電話がかかってきて、救急車で搬送された千さんが亡くなったと知らせてきた。

 平井巡査は、身分を告げてその電話に対応し、たった一人の遺族はとても遺体を引き取りに行ける状態にないので、村役場と相談のうえ、対処を相談すると返事したのだそうだ。

 そして海路さんと相談のうえ、平井巡査が遺体を引き取りに行くことになった。

「それはええんじゃが、海路さんが、えらい気にしとってのう」

 何を気にしているかといえば、火車だ。

 兄である大地郎さんの死に不審はない。長年の持病をこじらせ、高齢のため体力が落ち、徐々に症状が悪化して亡くなった。

 だが、姉である千さんの死に方は、普通とはいえない。高齢であるにもかかわらず、きわめて健康で気力もあり、実際よく動いていた。その千さんが、弟である大地朗さんの死に遭い、〈火車が来るぞ〉と狂ったようにふれて回り、倒れて、そのまま命を失った。

 ぼくなどからみれば、炎天下に大声を上げながら走り回れば、命を縮めもするだろうと思うのだが、この村の感覚からすると、それは〈火車に憑かれた〉ということになるようだ。

「じゃけんのう、まずは大師堂さんで、〈火車よけ〉をもろうてきてくれと頼まれたんじゃ」

「事情はわかった。しかしのう。〈火車よけ〉の飾り物はあるが、お札がないのじゃ」

「な、なんじゃとお!」

「大地郎の棺に入れたのが、最後の一つじゃったのじゃ」

「そ、そりゃあ大変じゃ。すまんが大至急作ってくれえ!」

「と、言われてものう」

 天子さんが、ちらりとぼくをみた。

 えっ、なに?

 何ですか、その視線は?

 まさか、ぼくに作れと?

 ぼくは顔の前で両手を交差させた。ばつ印だ。

 そんなお札の作り方なんて知らない。作りようがない。

 だけど、ぼくのサインを平井巡査は別の意味にとってしまった。

「申しわけねえ、大師堂さん。お札を作るのは、そりゃあ大変じゃと思うんじゃ。けえど、ここは五頭家のため、この村の安全を守るため、どうか協力してやってつかあさい」

 そう言って、帽子を脱いで深々とお辞儀した。

「いや、あの。作れるものなら作りますが、作れないんです」

「そう言わんとお願いします。この通りじゃ」

 平井巡査は、さらに深々と頭を下げた。

「そんなこと言われても……」

「作ってやったらどうじゃ」

「えっ」

 天子さん。どういう無茶ぶりですか。

「おお! 作ってもらえるんか。ありがてゃあのう。ご遺体は明日引き取って、明日の晩が通夜じゃけん。お札は、明日の朝、頂きに来るけん。ほいじゃあ」

 平井巡査が帰ったあと、ぼくは恨めしげに天子さんをみた。

「そんな目でみるな。そもそも、一昨日、五頭大地郎の棺に入れたお札は、幣蔵が作ったものでのう。何の効力もない」

「え?」

「それでも幣蔵は、お札を作り続けた。里の人々の心の安寧を守るためにのう」

「そうだったんだ」

 おじいちゃんは、一族に伝わってた秘儀を受け継げなかった。

 だから、お札の作り方も知らなかった。

 だけど、みんなが求めるから、何の効果もないのは百も承知で、偽のお札を作り続けたんだ。

 そうと知ったら、気が変わった。

 ぼくも作ろう。何の効果もない、まがいもののお札だけど。

「では、準備をしておく」

 天子さんは、そう言って、奧の書斎に硯や筆やお札の紙を準備した。

「ええっと。〈禁反魂呪〉って書くんだっけ?」

「そうじゃ」

 ぼくは神棚とご霊璽に手を合わせ、心を落ち着けてから、筆に墨を含ませた。

 ちょんちょんと、筆の穂先を硯で整え、さあ書こうと筆を持ち上げた。

 ところが、書き出せない。

 一度、墨を付け直して、もう一度筆を持ち上げた。そして長方形の紙片に筆を下ろそうとした。

 だけど、できない。

 どうしてだろう。

 どうしてぼくは、この紙に字を書けないんだろう。

 べつに、うまく書こうなんて思ってもいない。

 そもそも書道なんて全然得意じゃなかったし。

 だけど、この紙に字を書こうとすると、筆がおりない。

 もう一度、穂先の墨の具合を整えてから、ぼくは筆を持ち上げた。

 そして、ふと思いついて、筆をうんと下のほうに持って行った。字でいうと、〈呪〉という字を書く辺りまで。

 そうすると、筆を紙に近づけても抵抗を感じない。つまりこれが正解だったんだ。

 ぼくは、〈禁反魂呪〉という字を、下から書いた。

「ふう」

 書き終わって、筆を置くと、汗をかいていた。

「その書き方は、どこで習うたのじゃ」

 天子さんが、冷えた麦茶をちゃぶ台に置いて、そう訊いた。

「え? 習ってなんかいないよ。でも、こうしないと書けなかったんだ」

「……ほう」

「あ、そういえば」

「ん? 何じゃ?」

「あの飾り物も、おじいちゃんが作ってたのかな?」

「いや。あれは倉敷民藝館から取り寄せるのじゃ」

「すごいな倉敷民藝館……」


※この物語はフィクションです。倉敷民藝館には、火車よけの飾り物は売っていません。たぶん。

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