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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第9話 水虎(すいこ)
38/90

中編1

4


 翌日は、天子さんが食事当番だった。

 朝食のあと、童女妖怪に〈探妖〉をかけてもらった。

 水虎の位置が移動していた。

 童女妖怪は地図の上で、一点を指し示した。

「ここにいるです」

 それは、ちょうど昨日、少年に会った辺りだ。

「ううむ」

「どうしたの、天子さん?」

「法師どののようすが、おもわしくないのじゃ」

「まだ起きられそうにない?」

「うむ。どうも鉄鼠の牙には、妖怪をもむしばむ毒、というより呪いのようなものがかかっていたようでの。薬草を調合したが、すぐにはとても戦えぬ」

「昨日の熊騒ぎ、聞いたよね?」

「よくは聞いておらんのじゃ。おや?」

 来客があった。

 駐在の平井さんだ。

「いやあ、まいった、まいった」

「うわ。朝からすごい汗ですね。今、冷えた麦茶を持ってきますから」

「ああ、すまんのう。おお、天子ちゃん。おはよう」

「おはよう。どうかしたのか?」

「いやいや、聞いちょると思うけど、熊が出たんじゃ。病院の先生のみたてでも、この傷痕は熊ぐらいでないと付けられん、しかもかなり大きい熊じゃということでなあ」

「わらわは村から少し離れて暮らしておるゆえ、昨日の騒ぎも知らなんだ。誰かが熊に襲われたのかえ?」

「そうなんだよ、天子ちゃん。安美地区の伊藤瑞穂さんがね、田んぼをみた帰り、朝の九時過ぎぐらいかな、熊に襲われて大怪我をしたんだ」

「なんと」

「本人いわく、突然霧が立ちこめて、その霧の奧からがおおとうなり声を上げて虎が襲いかかったっていうんだけど、今どき日本に虎はいないよねえ。加藤清正の時代じゃあるまいし」

「はい。平井さん」

 ぼくは平井巡査に盆に載せた麦茶を差し出した。加藤清正は日本で虎退治をしたわけじゃないと思う、というようなよけいなことは言わなかった。

「おお、ありがとう。……はああぁ、うまいのう。はっはっはっ」

「命に別条はなかったのかえ?」

「うん。自分で歩いて家まで帰った。というか、襲われたという地点は、家のすぐそばだったんじゃ。すごく錯乱していて、流血してたので、家族もあわててね。じゃけど、みかけのわりには傷は浅かったらしい」

「ほう」

「左胸からおなかにかけて、三筋の爪痕があった。家族はすぐに警察に通報した。それですぐに救急車を呼んで、わしと安美地区の若いもんらが、安美地区を中心に捜索したけど、夜までやっても熊は発見できんかった。山側にも入ったし、土生や松浦にも探しに行ったんじゃけどなあ」

「それは大変であったなあ」

「いやあ、天子ちゃんにそう言われると、ねぎらわれるなあ。まあ西区域には、昨日の午後三時ごろには村長判断で警報を出してな。家から出んように言うとる。今日も夜明けから大がかりに捜索しちょる。今、安美地区の捜索をいったん終えて、青年団は土生地区と松浦地区をみに行っとる」

「なるほど」

「わしは念のため、東区域を回って注意を呼びかけとるんよ。今日は日曜じゃけんなあ。こどもらもおろうが。とにかく熊がみつかるまでは、できるだけ家の外に出んようにいうてなあ」

「それはご苦労さまなことじゃ。無理をせぬようにな」

「ありがとうね。それじゃあ」

 平井さんは二杯麦茶を飲んで、あわただしく出ていった。

 そのとき、電話が鳴った。

「はい、もしもし」

「もし、もし」

「あ。……ひでり……艶さんですね。こんにちは」

「じゃまするのう」

「どうかしましたか。人参がなくなりました?」

「いや、人参は、まだある。すまんが、煎茶を少し頂けんかのう」

 何か、はっきりしない言い方だ。というか、本当に煎茶が欲しくて電話をかけてきたという感じがしない。ということは、たぶんぼくと話がしたいんだ。

「わかりました。今すぐ配達します」

 ぼくは受話器を置いた。

「あのかたからか?」

「うん。ぼくに用事があるみたいだ。すぐに行く」

「わかった。わらわは留守番をしておく」

「あの、あちきはどうすればいいです?」

「長壁よ、今日はまだ法師どのが動けぬ。そなたは社に戻っておれ」

「はいです」


5


「恐れ入るのう。こんな所まで」

「いえ。そんなに遠くないですし」

 艶さんの、つまりひでり神さまの家は、有漢地区の南の端にある。乾物屋は御庄地区の南の端っこのほうにあるんだから、たいした距離ではない。ただ、北側からここに来ると登り坂になるので、ひでり神さまには、神社からの帰り道はつらいだろうと思う。

 そういえば、乾物屋があるのは、この家と神社のちょうど中間地点だ。なのに、ひでり神さまが乾物屋の前を通るのをみたことがない。いつか聞いた〈決まった順路〉というのを通っているからなんだろう。

 今日のひでり神さまは体調がいいみたいだ。服装も風通しのよい品の良い服だ。

「今日は時間がおありかの」

「はい」

「実はこの前来ていただいてから、いろいろなことが気になってなあ」

「あ、そうなんですか」

「前から気にはしておったのじゃが、立ち入ったことゆえ、お訊きしたことはなかった」

「ぼくに答えられることでしたら、何でも訊いてください」

「お言葉に甘えて、失礼なことをお訊きするが、幣蔵どのはなぜ、あなたの父上をこの里から外へ出されたのじゃろうか」

 訊かれてみて、ひでり神さまにとっては、実に当然の疑問だろうと思った。

 ぼくは自分で淹れた煎茶を一口飲んで、口を開いた。

「ちょっと長い話になります」

 それから、ぼくは話した。

 おじいさんの物語を。

 お父さんの物語を。

 ぼくがこの村に移り住んだ経緯を。

 この村に住むようになってからの冒険の数々を。

 話が終わったあと、ずいぶん長い沈黙が流れた。

 気がつけば、ひでり神さまは、目に涙を浮かべていた。

「幣蔵どのを、苦しめたなあ……」

 いいえ、と言う資格はぼくにはないように思えたので、黙っていた。

「幣蔵どのだけではない。今までこの里で生まれ、死んでいった〈はふり〉の者は、二百人を少し越えようか。その者たちの一生を、わしのわがままで縛り付けた」

「それはちがいます」

 資格があるとかないとかじゃなく、ぼくは思わず、そう言ってしまった。

 ひでり神さまは、驚いたような目でぼくをみている。

「ぼくのご先祖さまは、弘法大師さまから与えていただいた役割を尊いことと信じて、その使命を生ききったのだと思います。代々のご先祖さまが、ずっとそうだったのだと思います。それは、誰かが果たさねばならない役目であり、それを果たすことのできる喜びを味わいながら、一生を送ったんです」

「……そう言うてくださるか。かたじけない。じゃが、わしが天界に帰りたいなどと言い出さねば始まらなかったことじゃからなあ」

「あなたも人のために人生をささげたではありませんか!」

「……え?」

「そもそもあなたが天界に帰れなくなったのは、人々の苦しみを救う戦いのためでしょう? あなたは人のために戦い、その結果、天界に帰れなくなってしまった。人を殺したというけれど、殺そうと思って殺したんじゃない。人々を救うために得た力が強すぎたからです」

「ちがう。ちがうのじゃ。わしはなあ、陛下に恋をした。じゃから陛下を勝たせたいと思うた。そのため、下級神の分際で、日天(にってん)の、日天子(にってんし)さまのお力を得たいなどと願うた。分不相応にもほどがある願いじゃ。じゃから、そのあとが狂うた。すべてはわしの欲から始まったのじゃ」

「その恋がなければ、蚩尤の圧政は終わらなかったんじゃないですか? その恋がなければ、雨師や風伯を打ち倒す力は、どこからも得られなかったんじゃないですか? 人が笑い合う時代はやって来なかったんじゃないですか? だったらその恋は祝福されていいはずです!」

 いったい何を言ってるんだろう、ぼくは。こんなことは、ぼくなんかが口出しできる事柄じゃない。ろくに真実を知りもしないくせに、偉そうに歴史を語るなんて。いったいいつからぼくは、こんな人間になったんだろう。

 〈陛下〉というのは、蚩尤を打ち倒して王となり、のちに〈黄帝〉と呼ばれるようになった人のことだろう。ひでり神さまの父上は、天界に住む本物の〈黄帝〉なんだから、ひでり神さまは王様のことを〈黄帝〉とは呼ばないはずだ。

 かなり長い沈黙のあと、ひでり神さまは、小さな声で、しかしはっきりと話し始めた。

「そう言われてみれば、そうかもしれんなあ。無茶や不相応もあったにせよ、皆が力を合わせてつかみ取った勝利に価値がなかったなどとは、誰にもいえぬ。そのあとわしが日本に飛来して富士の山に落ちたことも、多くの人が亡くなられたことも、大師どのにお会いして道を示されたことも、あらかじめ誰かがはからったことではない。しかし、後悔は残る」

 うつむきかげんだった顔を上げて、ひでり神さまは、まっすぐにぼくの顔をみた。

「長き年月、罪をあがなうために石を積んでまいった。積めば積むほど、骨ヶ原の霊魂たちは優しゅうなった。じゃがなあ」

 ひでり神さまは、目を閉じた。閉じた目から、涙がこぼれた。

「積めば積むほどに、申しわけない、すまんことをしたという、罪の心も深くなるのじゃ。不思議なことに、千二百年たっても胸の痛みは消えぬ。強くなるばかりなのじゃ」

 それこそが贖罪なんじゃないだろうか、弘法大師さまがひでり神さまに課した修行なんじゃないだろうか、とぼくは思った。けれど、さすがに僭越すぎて、それを口にすることはできなかった。その代わり、ぼくは別のことを口にした。

「あなたがそういうお心であることを、〈はふり〉の者の末裔として、尊くありがたいことに存じます」

 ひでり神さまの閉じた目からは、新たな涙があふれた。

「どうぞお体を安んじられて、満願成就をお迎えになってください」

 ひでり神さまは、ゆっくりとうなずいた。

「〈はふり〉の者は、優しいのう。いつもそうじゃった。あなたには、満願成就の日をともに喜んでもらいたい」

「はい。ひでり神さまと、ぼくと、呪禁和尚さんと、天子さんと、それからついでに長壁姫で、一緒にその日を迎えましょう」

「ほほ。その長壁とやらに会うてみとうなったわいの」

「ええっ? つまんないやつですよ?」

「ほほほほほ」


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