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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第9話 水虎(すいこ)
37/90

前編(地図あり)

1


「さて、三日間続けて鉄鼠が出たために、天逆毎を探知してもらう話が延び延びになっておった。今日〈探妖〉をかけて異常がないようなら、明日は天逆毎の探知を頼むことになる。鈴太、地図は用意したか」

「うん。ここに」

 地図といっても、ネットの地図をプリントしたものだけど、今回の目的には充分だと思う。川の流れのなかのだいたいどの辺りに天逆毎がいるかがわかれば充分なのだ。万一こちらから討伐に出るとしても、お守り状態の童女妖怪を連れていけばいいし、近くまで寄れば、和尚さんも天子さんも妖気を感知できるはずだ。

 ただしぼくは、いまだに引きこもり作戦を推奨している。時間がこちらの味方なのは明かなんだから、無理に状況を動かす必要はないはずだ。

「さて、では〈探妖〉を頼む」

「はいはいなのですはい」

 今日は朝から油揚げどんと盛りメニューだったので、童女妖怪の機嫌は絶好調に最高潮だ。

 いつものように、奇妙な棒を振り回してご祈祷したあと、探知結果を口にした。

「妖気が抜けた溜石が六に増えました。妖怪が出現しています。妖怪の名は、水虎……?」

「もう次が出たんだ」

「水虎、じゃと?」

「天子さん、知らない妖怪?」

「名は知っておる。どんな妖怪かは知らぬが、たしか水のなかで力を発揮する系統の妖怪ではなかったかのう。長壁、そなたは知っておるか?」

「あちしの知識でも、はっきりしたことはわからないです。ただ、純国産の妖怪ではなくて、渡来系の妖怪ではなかったかと」

「珍しい妖怪なんだ」

「珍しいといえば珍しい。というより、目立った事件を起こすことがないので、正体がつかめず、不確かな噂ばかりがあるあやかしじゃな」

「とにかく、放ってはおけないよね?」

「それはもちろんじゃ。法師どののもとにゆこう。その前に位置を確認せねばならん」

「ちびっこ、この地図のどの辺にいるんだ?」

「その無礼な呼び方を即刻やめるですよ、このへなちょこ。この辺りなのです」

 童女妖怪は、安美地区の東の端っこを指さした。

「うん? 妖気が抜けた溜石はどこじゃ?」

「ここです」

 今度は、安美地区の一部を指した。村全体でいえば西の端っこにあたる。

「ほう。多少移動したようじゃな。活発なあやかしなのかもしれぬ。となると、やはり長壁についてきてもらいたいのじゃが」

「お守りに入るです」

 思わぬところで油揚げ効果が成果を上げたようだ。


2


「法師どの! 法師どの!」

 天子さんが和尚さんを揺すって起こそうとしているが、だめだ。

 もうさっきから随分こうしているのに、起きる気配がない。

 それどころか、汗をかきながらうなり声を上げている。苦しそうだ。

「だめか」

「こんなこと、今までにもあったの?」

「強敵と戦ったあと、何日か寝るようなことはあった。今までは三日続いてあやかしと戦うというようなことはなかったからのう」

 一匹目の鉄鼠が出て退治したのが八月九日だった。

 二匹目の鉄鼠が出て退治したのが八月十日だった。

 そして三匹目で最後の鉄鼠本体が出て退治したのが八月十一日、つまり昨日だった。

 昨日の戦いは激戦だった。頭もかじられていたし、帰ってからすぐ寝込んでしまった。長年の戦いによる疲労の蓄積に、この三連戦が響いて、和尚さんは本格的に体調を崩してしまったんだろう。

「天子さん、どうしようか」

「わらわは法師どのの看病をする。おぬしは帰って店の仕事をせよ」

「えっ? あやかしは放っておくの」

「うむ。法師どのを欠いては戦いようがない」

「天子さんにも攻撃能力はあるよね?」

 昨日の鉄鼠戦で披露した爪の斬撃は、非常に強力だった。

「わらわの攻撃能力は、あれだけじゃ。両手の爪の数だけ、つまり十回だけ攻撃ができるが、これが効かない相手に出くわせば、負けるしかない。あやかし相手の戦いで負けるということは、死ぬということじゃ」

「そうか。そうなんだね」

「幸いというてよいかわからぬが、水虎というあやかしが、残虐なことをしたという話は聞いておらぬ。一日ようすをみても、大事あるまい」

「わかった。今日は店の仕事に精を出すよ」

「それがよい。まちがっても、水虎をみに行ったりしてはならぬぞ」

「はいはい。わかってます」

 そう決めて店に帰ると、不思議なもので、次から次へと注文が入ってきた。

 その注文のうち一つは、珍しいことに松浦地区の西の端のほうからだった。

 羽振村は、フットボールのような形をしている。フットボールを真横にしてから、さらに右側を四十五度下に下げた形だ。

 そのままでは区域の位置関係が説明しにくいので、フットボールを真横に起こして解説すると、フットボールを縦に四つに切り、真ん中の二つはさらに上下に分割した形を考えればいい。

 左の端っこが安美あみ地区。

 左から二番目の上側が松浦まつら地区。

 下側が土生はぶ地区。

 左から三番目の上側が御庄みしょう地区。

 下側が雄氏おうじ地区。

 そして左から四番目が有漢うかん地区。

 このうち、安美地区、松浦地区、土生地区の三つが西区域と呼ばれている。

 そして、御庄地区、雄氏地区、有漢地区の三つが東区域と呼ばれている。

 実際の位置関係は東西じゃなくて北西と南東なんだけど、東西という言い方が定着している。

 このうち、おもに西区域に田んぼが多い。というか、松浦地区と土生地区は、田んぼのなかに家がある感じだ。

 昔、村は、天逆川から流れ込む二本の支流から、水を田に引いていた。

 一本は安美地区から入り、土生地区を通って松浦地区に至り、樹恩の森にそそいでゆく。

 もう一本は、いったん有漢地区に入り、ぐぐぐっと曲がって雄氏地区を通って御庄地区に至り、樹恩の森にそそぐ。こんな蛇行した川で、水がちゃんと流れるのかと心配になるが、ちゃんと高低差があって流れていたのだそうだ。

 その二つの支流が百年に一度の洪水の原因でもあった。

 現在では東区域の支流は完全に埋め立てられ、西区域の支流は、ごく細い農業用水路へと作りかえられている。

 さて、村には二軒、乾物屋がある。

 一軒は、うちだ。

 もう一軒は、安美地区にある。

 店をやってるのは村長さんの弟さんだ。ちなみに村長さんにはほかに二人弟さんがいて、それぞれ、電気屋と肉屋をやっている。

 松浦地区の西の端だと、安美地区の乾物屋から比べると、うちは倍以上の距離がある。当然普通ならあっちの乾物屋に注文するところなんだけど、牛肉の大和煮と醤油とみりんを注文された。たぶん、このうちのどれかが、あちらの店では品切れだったんだろう。

 西区域は全体に東区域より、わずかに低い位置にある。ところが安美地区の西側は少し登り坂になっていて、洪水のときも比較的安全だった場所だ。当然金持ちの人が住んでいた場所である。

 東区域の東の端は、村中で一番高い位置にある。山口さんの家も、その一角にある。ただこちらは、水道が整備されるまでは水の便が悪かったので、昔は金持ちの住むエリアではなかったという。今は田舎なりに振興住宅地だ。

 転輪寺は、村のど真ん中にある。御庄地区と雄氏地区と土生地区が接する辺りだ。ただし転輪寺は小高い丘の上に立っていて、ある意味洪水の防波堤のような機能も持っていたらしい。ぐるぐる回り込んで行かないと寺に行き着けない。

 段取り的に、東区域の配達を済ませてから店に帰り、牛肉の大和煮と醤油とみりんを自転車に積み込んで西地区に出発した。なぜだかずいぶん歓待された。お茶と漬物が出て来て、いや応なしに長話になった。どうもこの家の奥さんは、〈砂持ち祭り〉でみかけたぼくと天子さんの仲がどうなっているか、気になってしかたがなかったようだ。

 ぼくも気になっています。

 その家を出たときには、もう夕方が近かった。


3


 家に帰ろうと、用水路を渡ったとき、その少年に気がついた。

 コンクリートの縁に腰掛けて足をぶらぶら遊ばせながら、さして広くもない用水路をじっとみている。

(こんな男の子がいたかなあ)

 もちろんぼくは、村人全員を覚えているわけじゃない。特に西区域については、家族構成はおろか、家の名前もよく知らない場合がある。だけど、妙に気になる少年だった。

 仕事の終わった気楽さもあって、ぼくは自転車を止めると、少年のそばに腰をおろした。

「こんにちは」

 話しかけると少年は座ったままこちらをみて、はにかみながら笑った。

 ものすごい美少年だ。

 純東洋風美少年だ。

 さらさらの黒髪に、黒い目。なめらかな肌。思わずさわりたくなるほっぺただ。

 それにしても、服装が変わっている。というか、何のコスプレだろう。

 首から下が、全身鱗で埋め尽くされているんだ。

 青黒い美しい鱗だ。

 手の甲まで鱗がある。

 足の甲にも鱗がある。

 そして、手の指と足の指には水かきがある。

 面白いことに、両膝にはふかふかの真っ白な毛がつけてある。毛というより毛玉だ。デザインした人は、いいセンスだと思う。このふわふわの膝飾りの白い毛玉が、全体のキュート度をぐっと引き上げている。

 じっとみていて、あることに気づいた。

 首のところに服の切れ目がない。

 顔の皮膚を通って首に続くラインの途中から、しみ出すように鱗が生えてきている。

 着ぐるみじゃない。

 自前だ。

 鱗は自前の鱗なんだ。

(もしかして、妖怪?)

 いや、しかし、童女妖怪が探知した〈水虎〉とかいう妖怪は、安美地区にいたはずだ。

 ここは安美区域の用水路からいえば、二区域も下流の松浦区域だ。こんな所まで〈水虎〉とかいう妖怪が移動することがあるだろうか。

 しかも、凶悪な妖怪の正体がこんな可愛い少年だなんて、そんなことがあるんだろうか。

「おにいちゃん、人間?」

「うん。人間だよ。君は何?」

 訊いてからしまったと思った。たぶんこれは危険な質問だ。

「わからない」

「えっ? わからないの?」

「うん」

「どうしてここにいるの?」

「わからない」

 この少年妖怪は、自分が何者で、何のためにここにいるのか、わかっていないようだ。

「でも、たぶん、探してるんだ」

「えっ? 何を」

「わからない」

 何を探しているんだろう。まさか、ひでり神さま?

「探して、どうするの?」

「わからない。でも、とっても大事なことなんだ」

 そのとき、麒麟山の西側に落ちようとする夕陽が、伸びきった稲たちを照らしだし、あたり一面の田んぼが、黄金色にそまった。

「わあ」

「わあ」

 思わず同時に声を上げた。

 それがおかしくて妖怪少年のほうをみると、妖怪少年もこちらをみて、にこっと笑った。なんて破壊力の高い笑顔なんだろう。だけど、どこか寂しそうだ。

 ぼくは土手の脇に生えた草をむしり取って、くちびるを当てて曲を吹いた。

 ワンコーラスを吹き終わると、少年が拍手してくれた。

「この曲はね、歌詞もあるんだよ」

「そうなの」

「一緒に歌ってみようか」

「うん!」

 ぼくは一節ずつ少年に曲を教え、少年は砂に水が吸い込むように、曲を覚えた。

 日本人なら誰でも知ってる曲だ。作曲したのはドボルザークって外国の人だけどね。

 ぼくたちは、何度も何度も声を合わせ、その曲を歌った。

 そうしているうちに、いよいよ日が落ちてしまった。

「帰らなきゃね」

「おにいちゃん、帰っちゃうんだ」

「うん」

「ぼくも帰らなくちゃ」

「どこに帰るの?」

「水のなか」

「水のなかに帰るんだ」

「うん。でも本当は、帰りたくないんだ」

「どうして?」

「水のなかに入ると、ぼくがぼくでなくなっちゃうんだ」

「そうなんだ。それなら、水に入らなきゃいい」

「でも、水に入らないと、ぼくはなくなってしまうんだ」

「そうなんだ。じゃあ、入らないといけないね」

「……うん」

 うなだれている少年を残して去るのはいやだったけれど、いつまでもこうしているわけにもいかない。ぼくは立ち上がった。

「じゃあ、またね」

「おにいちゃん、また来てくれる?」

「……うん」

「また会おうね!」

「うん。じゃあ、さよなら」

「さよなら!」

 少年は、元気な笑顔でぼくをみおくってくれた。

 しばらく自転車を走らせてから自転車を止めて振り返ると、少年はまだこちらをみていて。大きく手を振ってきた。ぼくも手を振り返した。

 なんだか別れがたい気持がした。

 家に帰ると未完さんがいた。

「あれ? こんな時間に珍しいね」

「おい、鈴太。聞いたか?」

「何を?」

「熊だよ。熊が出たんだ」

「えっ」

「安美地区の伊藤何とかっていう人が襲われて、大怪我をしたんだ。本人は錯乱していて、虎に襲われたって言ってるらしいけど、いくらなんでも虎ってことはねえよな」

 殴られたような衝撃を感じた。

 虎。

 水虎。

 これはただ偶然言葉が似ているだけなんだろうか。それとも。

「安美地区は麒麟山のふもとだからよ。あんまり人の入らない山なんだろ? そういうとこだったら、熊がいたって不思議ねえよな。おい、鈴太! 聞いてんのか」

「あ、ああ、うん。聞いてる」

「お前は配達とかでしょっちゅう出てるからよ。今日だって、来てみりゃあ配達中のメモが置いてあるしよ。まあ、西区域には配達なんかねえだろうけど」

「いや、今最後に配達したのは、松浦地区の一番西側だった」

「はあっ? どうしてそんな危ないとこに行くんだよ!」

「いや、そんな。熊が出たなんて知らなかったし」

「鳴ってただろうよ、救急車のサイレンが!」

 そういえばサイレンの音が聞こえてた。

 テレビか何かの音だとばかり思ってたけど。

 だって、この村に救急車が来るのなんて、みたことがない。

「とっても村じゃ手当のしようもねえってんで、すぐに救急車が呼ばれたんだけどよう。急いだって一時間はかかる。こっから病院に行くのも一時間はかかる。こういうとき、田舎は不便だよなあ」

 とんでもないことに、そのあと未完さんは、ここに泊まると言い出した。

 いくらなんでもそれは許せないので、ちょっと厳しく言い聞かせ、家まで送っていったんだけど、お母さんである足川未成さんは、あら、帰ってきたの、なんて言ってた。

 どういう母親だよ!

 それから帰って食事を作って食べて、風呂を沸かして入って寝た。

 虎が出たという言葉が、ずっと頭のなかでリフレインしていた。






挿絵(By みてみん)

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