中編2
8
「なんとまあ、あの気むずかしい耀蔵を、見事にまるめこんだものじゃなあ」
「あの人、根は素直なんだよ」
「確かにそうじゃが、おぬしぐらいの年齢では、ふつうそこには気がつかん。ふむう。この数か月で、おぬしはずいぶん成長したようじゃな」
「そう言われるとうれしいね」
「ところで鈴太よ」
「なに?」
「敵が天逆毎とわかって今日で一週間になる」
「うん。そうなるね」
「わらわは法師どのと話し合うたのじゃがな」
「うん」
「いっそこちらから攻撃に出る、ということも考えられる」
「あ」
「天逆毎は、たぶん法師どのとよい勝負じゃ。水のなかで戦えばあちらの勝ち。水から引きずり出すことができればこちらの勝ち。ただし、わらわが参戦すれば、こちらがはるかに有利になる」
天子さんには、あのバリアーがある。たぶんそのほかにも、いろいろな神通力があるんだろう。千二百年も一緒に戦ってきたんだから、コンビネーションにも不安はない。だけど。
「ううーん。それは、どうなんだろう」
「このことについて、おぬしはどう思うのじゃ」
「まず、天逆毎は大量の妖気を保持していると考えられる。普通の状態じゃあない」
「うむ。そこは読みにくいところじゃ」
「そして、配下なり仲間なりと一緒でないとはいえない」
「む。確かにそうじゃな」
「さらにいえば、もしかしたら、和尚さんと天子さんが結界の外に出て攻撃を仕掛けるのは、相手の思う壺なのかもしれない」
「うん? それはどういうことじゃ」
「こちらが相手の正体を知ってから、まだ七日間にすぎない。でも、相手は百何十年間、執念深くこちらを付け狙っているんだ。こちらの強みも弱みも、よく知っていると考えるべきだ」
「……なるほど。それで?」
「相手の目的は、ひでり神さまへの復讐であり、ひでり神さまを抹殺することだ。ただし、神であるひでり神さまをどうやって抹殺するのか、それはわかっていない。ということは、あちらにはこちらの知らない何かの力がある」
「……ふむう。こちらの知らない何かの力、か。そうかもしれぬ」
「和尚さんと天子さんは、こちら側の最後の守りだ。あちらは時間をかけて、和尚さんと天子さんへの対抗策を準備してるはずだ。でも今日まで無事だったのは、相手が結界の内側には攻撃を仕掛けてこられないからだという可能性が高い。罠が仕掛けてあるかもしれない場所に、わざわざ出向いていくことはない。なぜならこの勝負は、引き延ばせば引き延ばすほど、こちらが有利になる。結界のうちで身を縮めながら、起きてくる事態に対処するのが、引き延ばしには一番いいんじゃないかな」
「なるほどのう。言われてみればその通りじゃ。しかし、相手がおる場所がわかって何もせんというのも、どうも気分がようない」
前から少し思ってたけど、意外に天子さんは攻撃的な性格をしている。
「〈探妖〉の能力の有効範囲はわかってるの?」
「うん? いや。詳しいことは聞いておらなんだのう」
「確認してみよう。場合によっては、二日に一度は結界の外を探索してもらってもいい。天逆川に沿って探索してもらえば、天逆毎の位置もわかるし、仲間がいるかどうかもわかるんじゃないかな」
「それじゃ! さっそく長壁を呼び出して訊いてみるのじゃ」
天子さんは、童女妖怪を呼び出した。
「え? 探知範囲ですか。ううーんと。例えば天狐さまが百キロ離れた所にいるとき、天狐さまの居場所を探知しようと思えばできると思うのです」
「百キロ? がきんちょの能力は、そんなに遠くまで届くのか?」
「むかっ。その失礼な物言いはやめるです。届くですよ。百キロなら確実です。二百キロでもいけるかもしれません」
「たいしたものじゃ」
「でもそれは、相手が特定されていて、非常に目立つ強力な妖気をまとったかただからです。あちしが会ったこともない相手で、しかも妖気の強さもわからないとすると、ううーん。確実な探索範囲だと、十キロぐらいなのです」
「それでもたいしたものじゃ」
「へへへ」
「なら、天子さん。明日の朝は、取りあえずいつもの探査をやって、それで異常がないようなら明後日は天逆川の探知をしてもらえばどうかな。まずは、この村に近い場所から上流と下流に五キロずつの範囲で。それから一日ごとに、結界内の溜石の探索と、天逆川の探索を繰り返していくんだ」
「それはよいのう。よし。法師どのの所にまいる。このことを報告しておこう」
9
「ごちそうさまでした」
「馳走になった」
「油揚げが少なかったです」
「お前は食事に対する感謝が足りん」
「あちしは油揚げには感謝してるですよ」
「作ったオレにも感謝しろ」
「いやなのです」
「ほんにおぬしら、仲がよいのう。さて、では長壁よ、〈探妖〉を頼む」
「はいなのです」
いつものように、童女妖怪はどこからともなくびらびらした紙がついた棒きれを取りだして左右に振った。今日はちょっと長めだ。
「ううん? おかしいですね」
「どうしたのじゃ」
「妖気が抜けた溜石は五個。そして妖怪が出てるです」
「なに?」
「何の妖怪なんだ?」
「鉄鼠です」
「鉄鼠じゃと? ばかな。場所は」
「昨日と同じなのです」
10
ぼくは、和尚さんと天子さんと一緒に、再び田上家にやって来た。今日は自転車できている。和尚の葛籠は荷台にくくりつけてある。
昨日と同じように、門の所に冴子さんがいた。ちなみに、門に小屋がくっついたようなこの構造物は、〈門納屋〉というらしい。昔はこれを持っていることが、お百姓さんのあいだではステータスだったんだそうだ。
「むっ」
「これは……」
冴子さんをみた和尚さんと天子さんの目が厳しい。いったいどうしたんだろうか。
「あれまあ、おはようさん。昨日はありがとうございました。今日にも主人がお礼にうかがうちゅうて言うちょりましたけえど」
「いや。またもお告げがあってのう」
「へえ? そりゃまあ、えらいこって」
「ご主人に会わせてもらえるかな」
「へえへえ。こっちへどうぞ」
応接間で蔵市さんに会った和尚さんと天子さんは、またも厳しい顔をした。
「和尚さん。昨日はありがてえこってした。それで、今日は?」
「それが、またもお告げがあったんじゃ。何か変わったことはないか?」
「へえ? 変わったこというても」
きゃあああぁぁ!
ものすごい悲鳴が上がった。
蔵市さんは反射的に立ち上がっている。
「あれは?」
「和尚さん。ありゃあ、蔵治の嫁のあかりの声じゃ。何があったんじゃ?」
ぼくたちは、声のするほうに行ってみた。
昨日一度みた米蔵の戸口に、あかりさんはいた。地面におしりをついている。
蔵市さんと奥さんの冴子さん、和尚さんと天子さんとぼく、そのほかに男性二人と女性二人が悲鳴を聞きつけてやって来た。
「どうしたっ?」
「何があったんなら?」
「あ、あ、あ、あそこに……」
あかりさんが、震える指で、米蔵のなかを指さした。
「ぎぎいっ」
古木をこすり合わせるような不吉な鳴き声がして、小屋の暗がりのなかからそいつが、ぬっと姿を現した。
鉄鼠だ。
昨日と同じ、不自然で不気味な姿をした妖怪だ。小柄なおとなほどもある巨大鼠が突然出てきたら、それは恐怖以外の何物でもないだろう。
「みんな、後ろに下がれっ! 天狐! 障壁で閉じ込めよ!」
和尚さんの命令が響き、天子さんは両手のひらを鉄鼠に向けた。
ちょうどそのとき鉄鼠はあかりさんに飛びかかろうとしたが、緑の火花が飛び散ってはね返された。
天子さんのバリアーだ。薄い緑の幕が鉄鼠を中心に、米蔵のなかで直径五メートル、高さ三メートルのバリアーが形成されている。
「鈴太。葛籠を開け」
「はいっ」
ぼくは自転車の荷台から素早く葛籠を降ろし、米蔵の入口の前に置いた。
男の人があかりさんを助け起こして後ろに逃げた。
ほかの人たちも、ずずずっと後ろに下がってようすをみている。
和尚さんは、のっしのっしと歩いてゆき、すいとバリアーのなかに入った。
(あ、そうか。このバリアーはなかのものを外には出さないけど、外のものはなかに入れるタイプなんだ)
「破邪招来雷電!」
「破邪招来豪衝!」
和尚さんが大声で呪文を唱えると、葛籠から二枚のお札がひゅうんと飛び出していった。後ろからでよくみえないけど、たぶん両手の拳にそれぞれ貼り付いた。
そのとき、鉄鼠が地を蹴って襲いかかった。
「おおおおおおおおお!」
気合いの声を上げて和尚さんが両の拳を鉄鼠の顔の両側にたたき付けた。
と思った瞬間、鉄鼠は急に頭を下げて方向転換をして、和尚さんの足にかみついた。
「むうっ!」
和尚さんは右の拳を上から下にたたき付けた。鉄鼠の頭めがけて。
しかし鉄鼠は素早く後退して、和尚さんの拳は地面をたたき、まぶしい雷光が飛び散った。
「うぬっ? 破邪招来雷電!」
態勢を整えた鉄鼠が、低い位置にある和尚さんの頭めがけて飛びかかる。和尚さんの反射神経はさすがのもので、左の拳をしたから鉄鼠の腹にたたき付けた。
「きゅう!」
悲鳴を上げてはじき飛ばされた鉄鼠は、すぐにバリアーの天井にぶち当たり、落ちてくる。そのときには、新たに呼び出されたお札が和尚さんの右拳に貼り付いていた。
「ぎゃん!」
鼻面にまともに打撃が入った。これはたまらないだろう。
地に落ちた鉄鼠は、それでもまだまだ動き回る体力がある。
「破邪招来豪衝!」
上から衝撃波を伴う拳が、鉄鼠の頭を打ち抜いた。
四肢はぴくぴく動いている。昨日は気づかなかったけれど、尻尾もあって、そのしっぽもぴくぴく動いている。
しかしそんな動きもすぐに収まり、巨大鼠は消えた。
天子さんが構えを解き、バリアーも消えた。
なかに入ってみると、一匹の小さな鼠の死骸があった。
和尚さんはとみると、右目の上から出血している。鉄鼠が飛びかかったとき、牙がかすったのだろう。
そのあと、和尚さんと天子さんのようすが変だった。お茶に誘われてもうなずきもせず、終始難しい顔をして、田上家の人々の顔を順番にみていた。
「蔵市よ」
「はい」
「どうもよくないものに取り憑かれたのう」
「えっ」
「厄除けのお札を置いていくから、家族全員、肌身離さず身につけておくのじゃ。折りたたんでポケットに入れておけばええ」
「は、はい」
そう言って和尚さんは、人数分のお札を葛籠から出して蔵市さんに渡した。蔵市さんは、それを家族に配った。家族はそれぞれそれを拝んでから折りたたんでポケットにしまった。
そのようすを、和尚さんはずっと厳しい目つきでみまもっていた。
ぼくたちは、すぐに転輪寺に引き上げた。途中では会話がなかった。
9
「わからん。あれはいったいどういうことじゃ」
「法師どの、念のために確認するが、全員がそうじゃったのじゃな」
「そうじゃ。蔵市も冴子も、蔵治もあかりも、そして蔵造も松代も、みんな妖気を帯びておった」
「確かに。何というか、癖の強い妖気であった」
「癖の強くない妖気があるかっ」
和尚さんは、機嫌がよくない。
天子さんも、面白くなさそうな顔つきだ。
「あ、あの。何があったんですか?」
「うん? ああ。鈴太にはあれは感じ取れんのか。妖気じゃ」
「妖気?」
「そうじゃ、鈴太。わらわも確かに感じた。あの田上家の全員から、妖気がただよっておったのじゃ」
「ええっ? それって、全員が妖怪なのか、あるいは全員が妖怪に取り憑かれているってこと?」
「それがわからん。わからんが、妖気をまとっているからといって、田上家の者らを皆殺しにするわけにもいかん」
「お札に反応せなんだのう」
「それよ、天狐。そこが一番わからん」
「えっ? ああ、あの最後に渡してた厄除けのお札ですね」
「あれは、厄除けなどではない。人や物に取り憑いたあやかしを追い出すお札なのじゃ」
「えっ?」
「ほれ。いつぞや山口の後家に取り憑いた幽谷響を追い出すために、護摩木を渡したじゃろう」
「あ、はい」
「あれの簡易版じゃ。しかしぶつけるのでなく身につけるのじゃから、効果は高い。あやかしは、とてもなかには入っておられん」
「それなのに、あやかしは出て来なんだ。面妖であろう?」
「うん。おかしいね」
この話題は、家に帰って昼ご飯を食べているときにも出た。
それを聞いていた童女妖怪が、口を挟んだ。
「おい、へなちょこ」
「何だ、がきんちょ」
「お守りはないですか?」
「なに?」
「お守りはないかと訊いてるです」
「売り物にいくつかあるけど」
「持ってくるです」
「お、おう」
ぼくは売り物のお守りをいくつか取り出して、机の上に並べた。
「だめだめですね」
「何がだよっ!」
「キュートな品がないです」
「お守りにキュートって、需要ないだろっ」
「あちしには需要があるのです。しかたないから、こいつに決めるです」
「やらんぞ」
「明日、転輪寺に出かけるとき、あちしはこのお守りに移るです」
「……え?」
「そのお守りを、へなちょこが携帯するです。そうすれば、そのタノカミとかいう家に、あちしも行けるです」
「へえ。お守りに移れるんだ」
「移れるですが、やっぱりきちんとしたお社にいないと〈天告〉のような大技は使えないし、〈探妖〉も精度が下がるです」
「なるほどなあ」
「どうも法師さまや天狐さまより、探知能力ではあちしのほうがレベルが高いみたいです」
「えっ。そうなのか?」
「あちしは、攻撃用の神通力も防御用の神通力もまったく使えないけど、その代わり、探知系の能力は高いのです」
「うむ。それは助かる。鈴太、ぜひそうするのじゃ」
「わかったよ。明日といわず、今からお守りに移住したらいいんじゃないか?」
「お前は、自転車に乗ったまま、家の外で一夜を明かせるですか?」
「そんな器用なことできるかよっ」
「なら、あちしにもそんな無礼なことを言うでないです。同じことなのです」
「同じ、なのか?」
「このお社は、居心地いいのです」
「居着くなよ」
「心配しないでも、百年もしたら出ていってやるです」
「長えよ」