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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第8話 鉄鼠(てっそ)
33/90

中編1

5


 出がけは天子さんと一緒に徒歩だったので、転輪寺から乾物屋への帰りも徒歩だ。

 あんな重い葛籠(つづら)を運ぶんなら、自転車で行ったほうがよかった。

 さて、もうすぐ家に着く。

 天子さんが食事を準備してくれていると思うと、ついうきうきしてしまい、足取りが早くなる。

 これはもうほとんど新婚状態といっていいんじゃないだろうか。

 家に帰るぼく。

 食事を作って待ってくれている天子さん。

「あら、お帰りなさい」

「うん。ただいま」

「お食事にする? お風呂にする? それとも……」

 というような脳内妄想を展開しながら歩いているうちに、家のすぐ近くまで来てしまった。

「あれ?」

 ない。

 何がないかというと、〈こなきじじい〉がない。〈子無き地蔵〉といったほうがいいだろうか。

 ここの道端に、〈こなきじじい〉はあったはずなのに。

 そういえば、ここ数日みかけていないような気もしてきた。

 いったいどこに、と草むらを押し分けてみたら、あった。

 ほんの五メートルほど奧に移動して寝かせただけなんだけど、草に隠されてみえなかった。秀さんが取り付けた赤い腹掛けもそのままだ。

「誰がこんなことしたんだろう?」

 不思議に思いながら、そう重くはないその石像もどきを道端に運んで立てた。

(そういえば、この石像は、もともと草むらに隠れていたんだ)

(それを野枝さんがみつけて、道端に運んだんだった)

 ということは、草むらのなかに倒れていたというのは、もとの状態に戻ったということなのかもしれない。

(もしかして、最初にここにこの溜石を置いた人が、戻したのかもしれない)

 この石像もどきは、石像もどきなんかではなく、〈溜石〉という妖気がたまる特殊な石で、自然にできるものではないという。誰かが作り出して、誰かが村のなかに運び込んだんだ。だから、その誰かが、もう一度溜石を人目につかない場所に戻したのかもしれない。そう思った。

 でも、次の瞬間には、その思いつきを笑った。

 この溜石には、もう妖気は残っていない。だから、この里を攻撃している誰かにとっては用済みだ。わざわざ人目から隠す意味がない。

 でも誰かが動かした。それは確かだ。

「何のために?」


6


「おう、鈴太! おかえり」

「こんにちは、未完(ひでひろ)さん。来てたんだね」

「よせよ。あたしが呼び捨てにしてるのに、あんたがさん付けじゃ、世間が変に思うだろ」

「いや、別に。どうでもいいし」

「とにかく、さんはいらないぜ」

「わかったよ、未完さん」

「わかってねえじゃねえか!」

「よしよし。そこまでにせよ。今日は冷やしうどんじゃ。すぐに食べられるぞ」

「うれしいなあ。冷やしうどん大好きなんだ」

「あたしもだぜ。気が合うなあ」

「あちしも、冷やしうどんに載せる油揚げが大好きなのです」

「うおっ。いつもながら突然だな。こんちは、おさかべ」

「こんにちはなのです」

 突然現れるのも当然で、このゴージャスな和服を着た髪の長い童女は、妖怪なのだ。それも六百年以上生きている、かなり格の高い妖怪らしい。しかも、あとで調べて知ったんだけど、有名な妖怪だ。

 たぶん姫路に住んでる人々は、長壁姫(おさかべひめ)が今でも姫路城にいると思ってるはずだ。まさか姫路城大改修のために姫路城にいられなくなって、岡山県の山奥に引っ越しているとは、夢にも思わないだろう。バレたら、返還運動とか起こりそうだな。それぐらい地元では愛されている妖怪みたいだ。

「おさかべ」

 ぼくは、うどんをふた口ほど食べてから話しかけた。

「お、珍しく名前で呼んだですね。何用ですか、下郎。あ、痛い。頭をげんこつでぐりぐりするの、やめてください」

「お前、姫路城に戻らなくていいのか?」

「戻る意味がないです」

「どうして?」

「姫路城にはもう城主はいないです。あちしが加護を与えるべき人間もいないです」

「まあ、そういえばそうだけどさ」

 管理人さんとかは住んでるんじゃないだろうか。それに、姫路城の近くにはいっぱい人が住んでるんだから、誰に加護をあげてもいい。

 しかしまあ、こんなことは本人が決めることだ。童女妖怪自身が帰る気がないというなら、ぼくがどうこう言うべきものでもない。

「確かに、ハトヤのかまぼこは、おいしかったのです」

 何の話だ、何の。

「特にハトミンは、ちょこっとウスターソースをたらして食べると、それはもう最高の美味なのです。安いですし」

「あれはうめえよなあ」

「でも、油揚げがないのです」

 そこかよ。

「どちらかというと、京都に興味があるです」

「おおっ。そうかい? 京都はいいぜえ」

「はいです。聞くところによれば、京都は豆腐の本場とか。ならば油揚げの本場でもあるはずなのです!」

 それはちょっとちがうような気がする。

「ところで、へなちょこは、次の春から京都に住むのです?」

「えっ? なに? いつのまにそんな話が?」

 ぼくがあわてていると、未完さんが、わが意を得たりとばかりに食いついてきた。

「そうだよっ。鈴太、あんた京大に来いよ。成績いいんだろ? 先輩として、京都のこと、いろいろ教えてやんぜ」

 君が吹き込んだのか。

「いろんなお豆腐屋さんに連れて行くです」

「豆腐屋は知らねえけど、調べとくぜ」

「未完は頼りになるのです。へなちょこには過ぎた彼女なのです」

「か、彼女なんて。まだ、あたしは、……なあ?」

 そこで振られても困ります。

 というか、今の話題はちょっと危険だけど、この食卓の雰囲気は、けっこう好きだ。

 ずっとアパートでは一人だったから、食事は一人で食べることが多かった。こんなふうに大勢でわきあいあいと食べる食事は、本当においしい。

 確かに、今ぼくは幸せだ。運命のすえにこの幸せにたどり着いたんだとしたら、よいことも悪いことも含めて、そんなに悪い運命じゃなかったんだと思う。

 天子さんも、にこにこしている。

 きっと天子さんも、こんなふうな団らんの食事が楽しいんだ。

 天子さんが、ぼそっとつぶやいた。

「ハーレムじゃな」

 吹いた。

 ぼくが吹いたうどんが童女妖怪の頭に着地し、端っこがぷらんと垂れて、目と目のあいだでふらふらと揺れた。

「その、飲んでる物や食べてる物をおなごに吹き付けるのは、何かの技なのかえ?」

 ぼくは盛んにむせているので、この質問には答えられない。

「どうせなら、油揚げのほうをぶつけてほしかったのです」

 油揚げだったら、どうするんだ?

 食べるのか?

 食べるんだろうな。


7


 未完さんが帰り、童女妖怪がお社に引き上げたあと、ぼくと天子さんは、まったりお茶を飲んでいた。

「そういえば天子さん」

「うん? 何じゃな」

「山口さんがちょっと何かするとすごく厳しい反応をしたのに、未完さんにはそんなことないね。どうしてなのかな」

「ううむ。未完は赤ん坊のころから知っておるからのう。成長ぶりをほほえましくみまもっておるのじゃ。ただし、踏み越えたまねをすることは許さん」

「あ、そうなんだ」

 しばらく沈黙が流れた。

「おぬし、鈍感じゃな」

「えっ?」

 何が鈍感か聞こうとしたけど、そのとき来客があった。

 照さんだ。

 ちょうどよかった。照さんには聞きたいことがあったんだ。

 ぼくは照さんにお茶を出し、いろいろとだべりながら、さりげなく話題を振った。

「そういえば照さん、いつもおいしい川海老の佃煮をありがとう」

「おお、ありゃえ、海老がええけえな。おいしかろうが」

「うん。おいしい。あの海老は照さんが天逆川で捕ってくるんだよね」

「そうじゃ。今朝も行ったんじゃけえどのう。小せえのが少ししか捕れんかったけん、おすそわけはねえぞ」

「そりゃ残念だったなあ。朝早く行くの?」

「おお。早え時間のほうがあっさりして、えぐみがねえんじゃ」

「早い時間だと危なくない? 川岸が切り立ってるから、暗いでしょ?」

「そりゃ暗えわあ。けどのう。長年通っとるけえ、どこに何があるか全部知っちょるけん」

「そりゃすごいなあ。あ、そういえば、あそこにある石、河原にあるような石だけど、ああいう石が、天逆川にはごろごろしてるんじゃないの?」

 ぼくは、開け放しになった店の入口からみえる〈こなきじじい〉の石を指し示しながら、照さんに尋ねた。

「……おめえ。誰に聞いたんなら」

「え?」

「耀蔵か。ほかには知っとるもん、おらんからのう」

「耀蔵さんて、鳥居、じゃなくて佐々耀蔵さん?」

「そうじゃ。〈幸福石〉のことは、人に知られたらおえんと、きつう言うてあったのにのう」

「〈幸福石〉?」

「おめえも誰にも言うたらおえんぞ。こっそり運んで来て、誰にも知られんように置いとけば、近くの人に幸福をもたらすちゅう、ありがてえ石じゃ」

「それで、あんなに村中にばらまいてあるんだね」

「そうじゃ。そんなことまで知っとるんか。まったくもう、あの耀蔵のガキは」

「耀蔵さんが石を運んでたんだ」

「わしにゃあ持てん」

「そりゃそうだよね。じゃあ、照さんが耀蔵さんに頼んで、石を運んでもらってたんだ」

「そうじゃ」

「どうして耀蔵さんは、照さんの頼みを聞いて、あんなに何個も、十二個かな、石を天逆川から運んだんだろう」

「そりゃ、おめえ。頼みかたがあろうが」

「どんなふうに頼むの?」

「そうじゃのう。まず、こう言うんじゃ。おめえが十四のときじゃったかのう、はじめてわしん所に夜ばいかけてきよったんは」

「うわあ」

「だいたいはそれで、こころように言うことを聞いてくれるけどの」

「そりゃ、そうだよね」

「渋るようなら、こう言うんじゃ。付け文は、どこにしもうたかのう」

「ぐはあ。とどめだね」

 照さんはそのあとも、石のことは秘密にしてくれと、くどくどと言いつけて、店を去った。結局何も買わずに。

「鈴太」

「あ、天子さん。どうして後ろに引っ込んでたの?」

「今日は顔をみせぬほうがよいという、狐の勘じゃ」

「へえ?」

「じゃが、話の内容は聞いておった。あれは溜石のことじゃな」

「うん」

「なぜ照があやしいと思うたのじゃ」

「候補の一人にすぎなかったんだけどね。だけど、ぼくの知ってるうちでは、もっとも天逆川に通ってる人だからね」

「溜石が天逆川から運ばれておるというのは、どうしてわかったのじゃ」

「え? だってぼくたちの敵は天逆毎(あまのざこ)とかいう妖怪で、それは天逆川に棲んでるんでしょ? そして溜石はどこの誰にでも作れるものじゃないというし、やっぱり天逆毎が作ったと考えるのが自然だ。そして溜石は、いかにも河原にあるような石だよ。ここまで条件がそろえば、天逆川から溜石がやって来たと考えないほうがおかしいよ」

「うむ。言われてみれば、その通りじゃ」

「今日の天子さんは、ちょっと頭の働きがにぶいの?」

「これ。はは。いつかの仕返しじゃな。しかしどうも、あまりにも長いあいだ変化というものが起きなんだから、考えを広げていくのに慣れておらんようじゃ」

「ただ、もしも照さんが妖怪に何かの暗示をかけられていたとしても、あの石を照さんが運んだとはちょっと思えなかったんで、ちがう人かなとも思ってた」

「なるほどのう」

「まあ、とにかく一番最初に確認したい人だったんだけど、最初に当たりを引いちゃったみたいだ。あ」

 会いたいと思ってた人が、向こうから来た。

 耀蔵さんだ。

 道端に立ち止まって、じっと〈こなきじじい〉の石像をみている。

 周りをきょろきょろみわたして、ぼくの視線に気づいたようで、こちらに歩いてきた。

「よう。大師堂」

「こんにちは、耀蔵さん」

「暑いな」

「暑いですね」

「未完のやつは、よく来てんのかい?」

「今日も来て、昼ご飯を食べて帰りましたよ」

「なんだ? 昼に来てんのか? 夜に行けと言っといたのによ」

 あんた、姪っ子に何を教えてるんですか。

「耀蔵さんが十四歳のときみたいにですか?」

 ぎょっとした顔を、耀蔵さんはした。

「お、おめえ、まさか……」

「照さんの所に」

「うわあっ! やめろっ。やめろぅっ! そのことにふれるんじゃねえっ」

 あれ。ものすごい反応だ。

 誰にも知られたくない青春の一ページなのかと思ったけど、もしかしたら、何かトラウマになるような出来事だったのかな?

 夜ばいに行って、いったい何があったんだろう。

「照だな? 照から聞いたんだな。あのくそばばあっ」

「照さんに頼まれて、河原の石を運んだんですね?」

「えっ? ああ、そうだよっ」

「何個運びました?」

「十二個だ」

 ふむ。こちらの情報と一致するな。ということは、見落としはないと考えていい。

「運ぶ場所は、照さんに指示されたんですか?」

「いいや。照ばばあの指示は、村んなかにまんべんなくばらまけということと、人の目につかない場所に隠せということだ」

「ああ。人に知られると効果がなくなるからですね」

「効果? 何の効果でい」

「あ、それは聞いてないんですね」

「聞いてねえ。教えろ、大師堂。あれはどんな呪いがかかってるんでえ」

 この質問に、ぼくはアルカイックなスマイルで答えた。

「なんだ、その笑いは。気持悪りい」

「世の中には知らないほうがいいこともあるということですよ」

「何なんだよ、それは! 教えろ」

 ぼくは笑顔を返した。

「頼む、教えてくれっ!」

「一つだけお教えします。照さんは、悪い人にだまされてるんです」

「何だってえ!」

「でも、照さんにそのことを教えると、悪い人に感づかれてしまいます」

「お、おう」

「だから照さんには、だまされていることを言わないで、持ち込まれた石のほうに注意すればいいんです」

「誰が石に注意するんでえ」

「ぼくと、天子さんと、和尚さんです」

「おおっ! 和尚もからんだ話なのかい」

「ええ。幸いに、悪いことが起きる前に気づきましたので、今のところ誰にも不幸なことは起きていません」

「そりゃあ、よかった」

「だから、今度石を運ぶよう頼まれたら、その通りにしておいて、そのことをこっそりぼくに教えてもらえませんか」

「わ、わかった。約束する。それにしても、あの性悪ばばあ、誰かにうまいことだまされてやがったとは。けけっ」

 なんかうれしそうだ。やっぱり甘酸っぱい初恋の記憶とはちがうみたいだな。

「おい、大師堂。あれにはどんな呪いがかかってるんだ。照をだましてるっていうあっぱれなやつは、どこのどいつなんでえ」

 ぼくは謎めいた笑顔を返すだけで、もうそれ以上言葉は発さなかった。

 最後には耀蔵さんもあきらめて、気になるそぶりをみせながら、帰っていった。

 〈こなきじじい〉の石像は、きちんと草むらのなかに隠していった。

 義理堅い人だ。


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