前編(地図あり)
1
「出現した妖怪は、鉄鼠なのです」
「鉄鼠じゃと! 場所はどこじゃ。鈴太、地図を」
ぼくが地図を出すと、童女妖怪は、赤い印の一つを指さした」
「ここなのです!」
「田上の家じゃな。鈴太、転輪寺に行くぞ。急げ」
「う、うん!」
2
「鉄鼠か。ならば早いほうがよいのう。よし、ちょっと待て」
奥に入った和尚さんは、四角い籠のようなものを持ってきた。
竹ではなく、何とかという名前の蔓植物を折り込んだ籠だ。ランドセルのように、両腕に通す取っ手がついている。
「鈴太。この背負い葛籠を背負ってもらえるか」
「は、はい。なんか年季の入った籠ですね」
「千年ほど使うておる」
「うそっ」
そんなに長く保つものなんだろうか?
籠はそんなに大きくないんだけど、思ったより重い。背負うと少しよろけてしまった。
「大丈夫かの?」
「大丈夫だよ、天子さん」
「行くぞ」
田上家は、松浦地区にある。つまり村の西側だ。
村の西側は東側よりほんの少し低く、田んぼが広がっている。こっち側に住んでる人は、西側の店で買い物をするので、面識のない人が多い。
もう田んぼの稲は相当大きく成長している。青々とした田んぼのなかを通る道を、ぼくたちは進んだ。
「あそこが田上家じゃ」
それは立派な家だった。
広い門がある。その門のあたりで、五十代ぐらいの女性が、いかにも農作業をするような格好をして何かを片づけている。
近づいてみると、門は門なのだけれど、門の一部が小屋のようになっている。農機具などをしまっているようだ。
「おお、冴子さん」
「ありゃあ、天子さん。和尚さんもご一緒かあ。珍しいことで」
「ちょうどよかった。蔵市どのはご在宅か?」
「へえ。朝の間に一仕事済ませて、ご飯食べて、今はテレビをみちょります」
「おくつろぎのところ申しわけないが、ちと話がある」
「へえへえ。どうぞこちらへ」
ぼくたちは、応接間に案内された。
すぐに六十歳前後の男の人が入ってきた。
「こりゃあ、こりゃあ、和尚さん。わざわざ来ていただかあでも、言うてもろうたらこっちから行きましたのに。それに、大師堂さんと天子さんまでおそろいで。何事ですかのう」
「朝からわずらわせてすまんのう。実は今朝勤行の途中で、お告げがあってのう」
「へえ? お告げですかの」
「うむ。〈田上家に行け〉というお告げじゃ。吉事か凶事かわからんが、何か起こるのかもしれんて思うて、とにかく来てみたわけじゃ。ちょうど寺に天子と大師堂がおってのう。人手がいるかもしれんと思うて同行してもろうたのじゃ」
「へえ? ほんならわが家を調べますのか?」
「うむ。くつろいでおるところ、まことにすまんが、これも仏法の務め。少しみて何もなければ帰るので、ちょっと家のなかをみせてもらえんかのう」
「へいへい。ほかならん和尚さんのこってすからのう。どうぞどこでもみてってつかあさい」
「今家には何人おるかの?」
「へえ。こどもらは学校ですけん。ワシと蔵治と蔵造と、その女房で、六人が家におります」
「そうか」
「おい、冴子! 和尚さんがたが家んなかみたいゆうとられるけん、案内したってや」
「今、お茶が入りますけん、ちょっと待ってちょうでえよう」
「いや、申しわけないが、御仏のお告げを後回しにするわけにはいかん。先に家のなかをみせてもらいたいんじゃ」
「へえへえ。ほんならどうぞ」
和尚さんは下駄を履いていったん家の外に出た。ぼくと天子さんと冴子さんがそのあとに続く。敷地のなかには、いくつも建物がある。何世帯かが門のなかに家を建ててるみたいだ。
和尚さんは、迷いなく歩いて、一つの小屋の前に立った。
「冴子さん。ここは米蔵じゃったのう」
「へえ。米蔵です。今は野菜がいっぱい入っちょります」
「開けてええか」
「はいはい。よいしょっと、……うわあっ? なんじゃ、こりゃあ?」
米蔵の戸を開けた冴子さんが、仰天した声を上げている。和尚さんは、冴子さんを優しくどかせて、ぼくら三人はなかに入った。
ひどいありさまだ。
食い散らかされた野菜のかすや、引き裂かれた米俵が散乱している。
ふつうに泥棒が入っても、ここまでひどい荒し方はしないだろう。
農具も折れたり倒れたりして散乱している。いったい何がどういう暴れ方をしたら、こんなふうになるんだろう。
和尚さんは、倉庫の奧の暗がりを厳しい目でにらみつけている。
「法師どの。外じゃ」
「む?」
天子さんの先導で、ぼくたちは米蔵を出た。
わずかなあいだだけど、暗がりのなかにいたから、太陽の光が妙にまぶしく感じる。
「こちらじゃ」
呆然としている冴子さんを残したまま、一行は門の外に出た。
「あそこじゃ。あそこから妖気がただよっておる」
「おう。確かに」
それは、小さな小さな森だった。田んぼが連なるなかに、あぜ道とあぜ道が交差する一角に、木が密集して生えているのだ。
三十メートル四方ぐらいしかないその場所には、しかしびっしり木が生えていて、小さくても森と呼びたい気分になる。
その小さな森に、三人は歩いていった。
天子さんが人さし指を立てて、自分の唇に当てた。
ここからは、話をしてはいけないようだ。
3
小さな小さな森の入口で和尚さんは立ち止まり、葛籠を地面に下ろすよう、身ぶりで指示をした。
ぼくが葛籠を下ろすと、天子さんが手際よく蓋を外した。
なかには、お札がぎっしりと積み重ねられていた。文字が読めない。普通の日本語じゃないんだろうと思う。
和尚さんは、ぼくにその場にとどまるよう身ぶりをして、お札を一枚、むんずとつかみ取ると、木立のなかに足を踏み入れた。
至近距離からみてみれば、木と木は思ったほど密集していない。
木立のなかほどに、小さなお堂のようなものがあり、その周りに背の低い木が何本も植えられている。
聞こえる。
背の低い木の向こう側から、何かの音が聞こえる。
何の音だろう。
いびき?
その音はいびきに似ている。
ぼくは、少しのびあがって、左右に体を動かした。
みえた。
茂みの向こうに、何かがいる。
和尚さんは、その何かに向かって歩いていく。
そのときだ。
いびきが止まったかと思うと、何かが茂みから飛び出してきた。
〈ギギギギギイィッッ〉
古くなった扉を無理やり押し開いたときのような音で、その何かは鳴き声を上げて、和尚さんに飛びかかった。
それは、おぞましいものだった。
小柄なおとなほどの大きさのある鼠だ。
だが、手足は動物のそれではなく、毛むくじゃらではあるが、人間のそれだ。
その奇怪な巨大鼠が牙を剝きだして和尚さんに飛びついた。
「破邪雷電!」
和尚さんはそう叫ぶと、堅く握った右の拳をぶうんと振り回した。
その拳には、お札が握られている。
飛びかかってくる巨大鼠の顔の左側に、和尚さんの拳が激突した。
ばきんっ!!
巨木を引き裂くような音を立ててプラズマの花火が散った。
巨大鼠は、ぶわりと宙を飛んで、立木に打ちつけられた。
きゅいっというような小さな悲鳴を上げた巨大鼠は、しかしすばやく木立の後ろ側に回り込むと、円を描くように走った。恐ろしいスピードで。
そしてぐるりと和尚さんの周りを迂回して、ぼくと天子さんのいる場所に走り込んできた。
「うわわわわわっ」
ぼくはみっともない悲鳴を上げながら、それでも天子さんをかばおうと、手を伸ばした。
巨大鼠は加速をつけたまま飛びかかり、そして空中で何かにはじきかえされて、ぐぎゃっと悲鳴を上げた。
(い、今空中で何かにぶつかって、緑色の光を放ったよな?)
みれば天子さんは、目を閉じ、左手を握って人さし指と中指を立てて、それを額に押し当て、右手は開いて前方に向けている。
(ば、バリア? 天子さんは、バリアーを作ってるのか?)
よくみれば、ほとんど透明だけど、うっすらとした緑色のドームが、ぼくと天子さんを包んでいる。
「破邪招来雷電!」
和尚さんが大声を発すると、葛籠のなかから一枚のお札が飛び出て宙を舞い、和尚さんの右の拳にぴたりと貼り付いた。
起き上がった巨大鼠の鼻面に、その拳がぶち当てられた。
ばきんっ!!
みえた。
目の前で放電現象がみえた。
というか、ぼくにも電撃の一部が飛んできたような気がした。
和尚さんは魁偉な体をしている。
身長もあり、重量もあり、下半身が異常に安定していて、ベテランの相撲取りのようだ。
あの重量で繰り出すパンチを受けたら、それだけで驚異的な破壊力だと思うけれど、今はそれにお札の効果が上乗せされてる。たぶんあのお札は電撃のお札なんだ。そして葛籠のなかには、それこそ山のようにお札が入っている。
「破邪招来暴圧!」
また別のお札が飛び出して、和尚さんの右の手のひらに吸い付いた。
和尚さんは、倒れている巨大鼠の頭の上から、右手の平を押しつけるような動作をした。
とたんに爆風が生じた。
土煙が少し晴れると、頭をつぶされて、手足をぴくぴく痙攣させている巨大鼠の死骸があった。
しばらくみていると、やがて死骸は地面に吸い込まれたかのように、すうっと消えた。
あとには、頭のつぶれた小さな鼠の死骸があった。
「うむ?」
「おや、法師どの。それは?」
「ふむう? 鼠に取り憑いておったのか?」
「どうみても、ただの鼠の死骸じゃなあ。それよりも、あやかしを倒したのに、妖気が飛び散った気配を、わらわは感じなんだが」
「わしも感じなかった。面妖といえば面妖じゃな。じゃが生じたばかりのあやかしじゃから、戦闘で力を使い切ってしもうたのじゃろう」
田上家の門の所から、田上蔵市さんと冴子さんが、こちらをじっとみているのに気づいた。
そのあと、和尚さんと、天子さんは、夫婦にあいさつをして帰ったんだけれど、そのあいさつには驚愕した。
「悪い妖怪が食い物を食い荒らしたんじゃ。退治したから、もう大丈夫じゃ」
「そりゃまあ、お手数をおかけしました」
「ありがとうございました」
えっ?
えっ?
えっ?
妖怪ですよ、妖怪。
そんなに普通に納得していいんですか?
葛籠を背負って和尚さんのあとに続きながら、ぼくは首をひねった。
たぶんこのとき、ぼくの頭には疑問符がたくさん浮かんでいたはずだ。
天子さんは、昼ご飯の準備をすると言って、途中で別れた。
4
「鉄鼠は、鉄の鼠と書く。平安時代の僧である頼豪どのの怨念から生じたといわれておる」
「お坊さんの怨念ですか」
「もとはといえば、白河天皇が皇子誕生を願われたことが始まりじゃ。白河天皇は頼豪どのに、祈祷して霊験があれば望みのままに褒美を取らせる、と約束なされた。頼豪どのは全力で祈念を込め続け、ついに敦文親王が生まれた」
「へええ。それで、どんな褒美を望んだんですか?」
「三井寺に戒壇院を建立したいと願い出た」
「かいだんいん?」
「戒壇という石の壇を置いた建物のことじゃ。簡単にいえば、僧侶に戒律を授ける施設じゃな。これがあるのは大変な権威を持つことだったのじゃ」
「へえー。それで三井寺の権威が上がったんですね」
「戒壇院はできなんだ。延暦寺が文句をつけたのでのう」
「へえ? 勢力争いみたいなものですか?」
「まさにそうじゃ」
「三井寺と延暦寺は、同じ仏教でも、ちがう宗派だったんですね」
「いや。どちらも同じ天台宗じゃな」
「ありゃ」
「開祖である最澄どのの死後、この二派は盛んに争っておる。延暦寺も何度も焼き払われておるしのう」
「なんか、業が深いですね」
「はっはっはっはっはっ。しゃれた言葉を知っておるではないか」
「それで、どうして妖怪になったんですか?」
「おお、それよ、それ。一説には、このことを恨みに思うた頼豪どのが、敦文親王を魔道に堕とさんとして断食行を行い、悪鬼のような姿となって死に、そののち敦文親王はわずか四歳にして亡くなられたという」
「うわ。呪う相手がちがいませんか?」
「ふむう。わしは頼豪どのにお会いしたことはないが、そのようなことをなさるかたとは思えん」
「そうなんですか」
「別の説には、ある大貴族が修験者に命じて敦文親王を呪殺しようとしたが、頼豪どのは命に代えて親王をお守りしたという。こちらのほうが、まだ信じられるのう」
「あれ? それでいくと、鉄鼠が生まれないんじゃないですか?」
「そうじゃのう。しかし鉄鼠はおる」
「頼豪という人じゃなくて、別の人の怨念なんでしょうか」
「いや。やはり鉄鼠は頼豪どのの怨念から生じた。それはまちがいない」
「ええっ? 話が合いませんね」
「うむ。しかしそれは、今日に伝わっておらんというだけであって、当時何かがあったにちがいないのじゃ。頼豪どのが無念のあまり妖怪を生み出すような何かがのう」
「でもそうすると、さっきの妖怪は頼豪という人の生まれ変わりみたいなものなんですか」
「いや、あれはちがう。頼豪どのの本体は、めったによみがえらぬ。そうではなく、頼豪どのの霊魂は、その後各地に現れて復讐のために力を求める者たちに、頼豪鼠となる秘法を授けていったのじゃ」
「頼豪鼠?」
「生まれ落ちるなり、大食をし、食べれば食べるほど成長し、力をつけ、最後には鉄のような強靱な体躯を得る。ただし鼠の姿でのう。最終段階に進化した頼豪鼠は、八万四千匹の鼠を呼び寄せて使役することができるという」
「ああ! それでさっき、妙に急いでいたんですね?」
「そうじゃ。早ければ早いほど、敵は弱いからのう」
「和尚さんの戦いぶりに、びっくりしました。武闘派だったんですね」
「はじめは呪法を駆使して戦っておったのじゃが、まどろっこしくなってのう。一番手っ取り早く片が付く戦い方を研究して、ああいうところに落ち着いたのじゃ。呪文もひどく短かったじゃろう」
「威力ある攻撃には長い呪文がいる、というのが物語ではよくいわれます」
「それは正しい。しかし、工夫すれば短い呪文とお札と霊力の組み合わせで、強い力を発揮することができるのじゃ」
「もう、退治できたんですよね?」
「もちろんじゃ。心配にはおよばん」
「そういえば、田上家の人たち、〈妖怪を退治した〉と聞いても平然としてましたけど、あれはなぜなんでしょう」
「この結界のなかにずっとおる者は、あやかしをみても、あやかしの話を聞いても驚かん。自分のなかでつじつまを合わせてしまうんじゃ」
「なんて便利な結界!」
「さて、頼豪鼠の話じゃったのう」
「あ、そうでした」
「いろんな時代に、各地に頼豪鼠が現れた。これも鉄鼠と呼ばれた。そのなかには復讐を遂げた者もあるし、遂げることができなかった者もある。無念を残したまま消え去った頼豪鼠は、妖気を吸って復活するのじゃ」
「じゃあ、今日退治した鉄鼠は、頼豪鼠だったんですね」
「そうじゃ。本家本元の鉄鼠なら、生まれたてでも強い。たぶん、わしと同じくらいの強さじゃ」
「千二百年も修業した和尚さんと同じぐらい強いんですか?」
「確かにわしも修業し場数も踏んで強うなったが、それは最初の百年ぐらいのことでのう。種族や個体ごとに強さの限界のようなものがある。そこまで達すれば、それ以上は強くならんのじゃ」
「そうですか。あれ? でも、天子さんは、千年生きてクラスアップしたと聞きましたが」
「それは霊格が上がって神格に達したのであって、戦闘力が上がるのとは話がちがう」
「そうなんですか」
「とにかく今回の件は終わった。妖気に満ちた溜石はあと七つ。さてさて、次は何が出るかのう」