中編6
14
「ううむ。わらわが転輪寺に行っておるあいだに、そんなことがあったのか」
「うん」
「鈴太」
「ん?」
「おぬしは、よき父御と母御に恵まれたのう」
「うん」
いい雰囲気にひたっていると、来客があった。
「おい、いるか」
「あ、未完さん。こんにちは」
「おう。こんちは。天子さんも、こんちは。ところで腹が減ったなあ」
「なんと、来るなり食事の催促かえ。今日はわらわが炊事当番じゃ。少し待っておれ」
「おう。わりいなあ。ていうか、交代で食事当番とか、まるで夫婦じゃねえか」
「そうなのか? 夫婦って、そういうものなのかな」
「うん? 鈴太?」
「なんだい」
「あんた。言葉遣いが変わったか?」
「そうかな。そういえばそうかもしれない。奇妙な感じがするのかな?」
「い、いや、奇妙ってことはねえよ。むしろこっちのほうが、あたしは……(好きっていうか)」
「うん? 何て言った?」
そのとき何かが空中を飛来してきて、ぼくの頭を直撃した。
「痛いっ」
「こ、これ、お玉じゃねえか。おーい、天子さーん。お玉が飛んできたぞーっ」
「すまーん。手が滑った−」
「これは手が滑ったって範囲なのかね? あれ、鈴太、うれしそうだな」
ぼくは笑い出した。とても楽しかった。
そうだ。
天子さんや、未完さんや、みんなとの楽しい語らいがなかったら、どうなっていたろう。もしかしたら、復讐心に取り憑かれてしまっていたかもしれない。
こうやって笑い合える人たちが、ぼくを救ってくれていたんだ。
「あらあ。何かいい雰囲気ね。妬けるわ」
「あ、山口さん。こんにちは。何を差し上げましょう」
「あら。今日は顔色がいいわね。何かいいことがあった?」
「はい」
山口さんは、少しだべったあと、石鹸とティッシュの配達を注文して帰った。
昼ご飯は、油揚げ入りのオムライスだった。
もちろん童女妖怪も出現して食べた。
どうも童女妖怪は未完さんと気が合うようだ。
どうでもいいけど、最近わが家の油揚げ消費量がすごいことになってる。
食事が終わってまったりしていると、新居達成さんが訪ねて来た。このときには童女妖怪はお社に帰っている。
「あれ、達成さん。一か月間博多じゃなかったんですか?」
「いや、それは最長の場合ですよ。早く終わったので帰ってきました」
「何度も言いますが、ぼくにはそんな丁寧な口調で話さなくていいんですよ」
「いえ。人間関係がもう出来上がってますから」
「お、達成さん」
「あ、未完ちゃん。来てたんだ」
「ここ、居心地よくてよう」
「あれ? 京勧大の春学期試験て、もう終わってたんだったかな?」
「まあ、だいたいね」
「なんだい、それは。はは」
「未完さん。達成さんには口調を変えないんだね」
「おうよ。この人はあたしの正体を知ってるからよ」
「はは。鈴太くん。未完ちゃんは、裏表があるから、びっくりしたでしょ。でも実はそうじゃなくて、全部表なんだよ」
「ああ。わかります。どちらにしても隠し事がないですね」
「そうそ。いやあ、うれしいなあ。未完ちゃんのいい所、しっかりわかってくれてて」
「恥ずかしいこと言ってんじゃねえよ」
「未完ちゃん。羽振さんには、成三にいさんのことで、ほんとにお世話になってるんだからね」
「知ってるよ。わざわざ達成さんについて、何日間も成三さんの消息を追っかけてくれたんだろ。その話は母さんからさんざん聞かされた」
「うん。そうなんだ。でも、それだけじゃない。先月の三十一日には、成三にいさんが住んでた家の大家さんの息子さんに会いに東京に行ったんだけど、そのときも同行してくれてね」
「へえ。そいつは知らなかったぜ」
「ぼくが、ぜひ一緒に行ってほしいとお願いしたんだ」
「それでのこのこついていったんだ。お人よしだぜ、まったく」
「息子さんは、父さんからの土産は受け取ってくれたんだけど、最初、未払いの家賃は受け取ってくれなかったんだ。そのときね……」
恥ずかしいことに、達成さんは、あのときのやり取りを克明に再現した。
「へえー。〈あのアルバムは、耀蔵さんにとって、何物にも代え難い価値があったんです。その感謝の気持ちを、どうにかして伝えたかったんじゃないでしょうか〉ってか。あの偏屈者の耀蔵伯父さんの気持ちを、よくわかってんなあ」
「そうなんだよ。羽振さんは若いけど、そこに気づける人なんだ」
「へへ。あんたが褒められると、なんだかあたしもうれしいぜ」
「そういえば、羽振さん、もう一度京大受けるんでしょう?」
「えっ?」
「きょ、京大だってえっ!」
「うん。東京で羽振さんの高校の同級生とばったり会ってね。羽振さん、ほんとなら京大に楽々合格できるぐらい学力があったのに、体調か何かが悪くて不合格になったらしいよ」
「お、おい! それほんとかよ。京大だって」
「うん。京大を受験して不合格になったのは事実だよ」
「じゃ、じゃあ、来年は京大に入るのか?」
「いや……」
「それもよいではないか」
「天子さん?」
「先のことはまだわからぬ。しかし、もう一度京大を受験するつもりで勉強してはどうじゃ」
「でも、この店があるし、ここに住むことが遺産相続の条件だし」
「その辺りは殿村と相談してみねばならんのう。しかし、幣蔵の遺志は、お前をこの村に縛りつけようとするものでなかったことは確かじゃ」
「来いよ!京都に。そしたら、すげえぜ。一緒にさあ、哲学の小径を歩こうぜ。貴船神社の七夕のライトアップみてよ、それから、大文字焼きみてよ。保津川下りに嵐山の紅葉だろう。ちきしょう。なんだか燃えてきたぜ」
「意外にチョイスが乙女モードだね、未完ちゃん」
「わ、悪いかよう」
「ふふ。ずいぶん未完に気に入られたようじゃな。まあ、京大に限らぬ。おぬしは、まだまだ勉強したり遊んだりしてよい年齢じゃ。大学への進学も考えておいてよい」
「う、うん」
今さら受験しようという気はあまりなかったけれど、せっかく言ってくれることをむげに否定したくはなかった。だから、あいまいな返事をした。
「まあ、とにかく、羽振さん。未完ちゃんのことを、よろしくお願いします」
「えっ?」
「よせやい。照れるじゃねえか」
達成さんは帰っていった。
未完さんも、親から呼び出されて帰っていった。
そのあと、妙なお客が来た。
「おう、大師堂」
「こんにちは、耀蔵さん」
「高野豆腐と豆板醤をもらおうか」
「はい。こちらになります」
「ありがとよ。ところでよ」
「はい?」
「足川ん所の未完との話、俺は反対しねえからよ」
「はいい?」
それだけ言うと、肩を怒らせて帰っていった。
いったい、これは何なんだろう。
未成さんといい、達成さんといい、耀蔵さんといい。
どうしてみんなして、未完さんを推してくるのか。
佐々一族の陰謀か?
15
その夜は、悪夢をみることもなく、ぐっすり眠れた。
翌日になっても、溜石の状況は変わらなかった。つまり、全部で十二個あって、妖気が抜けた石がそのうち四個だ。三個については妖気がどうなったかわかっているけど、最後の一個については、妖気がどこにあるのか、いまだに不明だ。
午前中には、山口さんと、秀さんと、そのほか五人ほどお客があった。未完さんも来たけど、ぼくがお客の対応に忙しくしていると、気を遣ったのか、そのまま帰っていった。
今日はぼくが食事当番だ。天子さんと童女妖怪と三人で昼ご飯を食べた。今日は童女妖怪も、まったり食後のお茶を味わっている。
そのとき珍しい人が来た。弁護士の殿村さんだ。
「やあ、鈴太くん。こんにちは」
「あ、殿村さん。こんにちは」
「天子さま。お久しぶりでございます」
「うむ。何かと世話になる」
「もったいないお言葉です。今日は、鈴太くんに報告と相談があってまいりました。そちらのかたは?」
「ああ。これは姫路の長壁姫じゃ。縁あって鈴太に加護を与えることになった。いわばわれらの仲間じゃ」
「ほう。それはありがたい。長壁姫さま、弁護士の殿村隆司と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「はいです。お寺の法師さまと似た匂いがしますですね」
「はは。さすが。私は法師さまの眷属の末裔でございます」
「殿村よ。法師どのから聞いているかもしれぬが、鈴太は先祖のこととこの里の役割をすべて知った」
「はい。これで私も心置きなく相談ができるようになりました」
殿村さんは、いきなり驚くようなことを言った。
「さて、鈴太くん。本来なら君には敬語を使うべきだが、成人となるまでは、このままにさせてもらう。昨日、伯父さんから電話があった。君のお父さんとお母さんの保険金と、事故の相手からの見舞金、総額五千五百万円ほどを、君に返却したいということだ」
「えっ」
「とても前に話したときと同じ人とは思えなかった。奥さんも同意しているんですかと訊いたが、その答えが少し意味不明だった。君は事情を知っている、とも言っていた。いったい何があったのか、教えてもらえないだろうか」
天子さんには二度目の話になるけれど、ぼくは、この一週間の出来事について、できるだけ詳しく殿村さんに説明した。
「なるほど。そんなことがあったのか。ようやくわけがわかった。それで、鈴太くん。君はこのお金を受け取る意志があるだろうか」
「伯父さんと伯母さんはマンションを建てました。お金を全額返却してもらうと、困ったりはしないでしょうか」
「ふむ。その事情については私は知らない。だけど君は、先方に不都合がないようにしたいと考えているんだね」
「はい」
「驚いた。君はわずかな時間でずいぶん成長したようだ。受け答えから感じる人格が、格段にしっかりしている」
「それから、殿村さん」
「何かな」
「十四歳のときから四年半ほど、ぼくは伯父さんの世話になりました。まず、アパートに無償で住ませてもらいました。学費も払ってもらいました。時々ですが、服や食事も提供してもらいました。こういう諸々を、ぼくがもらう予定のお金から差し引いていただきたいんです」
「理にも情にもかなった申し出だと思う。さっそく算定してみよう。五百万円を越えることはないと思うがね」
「そしてまた、父と母が生きていたころから、食べ物を持ってきてくれたり、お菓子を買ってくれたり、遊んでくれたりしました。そうしたことへの感謝の印として、先ほどの金額に一千万円上乗せしたいんですが、可能でしょうか」
「もちろん可能だ。ふつうに取り運べば贈与ということになるが、この場合、税金があまりかからない方法があると思う。検討してみよう。ただしそれは、横領という犯罪を犯した伯父さん夫婦を許すということだ。そこはわかっているんだね」
「その事柄だけを取り上げれば犯罪かもしれません。しかし、伯父夫婦が生きた全体が罪であったわけはないし、ぼくや父母にしてくれたことの全部が悪いことだったわけではありません。そう考えると、そもそもぼくには、伯父夫婦を罰する権利もないし、許すというのもおこがましいと思います。感謝をすることで、全体としてはよい出来事だったと、父と母に宣言したいんです」
「……その答えに、君は自分自身でたどり着いたのか」
「はい。保険金だとか見舞金だとかのことを取り払って考えてみれば、伯父さんも伯母さんも、いろいろとよいものを、父さんや母さんやぼくにくれました。お金のことを知らなければ、ぼくには感謝しかなかったでしょう。この村に来られた幸福をかみしめるだけだったでしょう。そこにお金が加わったために、感謝が憎しみに代わり、幸福が不幸に変わるとしたら、それはおかしな話ですよね。それではお金にも申しわけありません。だから少しでもみんなが幸福になるように、そのお金を使いたいんです」
ちりーん。
〈善き哉〉
鈴の音が鳴り、突然後ろから声がしたので、ぼくは振り向いた。
家の神様のお社の前に、一人の老人が立っていた。
その顔は作り物じみているが、どこか愛嬌がある。能面に似ているといえば似ているし、遮光器土偶に似ているといえば似ているだろうか。きらびやかな着物をまとっていて、白い房のある棒を右手に持っている。
「か、金霊」
童女妖怪が驚いている。
〈かねだま〉とかいう老人は、白い房をぼくの頭の上に振り上げた。
〈善行を積む者よ。なんじに金気の幸いあれ〉
ふぁさっと、頭の上を房がなでた。〈かねだま〉は、にっこり笑うとお社のなかにすうっと消えた。
「か、金霊をみたのははじめてではないですが、こんなに霊力の強い金霊に会ったのは、はじめてです」
「私は、はじめてみました。あれが金霊さまですか」
「〈かねだま〉って何ですか?」
「妖怪だが、精霊に近い存在だね。神の使いといってもいい。善行を積んだ人間に天から福を与える役割を持つといわれ、金霊さまが訪れた家は財産を得て繁栄するという」
「あ、お金の精霊で〈かねだま〉ですか」
「そうだね」
「これは、法師どのに報告し、相談せねばならぬ。鈴太、殿村、ついてまいれ」




