中編3
8
「鈴太。目が死んでおるぞ」
「あ、天子さん。おはよ。会えてうれしいよ」
「む。一夜にして腕を上げたのかえ」
「朝ご飯できてる」
「ほう。流し技も身につけおったか」
食事をしようとちゃぶ台の前に座ると、ちゃっかり童女妖怪が出てきた。
「油揚げが」
「どうした、ちみっこ」
「油揚げがないです」
「毎食毎食、油揚げは使えないよ」
「油揚げがないです」
「次の機会を待て」
「油揚げがないです」
「ええいっ。鬱陶しい! これでも食ってろ。油揚げと大根の葉っぱのごま油炒めだ!」
「油揚げなのです。でも、小さいし少ないのです」
「取込中すまんが、長壁」
「はいです」
「〈探妖〉をかけてもらいたい。溜石の探索が第一で、妖怪の探索が第二、そのほか妖気や神気を持つものの探索が第三じゃ」
「はいですなのです」
童女妖怪は、ひらひらする紙のついた棒を振り回し、何やら呪文を唱えた。
「溜石は十二個なのです。妖気を失っているものが四個。妖怪は、法師さまと天弧さまだけ。あと未確認神聖存在が一つと、神社の怪しげな気配が一つ。以上でございますです」
「あれ? 野枝さんの赤ちゃんは?」
「長壁。正体不明の微妙な気配はどうなったのじゃ?」
「いないですね。今日は結界のなかにはいないのです」
「おかしいなあ。あ、倉敷に納品に行ったのかな」
「ああ。打ち合わせをかねてか。そういうことは、時々あるようじゃの」
その後、朝食を済ませた天子さんとぼくは、転輪寺に行った。
童女妖怪は留守番だ。連れていくには、お社を移動しないといけないが、こういうものは、あまり移動させるものではないらしい。
「さて、法師どの。質問内容については、昨日の打ち合わせの通りでよいかの。それとも修正があるかの」
「わしにはない」
「あの、天子さん」
「なんじゃ、鈴太に何か意見があるのか」
「〈この里を攻撃している者の名と〉の〈名〉という部分を、〈正体〉に言い換えてはどうかと思うんだけど」
「なるほど、一理ある」
「鈴太。その質問のしかたじゃと、名がわからん場合があるぞ」
「うーん。そうですけど」
「うむ? わらわにはよくわからぬぞ」
「天狐よ。鈴太の名を教えよと質問したら、〈天告〉は何と返す?」
「羽振鈴太と答えるじゃろうの」
「では、鈴太の正体を教えよと質問したら、〈天告〉は何と返す?」
「羽振家の当主の鈴太、であろうかの」
「そういう答えになるかもしれんし、乾物屋の主人という答えになるかもしれんし、十八歳で身長百六十八センチ、少しやせ気味の日本人男子、という答えになるかもしれん」
「ああ、なるほど」
「遠回しの質問は、遠回しの答えを引き出す。素直に名を訊いたほうがよかろう。鈴太よ。あやかしが固有名を持つことは、あまりない。じゃから名を聞きさえすれば、種族名がわかる。そうすれば、わしと天狐には、相手の正体や能力がわかるはずじゃ。心配はいるまい」
(うーん)
(そういう意味で心配したんじゃないんだけどなあ)
ぼくには、漠然とした不安があったんだけど、うまく説明できなかったので、次の意見を発表した。
「それと、相手の居場所も訊いたらどうかな、と」
「ほう」
「あ、そこには気づかなんだわい」
質問に加えられることになった。
そこで、乾物屋に帰って、童女妖怪を呼び出し、ぼくは訊いた。
「〈天告〉を頼む。この里を攻撃している者の名と、目的と、理由と、居場所を知りたい」
童女妖怪は、どこから出したのか、身長の倍も長さがある白木の棒に五色のひらひらがついた物を取りだして、左右に力強く振った。何やら呪文を唱えている。ずいぶん長く続いたあと、左右の動きが止まり、顔の前でぶるぶると震わせて、それからほわっと力を抜いた。
「わかったのです」
「うむ」
「答えは?」
「この里を攻撃している者の名は、天逆毎。目的は、ひでり神さまの抹殺。理由は、復讐。居場所は、天逆川。以上なのです」
9
天狐さんとぼくは、転輪寺にとって返した。
「天逆毎じゃと?」
「確かにそういう〈天告〉が下った」
「この里を襲う目的は、ひでり神さまの抹殺。理由は、復讐。確かにそういう〈天告〉だったのじゃな?」
「うむ」
和尚さんは、考え込んでしまった。
「あ、あの。天逆毎というのは?」
「ん? ああ。有名な大妖怪じゃな。もとは、素戔嗚尊さまが体内にたまった猛々しい妖気を川に吐き出して生まれたと聞いておる。わしと同じで格別に攻撃力が強いあやかしなのじゃが」
「なのじゃが?」
「川からは出られん。じゃから、川に近づきさえせねば、怖い敵ではない」
「そうじゃ、鈴太。しかも天逆毎は大妖怪ではあるが、しょせん普通の妖怪にすぎぬ。わらわと法師どのを同時に相手取って勝てるほどの力はない」
「そうよ。まして、ひでり神さまを抹殺するじゃと? もしもひでり神さまが邪神に戻られたら、天逆毎ごときは一瞬で灰にされる」
「で、でも、相当大量の妖気をためこんでるんでしょ?」
「それが解せぬ。百何十年分もの妖気を、そして護符が失われているあいだに漏れ出た妖気を、たった一体の天逆毎が吸いきれるものであろうか」
「そこよ、天狐。どうにもこれはちぐはぐな話ではないか」
しばらく流れた沈黙を破ったのは、和尚さんだった。
「これはどうも、鈴太の言った通り、正体を訊くべきであったかもしれんなあ」
「法師どの、というと?」
「天逆毎と〈天告〉があったのだから、敵は天逆毎にちがいあるまい。だが、たぶん、ただの天逆毎ではない」
「そうよなあ。だいたい、天逆毎の寿命などせいぜい二百年であろう。ひでり神さまに復讐するというのは、いかにも話が合わぬ」
「うーん。よくわからないけど、とにかく敵は天逆毎という妖怪で、天逆川にいるんだね。そして目的は、ひでり神さまを滅ぼすこと。でも、神様を滅ぼすことってできるの?」
「この場合は、満願成就をさまたげれば、ひでり神さまからしてみれば抹殺されたも同然ではあるが。どう思う、天狐」
「それもよくわからぬ話よのう。ひでり神さまを滅ぼそうと思えば、やはり神々の力をもってするしかないと思うが」
「ふうむ」
結局、敵の名と居場所はわかったものの、正体ははっきりしなかった。
10
「あら、鈴太さあん。また天子ちゃんとお出かけだったの?」
「山口よ。同じ手は、もう使えぬと知れ」
「何か、妙に戦闘的ねえ、天子ちゃん。今日はちょっとしたお知らせがあって来たのよ」
「知らせじゃと?」
「そうよ。野枝さんが、村から出ちゃったの」
「なにっ」
「えっ? ど、どういうことですか?」
「あら、興味津々? ちょっと妬けちゃうわね」
「村から出て、どこに行ったというのじゃ」
「愛しい人のところ」
「なんじゃと?」
「ほら。去年の秋口にこの村に来てた、ちょっとワルげの、ちょっといいオトコ」
「ああ。野枝をだました男じゃな」
「迎えに来たのよ、野枝さんを」
「なんじゃと?」
「ええええっ?」
「さっき、引っ越し屋さんが来て、荷物を運んでいったのよ。野枝さん本人は、昨日のうちに村を出たみたい」
本人が立ち会わない引っ越しっていうのもすごいけど、突然村を捨てた野枝さんの行動力にも驚きだ。
でも、好きな人と一緒にやっていけるなら、こんなに幸せなことはない。
「ライバルが減ってほっとしたところなんだけど、もう一人のライバルがいつのまにか先手を打ってきたみたいね」
「何か言うたか?」
「何でもないわ。今日はこれで帰ります。またねえ、鈴太さあん」
「は、はい」
このとき、ぼくの記憶のなかに、うずうずとうずくものがあったのだが、形を取らないまま霧散して消えた。