中編2
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「おはよう、鈴太」
「おはよう。天子さん」
「どうしたのじゃ? ひどい顔をしておるぞ」
「さえない顔だちは生まれつきだよ」
「これこれ。何をいじけておる」
「ごめん。ちょっとテンションが下がってた」
ぼくは、元気な顔をしてみせた。
「うむ。落ち込んでいるときは、そうして無理にでも明るい顔をするのじゃ。そうすれば、そのうち気持のほうも追いついてくる」
「そうだね。そうするよ」
「それでよい。ところで、おぬしが留守のあいだに、奇妙なことが起きた」
「えっ」
「まずは、〈探妖〉をかけてもらいたいのじゃが、長壁はどこじゃ?」
「朝ご飯ができるまでは、お社から出ないみたいだよ」
天子さんは、奧の部屋に進むと、長壁姫が憑いてるお社に向かって呼びかけた。
「これ、長壁よ。出てまいれ」
「はいです」
ぼくの横に、忽然と童女妖怪が現れた。
「起き抜けですまぬが、〈探妖〉をかけてもらいたい。溜石の探索が第一で、妖怪の探索が第二、そのほか妖気や神気を持つものの探索が第三じゃ」
「はいです」
どこから取り出したのか、ひらひらする紙切れがついた棒きれを取りだして左右に振り回している。今朝はいつもより多く振り回している。丁寧に探索してるのかな?
「溜石は十二個。妖気を失っているものが、うち四個。変わりなしですです。妖怪は、法師さまと天弧さまだけ。あと未確認神聖存在が一つと、神社の怪しげな気配が一つ。それに正体不明の微妙な気配が一つで、やはり変わりなしですです」
「うむ。昨日と同じか」
「四つ? 妖気のない溜石が四つって言ったの?」
「そうなのじゃ、鈴太よ。昨日の朝、おぬしが出たあと調べてもらったら、空っぽの溜石が四つになっておったのじゃ」
「おとといまでは三つだったね。ということは、一昨日の夜から昨日の朝にかけて、一つの石の妖気が石から抜けたんだ」
「そうじゃ。溜石から抜けた妖気は妖怪になるはずなのじゃ。ところが妖怪がどこにもおらぬ」
「それって、いったい……」
「まずは朝食にしようかの」
天子さんが朝食を作ってくれた。
味噌汁には油揚げが入ってなかったけど、厚揚げをオーブンで焼いたおかずがついていたので、童女妖怪は有頂天だ。しかも、天子さんとぼくには二枚ずつなのに、童女妖怪には四枚だったから、機嫌のよさは天元突破だ。安いやつめ。
おなかが満ちて、ぼくの精神状態も落ち着いた。
童女妖怪は、食後の休憩だといって、お社に帰った。
「がきんちょのみおとし、ということはないよね」
「なかろうなあ。現に空になった溜石もきちんと探知しておるしなあ」
「誰かのなかに、あるいは何かのなかに隠れてるということは?」
「長壁なら、それでも探知できると思うのじゃがなあ」
「謎だね」
「謎なのじゃ」
「どうしよう」
「法師どのとも話し合うたが、どうしようもない。打つ手がないのじゃ。とにかく毎日〈探妖〉をかけてもらい、現れたら対処する以外にない」
「うーん。不気味だけど、しかたないね。あ、あと、正体不明の微妙な気配って、何?」
「うむ。野枝の赤子のことじゃった」
「ああ、なるほど」
「さて、これから転輪寺に行こう」
「うん。それはいいけど、何しに」
「〈天告〉についての相談じゃ」
「あっ。敵の正体がわかるんだっけ?」
「そうじゃ。長壁によれば、〈天告〉の起点は、昼が一番短い日ということじゃ。つまり冬至じゃな。今年はたしか、十二月二十二日であろう」
「起点ということは、その日から次の一年に入るってこと?」
「そうじゃ。つまり、一度〈天告〉を使わせると、次は十二月二十二日まで使えぬ。質問のしかたを慎重に考えねばならぬ」
「あ。ぼくにしか質問できないんだったっけ」
「うむ」
「一つしか質問できないんだよね」
「質問は一つなのじゃが、うまく質問すれば複数の情報が得られる」
「え? どういうこと?」
「例えば、城が攻められそうなとき、敵将は誰か、と訊けば、敵将の名を教えてもらえる。ただし、将といえるような指揮官がいない場合や、明確な敵がいない場合、答えはない」
「うん」
「敵の攻撃布陣を訊けば、敵将と、うまくすれば部隊長の名、さらには敵軍の編成も教えてもらえる」
「なるほど」
「この城はどのように攻められるのか、と訊けば、布陣に加えて作戦の実施日時も教えてもらえる可能性がある」
「そうなんだね」
「いろいろと長壁に前例を訊いてみたのじゃが、これを複数の問いに分けても、答えがある場合があったそうじゃ。つまり、敵将は誰で、どういう布陣で、いつ攻めてくるのか、と質問したとき、答えがあったというのじゃ。三つの問いが一つの質問とみなされたのであろうな」
「あ。ということは、その質問が有効かどうかは、がきんちょにもわからないんだ」
「それはそうじゃ。強力な能力というのは不便なようにできておる」
「ふうん?」
そのあと、ぼくは天子さんと一緒に転輪寺に行った。
そして質問内容を相談した。
〈この里を攻撃している者の名と、目的と、理由を知りたい〉
これが協議の結果まとまった質問内容だ。
ただし、失敗できないチャンスなので、もう一日各自で内容を考えてみることになった。
乾物屋に帰ると、山口さんが来ていた。
服が一段と刺激的だ。ふわっとした白い上着をまとってるけど、ほとんどシースルーなんだ。そして、淡いピンクの洋服の下に、くっきり下着の一部が透けてみえる。
そういえば、もう八月だったんだ。
でも、これって、ほんとに普通の服なの?
こんなの着て歩いて犯罪にならないの?
それにしても、なんてたわわな胸。
あそこには、きっと男の夢が詰まってるんだ。
「山口か。欲しい物があれば持って行けばよかったのに」
「あら、天子ちゃん。私を追い出して、二人で何をしたいのかしら?」
「配達なら、いつものように紙に書いておけばよい。ほれ、そこに紙切れと鉛筆がある」
「あら? なんか反応が、前とちがうわね」
「や、山口さん。何かご相談ですか」
「そうなのよう。うーん。やっぱり鈴太さんは優しいわねえん」
これみよがしに、山口さんがぼくの右腕を両手で抱きしめる。当然、ぼくの右手は山口さんの胸の谷間で幸せ状態になる。
「ふむ? 発情期かの?」
「ひどいわあ、天子ちゃん。ちょっと甘えてるだけよう」
「鈴太が迷惑しておる。さっさと用事を済ませるがよかろう」
「うーん。迷惑なんかじゃないよね、鈴太さあん?」
甘い息が鼻孔をくすぐる。こ、こんな攻撃は、天子さんがいないときにしてほしかった。
ちがうだろっ。何を考えてるんだ、オレ。
「うっ。あのっ。何と申しますか」
「ふふっ。照れてるのね。可愛いわ。やっぱり鈴太さんは、私の癒しね」
「あの。何のご用でしょうか」
結局、山口美保さんの用件とは、キムチ鍋を作るのに、だしは何で取ればいいかという相談だった。これはぼくにも答えられない質問だったけど、あれこれやりとりするうちに、羅臼昆布とトビウオを使うことに話が落ち着き、それを買って帰っていった。
それにしても、この暑いのに、鍋か。しかもキムチ鍋。
さぞ汗が出るだろうな。すると……
「鈴太よ」
「はっ、はいいいぃぃぃぃ!」
「下心が顔全体ににじみ出ておる」
「そ、そんなことは、ありまっしぇん」
「ふむ。一つだけ申しておく」
「は、はひっ」
「これはあくまで一般論じゃ」
「はい?」
「一般論として、心して聞け」
「はいい?」
「おぬしに、言い交わしたおなごがおるとする」
「へ?」
「そのおなごの前で、ほかのおなごとなれなれしくしてはならぬ。絶対にじゃ」
「はいぃぃぃぃ? いや、あの、さっきのあれは」
「これは千二百年のいにしえより変わらぬルールじゃ。しかと覚えておくように」
「そ、それは誤解です!」
「わらわは用事ができたので帰る。ではな」
そのまま天子さんは、すたすたと帰ってしまった。
ぼくの何がいけなかったんだ?
べつに、なれなれしくなんかしてないよ?
山口さんの腕をふりほどかなかったのがいけないの?
でも、お客さんだし。
ふりほどこうとしたら、あの胸がいよいよたゆんと……
よくわからない。
よくわからないけど、一つだけわかることがある。
用事ができたっていうのは嘘だ。
だって、ぼくを守る以外、どんな用事があるっていうんだ。
「昼ご飯はまだなのです?」
「うるさい」
その日は不思議とお客さんの少ない日だった。
野枝さんも来なかった。
夜になって寝た。
また、悪夢をみた。
今日のぼくは大蛇だった。
伯母さんがおなかのなかで、どろどろに溶けていくのを感じて、うきうきしていた。
そしてぼくはなめくじだった。
粘液を浴びた伯母さんが、じゅうじゅうと醜くしぼんでいくのが愉快だった。
そしてぼくはカマキリであり、おぞましいミミズであり、猛毒を持つ蜂であり、食人魚であり、巨大な蜘蛛だった。
目が覚めたとき、昨日以上に大量の汗をかいていた。
そして、昨日以上に不快な目覚めだった。




