前編
1
「じゅ、十二か所じゃと?」
「ふうむ」
「はは、こんなわけありませんですよね? おかしいです。あちしの〈探妖〉がまちがったことなんてないのですが」
天子さんは驚きをあらわにし、和尚さんは厳しい目をして、童女妖怪はあたふたしている。
「あの。和尚さん」
「なんじゃな」
「地図か何かありませんかね」
「おう。ちょっと待っとれ」
「あ、それと、赤い鉛筆かボールペンも」
「よしよし」
のそり、と和尚さんが立ち上がって部屋を出ていった。
小山のようだ。迫力あるなあ。
「もう一度〈探妖〉をかけてみるです」
「うむ? 一日に一度しか使えんのではなかったか?」
「ああっ。そうでした」
こいつ、ばかだ。
「それに、おそらくその探査結果は誤りではない。ところで、長壁よ」
「はいです」
「〈探妖〉は一日に一度使えるということじゃが、その起点はいつなのじゃ?」
「夜明けでございますです」
「なるほど」
和尚さんが地図と赤いサインペンを持って戻ってきた。
「童女妖怪。この地図に、溜石があった場所を書き込むことはできるか?」
「その失礼な言い方は即刻やめるです。だいたいなら書けます」
「だいたいでいい」
童女妖怪は、目をつぶって記憶を確認しながら、地図に八か所の丸をつけた。
「ううむ。見事に村中に散っておるのう。法師どの。どう思う?」
「人家の敷地内の場合もあるし、草原や藪のなかの場合もあるようじゃのう。長壁どの。おぬしと一緒に現地に行けば、詳しい場所は教えてもらえるのじゃな」
「もちろんなのです。でも、あちしが移動するには、あちしのお社を移動してもらわないとなのです」
「天狐よ。長壁どのの社を自転車に乗せて村を回って、正確な位置を確認していってくれぬか」
「わかった。じゃが、十二か所全部を回るとなると、なかなか時間もかかる。今日のうちに何か所か回り、明日に残りを回ろう。その前に、少し相談をしておこうかの」
「おお。よかろう」
「長壁よ」
「はいですです」
「そなたは姫路城の守り神のようなものと聞いておる。なぜ今、こんな所におるのじゃ?」
「話せば長い話になるのですが、姫路城の大改修で、宿ってたお社が取り壊されてしまったので、ここに来たのです。以上」
「短か! というか、がきんちょ、姫路城に住んでたのか?」
「がるるる! がきんちょではないのです! 長壁姫さまと呼ぶです!」
「はいはい。おさかべね。で、おさかべ、姫路城に住んでたのか?」
「姫路城の敷地内にある、小さなお社に宿ってたです」
「大改修のとき、敷地内の神社とかは、ちゃんと移したりしたんじゃなかったっけ?」
「不幸な事故で壊されてしまったです」
「無名な妖怪だったんだ」
「むかっ。ちがうです! 姫路城の長壁姫といえば、国宝級に有名な妖怪ですです! 知らないですか?」
「知らん」
「こんちくしょー! 無知にもほどがあるです。あちしは代々の姫路城城主にあがめられて、一年に一度お告げをして感謝され続けたですよ! 偉い偉い仙狐なのです」
「天子さん、〈せんこ〉って何?」
「仙術に通じた格の高い狐、ということじゃ」
「こいつ、仙狐なの?」
「仙狐に定義などない。本人がそうじゃといえば、そうなのじゃ」
「ふうん。おい、自称仙狐」
「自称ではないです! 侍どもがそう言って敬っていたです!」
「そんなに尊敬されて祭られてたなら、どうして大きいお社に祭ってもらわなかったんだ?」
「……言い出せなかったです」
「は?」
「いつのまにか偉い神様扱いにされて、今さらあんなちっぽけな社に宿ってるとは、言い出せなくなったですよ」
「それはまた……何というか」
「……何も言わなくていいです」
「それで、何が宿ってる社か、誰にもわからなくなって、大改修のどさくさまぎれに壊されてしまったと」
「いえ。その前に小さな改修があって、あちしの社は何年間か土に埋もれてたです」
「悲惨だな」
「それで大改修のときに、土を削って運ぶブルドーザーの一撃で、お社は粉々に砕かれたです」
「言いようもなく悲惨だな」
「あちしは復讐を誓ったです」
「えっ」
「大改修の責任者たちを全員呪い殺すことに決めたです」
「お、おい」
「だけどせっかくだから、大改修の終了はみとどけようと思ったです」
「うんうん。長年住んだ所だもんね」
「大改修は無事終了して、記念のイベントがあったです」
「ああ。二、三年前だったかな?」
「そのとき、あちしは感動したです」
「何に?」
「ぶるう・いんぱるすに決まってるです」
「は?」
「見事だったです。サンライズ。デルタ三百六十度ターン。スワン・ローパス。サクラ。ビッグハート。ほんとに美しかったです。そのアクロバット飛行に免じて、あちしは大改修の責任者たちを許すことにしたです」
「おお、やるな。ブルー・インパルス。そんなところで人助けをしてたとは」
「すみかを失ったとき、ちょうどお社に似た軽石があったので、宿ったです。そして世界遍歴の旅に出たです」
「へえ? どんな所を回ったんだ?」
「まず、桃太郎広場に行ったです」
「桃太郎広場?」
「後楽園の南側のほうであったかの?」
「いえ、そっちのほうじゃなくて、岡山駅前広場なのです」
「なんでそんなとこに行ったんだ?」
「あちしは自分では移動できないです。宿っているお社を運んでもらわないといけないです。姫路城の大改修のときのイベントに来てた人のなかに、あちしの姿がみえてあちしの声が聞こえる人がいて、その人が岡山方面に帰るとき、運んでもらったです」
(ははあ。気味が悪いんで、駅前に捨てられたな)
「でも二日目に、掃除の係の人が、お社をみつけて粗大ゴミに出しやがったです」
「たった二日の滞在か」
「あわや廃棄処分にされるところ、係の人が信心深い人で、事務所の前にお祭りしてくれたです」
(ただの軽石だもんな。道端に置いておいたんだろう)
「あちしは待ちました。あちしの声が聞こえる人が処分場にやって来るのを」
(聞こえても無視した人がいそうだな)
「そしてついに一昨日! カモをみつけたあちしは、お社の移動に成功したです!」
(こらこら。カモって言ってるぞ)
「ある町に一日滞在して、そこからバスに乗ったです」
「どうやってバスに乗ったんだ?」
「運転手さんが、あちしの声を聞けたですよ。それで、この村に運んでもらったです」
「松谷さんか! あの人も〈みえる〉人だったんだ」
「長壁姫よ。事情はだいたいわかった」
「は、はいっ。天狐さまっ」
「そなた、今、加護を与えておる人間はおらぬと申したな」
「いませんでございます」
「では、どうであろう。このおのこをそなたのあるじにしては」
「ええーっ」
「ええーっ」
「そなたら、仲がよいのう」
「天狐さまの仰せではございますが、こんなしょぼくれた、さえないガキに加護を与えるというのは」
「できぬか」
「です」
「立派なお社がもらえるのにのう」
「えっ?」
「そこなおのこはある店の主人でのう」
「店?」
「その店は乾物屋なのじゃが、神様のお社も売っておる」
「おおお!」
「商品のなかで一番立派なお社をもろうてやろうかと思ったのじゃが」
「一番立派な!」
「いやとあれば、致し方もない」
「このしょぼくれに、加護をくれてやるでございます」
「そうか。ということじゃ、鈴太」
「なんかすごく不本意なんですが」
「加護を与えた人間の質問でなければ〈天告〉は発動せぬという。今のわれらには、〈天告〉はぜひとも欲しいものじゃ」
「はいはい。わかりました」
「ところで、長壁よ」
「はいでございます」
「あやかしはおらなんだか?」
「この寺に二つ、超大物の反応がございました」
「わらわと法師どのじゃな。ほかには?」
「この辺りに、奇妙な反応がありましたです。あやかしのような、そうではないような」
童女妖怪が地図の一点を指し示したが、そこは、ひでり神さまが住んでる所だ。
「ああ、それはよい。敵ではない。ほかには?」
「あと、この辺りにも、何とも微妙な気配がありましたです」
「あ、それは野枝の家じゃの。ほかには?」
「ほかには何も。あ、神社からも何かの気配がしました」
「それもよい。溜石は十二個ということじゃったが、妖気を吸っておらぬ溜石はみおとした、というようなことはあるまいの?」
「それはないです。現に、十二個のうち三個は、ほとんど妖気がなかったです」
「ほう? その三個はどれじゃ?」
「一つは、これでございます」
童女妖怪が指し示したのは、佐々耀蔵さんの家だった。
「もう一つは、これでございます」
今度は、庚申口の地蔵の近くを指した。
「最後の一つは、ここでございますです」
それは、わが家の近くだった。
「おお! そういうわけじゃったか」
「法師どの。思い当たることがあるのか」
「鈴太と共に耀蔵の家を訪ねたとき、庭の柿の木の辺りに、あやしい気配があったんじゃ」
「そういうことは早く言ってもらいたい」
「すまんすまん。たいして妖気も強くなかったし、言うほどのことでもないと思うてなあ」
「和尚さん。天子さん」
「うん?」
「どうしたのじゃ、鈴太」
「これは、敵の攻撃だ」
「なんじゃと?」
「鈴太。説明してくれぬか」
「うん。敵は百数十年前からこの村の妖気を吸い、十五、六年前からは格段に多量の妖気を吸ってきた、という仮説を立てた。でもその次に何をするのか、何が目的なのかは、はっきりしてなかった。これがそうだったんだ」
「これとは何じゃ」
「溜石のことかえ?」
「最初のうち、溜石は、結界のなかの妖気を集めるために使われた。でも今はちがう」
「どうちがう」
「溜石に妖気をためる以外の使い方があろうか」
「山口さんは、どうしてあやかしに憑かれたのか。ご主人のことを想うあまり、木霊を取り込んでしまった? それはそうかもしれない。でも、和尚さんもびっくりするほどの力は、どこから得たんだ。それは庚申口の近くにあった溜石だ。あそこは、キノコ地図を頼りに森に入るとき、山口さんが通る場所なんだ」
「そうか!」
「どうしたのじゃ、法師どの」
「そんな強力なあやかしが結界を通れるわけがないと思うておったのじゃ。それもそのはず。あやかしに憑かれたあと、結界のなかで強大な妖力を得たのじゃ」
「そうか。この結界は外向きじゃからのう」
「天子さん。結界が外向きって、何のこと?」
「結界というものは、外から来る何かを封じるか、なかにある何かを封じるか、どちらかなのじゃ。この里の結界は、強いあやかしは決してなかに通さぬが、なかの妖気に対しては防御力がない」
「それだよ! それが敵の狙いなんだ。妖気がいっぱいに詰まった溜石を十二個も結界のなかに放り込んで、結界のなかを妖気で充満させ、結界を壊すつもりなんだ!」
「そうか!」
「結界を壊すじゃと?」
「天子さん、昨日の夜ぼくに教えてくれたじゃないか。結界のなかの妖気が強くなりすぎたら、結界が壊れるって」
「次々に現れる妖怪どもをほうっておくわけにはいかん。わしが倒してゆくことになる。倒せば妖気が残る」
「なんという……そんなことを考える者がおるとは」
「佐々成三さんは無念の思いを残して死んだ。じゃあ、どんな妖気と結びついてぶらり火になったんだ? 耀蔵さんの家に溜石があったんなら、その説明がつく。野枝さんのおなかに宿ったものについては、もう説明の必要もないよね」
「確かに。言われてみれば、その通りじゃ」
「なぜ、わらわも法師どもの、このように明かなことに気づかなんだのじゃ」
「千二百年も起きなかったんだ。頭が切り替わらなくても無理はないよ。それより、これからどうするかだ」
「そうじゃ。これからどうするかじゃ。残る九個の溜石を、どうすればええ?」
「捨てるのがよかろうな。結界の外に」
「今、村のなかは、危険なほど妖気があふれてるの?」
「いや。そうじゃない。里の妖気はごく薄い」
「鈴太のおかげじゃ。鈴太が、〈幽谷響〉と〈ぶらり火〉と〈こなきじじい〉を説伏してくれたので、殺さずにすんだ。というより、あやかしがあやかしでなくなった。じゃから妖気は増えておらん」
「なら、溜石を捨てるのは急がなくていい。だって敵は、自分がなかに入ってこれないから、溜石で結界を破ろうとしてるんだよ。溜石を結界の外に出せば、敵に武器を返してやるようなもんだ」
「なる……ほど」
「鈴太の意見は正しい、とわらわは思う」
「毎朝おさかべに、溜石を確認してもらって、妖怪が生まれてたら対処する。いよいよ妖気がたまっていったら、和尚さんと天子さんに、少し妖気を吸ってもらう手もある。そうやって時間を稼いでるあいだに満願成就の日が来れば、ぼくたちの勝ちだ」