後編
8
「こ、この神社をあちしにくれるですか?」
「どうしてそういう話になる?」
「しょぼくれた、さえないガキだと思ってたですが、意外にみどころがあったですね……ああ! お社を崖から捨てるなです!」
「あれ?」
神社の前の参道に、軽トラックが止まってる。
境内では何人かの男の人が作業をしている。
あ、そうか。
昨日の片付けは今日するって言ってたっけ。
あの軽トラは、砂袋を天逆川の堤防に運ぶためだな、きっと。
「おお、大師堂さんか! 昨日はどうも」
「こんにちは」
「こんにちは」
「ちわっす」
「さっき、天子さんと和尚さんが来て、あんたが来たら、転輪寺に来るように伝えてくれ、ちゅうことじゃった」
「あ、そうですか。ありがとうございます」
童女妖怪は、じっと神社をみている。
「むうう。これは、だめなのです」
「何がだめだって?」
「この神社は、すごく立派で、あちしの住まいにふさわしいですが、先客がいるです。しかもなんだかまがまがしい先客なのです」
「ほう。そういうのはわかるんだな」
「もっと褒めるです。あちしは褒められれば褒められるほど力を出す子なのです」
「はいはい」
「大師堂さん。若いのに、独り言の癖があるんか」
「いえ、何でもないです。それじゃ」
急いでその場を立ち去って、転輪寺に向かった。
9
転輪寺に着いたけど、和尚さんも天子さんもみあたらない。
広いお寺だし、裏の庭のほうにいたら、みつからなくても無理はない。
和尚さんの部屋で待つことにした。
童女妖怪が、お社を持って行けとうるさいので、廊下に置いてある。
「軽いお社だな」
「軽石でできてるです」
「貧相だな」
「むかっ。その言いぐさは許せないです。あちしを誰だと思ってるですか?」
「いや、知らん」
「あちしこそは、長壁姫なるぞ」
「ますます知らん」
「〈刑部〉と書く人もいるけど、それはまちがいなのです」
「そんなまちがい情報は、いらん。というか、口でいわれても字がわからん」
「〈白狐〉として長年功徳を積み、〈錦狐〉、すなわち錦の狐となり、まもなく齢千年に達して天狐に上ろうかという、たぶん今、日本で一番偉い狐の精霊なのですよ! ひれ伏してうやまうがよいのです!」
「錦狐じゃと?」
「あ、天子さん。それに和尚」
二人が急に現れた。どこにいたんだろう。
「妙な気配が一緒だったので、わらわが隠形の術を使ったのじゃ」
また心の声に答えてくれましたね。
「ところで小さき狐の姫よ、錦狐とは何じゃ」
「おお、よくぞ訊いてくれたです。白狐というのは、神様がたの命にしたがい、人々に功徳をほどこす、ごくごく上位の立派な狐をいうですが、白狐として五百年以上修行を積むと、錦狐、つまり錦の輝きに包まれた狐の精霊となるです」
「ほう」
「錦狐の位階は高いです。地上に顕現しているあらゆる神霊がひれ伏すほど高いです!」
「それは知らなんだ」
「ふふ。田舎者の妖怪は知るわけもないことなのです。……ん?」
「どうしたのじゃ?」
「お姉さん。……もしかして、狐なのです?」
「いかにも」
「しかも意外と、年経てたりします?」
「まあ、そこそこじゃな」
このとき、天子さんが目をみひらいた。
体がやわらかく光を放つ。
風もないのに長い黒髪がさわさわと揺れる。
目は金色に輝き。
耳はぴんと伸びて黒髪から突き出した。
妖力というか神気というか、何かの力が天子さんからあふれ出している。
ちびっこ姫はとみれば、いない。
いた。
三メートルほど後ろに下がって土下座している。
「てててててててて、てんこ、天狐さま」
「うむ」
「ててて、天狐さまとは露知らず、ご無礼いたしましたです」
「うむ。それはよい。それより、錦狐というのははじめて知った」
「はったりでございましたです」
「なに?」
「そんなのがあったらいいなあ、と思ったのです」
「ああ、口から出まかせか」
「そうともいうです」
「もうすぐ天狐になるのか?」
「すいませんです。ごめんなさいです。ちょっと三百三十年ほどサバ読みましたです」
「そうか。それにしても、千歳になれば天狐になれるというものでもないぞえ」
「はい。重々承知しております。なれたらいいなあ、と思ったまででございますです」
「ばっはっはっはっはっはっはっはっ」
黙って聞いてた和尚さんが爆笑してる。
「ふふ。……まてよ」
「は、何でございましょう」
「そなた、長壁姫と名乗らなんだか?」
「名乗りましてございますです」
「姫路の長壁か?」
「は、はいっ。さようでございますです」
そのとき、ぼくのおなかが、ぐうっと鳴った。
「和尚さん、天子さん。取りあえず、食事にしない?」
お湯を沸かし直して、それぞれ好きなカップ麺を選んで、お湯をそそいだ。
「がきんちょ。ほんとにカップ麺いらないのか?」
「がきんちょではないです! 長壁姫さまと呼ぶです! あちしくらい霊格の高い狐になると、朝夕の霧を吸うだけで生きてゆけるですよ。人間の食い物なんか……」
ぼくがカップ麺に入れるために、油揚げの封を切ると、童女妖怪の視線が、油揚げにくぎ付けになった。
「欲しいのか?」
「ほ、欲しくなんて……あ」
油揚げを麺の上に載せて封をすると、童女妖怪が悲しそうな顔をした。
そのあとも、じっと同じカップ麺のほうをみている。
そろそろ頃合いかとふたを開けると、童女妖怪の顔が期待に輝く。
箸で油揚げをつまんで持ち上げると、目をらんらんと輝かせ、前のめりになっている。
油揚げを持ち上げたままカップ麺を右に動かすと、童女妖怪の首も右に動く。
油揚げを持ち上げたままカップ麺を左に動かすと、童女妖怪の首も左に動く。
ぼくは、カップ麺を顔の前に引き寄せ、油揚げにかじりつこうと、口を開けた。
童女妖怪も口を開け、だらだらとよだれを垂らしている。
「鈴太。遊ぶのはそのくらいにしてやれ」
「ほーい。おい、がきんちょ。これ、やるよ」
ぼくはカップ麺に箸を載せて、童女妖怪に差し出した。
「ほ、ほどこしは受けないです。でも、お供え物は受け取るです。たとえ貧相なインスタント食品であっても、氏子の真心のこもったお供え物は、喜んで受け取るで……」
ごたくがうるさいので、ぼくはカップ麺を引っ込めようとした。
だがそれより早く、童女妖怪は稲妻のような速さでカップ麺を奪い取っていた。
「ああ、なんという、この油揚げの照りとつやですか」
かぷり。
「おお! 驚くべきジューシーさ。あふれる甘さとこく。これがインスタント食品とは信じられないです」
「うっさい。黙って食え」
「ふふふ」
「天子さん。何がおかしいですか」
「わしは、もう一個もらうぞ」
和尚さんが、がさごそとビニール袋をあさっている。
「あ、はい。どうぞ」
「今度はこっちの焼きそばがいいのう」
「ぼくは生麺タイプにしようっと」
ほんとに生麺だった。インスタントだとは思えなかったよ。
10
食後のお茶タイムも終わり、いよいよ相談事の時間だ。
和尚さんは、あぐらをかいて、腕を組んだまま、目を閉じている。寝てるの?
「長壁姫よ」
「はいです」
「たしかそなたは、〈お告げ〉系の能力を持っておるのではなかったか?」
「はい。〈天告〉が使えるです」
「なに! 〈天告〉じゃと?」
「天子さん、どうしたの」
「鈴太よ、〈天告〉というのは、神威を通じて真実を導き出すわざじゃ。知り得ることに限界がない」
「何のこと?」
「何でもわかる能力なのじゃ。例えば、この里にあだをなそうとしておる敵の名が知りたいと願えば、たちどころに敵の名を教えてくれる」
「ええっ? それ、むちゃくちゃ強力な力じゃないか」
「そうじゃ。〈お告げ〉系の能力のなかで最上級の能力じゃ。それゆえ、制限も厳しい場合が多い。長壁よ」
「はいです」
「そなたの〈天告〉の制限を教えてくれぬか」
「はい。まず、一年に一度しか使えませんです」
「なるほど。一年の起点はどこか」
「昼が最も短い日でございますです」
「承知した。ほかには?」
「あちしが加護を与える人間を定め、その人間が質問したことにしか〈天告〉は発動いたしませんです」
「ふむ。そなた、今、加護を与えておる人間はあるのかえ?」
「ございませんですです」
「この一年以内に〈天告〉を使うたことはあるか?」
「ございませんです」
「そうか」
「ほかには」
え?
誰の声だ?
と思ったら、和尚さんの声だった。
いつのまにか、目を薄く開けている。
天子さんも、童女妖怪も、びっくりして和尚さんのほうを向いている。
「〈天告〉のほかには能力はないのか」
「なんですか。このでかぶつ肥満じじいは。この錦狐の長壁姫さまに向かって、その……」
あ、その設定、まだ続いてたんだ。
童女妖怪のセリフが止まったなと思ったら、和尚さんが目をかっとみひらいている。
小さいけれど力のある目。
垂れかかる眉毛。
ふっくらとしているけれど、どこか精悍さを感じさせる巨体。
ああ、そうか!
達磨大師だ。
和尚さんは、達磨大師に似てるんだ。
気がつけば、童女妖怪が土下座していた。
「し、失礼いたしました! このような強大な法力をお持ちとは! さぞかし名のある大妖怪さまでございますです」
「よいから答えよ。ほかに能力はないのか」
「は、はいぃぃぃ。〈探妖〉が使えますです」
「なにっ」
天子さんが驚いてる。〈たんよう〉って何ですかね?
「〈探妖〉とは、妖気あるものを探知する能力じゃ」
あ、心の声にお答えくださり、ありがとうございます。
「長壁よ、〈探妖〉を使うには、何か制限はあるのか?」
「一日一回しか使えませんです。それと、探査対象を明確に設定したほうが、正確な探索が行えます。ほかには制限のようなものはありませんでございますです」
「では、今すぐ〈探妖〉を使ってはくれぬか」
「はいです。おもに何を探しますですか?」
「まず、この里の結界のなかに溜石がありはせぬか、それを知りたい。そのほか、あやかしがいれば、それも知りたい」
「はい。それだけでございますですか?」
「今はそれだけで充分じゃ」
「それにしても、溜石とはまた、レアなチョイスでございますです」
「そうか?」
「あちしは六百七十年生きておりますですが、溜石を探知できたことなんて、たった三回しかありませんです」
「そうであろうなあ。じゃが、頼む」
「かしこまりましたです」
童女妖怪は、どこから出したのか、ひらひらする紙のついた棒を取り出して、顔の前で左右に振った。
そして、うんうんうなっている。
あ、動作がとまった。ぐったりしてる。
「わかったです。……でも」
「でも、何じゃ?」
「これはおかしいのです。何かのまちがいです」
「何がおかしいのじゃ?」
「この結界のなかに、溜石が十二個もあるです」
「第6話 長壁姫」完/次回「第7話 金霊」