前編
1
「砂持ちの袋、ちょうでえな」
「はーい。五十円です」
「ありがとう」
「毎度ありがとうございました」
七月中旬に入り、急に〈砂持ちの袋〉を買いに来る人が増えた。毎日十人以上、多いときには二十人以上が袋を買ってゆく。
在庫台帳をみたとき、〈砂持ちの袋〉と書いてあるのが何のことかわからなかった。
「七月の最後の土曜日に、そういうお祭りがあるのじゃ。そのときに、各家から砂を詰めて持ち寄る、そのための袋じゃな」
天子さんの説明を聞いても、やっぱり何のことかわからなかった。
とはいえ、そういうことはほかにも多いから、格別追求はしなかった。とにかく、商品名と所在と値段がわかれば、とりあえずは商売を動かしてゆける。
けれど、〈砂持ちの袋〉というのが売れることはなかったから、どれがその商品か確認することを忘れた。
だから、七月に入ってまもないころ、突然〈砂持ちの袋〉をくれといわれたとき、そのお客さんにどう対応していいかわからなかったんだ。
天子さんは、すっと奧から出て来て、入り口の右側のほうに立てかけてある、木の古い長椅子をどかして、その奧にある樽から、小さな麻袋を出した。
「これじゃな。五十円じゃ」
へえ、これが〈砂持ちの袋〉というものなのか、と思った。
立てかけた長椅子の足には、いつも提灯が掛けてあったのに、数日前に移動したので、なぜかなと思ってたけど、たぶんこのためだったんだ。
「天子さん、砂持ちというのは何なの?」
最初に袋が売れた日、昼食のあとのまったりタイムに、ぼくは聞いた。
「うむ。砂持ちというのはのう」
2
過去千年のあいだに八度、この村は水害に遭っている。
千年に八度なら、たいしたことないじゃないかと思うかもしれない。
しかし、その一度一度は、村を壊滅的に追い詰める被害をだしてるんだ。
この村の手前に天逆川がある。
天逆川は、西のほうから下ってきて、村の手前で南に曲がり、村を過ぎてからまた東のほうへ流れてゆく。
この川の支流が羽振村に入っていて、それが羽振村をうるおしている。
だけど、それこそ百年に一度もないような大雨のとき、天逆川は恐ろしい水の暴力となって、村を襲う。
羽振村は、全体としてみると、天逆川より低い位置にある。その羽振村が洪水に襲われたら、どこに逃げればいいか。
地守神社だ。
地守神社は、羽振村全体からみて、ほんのわずかながら高い位置にある。ほんとにゆるやかな登り坂と、十段あるかないかの階段分の高さなのだが、洪水となると、このわずかな高さが、はかりしれない価値を持つ。さらに羽振村の奧は削り取られたように切り立っていて、その奧には樹恩の森が広がっている。
つまり、洪水の水は、地守神社の両横を流れて樹恩の森に落ちてゆくんだ。
だからみんな、洪水のときには地守神社に逃げる。
地守神社の境内地に逃げ込んだ人たちだけが、生き延びることができたという。
さて、洪水は恐ろしいけど、洪水の水が引いたあと、もっと恐ろしいことが起きる。
疫病だ。
川の氾濫とそのあとの疫病っていうのは、これはセットになっているものなんだそうだ。
だから、洪水のあとの復興には、長い長い時間がかかる。
最初の何回かの経験を経て、一つのしきたりができた。
長雨が続いたら、各家の人たちは、袋に砂を詰めて用意し、いざというときには、川辺に積み上げて土嚢とするのだ。そしてまた、地守神社に食料を集める。家に置いたままだと、洪水が来たとき泥水に浸かって食べられなくなるからだ。泥によごれた食べ物を洗って食べれば疫病を流行させる。そのことを経験から学んだんだ。
やがて、明治時代になって、大規模な工事が行われ。天逆川のカーブがゆるやかなものに修正され、川岸の土手が高くしっかり築かれたので、もう洪水の心配はなくなった。
けれども、過去の惨事を忘れないため、先人の経験と知恵を伝えるため、年に一度、〈砂持ち〉を行う。
これは、村内のすべての家が参加するという一大イベントなのだ。
〈砂持ち〉の日、村内の家々の代表は、地区ごとに集合する。
羽振村には六つの地区があり、それぞれ五十弱から六十程度の家がある。しかも家によっては親にこどもがついて来たり、複数のこどもで参加する家もあるから、各地区に集まる人は六十人から七十人程度になる。
参加者はすべて、麻の袋に入った砂を手に持っている。以前は地区ごとに御輿を作って大樽を載せ、そのなかに各家から持ち寄った砂袋を詰め、笹で飾り立てて綱で引いたというが、今は各自が砂袋を直接神社に運ぶ。
神社の境内には、あらかじめ樽が用意される。そこに持ち寄った砂を収める。
そういう行事なのだ。
これは一種の神事でもある。だから、〈砂持ち祭り〉とも呼ばれる。
日が近づくにつれて、〈砂持ちの袋〉を買いに来る人は増える。ふだん、村の反対側の人は、あまりこの乾物屋には来ないから、はじめて会う人も多い。ふしぎなことに、買うときには、どこの地区のどの家の者かを名乗る。なんで買い物するのにいちいち名乗るのかわからないけど、そういう習慣なんだろう。
というか、どうしてこの店に袋を買いにくるんだろう。ほかの店で売ってるほかの袋じゃいけないんだろうか。ネット通販で買った袋じゃいけないんだろうか。という疑問を感じたけど、わざわざ確認するようなことでもないので、天子さんに質問はしてない。
提灯も売れた。ろうそくも。
〈砂持ちの袋〉を買いにきた人は、二分の一ぐらいの割合で、提灯とろうそくを買って行く。〈砂持ち〉のときに、提灯も使うんだ。じゃあどうして全員が提灯を買わないかというと、あるお客さんの独り言を聞いてわかった。
「うーん。提灯はどうしょうかのう。まあ今年は去年のを使うとくか。ろうそくだけもらえるかのう」
「はい。一箱ですか? 三本ですか?」
「三本でええ」
「百円になります。毎度ありがとうございました」
三本セットのろうそくを仕入れているわけじゃなくて、箱入りのろうそくをばらして、黄色くて安っぽい紙の封筒に包んで売ってるんだ。箱よりこっちのほうがよく売れる。三本で百円てのは、仕入れ値から考えるとちょっと高いんだけど、ちょうど行き帰りで使い切れるぐらいの分量なので、都合がいいみたいだ。
なるほど考えてみれば当たり前の話で、去年提灯を買ってあるんなら、今年はそれを使えばいいわけだ。ただ、あんまり古い提灯だとみっともないので、適当に新しい提灯に買い換えていくんだろう。
あと一週間で〈砂持ち〉が行われるという日、村長さんが来た。五人の人を連れて。その五人は、それぞれの地区の組頭だった。
安美地区。
松浦地区。
土生地区。
御庄地区。
雄氏地区。
有漢地区。
この六つの地区にそれぞれ組頭がいる。村長さん自身も安美地区の組頭なので、村長さんを含めた組頭六人が村の役員だ。ちなみに、組頭六人は村会議員でもある。各地区の住民は、その地区の組頭に投票する習慣だそうだ。法律にはふれないのかな?
その六人がいきなりやってきて、玄関口でぼくにあいさつしたんだ。
「大師堂さん。いよいよ来週が〈砂持ち〉じゃ。ご面倒おかけするが、よろしゅうのう。心を込めて準備さしてもらうけん」
そう言って村長さんが頭をさげると、後ろの五人も、よろしゅう、とか、お願いします、とか言いながら頭を下げた。
ぼくはもう、びっくりしてしまって、目をぱちくりさせて、しばらくその場に立ちつくした。
その日の午後、野枝さんが顔をみせた。
もちろん、大事そうに赤ちゃんを抱えて。
ほんとに幸せそうだ。赤ちゃんをみる野枝さんの顔は、限りなくやさしい。
こんなに美人だったかなあ。
「大師堂さん。お願えがあるんじゃ」
「はい。何を差し上げましょう」
「この子の名前を考えてくれんかのう」
「はい?」
「この子の名付け親になってほしいんじゃ」
「えええええっ?」
ぼくが名前をつける?
この赤ちゃんに?
「いや、そんなことは、ぼくなんかじゃなくて……そうだ。転輪寺の和尚さんに頼んだらいいと思いますよ」
「じゅごん和尚に頼んだら、この子の名は鈴太が考えるべきじゃ、いうて言われたんよ」
あの和尚。無茶ぶりしやがって。
「無理です。とってもできません」
「そう言わんで、お願えします。この子を名無しにせんでちょうでえ」
いや、どうしてぼくが名前をつけないと名無しになっちゃうんだよ。
どうしてそんなふうに追い詰めるの?
「つけてやれ、鈴太」
「天子さんまで」
「お前が取り上げた子ではないか」
「えっ。いや。まあ、そう言えなくはないのか」
「それにおぬしの言葉には、特別な力がある」
「えっ?」
「おぬしがつけた名前の通りの生き方を、その子はするであろう」
「えっ?」
「おぬしが名に込めた願いが、その子を祝福するであろう」
いや、だから、どうしてそんなにぼくを追い詰めるの?
そんなにプレッシャーを与えられたら、いよいよ引き受けられないじゃないか。
「わしも和尚さんに言われて、なるほどと思うた。この子の名づけ親は、鈴太さんしかねえ」
ほかに名づけ親になってくれそうな友達……は、あんまりいなさそうだな。
「この子のお父さんになってやってつかあせえ」
名づけ、が抜けてますよ、野枝さん。
しばらく抵抗したぼくだったけど、二対一では勝ち目がなく、赤ん坊までが泣き出した。しかたがないので引き受けますと返事すると、赤ん坊は泣きやんだ。三対一だったのか。
大変なことになっちゃった。
「あと三日で届け出の締切なんで、明日中に決めてくれるかのう」
なんでそんな時期までほっておいたんだよ!
その後さんざん悩んで七転八倒したあげく、名前を決めた。
守生。
野枝さん、自分を、自分の大事な人たちを守って生きるように、それだけの力をもらえるように。そんな願いを込めてつけた名前だ。
3
村長さんたちがあいさつに来た日から、境内の大掃除が始まった。
毎日いろんな地区の人が入れ替わりにやって来て、あちらこちらと奇麗にしてゆく。
背の高い脚立を持ち込んで境内地を覆う木立を刈り込んでいく人。
エンジンつきの草刈り機を持ち込んで、境内の周りの草を刈る人。
社殿の外側を雑巾で拭く人。
こどもたちも三々五々集まってきては、境内の草を抜いたり、枯れ葉を拾ったりしている。
毎日段々神社が奇麗になってゆく。
謎が解けた。ふしぎに思っていたんだ。
管理する者が全然いないにしては、この社殿も境内も、その周りの木立も、そう荒れ果ててはいない。どうしてだろうと思っていたのだが、こういうわけだったんだ。
「境内だけではないぞ。社殿そのものも、百年に一度ぐらい、建て替えておる。村の者たちの意志によってのう」
例によって天子さんが的確な説明をくれる。
ほんとに心を読まれてるんじゃないか?
とにかく、皆が境内を奇麗にしてくれるのをみて、ぼくも発奮した。
早朝の掃除を毎日するほか、日中に時間をとって、掃除をするようになったのだ。
脚立を社殿に持ち込んで、天井の掃除もした。
これもふしぎなことだけど、どんなにたくさんの人が境内の掃除をしていても、社殿のなかに入ってこようとする人は誰もいない。たまにこどもが物珍しそうにのぞき込んでいると、おとなたちが、そこに入っちゃだめだ、のぞいちゃだめだと叱っている。そういう慣習なんだろう。
いよいよ当日が近づいてくると、社殿の両脇には、五脚ずつ、かがり火の台が据え付けられた。時代劇なんかでみかける、三本の足のやつだ。地面に置くのかと思ったら、そうじゃなく、足の部分から出っ張った部分に穴が空いていて、そこに太くて長い金具をハンマーで打ち込んで、地面に固定していた。
そうだよね。置いただけじゃ、風で倒れちゃうよね。
もちろん、近くには薪と消火器が準備された。
こんなものがあるんですねえ、と村長に話しかけると、思わぬ返事があった。
「これはのう。村長に代々受け継がれてきておるんじゃ」
「えっ。そうなんですか。でも、それにしては新しいような」
「古うなったけんのう。去年ネット通販で新を買うたんじゃ」
恐るべし、ネット通販。こんなものも売ってるんですね。
道から境内地に上がる十段ほどの石段の両脇には、ハロゲンライトが設置された。
そしていよいよ、〈砂持ち〉の当日を迎えた。