表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第4話 こなきじじい
13/90

中編1

5


「いたっ!!」

 〈子無き地蔵〉を磨いていた野枝さんが、大声をあげた。

 ぼくは店のなかで商品にはたきをかけてたんだけど、はたきを放り出して、すぐに表にかけだした。

 野枝さんが、石像の前に倒れて、体をくの字に折り曲げ、腹を押さえてのたうっている。こんなことを言っちゃいけないんだけど、その姿は、人間のようにみえなかった。地面にたたき付けられた牛蛙がのたうっているみたいだった。

「痛い、痛い、痛いっ」

 あわてて近寄ってひざまずいたが、何をしていいかわからない。

「だ、だいじょうぶですかっ」

「痛い、痛い、痛い、痛いっ」

 顔を左右に激しく振りながら、痛みを訴える。

 長い髪がばさばさになって顔を隠している。その乱れた髪になかば隠れながら、口を大きく開いて、痛い、痛いと叫び続ける。その口のまわりのしわが恐ろしい感じがした。

「どうした、野枝?」

 ぼくの後ろから天子さんがやって来た。

「ここか? ここが痛いのか?」

 座り込んで、野枝さんが腹を両手で押さえている、その上に右手を当てて、天子さんが訊いた。

「痛い、痛い、痛いっ」

 相変わらず野枝さんは、痛いとしか言わないけど、ずっと横に振ってた首を、今度は縦に振った。

「そうか」

 右手を野江さんの腹に当てたまま、天子さんは目を閉じた。

 そのうち、痛がって暴れていた野枝さんの動きが、だんだん静かになっていき、やがて悲鳴も止まった。

「鈴太。正露丸とコップに水をくんで持って来るのじゃ!」

 言われた通りにした。

 正露丸とコップを小さな丸盆に載せて持って来たんだけど、それを地面においていいか判断できなくてまごまごしていた。

「その盆を下に置いて、野枝を抱き起こせ」

「え?」

「正露丸を飲ませねばならん。上半身を起こすのじゃ」

「う、うん」

 女の人にさわるのって、勇気がいる。肩に手がふれたときは、ちょっとどきっとした。でも、そんなこと言ってる場合じゃない。両肩を持って、野枝さんの上半身を起こした。意外に軽かった。

 天子さんは野枝さんに正露丸を飲ませ、水の入ったコップを口に当てた。

「飲め」

 野枝さんは、ごくり、ごくり、と水を飲んだ。

「落ち着いたか?」

 ぶっきらぼうな言い方だけど、天子さんの言葉は優しい。

 野枝さんは、うん、うんと、声を出さずに二度うなずいた。

「よしよし。玉置(たまき)先生のところに行こうな」

 玉置先生という人は、六十代ぐらいの鍼灸師さんだ。この村には病院がない。ちょっとした病気は自分で薬を飲んで治すし、治らなければ玉置先生に診てもらうんだ。

 そう言われた野枝さんは、首を二度横に振った。

「いやなのか?」

 天子さんが訊くと、今度は縦に首を振った。

「なぜ、いやなのじゃ?」

 野枝さんは、しわがれた小声で返事した。

「赤ちゃん、とられる」

 その返事を聞いたぼくは、背中に冷水を流し込まれたような気分になった。

「そうか。それなら家に帰ろうか」

 首を縦に振った。

「鈴太。手を貸せ。野枝を立たせる」

 そして野枝さんを立たせると、天子さんは野枝さんに寄り添いながら、北西の方角に歩いていった。

 そのようすをみていて、今日はもう帰ってこないだろうなと思った。その通りだった。


6


 翌朝、何事もなかったかのように、天子さんはやって来た。天子さんが食事当番の日だったので、台所のことはお任せして、神社の掃除に出かけた。

 帰ってくると、朝食の用意はできていた。

 野枝さんのことは、すごく気になってたけど、食事中は訊かなかった。食事が終わってお茶を飲んでいるとき、天子さんのほうから話してくれた。

「野枝は、帰ると落ち着いた。もう痛みもないようであった」

「そうなんだ。よかったね」

「腫れ物ができておった」

「腫れ物?」

「へそのすぐ上に、ぷくり、とな」

「ぷくりと?」

「例えていえば、大柄の男の手の親指を切り取って、貼り付けたような腫れ物じゃな」

「親指って」

「針でつつけばはじけそうなほど、ぷっくりふくらんで、しかも真っ赤に色づいておった」

「真っ赤な親指……」

「いや、親指というより、あれじゃな。たらこじゃ」

「たらこ……」

「たらこをへその上に貼り付けたような腫れ物じゃ」

「何かに刺されたのかな。蜂とか」

「そうかもしれんし、そうでないかもしれん」

「ムカデとか」

「そういうこともあるかもしれん」

「そんなに腫れちゃったんなら、さぞ痛いだろうね」

「それがの。家に連れて帰ったころには、けろっとしておっての。そのまま一応寝かせたのじゃが、そのうち起き出してきて、〈花むしろ〉を織っておった」

「大丈夫なのかなあ?」

「痛みはないと言うておった」

「蜂とかムカデとか、毒のあるものに刺されたんだったら、そうはいかないよね」

「わからん。人間の体というものは、わからんものじゃ」

「たいしたことなければいいけどね」

「昼はようすをみに行く。そのままこちらには帰らん。昼ご飯のおかずは冷蔵庫に入れてあるからの」

「ありがとう」

 昼ご飯のおかずは、たらこだった。


7


「法師どの。奇妙なことになった」

「例の石の件じゃな」

「そうじゃ。秀が〈子無き地蔵〉と名づけした石じゃ」

「秀が名づけをしたのかどうか、わからん。ほかの者のしわざかもしれん」

「そうよなあ。しかし、鈴太がうまく聞きまちがえて、〈こなきじじい〉と名づけ直した」

「あれの言葉には力があるからのう。(しゅ)を掛け直したようなものじゃな」

「ところが、それを野枝が〈子無き地蔵〉と聞きまちがえ、呪をまた掛け直した」

「ああいう一念の者の思いは強いからのう。強力な呪が掛かったじゃろうなあ」

「その〈子無き地蔵〉の石像を、野枝は、毎日毎日磨きながら念を込めた」

「成就するはずのない願いじゃがな」

「法師どの。あの石は、〈溜石(たまりいし)〉でまちがいないのだな?」

「ほかに、あのように妖気をためる石があろうはずもない」

「自然にできた溜石とは考えられぬのだな?」

「溜石が自然にできることはあるかもしれん。じゃが、あれはちがう。あれは作られたものじゃ」

「溜石を作れるあやかしか」

「あやかしにしか作れん。かなり強力なあやかしじゃなあ」

「ただし石を結界のなかに持ち込んだのは、そのあやかしではないと」

「そんな強力なあやかしが結界のなかに入れるわけがない」

「ということは、あやかしではない誰かが運んだということになる」

「そういうことじゃ。そこまでは、もう何度も話し合うたではないか」

「鈴太のそばに石が置かれていたことが気になるのじゃ」

「ならば石を結界の外に捨てるか?」

「それはもう遅い」

「なに?」

「そのことはあとで話す。それより、あの石は意図して運び込まれたものであろうか」

「む。溜石がどこかにあって、誰かが知らず知らずに結界のうちに運び込んだということかの?」

「そうじゃ」

「ううむ。ない、とはいえぬが……」

「わらわがあれに気づいたときは、すでに危険なほど妖気がたまっておった」

「わしもみて驚いた」

「石のなかにある妖気には手が出せぬので、あやかしが生まれるのを待って倒せばよい、と法師どのは言うた」

「おぬしも賛成したではないか」

「あれを運び込ませた者の意図も探りたい、とも法師どのは言うた」

「言うた。じゃが、今にして思えば、考えすぎじゃったかもしれん」

「ほう?」

「あの石を運び込ませた者がいるとしたら、その者は、この里のことを知り、この里の役目を妨げようとしている、ということになる」

「そうであろうな」

「じゃが、今まで長いあいだ、そんなことが起きたことはない。本来ならすでに満願を迎えておってもよいこの時期に、今さらそんなことが起きるとは考えにくい。そうじゃろう?」

「それはそうじゃな」

「あの石は、草むらのなかにあったのを野枝がみつけたのじゃったな」

「そうじゃ」

「何年、あるいは何十年かけたら、あれだけの妖気がたまるかのう」

「……ふむ」

「そう考えると、仕掛けた者がかりにおったとしても、それは何十年も前のことになる」

「……そうよなあ。思い過ごしか」

「思い過ごしでないとしたら、どういう思惑なのか、それがわからん」

「溜石の妖気が消えた」

「何じゃと!」

「順を追って話す。わらわは、あれが溜石ではないかと気づき、法師どのにみてもろうたうえで、結界の外に捨てようと言うた」

「言うた、言うた」

「じゃが法師どのは、結界の内においてようすをみるべきじゃと言うた」

「言うた、言うた」

「あの石には、最初、〈子無き地蔵〉という呪が掛けられ、〈こなきじじい〉に掛け直され、また〈子無き地蔵〉に戻された」

「そこまでは聞いちょる」

「野枝は〈子無き地蔵〉に強い祈りを込め続けた。つまり呪をずんずん強めていった」

「それも聞いた」

「すると石が妖気を吸う勢いが強くなった」

「なに!」

「もうこれはいかんと思い、石像を捨てようと決めた矢先、野枝が石像の前で倒れた」

「それで、どうなった」

「野枝は、腹が痛い痛いと言ってのたうち回った」

「それで、どうした」

「〈手当〉をすると、落ち着いた」

「ふむ、ふむ」

「気がついてみれば、石像から妖気が抜けておった」

「そんなばかなことがあるか。抜けたとしたら、どこに行った」

「野枝の腹に」

「……なんじゃと」

「野枝の腹に、腫れ物ができた。その腫れ物からは、すさまじい妖気が立ちのぼっておったのじゃ」

「哀れな」

「妖気に取りつかれた人間は、もはや妖怪じゃ」

「しかり、しかり」

「しかもあれほどの妖気を取り込んだら、人間らしい心など吹き飛んでしまう」

「そうじゃろうなあ」

「わらわは野枝を殺すために、家に送って行った」

「殺したか?」

「布団に寝かせて妖気のぐあいを調べたところ、妖気が消えておった」

「それはどういうことじゃな」

「わからん。一瞬たりとも目は離しておらんのじゃ。じゃから、妖気は今も野枝のなかにあるはず。しかし、みえぬ」

「それが本当なら、この世ならざるところに隠れておるのじゃろう」

「わらわも、そう考えた。その状態の野枝を殺しても意味がない」

「意味がないどころか、行き場のない妖気の塊が野放しになる。危険この上ない」

「じゃから、これから毎日、野枝のようすをみる。今度妖気が顕れたら、野枝を殺す」

「殺すしかないか」

「殺すしかなかろう」

天狐(てんこ)よ」

「何かな、法師どの」

「おぬし、人間を殺したことがあったかのう」

「……ない」

「では、わしがやろう」

「これは、鈴太を守るためにすることじゃ。〈はふり〉の者を守護するは、わらわがかのおかたから命じられた役目ぞ」

「溜石のことは、わしが言い出したことじゃ。それに、結界のなかのあやかしを討つは、わしがかのおかたから命じられたこと。人には譲れん」

「……ならば法師どのに頼もう」

「そうしてくれ。そのときが来たら、知らせを頼むのう」

「心得た。かたじけない、法師どの」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ