前編
1
羽振村には地蔵が多い。
村の右手から、つまり南東から樹恩の森への降り口にあたる小道の入り口にある地蔵は、庚申地蔵とか柿の木地蔵とか呼ばれている。
村の左手から、つまり北から樹恩の森への降り口にあたる小道の入り口にある地蔵は、閻魔地蔵とか地獄地蔵とか呼ばれてる。
ぼくが気づいた地蔵は、この二つを含めて八つだ。ほかにもあるかもしれない。
奇妙なことに、八つの地蔵は村のなかにはないんだ。全部村の端っこにある。そしてこれまた奇妙なことに、八つとも外側を向いている。つまり、村のなかを歩いている人は、地蔵尊の顔をみたことはなくて、後ろ姿ばかりみているわけだ。
八つの地蔵のほかに、石の狛犬や石の獅子など、いろいろな石のオブジェがあるんだけど、そのなかでひときわ奇妙なのは、〈こなきじじい〉だ。
〈三婆〉の一人、秀さんが、この石像は〈こなきじじい〉だと教えてくれたので、そのつもりであらためてみてみたけど、正直いって、〈こなきじじい〉にはみえない。そもそも石像にさえみえない。こんなの、そこらへんの河原にいくらでも転がってるよ。
ただ、縦に起こしてみると、顔にあたる位置に微妙な凹凸があって、目や鼻にみえなくもない。
そして秀さんが赤い腹掛けのようなものを取りつけたものだから、なるほど〈こなきじじい〉かお地蔵さんのようにみえるけど、やっぱり〈こなきじじい〉でもお地蔵さんでもない。名状しがたい何物かだ。
こんなふうにいうと、いかにも存在感のないがらくたのような感じがするけど、存在感だけは抜群だ。
というか、気味が悪い。正直いって、直視したくない。
なんでこんなに不気味な感じがするんだろう。禍々しいものや荒々しいものには災厄を振り払う霊力がある、って聞いたことがあるけど、きっとこの〈こなきじじい〉は、魔を祓うんじゃなくて、魔を引き寄せる何かだと思う。
そんな〈こなきじじい〉を、熱心に拝んでる人がいる。
2
「天子ちゃん。粉ミルクちょうでえよう」
「野枝か。粉ミルクじゃな。少し待て。そら、これでよいな」
「はい。お代金」
「うむ。釣りじゃ」
「ありがとうなあ」
「うむ。また来るがよい」
会話だけ聞いてると、お客さんと店員さんの会話には聞こえない。
「お客さんだったんだ。呼んでくれたらよかったのに」
「鈴太か。ちょっと特殊な客でな」
「今の女の人は、何て名前なの?」
「大塚野枝という。皆からは、のえ、とだけ呼ばれておるな」
「のえちゃん、じゃなくて?」
「うむ。人からは愚鈍と思われておって、誰も敬称をつけて呼ばぬ」
「もちろんご主人もだよね」
「野枝は独身じゃ」
「え? 今、粉ミルク買っていったんじゃ」
「想像妊娠、というようなものかのう」
「騒々しいニシン?」
「おぬし、妙なことに詳しいかと思うと、時々当たり前のことを知らんのう。本当は子などできておらぬのに、子が欲しいという思いが余って、本当に妊娠したかのような体の状態になることじゃ。吐き気がしたり、酸い物が欲しくなったりする。月のものが止まることさえある。野枝の場合は想像出産とでもいうのかの」
野枝さんという女性は、何をやらしてもとろくさくて、人からはばかにされてばかりだという。
料理は、さんざん時間をかけて正体不明の煮物を作る。焼き物を作っていたはずでも、最後には煮物になるのだそうだ。
裁縫をすれば、破れていない所を破ってしまい、縫い付けてはいけない所を縫いつけてしまう。
計算をすれば、絶対に合わない。
会話をすればとんちんかんで、さっき言われたことをもう忘れている。
ところがそんな野枝さんに特技がある。
〈花むしろ〉の職人さんなのだ。
野枝さんの家にはそこそこ広い土間があり、その真ん中に、いぐさの織機が鎮座してるらしい。倉敷市の何とかという場所から取り寄せた織機だ。
この織機を使って野枝さんが作る〈花むしろ〉は芸術品で、ランチョンマットほどの大きさの作品で、五万円ぐらいするらしい。十万を超える場合もあるという。
嘘みたいな話が、本当なのだ。倉敷にある民芸品店と専属契約をしていて、外国から来た観光客に絶大な人気があるらしい。
ぼくは、〈むしろ〉という言葉から、藁でできた粗末な敷物を想像してた。だって〈おこもさん〉っていうじゃん。最底辺の貧乏人でも、むしろぐらいは持ってるんじゃないの?
ところが、〈むしろ〉と〈ござ〉を一緒にすると、〈花むしろ〉の職人さんは烈火のごとくお怒りになるらしい。それぐらい、〈むしろ〉というものに誇りを持ってるんだ。もっとも、電子辞書で引いたら、〈花筵……花茣蓙に同じ〉とあったのは秘密だ。
いぐさって高級品なんだね。だから、畳表も本当のいぐさを使ったものは高い。
そんないぐさが、この里には自生してるんだ。
天逆川を越えて羽振村に入る直前の小道を、ずっと左のほうに進んでいくと、美泥沼という沼があって、そこに自生してるらしい。長さがそう長くないので、畳表なんかには使えないけれど、野枝さんは、そのなかで、これはと思ったものを切ってきて、それで〈花むしろ〉を作る。
天子さんの家は、美泥沼のさらに先にあるそうで、時々、野枝さんがいぐさを採っているのをみかけるそうだ。それが素人目にみてもふぞろいというか、色も艶もまちまちなんだそうだ。ところがそれを野枝さんが織ると、色調や艶のちがいが何ともいえない味になるんだって。
しかも、見取図というか設計図みたいなのを作らず、全部頭のなかで計算して模様を織り出すらしい。一種の天才なんだろう。
その野枝さんが、悪い男に引っかかった。
男は、ふらりとこの村にやって来て、野枝さんから搾り取れるだけ搾り取ると、そのままふいと姿を消した。
野枝さんがおかしくなったのは、それからだ。
時々、日持ちのしない食材を二人前買う。
人と話をしてて夕方になると、そろそろ帰って食事を作ってあげないと、あの人が、とか言って、急いで帰る。
そしてあるときから粉ミルクを買うようになった。
どうして粉ミルクを買うのかと訊いたら、こう答えたそうだ。
「おら、お乳の出が悪いけん」
そういう状態が、半年ぐらい続いてたんだそうだ。
もちろん、野枝さんの家から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたことはない。
こうしてぼくが野枝さんのことを知ったのは、ぼくがこの村に来て一週間もしないころのことだ。
3
「天子さん、おらの赤ちゃん、みなかったかのう」
「いや。知らんな」
「そうかあ。みんな、知らん、知らん、言うんじゃ。誰かが隠しとるんじゃあるめえなあ」
「人の赤ん坊を隠すような者は、この村にはおるまい」
「そうかのう。うちの人はみなんだかのう」
「みておらん」
野枝さんは、赤ちゃん、赤ちゃんとつぶやきながら、村の奧のほうに消えていった。
そんなことがあった翌日、野枝さんがまたやって来た。
「大師堂さんやあ」
大師堂、というのはわが家の屋号なのだそうだ。つまりこの場合、羽振家の当主であるぼくに呼びかけてるわけだ。野枝さんの家には屋号があるのかな?
「こんにちは、野枝さん」
とたんに野枝さんの顔が、ぱあっと花開いた。美人とはいえないかもしれないけど、笑顔はすごくいい女性だと思う。
「あんただけじゃあ。おらに、さんをつけて呼んでくれるのは」
「そうですか。それで、何かご用ですか」
「あそこじゃ。あそこじゃ」
野枝さんはぼくの先導をして店の北側に歩いていった。しかたがないので、ぼくもついてゆく。
「これじゃ。これ」
野枝さんが指さす先には、奇妙な形の石があった。
「これ、何かのう?」
「さあ? わかりませんねえ」
「草むらのなかに倒れとったから、道のきわまで持ってきて起こしたんじゃけえどな」
あんたが持ってきたんですか。というか、これ、ただの石でしょう。
「これが何かわかったら、教えてちょうでえよう」
「はいはい。わかったらお教えします」
「きっとじゃけえな」
そんな会話をしたものだから、翌日訪れてきた秀さんに、ふと聞いてしまったんだ。
「あの道端の石、何ですかね」
「ありゃあ、おめえ。〈こなきじじい〉じゃがな。裸じゃあおえんのう」
そう言って家に帰り、またやって来たかと思うと、赤い腹掛けのようなものを取りつけたんだ。
翌日、ぼくは野枝さんに教えた。
「あれは、〈こなきじじい〉だそうですよ」
「やっぱり! やっぱりそうじゃったんか。ありがてえ、ありがてえ」
野枝さんは、座り込んで手をすり合わせ、〈こなきじじい〉を拝みはじめた。
それからというもの、朝昼晩と、一日に三回、野枝さんは、〈こなきじじい〉を拝みはじめた。
赤ん坊の声で泣く老人の妖怪のどこがそんなにありがたいんだろう、と不思議に思ったけど、芸術家の感性はやっぱり一般庶民とはちがうんだ、と考えて自分を納得させた。
野枝さんが何を拝んでいるのか知ったのは、それから一週間ほどたってからのことだった。
「えっ? 〈こなきじぞう〉?」
「おぬし、野枝にあの石像は〈子無き地蔵〉じゃと教えたそうじゃな」
「えっ? ぼくが?」
「そうじゃ。子の無き者が願えば子を授けてくださるという、ありがたいお地蔵さんだと、野枝に説明したというではないか」
人間て、あまりに意外なことを言われると、頭のなかが真っ白になってしまうんだね。
ぼくは、しばらく、反論するどころか、まともに思考することもできなかったよ。
だけど天子さんは、渋茶をすすりながら、ぼくが再起動するのを待ってくれた。
「いや、そんなこと言った覚えはないんだけど」
「そうであろうな。じゃが、何かきっかけになることを言うておらんか?」
「え? きっかけ? ああ、そういえば、あの石像は何かと訊かれたから、〈こなきじじい〉の石像だよ、と教えてあげたけど」
「こなきじじい? 何じゃそれは」
「え? あの石像は、〈こなきじじい〉なんじゃないの? そう聞いたんだけど」
「誰にじゃ」
「秀さんに」
「ほう、お秀か」
「うん」
天子さんが、〈お秀か〉なんて言うと、ほんとに時代劇みたいな雰囲気がある。
「お秀が言うたのは、確かに〈こなきじじい〉であったのか?」
えっ?
「それはどんな字を書くのじゃ?」
えっ?
ほんとに〈こなきじじい〉かって聞かれても、ほかにどういう聞き方があると?
あ。例えば、〈爺〉じゃなくて〈獅子〉とか?
それに、どんな字を書くって言われても。
まあ確かに、どんな漢字か確認はしなかったけどね。
〈子泣き〉のほかにどんや漢字があるっていうんだ?
〈小啼き〉?
〈粉黄〉?
〈粉黄獅子〉?
あるか! そんなもん。
〈こなきじじい〉っていえば、〈子泣き爺〉に決まってるじゃないか!
「この辺りで子泣き爺をみたことはないしのう」
え?
今のご発言に、どういうリアクションを取れと。
「と、とにかく。そう聞こえたんだ。それに、ぼくは、〈子の無き者が願えば子を授けてくださるという、ありがたいお地蔵さん〉だなんて説明はしてないよ!」
「野枝は、人の言うことを、めったに聞かぬ」
「はい?」
「じゃが、ごくたまに、まことに素直に人の言うことを聞き入れることがある」
「はい?」
「そして一度聞き入れたが最後、二度と訂正は受け付けぬ」
「いや。それでぼくにどうしろと」
「生まれるかもしれんな、本当に子が」
ここに至ってぼくは、天子さんにからかわれているのだと、ようやく気づいた。
それで脱力して。
その後お客さんから電話があったりして、この会話そのものも、すぐに忘れ去ってしまった。
だから、そのとき天子さんが本気だったかもしれないなんてこと、考えもしなかったんだ。
4
相変わらず野枝さんは、毎日三回やって来て、〈こなきじじい〉を拝んでる。いや、野枝さんにとっては、〈子無き地蔵〉か。
最近は、布巾を持って来て、石像を上から下まで、ごしごし磨き上げている。
たぶん、あの石の材質じゃあ、布巾がぼろぼろになるだけで、あんまり石像は奇麗にならないと思うんだけど。
赤ちゃんがいないと言って探し回るようになってからこっち、野枝さんは粉ミルクを買わなくなった。今は、こどもがいなくて、一生懸命こどもが授かるようにお願いしている状況だ、という自己認識なんだろうな。
こどもが欲しければ、地蔵尊を拝むよりほかにすることがあるだろうとも思うけれど、たぶん、それができないから、やたら神仏にすがるんじゃないかと思う。
野枝さんは、決してみにくい容姿をしてるわけじゃない。普通の顔だちをしているし、普通のスタイルをしている。
ただ、女らしさが欠如している。
いや、ちがうな。人間らしさが欠如してるんだ。
うーん。それもちがうか。どう言えばいいんだろう。
とにかく、野枝さんの顔をみると、何かが抜け落ちちゃった人だということが、一目でわかるんだ。
変な宗教に心を持っていかれちゃった人のような感じ、とでもいえばいいんだろうか。 そこから感じる無機質さというか、気色悪さが、どうにも野枝さんから〈女性〉を感じることを困難にしてる。
この人を、詐欺目的とはいえ恋人扱いできた男の人というのは、腹が据わってると思う。いや、褒めちゃいけない人だけど。この野枝さんに、優しい言葉や甘い言葉をささげ続けたんだろうか。プロってすごいなって、つくづく思う。
「大師堂さんやあ。手ぬぎい、ちょうでえ」
「はい。前と同じのでいいですね」
「ありがとうなあ」
ちゃんとした岡山弁では、〈てぬぐい〉は〈てぬぎい〉と発音される。〈ちょうだい〉は、〈ちょうでえ〉と発音される。これが最初は非常に聞き取りにくかったのだが、慣れてくると、〈てぬぎい〉は〈てぬぐい〉に、〈ちょうでえ〉は〈ちょうだい〉に脳内変換されて聞こえてくるようになった。脳の働きって偉大だ。
野枝さんの家は知らないんだけど、村の南西の端のほうにあるそうだから、ここまで歩いて二十分か、ひょっとしたら三十分ぐらいかかると思う。それを一日三回もやってくるんだから、きっとその願いは深いんだろう。
〈子無き地蔵〉を磨き上げる野枝さんをみる、天子さんの目つきが厳しいことに、ある日気づいた。どうしてあんなに怖い目でみるんだろうと思った。
野枝さんが帰ったあとに〈子無き地蔵〉をみる目も怖い。つまり、天子さんのあの恐ろしい視線は、野枝さんにというより、〈子無き地蔵〉に向けられたものなんだろう。
毎日、毎日、野枝さんは〈子無き地蔵〉を磨きに来た。
ぶつぶつぶつぶつ何かをつぶやいているけど、あれはきっと、こどもが欲しい、こどもを授けてくださいと、お願いしてるんだろうと思った。
そんなある日、事件は起こったんだ。