後編
14
翌日、ぼくは転輪寺に呼び出された。
なんと、これから成三さんの法要があるっていうんだ。
昨日帰ったときは時間が遅かったので、今朝、耀蔵さんは成三さんのご遺骨を持って転輪寺に行った。未成さんも、成子さんも、達成さんも一緒だ。成仏するように法要をやってくれと頼んだところ、いつがいいかという話になった。
「今日じゃ、だめですか。うちの子たちも孫たちも、今日なら全員いるんですけど。大学に行ってる末娘もたまたま帰ってるし」
そう未成さんが言ったそうだ。そういえば、今日は日曜日だ。家族が家にいる可能性は高い。そして、どこの家族も今日なら全員そろうという。今日がいいという話になり、和尚さんもそれでいいと返事したので、急遽法要が行われることになり、今、親族一同に声をかけてる最中だということだった。
いや、ぼくは親族じゃないんですけど。
「天子さん。こういうときは、お香典をさせてもらったらいいのかな。それともご霊前? ご仏前?」
「何も持っていかんでよいと思うぞ」
「そういうわけにはいかないでしょ」
「おぬし。妙なところで律義じゃな。幣蔵に似ておる」
「え?」
結局、ご霊前と表書きした金封に一万円を入れて持っていった。
店にあった金封だ。こういうとき、支払いはどうなるんだろう。
受付がなかったので、ご焼香のとき、仏前にそっとお供えした。
意外に大勢の人がいた。そりゃそうだ。耀蔵さんは一人暮らしだけど、足川家も駒田家も新居家も、家族全員が列席してる。特に足川家は、こどもが六人と孫が十二人いた。ご主人の弟さんという人も二人来てた。
法要の途中で、びっくりすることが起きた。
お経をあげてる持言和尚さんの前方上空に、ぽわんとぶらり火が浮かんだんだ。
成三さんだ。
ふしぎなことに、ぶらり火は、怒っているように感じた。
しばらくみてたけど、やっぱり怒ってる。
しかも、その怒りは段々強まってる。
ぼくは思わず、心のなかでぶらり火に話しかけた。
(成三さん。もしかして、怒ってませんか)
(怒っている。オレは怒っている)
(どうして怒ってるんです? みつけてほしかったんでしょ?)
(そうだ。オレはオレをみつけてほしかった)
(なら、みつけてもらったんだから、よかったじゃないですか)
(そうだ。よかった。でも、よくない)
(何がよくないんですか?)
(オレはほうっておかれた。長いあいだ。オレは長いあいだほうっておかれた)
(ほうってたんじゃありませんよ。みんな心配してたんです)
(心配してた?)
(そうですよ。お父さんの耀蔵さんも、叔母さんの未成さんも、お姉さんの成子さんも、弟さんの達成さんも、みんなみんな心配してたんですよ)
(未成叔母さんや、姉さんや達成が、心配してた?)
(みんな、ずっと成三さんのことを心にかけてたんですよ)
(それなら、どうして迎えに来てくれなかった。オレを冷たい場所にほうっておいた)
(行ったじゃないですか。知らせがいったらすぐに駆け付けたじゃないですか。すべてを放り出して、成三さんを迎えにいったじゃないですか!)
(すべてを放り出して、オレを迎えに来た?)
(そうですよ)
(……なら、どうして、みんな幸せそうなんだ?)
(えっ?)
(オレは死んでしまったのに。オレは冷たくなったのに。どうしてみんなは幸せそうなんだ)
(幸せでいいじゃないですか)
(なにい?)
(成三さんは、小さいとき、未成さんに幸せにしてもらったんじゃないんですか?)
(未成叔母さんに、オレが?)
(未成さんとの思い出があるんじゃないんですか?)
(思い出? ……ああ、そういえば、よく歌を歌ってくれたなあ)
(歌を歌ってくれたんですか? 未成さんに歌を歌ってもらったんですか?)
(叔母さんは、とっても歌がうまいんだ。いい声をしてるんだ)
(いい声ってどんな声なんですか)
(つややかで、なめらかで、りきまないけど存在感のある、素晴らしいアルトなんだ)
(歌がお上手だったんですね)
(関西二期会の正会員だった)
(プロか!)
(そういえば、オレは叔母さんの歌を聞いて音楽が好きになり、ペットを始めたんだった)
(いい叔母さんだったんですね)
(自慢の叔母だ)
(成子さんはどうなんですか? 達成さんはどうなんですか? いい思い出があるんじゃないんですか?)
(もちろんだ。もちろん、いい思い出がある。いい思い出ばっかりだ)
(なら、未成さんや、成子さんや、達成さんが幸せになったら、成三さんも幸せですよね?)
(オレが、幸せ?)
(成三さんを幸せにしてくれた人が幸せになれたら、成三さんも幸せに決まってるじゃないですか)
(そうか。決まってるのか。オレは、幸せなのか)
(そうですよ。幸せな人生だったんですよ)
(そうなのか。オレの人生は幸せだったのか)
(ええ)
(なら、オレはもう消えていいのか?)
(ええ。……いや! まだだめです。まだすることがあります)
(何を、オレは何をすればいい?)
(お礼を言わなくちゃ)
(お礼?)
(ありがとう、ってお礼を言うんです。オレを幸せにしてくれてありがとうって)
(ありがとうって言うのか。誰に?)
(未成さんに。成子さんに。達成さんに。そしてお父さんに)
(おやじ? おやじに礼を言うのか? オレが)
(そうです。お父さんをみてごらんなさい)
(おやじを? おやじの何をみる?)
(うなだれているでしょう。がっくりしているでしょう。あなたが死んで、残念で残念でたまらないんです。そんなお父さんをそのままにして、あなたは消えてしまうつもりですか?)
(おやじをそのままに? うなだれたままに? いや、だめだ。そんなのはおやじじゃない)
(だったら、言うんです)
(何を? オレは何を言えばいい?)
(ありがとう。おれはおやじの息子に生まれて幸せだった。ありがとう。そう言うんです)
(そう言えばいいんだな?)
(はい)
(そうか。そうする。お前もありがとうな)
(どういたしまして)
強く燃えていたぶらり火は、やさしい色の炎になって、そしてふわりと消えた。
15
翌日、足川未成さんが訪ねてきた。足のぐあいは、だいぶいいみたいだ。
「昨日は、ほんとうにありがとう。いえ、昨日だけじゃない。今回のことでは、あなたにはどんなに感謝しても感謝しきれない。ありがとうござました」
「いや、そんな。頭を上げてください」
「これからますます、この店をひいきにするわ」
「毎度ありがとうございます」
「あら、ふふ。ところで、あなた」
「はい?」
「みえてたんでしょう?」
「何がですか?」
「火の玉、みえていたんでしょう?」
「えっ」
「何か、話してたわよね?」
「いえ、あの」
「話してたでしょう。けっこう長いあいだ」
「は、はあ」
「そのあと、火の玉は、やさしい色になって、そして消えた」
「き、消えたんですか」
「消えたわよね」
「消えましたね」
「何を話してたの?」
「いや、それは」
「教えてくれるわね」
結局ごまかしきることができず、ぼくは正直に成三さんとのやりとりを伝えた。
そのあとが大変だった。
いきなり店先で号泣しはじめちゃったんだよ!
通行人の白い視線がぼくに突き刺さること、突き刺さること。痛い、痛いってば。もう、どうしていいかわからない。
でも、しばらくすると落ち着いて、ぼくが差し出したティッシュボックスから、次々ティッシュを抜いては鼻をかみながら、教えてくれたんだ。
あの夜、成三さんが、夢に現れたんだそうだ。笑顔で。
「叔母さん、歌を歌ってくれてありがとう、オレを幸せにしてくれてありがとう」
そう言って、トランペットで得意な曲を一曲演奏して、そして手を振って消えたんだそうだ。
成三さんて人、意外と義理堅いな、と思った。
16
その二日後、今度はなんと佐々耀蔵さんが来た。
「大師堂、世話になった。この通りだ」
「い、いや、そんな。頭を上げてください」
「未成の次男を養子にもらうことになった。それに佐々家を継がせる」
「あっ、そうなんですね。おめでとうございます」
「ふん。めでたくもねえけどな。まあ、それだけ伝えとく。和尚にもよろしく言っといてくれ」
「はい」
耀蔵さんは立ち去りかけて立ち止まり、顔だけ振り返って、何かを言いかけた。
「あの晩な」
「はい?」
「夢に……いや。何でもねえ」
そして結局続きは言わないまま帰っていった。
それにしても、〈大師堂〉って、いったい何なんだろう?
「大師堂というのは、羽振家の屋号じゃな」
「あ、天子さん。ぼくの心を読んだの? やごう、って何?」
「屋根のやに、号令のごうで、屋号。家のニックネームじゃな」
「へえ?」
「この里の古くからの家には屋号がある。名乗れるのは本家だけじゃがのう」
「そうなんだ。じゃあ、屋号でぼくを呼んだんだ」
「そういうことじゃ」
「どうして名前でなく屋号で呼んだんだろう?」
「一つには、おぬしを羽振家の当主と認めたということじゃ。もう一つには、敬意を表したのじゃな」
「敬意?」
「佐々家の屋号は〈南廼家〉という。南側の家じゃな。この村のしきたりでは、屋号は〈堂〉が一番格上で、〈屋〉がその次、〈家〉がその次となっておる。お前を〈大師堂〉と呼んだのは、格上の家の当主として扱うたわけで、あの男の精いっぱいの敬意の表現なのじゃ」
「ふうん?」
「よくわかっておらんようじゃの」
「うん。でも、佐々さんの機嫌が悪くないのはわかるよ」
「それがわかっておればよい」
17
「法師どの。いや、このたびは驚かされた」
「ほう? それだけ長生きして、まだ驚くことがあるんか」
「法師どののほうが、少し年上であろうに。鈴太について東京に行ったのじゃ」
「やっぱりか。そうじゃないかとは思っとった」
「四日ばかり成三を探して歩き回り見つからず、通りがかったところに手がかりがあった。じゃが鈴太はそれに気づかず、通り過ぎるところじゃった」
「ふむふむ」
「そのとき、鈴が鳴ったのじゃ」
「鈴? 〈和びの鈴〉か?」
「そうじゃ。かのおかたの鈴じゃ」
「かのおかたの鈴を、東京に持って行ったのか?」
「いや。鈴はこの里に置いたままじゃ」
「なんとのう」
「しかも、鈴太のほうで働きかけたのではないのに鳴った。鈴のほうが勝手に鳴ったのじゃ」
「ということは守護霊の働きか」
「あるいは、鈴太の霊力がよほど高く、鈴が強く感応しておるからかもしれぬ」
「これは、いよいよ本物じゃなあ」
「本物じゃ」
「ならば、この里の秘密を教えるか」
「教えてよいと思う。が、今少しようすをみる」
「そうか」
「そうじゃ」
「こちらも鈴太には驚かされた」
「ほう。言うてみよ」
「成三の法事をやった。まあ事実上葬儀みたいなものじゃ」
「知っておる」
「読経の最中、ぶらり火が現れおった」
「なに? 転輪寺にか? しかも法師どのの目の前に?」
「そういうことじゃ。かなり力を持ったぶらり火じゃった。しかも悪念にとらわれかけておった」
「そうなってしもうたか。ならば法師どのが祓うたか」
「いや。鈴太が言い聞かせた」
「は?」
「言葉で道理を説いて聞かせ、荒御霊となりかけておったぶらり火に、お前は幸せなのだと納得させた」
「言葉だけでか? そんなばかな」
「そして、消える前に、叔母と妹と弟と父に、自分を幸せにしてくれてありがとうと礼を言え、と説き聞かせた」
「……まことの話か?」
「あんなのははじめてみたわい。鈴太は、格別の力は何も持ち合わせておらんし、あやかしを調伏するわざも学んでおらん。じゃが、言葉の力であやかしを鎮めることができる」
「驚いた」
「一つ思ったことがあるんじゃ」
「言うてみよ」
「鈴太は、その気になれば、とてつもないプレーボーイになれるかもしれん」
「それは勘違いであろう」
「それにしても、あのぶらり火の妖気の強さは尋常ではなかった」
「たかがぶらり火が?」
「たたがぶらり火がじゃ」
「そのようなことが、あるものなのであろうか」
「あったのじゃ」
「するとこの前の幽谷響も、やはり強い妖力を持ったまま結界を通り抜けたのかもしれぬな」
「そうかもしれぬ」
「結界の力が弱まっておるのか?」
「それはおぬしのほうが得意な方面の術じゃないか。どうなのじゃ?」
「弱まっておるようには感じぬ」
「そうじゃろうなあ。わしもじゃ。満願成就も近いというのに、いったい何が起きておるのか」
「何かが起きておる」
「こんなときに、〈はふり〉の血を引く鈴太が帰って来てくれたというのは、どういうことなのかのう」
「鈴太に多くを求めすぎるでない」
「天狐よ」
「何かな、法師どの」
「かのおかたのお徳は広大じゃ。われらは長生きはしておっても、その知恵は知れたもの」
「いうまでもない」
「起こることには意味があるのじゃ。その意味をねじ曲げてはなるまいぞ」
「聞いておこう。じゃが、鈴太の身に危難が迫るようなら、わらわはその意味とやらに逆ろうても、鈴太を守る」
「よきかな。それでこそ天狐よ」
「いつ終わるのであろうかのう」
「明日かもしれんぞ」
「明日かもしれぬ。来年かもしれぬ」
「油断するまいぞ」
「うむ。油断するまいぞ」
「おう」
「第3話 ぶらり火」完/次回「第4話 こなきじじい」