中編2
9
翌朝、早便のバスで村を出た。
バスが出発するとき、ふと佐々家のほうをみたら、耀蔵さんが庭側のサッシを開けて、立ったままバスのほうをみている。思わず会釈した。
「達成さん、耀蔵さんがみおくってくれてますよ」
「えっ? あ、ほんまじゃ」
達成さんは、とっさのときには岡山弁が出るようだ。
「そんなことする人じゃねえんじゃけどなあ」
「東京に成三さんを探しに行くって話、しました?」
「いや。私はしてないです」
あ、標準語もどきに戻った。
「けど、叔母さんと姉さんには、昨日晩、電話して、今朝の早便のバスで東京に行くということと、案内役で鈴太さんがついて来てくれるという話はしました。父さんに話すとしたら、叔母さんでしょうか」
もしかして達成さんは、〈きにょう〉というのを標準語と思ってるんだろうか。それとも、〈きのう〉と発音しているつもりで〈きにょう〉と発音してるんだろうか。どっちにしても、おもしろいからそのままにしとこう。
バスのなかは、小学生が一番多く、中学生がその次で、高校生が一番少ない。そのほか、お勤めに行く人も何人か乗ってる。
達成さんは、やたらと気を遣ってくれた。バスを乗り換えるときも、お菓子やら飲み物やら、果ては漫画雑誌まで買ってくれた。岡山駅に着いたときも、まず新幹線の指定席を買ってくれて、それから駅弁を買ってくれた。
「この駅ならではの駅弁ってありますか?」
「うーん。祭り寿司でしょうか」
祭り寿司は、大変おいしゅうございました。
10
東京駅に着くと、達成さんは、急に挙動不審になり、ぼくの背中に隠れるようにして、あちこちをみまわしていた。
山手線で池袋に行き、私鉄に乗り換えて、四つ目の駅で降りた。
わずか三か月前まで住んでた町なんだけど、なんだかよそよそしい感じがした。それでも、行きつけの喫茶店や書店をみると、すごく懐かしい気分になった。
葉書を頼りに、成三さんの住んでいたアパートを探す。時々電柱に貼ってある住所表示で位置を確認する。
そもそも、羽振村を出る前に、グーグル先生に住所の位置は教えてもらってたから、だいたいの場所はわかってる。
あ、やっぱりここだ。
グーグルマップをみて、そうじゃないかとは思ってたんだ。
行きつけの居酒屋の隣だ。
バイト代が入ったとき、この居酒屋の昼定食のカツ丼を食べるのが、最高の贅沢だった。懐かしいなあ。まだランチタイムだから、新幹線のなかで祭り寿司を食べたんでなきゃ、ここでカツ丼を食べたんだけど。失敗したかも。
さて、確かに住所の場所に来たんだけど、アパートがない。
ここにアパートなんかあったかなあ。どうだったっけ?
「鈴太さん。ここですよね? 地図の場所、ここを指してますよね」
「ええ。でも、アパートがないですね」
「アパート、どこに行ったんでしょう?」
いや、アパートがどこかに行ったりはしないと思う。
うん。
こういうときは、知ってる人に訊かなきゃね。
「達成さん。この店で訊きましょう」
「えっ?」
とまどっている達成さんにかまわず、ぼくはのれんをくぐって居酒屋にはいった。
「らっしゃい! お、久しぶり」
「お久しぶりです」
ランチタイムは夜に比べれば店員さんが少ない。その店員さんのなかで一番若い人が声をかけてきた。この人が実は店長さんなんだ。
「今日はお客じゃないんです。あのですね、この葉書の住所みてもらえますか。このアパート、ないみたいなんですけど」
「あ、これね。覚えてない? 前は隣にあったんだよ。だけど、持ち主が死んじゃって、あとを継いだ息子が売り払っちゃってね。今はビルが立ってる。前は木造の二階建てのアパートだったよ。角の所に松の木が立ってた」
そう言われて思い出した。前は確かにアパートがあった。それに、ビルを建てる工事をしてるときも、何度も前を通ったんだった。
「アパート取り壊したのって、いつごろでしたっけ?」
「うーん。二年ぐらい前だったかなあ。今のビルができてからは一年ちょっとだよ」
つい先ほどまでは、この住所に行けば、成三さんに会えるものと思ってた。もし引っ越ししてたとしても、問い合わせればゆくえはわかるだろうと思ってた。ところが手がかりが切れてしまった。
ぼくは呆然としたけれど、すぐにあることを思い出した。
「そうだ! 達成さん。写真を。成三さんの写真を持って来てたよね?」
「えっ? ああ、持って来てます」
「出して」
「はい」
だからどうして年下のぼくに、そう丁寧なの?
「店長さん。この写真みてください」
「うん。この写真の人がどうかしたの?」
「この人は新居達成さんといいます」
「こんにちは」
「は、はじめまして」
「写真の人は、達成さんのお兄さんなんだけど、音信不通になっちゃったんです。それで岡山のほうから探しに来たんです。隣がアパートだったときに住んでたんで、この写真は十年ほど前のものらしいけど、店長さん、みおぼえないですか?」
「うーん。うん? ああ、この人。覚えてるよ。もっと髪を伸ばしてたけどね。時々夜来て、日本酒を飲んでた。楽器のケースのようなものを、いつも持ってたような気がする」
「やっぱり。こんなに安くてうまい店の隣に住んでて、来ないわけないと思った」
「うれしいこと言ってくれるねえ」
「それで、この写真の人を、最後にみかけたのはいつですか?」
店長さんは、ほかの店員さんも呼び集めて、そのことを訊いてくれたけど、誰の記憶もはっきりしないようだった。ただ、アパートが取り壊される直前までは、時々この店で飲んでたようだ。
「この人がどこに行ったかなんて、わからないですよね」
「うーん。あんまり長居をしない人だったし、ほとんど話をしたことはないんだ。お役に立てなくて、悪いね」
「アパートの大家さんの息子さんて人の連絡先とか、わからないですよね」
「わからないなあ」
11
その後、ぼくたちは喫茶店に入り、相談した。
「羽振さん。どうしたらいいでしょうか」
「まずは、その大家さんの息子さんを探すことでしょうかねえ。アパートを取り壊すについては、住民に出ていってもらわないといけないわけで、行き先を斡旋したか、そうでなくてもどこに行ったか知ってる可能性があります」
「そ、そうですよね! なるほど。息子さんて人に訊けば、兄さんのゆくえがわかりますよね!」
「わかる可能性は高くないと思いますけど、とにかく訊いてみたいですね。それと、不動産屋さんですね」
「不動産屋?」
「息子さんて人が直接転居先を紹介できるとは思えないので、どこかの不動産屋さんに斡旋を頼んだはずです。あるいは、成三さんが直接斡旋を頼んだかもしれません」
「そうか! 羽振さん、よくそんなこと思いつきますね」
いや、誰でも思いつくと思うよ。
それから近くの不動産屋さんを検索したけど、意外にたくさんあった。
そのうち二軒を訪ねたけど、何の手がかりもなかった。
夕方になったので、池袋に移動してホテルを取り、居酒屋で食事して寝た。
12
翌日は朝から不動産屋を回った。
全然手がかりはつかめなかった。
昼は、あの居酒屋でカツ丼を食べた。
おいしかった。
「どう? 何かわかった?」
「あ、店長さん。今のところ手がかりなしです」
「そう。大変だね。頑張ってね」
「ありがとうございます。カツ丼、おいしいです」
「うんうん」
「もしかして、ちょっと大盛りにしてくれました?」
「それは秘密」
結局、二日かけて不動産屋さんを回った。範囲を広げてたくさんの不動産屋さんに行ったけど、何も得られなかった。
ほんとはこのとき、殿村さんに電話して相談したら、何かいい方法を教えてもらえたのかもしれない。だけど、そのときは、そんなこと思いつかなかった。
だから、歩き回るしかなかったんだ。
夕方、池袋に帰って、食事しながら相談したけど、二人で知恵を絞った結果出た結論は、アパートがあった周辺で聞き込みをするという、何のひねりもないものだった。
翌日は朝から聞き込みをした。だけど空振りばっかりで、午前中で近所を回り終えてしまった。
「帰ろうか」
力なく言ったのは達成さんだ。
「ええ」
ほかに返事のしようもなかった。
二人は私鉄の駅に向かった。
「おい、羽振」
改札から出てきた人物に声をかけられたけど、がっかりしてたし、ぐったりしてたし、ぼくの脳細胞は、すぐには反応しなかった。
「羽振!」
「え? あっ。間島」
それは高校の同級生だった。
「久しぶり。今、どうしてんの?」
「あ、岡山に実家があって、そっちにいる」
「大学はどうなったんだよ」
「落ちたの知ってるだろ」
「まさか京大一本だったのか?」
「うん」
「なんちゅう自信」
いや。自信じゃなかったんだけどね。
「だから、今働いてる」
「働いてる? まあ、前からバイトはしてたみたいだけど」
「お前は?」
「これから大学。今日の講義は昼からだから」
そういえば、ここには日本有数の学生数を誇る大学の芸術系の学部があったんだった。
「大学、楽しいか?」
「おお、楽しいぜ。特に五時以降が」
「何だよ、それ」
「お前も、今年はまた受験すんだろ?」
「うーん。たぶん、しないと思う」
「何でだよ。もったいない。お前、京大でも充分合格圏内だったはずだろ? 体調でも崩してたのか?」
「いや、実力だよ」
そんな話をしばらくしたが、講義の時間が迫っているらしく、間島は別れを告げ、あわただしく去っていった。
「羽振さん。高校を出たばっかりだったんですね」
だから、何でそんなに丁寧なんですか。
「ええ。まあ」
「年上かと思ってました」
そんなわけないだろ! と心のなかで突っ込んだ。
その後は特に会話もなく、池袋駅についた。
JRに乗るには、一つ上の階に上らないといけない。その階段に差しかかったとき、音が聞こえた。
ちりーん。
「えっ?」
「羽振さん、どうしました?」
「今、何か聞こえました?」
「特には、何も」
おかしいなと思いながらも、もう一度階段に向かって歩きだそうとした。
ちりーん。
ぼくは立ち止まった。この音は無視しちゃいけない気がしたんだ。
振り向いて、今来た方向に戻りはじめた。
「えっ? えっ? 羽振さん。どうしたんですか? 忘れ物ですか? あ、カツ丼を食べに行くんですね」
ちりーん。
また鈴の音が聞こえた。
「達成さん」
「はい」
「鈴の音、聞こえてませんよね」
「鈴? ええ。聞こえてません」
ぼくは立ち止まって、周囲をみまわした。
そして、壁の貼り紙に気がついた。
四日間、ここを毎日往復してたけど、こんな貼り紙があるなんて、気づいていなかった。
その貼り紙は、尋ね人の貼り紙だった。
三年前の五月二十五日から六月三十日にかけて、近辺で五件の通り魔事件があった。そのうち、この場所で六月一日に刺された人が死んだ。身元がわからないので、心当たりの人がいたら届け出てほしい、という内容だ。
死んだ人は、三十歳前後の長髪の男性。デニムのシャツとウインドブレーカー、ジーパンとスニーカーという姿で、トランペットを携帯していたと書いてある。
そして、容姿の特徴が添えてある。
成三さんは、死んでいたんだ。
13
警察署に行ったぼくたちは、写真をみせて、こちらの事情を説明した。警察署では何枚も写真を撮っていて、達成さんが、成三にいさんにまちがいありません、と言った。
驚いたことに、知らせを聞いて耀蔵さんがすぐに飛んできた。しかも、足川未成さんも、駒田成子さんも一緒だ。未成さんのご主人が、岡山駅まで車で送ってくれたらしい。
耀蔵さんたちが着いたのは、もう夕方というより夜だったけど、警察ではきちんと対応してくれた。
まずは、事情聴取と書類の記入があった。遺品を引き渡された。成三さんの商売道具だったというトランペットと、あとは身につけていたものだけだった。財布もスマホもなかったという。犯人が持ち去って、処分してしまったらしいということだった。
ご遺体は火葬されていて、ご遺骨は社会福祉法人が管理しているという。引き取りは翌日ということになった。五年たつと無縁墓地に葬られてしまうけど、今ならまだご遺骨を引き取れるんだそうだ。
ぼくたちは、ホテルに部屋を取った。
未成さんと、成子さんと、達成さんから、すごくお礼を言われた。みつかってよかったですねえとも言えず、返答に困ってしまった。
耀蔵さんは、ほとんど口をきかなかった。
「にいさんの前に成三が現れたの、ちょうど三年目の命日だったんですね」
未成さんが感慨深げにいうと、耀蔵さんは、膝の上で握りしめたこぶしを震わせていた。
翌日ご遺骨を引き取りに行った。そのとき警察から驚きの情報があった。
なんと、成三さんが住んでいたアパートの大家さんの息子さんの連絡先を教えてもらえたのだ。
池袋警察、恐るべし。
だって、まだ半日だよ。どうやって探したの。
息子さんのほうには、すでに警察から連絡がいっていて、耀蔵さんが電話すると、成三さんの荷物を残してあるから、よかったら取りに来てくださいと言われた。
なんと息子さんは、もとのアパートから目と鼻の先に住んでた。
このビルには、達成さんと来て、これこれの人を知りませんかと訪ねたのだ。だけど守衛さんは、知らない、としか言わなかった。たぶんほんとに知らなかったのだろう。
カラーボックスとか、ファンシーケースとか、布団なんかは処分しちゃったそうだ。食器とかも処分しちゃったそうだ。残ってるものは、それも成三さんのものだという鞄一つに入っていた。
荷物のなかに、写真のアルバムがあった。それを開いた耀蔵さんが、世にも恐ろしい顔で写真をにらみつけている。何が写ってるんだろうと思って横からのぞきこんだら、耀蔵さんと成三さんが二人で写ってる写真だった。もしかしたら、耀蔵さん、涙をこらえてるの?
「本当にありがとうございました。このお礼はあらためて」
未成さんが頭を下げると、息子さんは人のよさそうな笑顔を浮かべて手を振った。
「いやいや、お礼なんて。突然帰ってこなくなったそうで、私としても、どうされたのかと心配してたんですよ。通帳と印鑑も残ってましたしね。でもまさか、通り魔にやられてたなんてねえ。お気の毒です」
そのあと一行は、駅前の居酒屋に行った。
事情を話してお礼を言った。みんながお礼を言った。
店長さんはじめ店員さん一同がお辞儀してくれた。そして、耀蔵さんにお悔やみを言い、でもみつかってよかったですねえ、と言った。
達成さんが、ここのカツ丼が美味しいんですと褒めたたえたので、ランチタイムはとうに終わってたんだけど、人数分カツ丼を作ってくれた。店長さんは、お代金はサービスです、お供えですと言ったけど、耀蔵さんが代金をぜひ払わせてくれと言ってた。
こうしてぼくたちは、東京をあとにしたんだ。