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羽振村妖怪譚  作者: 支援BIS
第1話 天狐(てんこ)
1/90

前編

1


 ぼくは、大学受験に失敗してしまった。

 就職先を探しているんだけど、なかなかみつからない。

 今住んでいるアパートは伯父さんの持ち物だ。老朽化が進んでいて、建て替えることになっている。

 建て替えるあいだ、伯父さんは自分の家に住めと言ってくれてる。けど正直言って、伯父さんの家には、行きづらい。何しろ伯父さんの長男の幸一(こういち)さんは去年結婚したばっかりだ。伯父さんの家に行けば、新婚さんと同居することになる。それに、伯父さんは好きなんだけど、伯父さんの奥さんは苦手だ。

 といっても、ほかにどうしようもない。

 アルバイトはしてるけど、家賃と生活費を稼げるほどじゃない。今までだって、伯父さんが自分のアパートにただで住ませてくれたし、援助もしてくれたから、高校を卒業できた。

 こんなときには、父さんや母さんが生きていたらと思う。でも死んでしまったものはしかたがない。母さんに優しい兄さんがいたことに感謝するべきだろう。

 大学に行けたら、生活費は自分で何とかするけど、学費は伯父さんが出してくれることになっていた。でも伯父さんの本業の自動車修理工場は、あんまりうまくいってないようだ。それなのに、幸一さんと同居するために、びっくりするほど大規模な改修工事をやったばかりだから、大変だと思うんだ。

 だから、大学受験に失敗して、ちょっとほっとしてる。もし合格しちゃったら、四年間、肩身の狭い思いをすることになったはずだ。

 あとは仕事をみつけて自立すればいい。

 だけど、その就職先がみつからない。

 そうこうしているうちに、アパートの取り壊しの日が近づいて来た。


2


 そんなある日、弁護士を名乗る人が訪ねてきた。

「弁護士の殿村(とのむら)隆司(りゅうじ)と申します」

「は、はい」

羽振鈴太(はぶりりんた)さまですね」

「はい」

「失礼ですが、お父さまのお名前を教えていただけますか」

「羽振弓彦(ゆみひこ)です」

「お母さまのお名前は?」

鶴枝(つるえ)です」

「ああ、やっぱり。やっぱりあなたがそうでしたか。今になってみつかるなんて。でも間に合ったというべきなのか」

「あの……?」

「羽振弓彦さまの出生地をご存じですか?」

「いえ。知らないんです」

「弓彦さまのお父さま、つまりあなたのおじいさまのことはご存じですか?」

「いえ。聞いたことがありません」

「そのおじいさまが亡くなられました。鈴太さまには、ぜひそのご葬儀にご出席いただきたいのです」


3


 バイト先の店長に電話を入れ、数日間休みを取らせてもらった。

 殿村さんも、どこかに電話をかけていた。

 そして、あわただしく出発して東京駅から新幹線に乗り、岡山に向かった。

 まっさきに殿村さんがしたことは、駅弁を買うことだ。

 駅弁て、おいしいんだね。知らなかった。

 道中、いろいろと話を聞かせてもらった。

 殿村さんは、何年も前からお父さんのゆくえを探していたらしい。

 お父さんは、何回目かの引っ越しのときから、住民票を移していなかったそうだ。

 住んでいたアパートの大家さんが亡くなってしまって、そこから追跡がむずかしくなった。

 伯父さんの家には何度か連絡をとったのだという。

 そのたびに伯母さんが対応して、お父さんとお母さんがどこにいるか知らないし、連絡もとれない、と答えたらしい。真っ赤な嘘だけど、あの伯母さんなら、いきなり弁護士さんから電話があったら、そういう対応をするかもしれない。

 だから、殿村さんは、お父さんとお母さんが死んだことも、つい数日前まで知らなかった。おじいさんの容体が悪化して、もう一度区役所に問い合わせをして、お父さんとお母さんが五年前に死んでいたことを知り、伯父さんの家を訪問して、ついにぼくのことを突き止めたというわけだ。

 一通り事情を話してくれると、今度はいろいろ質問してきた。

 ぼくが覚えてるかぎりのぼくの人生について、話をした。

 殿村さんは、ぼくがどんな暮らしぶりをしているか、伯父さんと伯母さんがどんなふうに手助けをしてくれているかなどを、いろいろ訊いてきた。

 お父さんとお母さんが亡くなった交通事故について、あれこれ質問してきた。

 保険金も見舞金もなかったと話すと、ちょっと変な顔をしていたけど、ほんとになかったんだからしかたがない。

 岡山駅で殿村さんはタクシーを拾った。

 これにはびっくりした。

 だって、岡山駅からバスで一時間半かかる地方都市があって、おじいちゃんの住んでいた村は、そこからさらにバスで一時間近くかかるって聞いた。

 つまり、二時間半タクシーに乗るってことだよ!

 まさかその料金はぼくに請求してくるんじゃないだろうなと、窓の外のみなれない景色をみながら、ずっと不安に思ってたことは内緒だ。

 やがてタクシーは、ぼくでも名前ぐらいは聞いたことのある地方都市に着き、そこからさらに山奥に進んだ。

「距離的には、そんなに遠くないんですけどね。遠回りしないと着けないので、時間がかかるんですよ」

 やがて車は大きな川にかかる橋に差しかかった。

「この川は天逆川(あめのさかがわ)という川です。なかなか立派でしょう。ここを渡れば羽振村(はぶりむら)まではすぐですよ」

 その言葉通り、しばらくすると木々の向こうに村がみえた。

 山のなかに、ひっそりと寄り添うように建つ、ちょっと古めかしい家の数々。

「ここで降りましょう」

 駐車場でも何でもないただの草原で車を止めると、殿村さんはそう言って車を降りた。ぼくも降りた。

 ものすごい山奥だ。

 でも、なんだろう。

 車から降り立って、山々のたたずまいと村の家々をみているうちに、ふしぎな懐かしさが込み上げてきた。

(ここが、ぼくのふるさとなんだ)

 新鮮な空気を胸の奥に吸い込むと、その空気が体のすみずみにまでしみ込んでゆく。体のあちこちが元気になってゆくのを感じる。この村の空気は、ぼくを元気にしてくれる空気だ。

(なんて気持ちいいんだろう)

 帰るべき所に帰って来たんだという感じがする。


4


 おじいちゃん()は、乾物屋だった。

 こぢんまりした乾物屋の奧の部屋に布団が敷いてあり、おじいちゃんが寝ていた。

 黒い和服を着た綺麗な女の人が部屋にいて、おじいちゃんの顔を覆っていた白い布をはずした。

(誰だろう? おじいちゃんの孫なのかな? いや、娘?)

 その女の人が誰かということも気になったけど、ぼくの意識は、おじいちゃんに向いていた。

(おじいちゃん……)

 たくさんのしわが刻まれた、男らしく、毅然とした死に顔だった。

 どんな声をした人だったんだろう。

 どんな顔で笑う人だったんだろう。

 死に顔をみているうちに、ぽたぽたと涙が流れ落ちた。

(ぼくに家族がいたなんて)

(おじいちゃん)

(生きてるうちに会いたかったよ)

(生きてるうちに来られなくて、ごめんね)

 ぼくは、はじめて会ったおじいちゃんに、取りすがって泣いた。


5


 葬儀会場はお寺だった。

 なんと、ぼくが喪主だった。

 びっくりするぐらいたくさんの人が詰めかけた。

 みんなぼくに名乗ってあいさつをした。

 まだこどもといっていいぼくに、大のおとながかしこまってあいさつするのは変な感じがしたけど、これが葬儀ってもののしきたりなんだろう、と思うことにした。

 昨日のあの女の人は、ここには来ていない。どういうことなんだろう。

 ほんとに大勢の人がやって来た。

 本堂には入りきらなくて、縁側に座布団を敷いたり、庭に椅子を並べたりして会葬してた。

 ぼくは早々に足がしびれてしまった。

 そんなぼくに、殿村さんは、ささやき声で言った。

「正座じゃなくていいよ」

 そう言われて、足をくずした。

 最初は横に足を投げ出したけど、その姿勢もつらくなったので、あぐらをかいた。

 ちらと周りをみると、ほかにもあぐらをかいている人はけっこういて、ほっとした。

 葬儀が終わったら火葬場に行くものとばっかり思ってたが、ちがった。

 なんと(ひつぎ)を何人かでかついで、山のなかに入り、埋めたのだ。

 あらかじめ大きな穴が掘ってあった。

 びっくりした。

(死体って、火葬にしなきゃいけないんじゃないの?)

 そんなぼくの心配をよそに、棺には上から土がかけられ、木の墓標みたいなものが差し込まれ、和尚さんが何かお経のようなものを唱えて、埋葬は終了した。

 みんなが立ち去ったあとに、一人のとても年取った女の人が、しゃがみこんで頭を垂れ、ずっと何かを祈っていた。その白髪の女の人が〈艶婆(つやばあ)〉という名前だということは、あとになって知った。


6


「鈴太か! すっかり大きゅうなったのう。ばっはっは。弓彦(ゆみひこ)によう似ちょる。幣蔵(へいぞう)の面影もあるのう」

 みんなが帰ったあと、殿村さんと和尚さんにあいさつに行ったら、いきなりそんなことを言われた。

 羽振弓彦は、父さんの名前だ。

 羽振幣蔵が、おじいちゃんの名前だ。

「あ、あの。ぼくを知ってるんですか?」

「うん? ああ、覚えちょらんか。無理もないのう。この村を出たとき、お前はまだ二歳かそこらじゃった」

 衝撃の事実だ。

 なんとぼくは、この村で生まれたらしい。

 それにしても、この和尚さん、狸の置物にそっくりだ。

 屋島狸っていうんだっけ?

 店先になんか置いてある、焼き物の狸にそっくりな顔つきと体つきだ。

 くりくりっとして奧に引っ込んだ両目。

 突き出た鼻。

 顔にはうぶ毛がいっぱい生えていて、特に口の周りはびっしりとうぶ毛で覆われている。というか、これ、ひげなんだろうか?

 みごとな太鼓腹で、笑うとゆさゆさゆれる。

 ちょっと妖怪じみた和尚さんだ。

 けど、人なつっこい感じで、親しみを感じる。

 和尚さんは、

〈じゅごん和尚〉

 と呼ばれていた。

 どんな字を書くんだろう。

 そういえば、ジュゴンとかマナティに似てなくもないけど、まさかあだ名じゃないよね?

 この村の人には、きっとこのお寺の檀家(だんか)さんも多いだろうし、檀那寺(だんなじ)の住職さんを海洋生物のあだ名で呼ぶとか、ちょっと怖すぎる。

「いやいや、よう帰って来てくれたのう。うん、うん。まあ、もう今さら大丈夫とは思うけど、やっぱり鈴太が帰ってきてくれて安心じゃ。ほんまによう帰って来てくれたのう」

 やたら喜びをあらわにするフレンドリーな和尚さんに、いろいろ聞いてみたいこともあったけど、とにかくこの日は疲れていたので、家に帰った。殿村さんも一緒だ。

 家に帰ると、殿村さんの布団と、ぼくの布団が、別々の部屋にちゃんと敷いてあった。誰が敷いてくれたんだろう。


7


「さて、鈴太くん。羽振幣蔵氏には、生きている家族は、君しかいない。君に遺産を譲りたい、というのが幣蔵氏の遺志だ」

「ぼくしか?」

「そうだ。幣蔵氏のおもな遺産は、広大な山林だ。この村の後ろにみえる三つの山がそうだ。それからこの羽振村(はぶりむら)の三分の二ほどが幣蔵氏の所有だ。預金もある。そしてもちろん、この乾物屋とね」

 びっくりだ。

 小さな乾物屋をやってた人なんだから、遺産というようなものがあるとは思わなかった。

 山が三つだって? いくら田舎とはいえ、それはすごいんじゃないんだろうか。あ、でも家を建てたりするには、確か宅地指定とかがいるから、そんなに財産価値のある不動産じゃないのかも。

「相続にあたっては、条件がある」

「条件、ですか?」

「うん。それは、君がこの村に住むことだ」

 それはまさに、ぼくが今願っていることだ。

 ふしぎなことなんだけど、ぼくはここに住みたい。ぜひ住みたい。

 この二日間のうちに、強くそう思うようになっていた。

 ここに住むことが遺産相続の条件だなんて、こんな好都合なことはない。

「住みたいです。ぼくはここに住みたいです。この乾物屋に住んでいいんですか?」

「うん。もちろんだ。ああ、できればこの乾物屋を続けてほしい、と幣蔵氏は言っておられた」

「え? でも、乾物屋のことなんか、ぼくわかりません」

「この乾物屋には、神籬天子ひもろぎてんこさんというベテランの店員さんがいる。できたらその人を引き続き雇ってほしい、とも幣蔵氏は言っておられた」

「ひもろぎ、てんこ? あっ。もしかしたら、最初の日にこの乾物屋にいてくれた人ですか」

「そうだ」

「それは助かります。あ、でも、その人を雇い続けられるほど、収入があるかどうか」

「彼女の給与は、幣蔵氏の資産から自動的に支払われるようになっている。そんなことでびくともする資産ではないから、安心していいよ」

「そ、そうなんですか」

「ちなみに、相続税の処理についても、生前の幣蔵氏から指示されている。山林は売却せず、預金から支払うことになっている。莫大な金額になるが、それでも君や、将来結婚する君の妻、それにこどもたちが生活するのに充分な額が残る」

「け、結婚ですか」

 少し声が裏返ってしまった。

「うん。それに土地の使用料や山林の木材を伐採した代金が定期的に入ってくるから、率直に言って、君も君の家族も働かなくても食べていける」

「働かずに生活、ですか」

「対価を得る労働だけが尊いわけではない。お金にならなくても、世の中のためになる事業をしたり、自分自身の興味が持てる研究をしたりするのも生き方の一つだ。まあ、そんなことはおいおい考えればいい。とにかく、君には選択肢が多いわけだ。ただし、村の外に移住することはできないし、長期間この村を留守にすることも、故人の遺志にかなわない。そのことはよく覚えておいてほしい」

「はい」


8


 それから数日というものは、あれこれと手続きについやされた。

 伯父さんの家にも、殿村さんはついてきてくれて、いろいろと説明をしてくれた。

 降って湧いたような話に、伯父さんは驚いたけど、ぼくにふるさとがあると知って、涙ぐんで喜んでくれた。ほんと、いい人だ。この人が伯父さんで、よかった。

 伯母さんは、ぼくがおじいちゃんの遺産を相続すると聞いて、人のよさそうな笑顔で、でも目を爛々(らんらん)と輝かせながら、どんな遺産ですかと質問してたけど、殿村さんが、小さな乾物屋を継がれることになります、と言ったら、急に興味をなくしたみたいだ。

 役所にも行った。

 たくさん書類を書いて判子を押したけど、まだこれは正式の手続きじゃないらしい。ほんとの遺産譲渡は、ぼくが成人してから行われる。それと、お試し期間というか、経過観察というようなこともあるらしい。今のところは殿村さんが責任を持って、いろんなことを代行してくれてるみたいだ。

 手続きが終わると、殿村さんは帰って行った。来月一度ようすをみに来ると言い残して。

 引っ越しは、あっけないほど簡単だった。

 財産といえるようなものは、ビニールバッグ一つに詰め込める程度の服と、古いノート・パソコンと古いギターと、それから書類が少々と、思いっきり古ぼけた鈴が一つだけだ。家具といっても、みんな壊れかけたようなものばかりで、そのままにしておけば解体のとき一緒に処分してくれるという。

 けれどぼくは、捨ててしまう物も綺麗に整理して、部屋の大掃除をした。

 さよなら。ちっちゃな、ちっちゃな、ぼくの城。

 今まで、ありがとう。

 さあ、羽振村での生活が始まる。


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